先日の日記の続きです。
我が子が声をあげて泣きながら家に帰ってきた時、
または帰ってきた途端、母親の前でワッと泣き出す時、
母親は子供の身の上に思いがけない出来事が
起こったことを知るのです。
一度目、二度目の時も、それは私にとってはかなり強烈な
できごとでした。
三度目は娘が志望校に合格、楽しい高校生活がスタートして
三ヶ月が過ぎようとしていた夏の日でした。
夕方、高校から帰宅した娘が、ワッと泣き出したのです。
正直、私がすぐに心配したことは
「また、クラスの誰かを負傷させたのか?」
「それとも、また学校の大事な何かを破壊してしまったのか?」
普通、年頃の娘を持つ親が心配するようなこととは、
程遠いことを真っ先に心配してしまった私です。
三度目の娘の涙の理由は・・・
高校に合格して、初めて買ったばかりのコンタクトレンズ、
それを装着したまま、プールに入ってしまったということです。
最初だからと、近所の眼科医できっちり検査を受けた上で
購入したコンタクトレンズ、ヤケに高価だったのです。
当時二枚で五万円余りもしました。わずか三ヶ月の命でした。
パッと消えた五万円は痛かったけれど、ホッとしたのも事実です。
ワザとではないにしても、他所様の大事なお子様や車に傷を
負わせるというのとは違います。
いっしょに謝罪に行く必要もないですし・・・
あの涙はけん制球のような役割を果たしたのです。
過去の事例がパッと頭に浮かび「またか・・」と思ってしまった私は
理由をきいて「なんだ・・そんなことか」とホッとしてしまいました。
今から考えると、やっぱり物凄〜い痛いですけど。
最後に娘の名誉のために追記しておきます。
お転婆なのは隠しようがありませんが、実は手芸、裁縫、料理が大好きな娘。
でも、午年(うまどし)のシシ座はピッタリ!
(いつも前向きで突進しているイメージ)
ロンドンでの爆破テロのニュースを見た時、
かつて、メール交換をしていたイギリス人のメールフレンドを
すぐに思い浮かべた。
彼女の二番目の息子が、ロンドンの大学に入学して学んでいたはず・・
メール交換を始めた頃、高校生だった彼女の息子が受験期になった時、
目標とする大学のことや、高校での成績のことなど
母親の彼女は、かなり熱くなっていたので
「いずこも、受験生を持つ母親はみな同じなんやー」と感じたもの。
英語には全く自信がなくても、単語の羅列と写真交換だけでも
きっと楽しいだろうと始めた文通、
たまたま、子供の年代が同じで家庭環境がよく似ていた。
息子が志望大学に合格した喜びと、親元を去ってロンドンに行ってしまった
母親としての寂しさ・・・
ちょうど我が家も同じ状況だった。
約3年間続いた文通は、
しかし、少しずつ私の返信メールが遅れるようになった。
特に、パート先を変えた頃から、グッタリと疲れるようになり、
日本語のメールさえ滞りがちになった。
とても英語のメールなどに取り組む気力は無い。
それに、ストレスも溜まり始めた。
拙い英語力では、思い通りに自分の気持ちを表現することはできない。
返事を待ちかねた彼女から「How are you ? 」というメールが届くと、
やっと重い腕を上げるという状態が続くようになった。
しかも、数行の英文しか書けない。
2002年の秋、長い間同棲生活をしていた彼女の長男が結婚、
喜びのメールと結婚式の写真が届き、私もお祝いメールを送信した。
それが、ほぼ最後だっただろうか。
今は仕事をやめ、時間もたっぷりあるのに、再び挑戦する気力はない。
歳をとったものだと思う。
でも、文通が途切れたからと言って、私は彼女を忘れたわけではない。
日本語で書けるのなら、決して終わっていなかっただろうと思う。
だから、メールを送った。
ロンドンにいる彼女の愛する息子が無事なのかどうか、
安否を尋ねる短いメール。
もう届くかどうかもわからないが・・・
長〜い英文メールがすぐに返ってきた。
とにかく彼は無事だった。たまたま無事だったそうだ。