昨夜寝る前、昼に書いた自分の日記を読み返してみれば、
ずいぶんと要らぬことを書いているのにショックを受けてしまった。
よほど、気持ちがカリカリしていたのだろう。
それから、あわてて不要な部分を削除したり、書き直したりしたが、
何かイヤな事があった時には、すぐに日記など書かない方がいい、
少し時間がたって落ち着いてみれば、別にどうってことないのに、
なぜあんなに気持ちがイライラとすさんでいたのだろう、
などと、自己嫌悪に陥りながらも、いろいろ反省してしまった。
が、後のまつり・・・(いまさら、というような気もするが・・)
ところで消えたお弁当はちゃんと発見できたものの、
私の靴の方は依然として行方不明。
念のために、こちらからお店に電話をしてみたが、
やはり、私のエコーシューズは戻っていないそうだ。
とういうことで、何処の何方かは知らないけれど
ポイと捨てずに、余命幾ばくもないマイシューズを、
少しは大事に履いて下さっていると信じることにした。
そうそう、靴の履き間違いで、ひとつ傑作な思い出があります。
もう十年くらい前のこと。
仕事帰り、電車を待っていた東岸和田駅のホームで、
隣の友人が小声でそっと打ち明けたのです。
「私、今日、右と左、別々の靴を履いてきた」
思わず友人の足元を見ると、たしかに左右で靴が違います。
色は同じ黒だけど・・・
しかも、それに気付いたのは、仕事が終わってからということ。
朝、職場で通勤靴を脱いだ時は全く気が付かず、
夕方、再び通勤靴に履き替えようとして、初めてわかったそうです。
それが、その友人、私のようにボーっとした性格ではありません。
俗に言う「シッカリした人」に分類されるべきタイプだと思います。
決して、そそっかしい、とか、抜けてる、とかいう表現は
微塵も当てはまらない人でした。(少なくとも、その時までは・・・)
その日を境にして・・・なんてことはありませんが、
「人は見かけによらぬもの」と、チラリとは思ったかも・・・
きっと、家のシューズボックスに収める段階で、
組み合わせを間違えて揃えてあったのではないでしょうか。
たしかに、私の足も左右で大きさが少し違うらしく
いつも右足よりも左足の方が、靴はキツク感じます。
だから、左右で履き心地が違っていても、全く不思議ではないのですが・・
でも、左右別々の靴を履いて外出した人の話というのは
私は、他には聞いたことがありません。今のところ・・・
このところ、小さなゴタゴタが続く。
先日、行方不明になった私の靴はいまだに戻ってこない。
今日はお弁当が行方不明になった。
配食ボランティアでのできごとだ。
配達すべきお弁当が、最後に足りなくなってしまったのだ。
私の仕事はお弁当を各家庭に配達し、代金を受け取り
前回のお弁当箱を回収してくること。
各家庭から持ち帰ったお弁当箱を、きちんと洗浄されているか、
食器の数が揃っているかを中を開けてチエックすること。
そして、チエック後のお弁当箱をケースに入れて整理するのは
運転手のAさんの役目だ。
どう考えても、私が配達する数を間違えたとは考えられない。
二個配達するお宅もあるが、代金と引き換えるのだから、
余分に手渡すなんてことはあり得ない。
Aさんは、最初からお弁当の数が足りなかったのだと主張する。
お弁当の数はケース数で確認するが、たまにケースの中身が
満杯でないことが今までにもあったそうだ。
とりあえずAさんは、役場に連絡してお弁当の追加注文をしてもらった。
原因を考えるよりも、お弁当を昼食に間に合わすことの方が大事だと言う。
スムーズに配達しても時間はギリギリになる。
でも、その後、回収された前回のお弁当箱を全部調べたところ、
配達すべくお弁当が一つ混ざっていたことが判明した。
数を数えるとすぐにわかったことだと思うが・・・
ハッキリ言って、気が滅入った。
私は思う。お弁当箱の色をなぜ曜日で統一しないのかと。
ピンク、グリーン、ブラウン、三種類のお弁当箱がいつも無造作に混ざっている。
きちんと、その日のお弁当の色が決まっていたら、回収したお弁当箱と
配達するお弁当箱は間違うことは無いのに。
ちなみにお弁当箱は、頑丈な保温構造になっているせいか、
中の食器も含めて、それ自体が必要以上に重くて大きい。
手にした感触だけでは、中身が空なのかどうか判別が難しい。