二度目の愛知万博旅行が近付いてきた。
今度は、私の八十歳の母がいっしょだ。
五月に主人の両親と四人で万博に行ってきたのだが、
それを知った我が母、「私も行きたい」と強く主張。
「どうして、私だけ仲間はずれにしたの?」
「私、怒ってるのよ!」という雰囲気で、かなりスネスネモードだった。
それを聞いた主人、すぐにシニアのチケットを買ってきてくれた。
遅くなればなるほど暑さも厳しくなり、入場者数も増え続けるだろう、
ということで、バタバタと今週行くことになった。
ほんとうに行けると知った時、我が母の喜びようは想像以上のものだった。
感激した母の言葉。
前にね、「私、万博に行ってみたい」と言って、
○○さん(我が亭主のこと)の顔を見たらね、ちょうど目が合ってね、
その時、○○さんはウンウンと頷いてくれたんよ。ああ〜やっぱり〜
きっと、連れて行ってくれると思ってたわ〜♪♪
アレ! 嬉しいよ〜〜♪♪
(「アレ」は強調ナリ)「・・・・・・・・」
へーーー、そんな場面、あったの〜???
いったい、二人はどういう関係なのだ?
(小学生の女の子と父親みたいな・・・)
さて、昨日の電話では、打って変わってシオらしいことを言った。
「あの時は、娘のアンタには、ついつい気を許して
エライ強い口調でワガママを言ってしまったんやけど・・・
今になって、○○さんにも会社を休んでもらって、
いろいろ迷惑かけるし、ほんまに悪かったなーと、反省してるねん。」
(そう言うわりには、やっぱり嬉しそう・・・)
なんだかんだ言っても、明日から我が家で一泊、
翌朝、前回よりも早く5時出発の予定だ。
一泊旅行というよりは、小学生の遠足のような・・・
親と子の不毛な戦いが続きそうだ。
今、息子は就職活動に苦労している。
数学という科目、あまり社交的でない性格、
いろいろな理由があると思うが、予想はしていたことである。
そして、そのことに関して、親の私達に対する主人の両親からの叱責や
グチを予想はしていた。
今までの人生の中で、常に繰り返されてきた我が家の歴史だ。
親と子の戦いは、私達と子供との間で起こるものではなく、
常に、私達と主人の両親との間で繰り広げられる。
「親がちゃんとレールを敷いてあげるべきだ!」と、義父は事あるごとに言う。
私が大嫌いな言葉だ。それは、たいてい親の身勝手なレールであり、
子供はロボットではない。
息子二人が大手メーカーで働いていることが主人の両親の自慢だ。
そして孫である我が息子の就職が決まらないのは、私達のせいだと非難する。
休日ごとに、雨が降ろうと槍が降ろうと、朝から我が家に来る両親。
いかに自分達が立派な親だったか、という自慢話。
そして私達の子供が躓くたびに私達への非難とグチ。
それは、何の力にもなり得ない。
先日は温厚な主人までもが「うるさい!!」と怒鳴った。
私も「もう、来ないで!!」と発した。
それも、また何度か繰り返されてきたことだ。
でも、次の土曜日には何事もなかったように、また二人はやって来る。
どちらの近隣からも、私達親子はとても仲が良いと思われているらしい。
毎週毎週、息子夫婦のところへ出かける両親、
毎週毎週、ニコニコと両親をむかえる息子夫婦、
しかし、その実態は・・・・
私は、今、テレビで話題を独占している相撲界の家族を思う。
物事には美しくカバーされた表面があり、
その下には、それを支える様々なドロドロとした精神や人間関係が
ゴチャゴチャの状態で鬱積している。
表の部分だけ誇張して宣伝されていたら、
押さえ付けられて隠れていた裏側部分が突然、我慢できなくなって飛び出してくる。
こんなことを書いている今日の私は、裏側の私である。
しかし、ほんとうに仲の良い時もある。
両親の孫達への愛情の深さに、心から感謝する時だってある。
それも、また偽りのない事実。
裏も表も、お互いにどちらもほんとうなのだ。
考え方のちがいで、双方とも熱くなってケンカ別れする時もあるが、
「ありがとう」と言い合い、お互いの存在に感謝し、
その親心に感動する瞬間も確かにある。
裏も表も、どちらもあって、当然だと最近は思う。
表が出たり裏が出たり、結婚三十年間はそれの繰り返しだった。
それでも切断されることのない絆だった。
しかし、お互いのエネルギーの消耗は、けっこう大きかった。
これも、ひとえに元気な証拠と感謝に思うことにする。