和歌山県は岩出町の山の中に、そのお店「桜の里」はある。
採れたばかりの新鮮野菜やお花が売られている小さな店だ。
日曜日にたまたま車で通りかかって立ち寄った。
60代と思しきリュックを背負った女性が、
野菜で満杯になった手提げ袋を持って、バスを待っておられた。
駐車場の警備員さんとの会話の内容が耳に入ってしまった。
JRの駅までバスに乗り、そこからまた電車に乗られるそうだ。
ついつい親切心満載の主人が声をかけた。
「もし良ければ車に乗って下さい。ちょうどJRの駅を通りますよ」
「ほんとですか! ありがとうございます。」
大喜びのその人と車内での会話も弾む。
はるばる大阪は堺市から野菜の買出しに来られたそうだ。
我が家はJRの駅のすぐ近くにある。
その人を駅までお送りするのに、何の苦労もない。
駅に着いた。
しかし、その人は車から降りようとされない。
「住所と名前を書いて下さい。」
「えっ? そんな大げさな・・・こちらは、ただのついでだったんです」
「いいえ、このままでは、私は絶対に下りることができません。」
なんとしても私達の住所と名前を教えてほしいと粘られる。
書いてくれるまで、私は絶対に車を降りない、
こんなにお世話になって、そのままで引き下がる訳にはいかない、
そう言って、デンと後ろに座ったまま、断じて動く気配なし。
「いいですよ。ほんとうについでだったんですから」
「いいえ、教えてくれるまで私は下りません」
何度、同じ会話が狭い車内で繰り返されたことか。
こんなことで、すったもんだするとは予想外のこと。
ほんとうに15分間以上、意地の張り合いが続いた。
こんなことなら、乗って頂かないほうがよかったのかな?
さて、どっちが勝ったでしょう?
私達です。
やっと諦めて下さって、車を降りて下さいました。
どっちみち、筆記用具を所持されてなかったのですから、
結果はこうなるのはわかっていましたが・・・
おかげで、太極剣の練習に遅刻してしまいました。
2005年06月10日(金) |
あなたなら、どうする? |
野良猫達の求愛の季節がやってきたようです。
家の周辺が、ずいぶんと賑やかです。
そのうち、可愛い子猫が姿を現すようになるのでしょうね。
そんな子猫を子供達が拾ってきたのは、ここに引っ越してきて
まだ間もない頃、ざっと20年ほど前です。
可愛いトラ猫でした。が、新築の家の中で飼うのには抵抗がありました。
そこで濡れ縁の上の小さなダンボール箱が、子猫の家になりました。
昼間はそのダンボール箱の中で眠ったり、子ども達と庭で遊んだり。
しかし、猫は本来夜行性の動物だったのですね。
ミーチャンと名付けられたその猫は、どうやら人間達が深い眠りにつく
真夜中、こっそり活動を開始していたらしいのです。
毎朝、庭の芝生の上に、小さなネズミや虫の死骸が転がるようになりました。
箱の中に、大きな牛蛙の死体を発見したこともありました。
「ぎゃぁ〜〜!!!」
可愛くて獰猛なミーチャンとの楽しい生活は、そういう状態でいつまでも
ずっと続くかのようにみえたのですが・・・
ある朝、いつも戻っている筈のミーチャンの姿がありません。
子供達は心配しながらも、小学校に行きました。
近所の人の知らせで、ミーチャンが交通事故に遭って死んでいるのを
見たのは、そのすぐ後でした。
活発で行動範囲の広いミーチャンの最後でした。
ダンボール箱に入れて、すぐに役場に持って行きました。
子供達にその姿を見せるわけにはいきません。
そこからが問題でした。
義母は、絶対に子供達に真実を喋らないようにと言います。
「きっと、どこかでお友達と幸せに暮らしているよ」と言ってあげなさい。
私は迷いました。子供達はその言葉にほんとうに納得するだろうか。
小学校低学年の子供には、ペットの事故死はあまりにも衝撃的で
受け止められないものだろうか。
学校から帰宅した子供達には、ひとまず、義母の
「きっと、お友達を見つけたので、何処かに」説を採用することにしました。
しかし、二人とも何度も縁側の戸を開けては「ミーチャン! ミーチャン!」
と呼びます。でも夜になっても、当然ミーチャンは帰って来ません。
娘が突然、我慢ができなくなったのか、泣き出しました。
その時、私は娘には事実を伝える決心をしました。
ミーチャンが死んでしまったことを知るのは悲しい。
でも、いつまでも行方知れずという状態もやっぱり悲しい。
そして、たとえ、今、どこか別な場所で幸せに暮らしていると仮定しても
あんなに可愛がっていた仲良しのミーチャンが、自分のもとから黙って去って
帰って来ないということも、ある意味、許しがたく悲しいのだから・・・
後で「可愛そうに・・・言わなくてもいいのに」と義母は言いました。
でも、下の息子には、皆で黙っていることにしました。
だから、その後もしばらくの間、息子はフと思い出したように、縁側を開けて
「ミーチャン! ミーチャン!」と呼んだり、
「今日ね、僕ね、原っぱでミーチャンを見かけたよ!」などと
報告してくれたものです。
たしかに、ミーチャンはありふれたトラ猫でした。
彼の中ではミーチャンは、義母の思惑通り、何処かでずっと
元気に生きていたのでしょうね。
義母説を素直に受け入れたのは、彼がまだ幼かったからでしょうか。
それとも男の子だったからでしょうか。