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2004年11月28日(日) 「普通」



普通

一年くらい前に読んだ本に、
「個性的」なんて、本人が自分で思っているだけで
じつは「個性」という名の「普通だ」的なことが書いてあったけれど
年齢を重ねるほどに、「個性という名の普通」を思う機会が多くなってきたみたい。

こういうのを、経験を重ねるっていうんだなと、
お年寄りが聞いたら一笑に伏されるほどわずかな年輪だけれども、
生意気を思ったりする。

 
『道理百遍、義理一遍』にうなづいてしまうのは、
なにも人付き合いについてだけじゃなく。
百度の『説明』や『好み』や『うんちく』もいいけれど、
「ああいいな」って思える瞬間があれば、それは、それが一度あればよいわけで。
それが普通でも、よいわけで。



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2004年11月17日(水) 2002.6.22 再編集

画像載せました。
仕事柄、版権の問題でなかなかイメージを載せれませんが、このキャラは自分が創ったものなので、思いきって載せてみました。
日記もなかなか進まなくて、こうしてアップする度に、マニュアル復習しながらやっています。

数行下の2002.6.22の日記を見て下さい。


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2004年11月03日(水) 本の話など1

 前月半ばくらいから、朝の5分くらいを利用して読んで来た赤川次郎の「イマジネーション」を、あと少しで読み終わります。この作家は、学生時代に読み耽った数人の作家のうちの一人で、特に三毛猫ホームズシリーズは大変読みやすく、お気に入りでしたが、この間亡くなったフランソワーズ・サガンなど、少し難しい洋書などを読んでいた友人たちから見れば、本当に幼稚な本を読んでいるように見えたと思います。赤川次郎を手にするのは、実に20年ぶりくらい。
 この本は今年の9月に出版されて、自分が購入したのもそのころで、しかも初版本なので、現在どれくらい読まれているか、今後どのように版を重ねて行くか想像もつかないけれど、新聞広告に書かれていた「想像力を失うと、人はどんなひどいことでもできる。イマジネーション。今、もっとも大切なもの」というキャッチフレーズに惹かれて購入したのです。想像力なんていう言葉は、私達のような広告の仕事では、耳も心も(笑)麻痺してしまうくらい、もう何万回も聞いてきた言葉でしたが、このワンセンテンスは、本当にそうだなあと、今さらながら想像力というものを深く考えさせられたので、思わず、「うまいなあ」と購入に走ったわけです。広告を作るときは、みんなが「ああ、そうだな」と納得するようなひと言があればいいのだとはよく云われましたが、まさしくその通りでした。
 本は、赤川次郎さんのこれまでのエッセイを再編集したものですが、ご本人の自分史と(作家になるまで)これからの世代へ、想像力の欠落のこと、ネオナチ・・・と、想像以上に読みでがあって、これから何を書いて行こうかと考えていた私にとっては、ひとつの指針となる本との出会いになりました。機会があったら、購入しなくても、図書館で開いて気になる項目ひとつでも良いので(1話5分〜10分くらいで読めます。このわかりやすさとやさしさが、相変わらずだったのでうれしかったですが)読んでみて下さい。

+++++++++++++映画案内


 今週は、デスクがフィジー島へ出かけてしまって、人出不足の折り彼女の仕事を引き継いで、二人分も仕事をしています。従って、自分の仕事はまったくはかどらなくて納期を伸ばしてもらったりです(笑)。写真は、彼女がいつも作業している新聞の映画案内の原稿です。自宅に持ち帰り、今日、自宅で、生まれて初めて書いてみました。大きい文字や、小さい文字、並び、目立ち方など、これが結構、パズルみたいで楽しい。

*これからワークスの方は、こんな形の日記になります。
これまでのBBS形式のも、いろんな方のたのしい書き込みがあるので、いつでも見れるようにしておく予定です。
これまで書いて来たものも、自分の記録の為で恐縮ですが、随時整理していくので、しばらく新旧入り交じりの日記になります。


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2002年06月22日(土) キャラクター

キャラクター

 4月半ばのプレゼンからずっと関わってきたテレビのアニメCMが完成した。このキャラクターは自分のプランニング段階では全く別なものを予定していたのだけれど、アニメにするときの容易さ(たとえば、手足などはない方が、アニメにしやすい。)など、諸般の事情から、水中の微生物「ミジンコ」をモデルに作り上げたものになった。このキャラのおかげでプレゼンに勝ち残って、気分よく下期を迎えることができそうだ。

 今迄もアニメキャラの仕事はしたことがあったけれど(数える程度)、今回は原画も実は自分で描いてみた。プレゼンのための社内予算が十分に取れなかったのと、コンテ屋さんが手いっぱいな上、この企画の締め切り迄20時間しかなかったという超急ぎだったために、自分でカラーコンテまで起こすしか手立てがなく、何枚か描いたのコンテ案のうちの一枚に使った副産物として、このキャラクターが誕生したのである。本当に予算がない、無理がきかない、スタッフが少ないなど、「ないないづくしの情けなさ」みたいなものを痛感しながらバットコンディションのお絵書きだったけれど、お絵書きそのものは楽しかったので自分でもこのミジンコのキャラはとても好きだった。




 さて、仕事が決まって、幾たびかのコンテ変更の後早速制作に入ると、まず、アニメーターの手にかかって、キャラの雰囲気が変わる。なんかとても躍動感が出て、自分が描いたものとは別人(っていうのか?)のようになった。手塚治風とでも言うのかな。で、アニメーターも自分の手が入ったこのキャラのファンになる。つぎに、この仕事を進めてくれる制作会社のプロデューサー兼ディレクターが、ナレーション他音入れの時に
「ん〜〜。ちょっとなんかキャラの声とかかけ声とか、入れてみてくんない?」
のひと声で、音からイメージする性質みたいなものが生まれる。編集時間は限られているので、そのキャラについてを殆ど語ることなく、どんどん変わっていく。
「自分はイメージどおりなんだけど、どお?もっちゃん。(もっちゃんは私)」
とH氏。
こちらはとくにキャラの性格やくせまでは考えていなかったし、出来上がりの確認のために同席しているスポンサーの方が気がかりで、
「いや、Hさんが良ければ私はいいですけど、どうですか?」
とスポンサーに確認を取ったりして、
「かわいいですね。いいんじゃないですか。」
というスポンサーの言葉で、作業も終了となる。そこで、Hさんもスポンサーもキャラを愛してくれる。自分ももちろんそうなんだけど、どこか、最初自分の中にあったキャラとはやっぱり異なるんだな。

 「キャラクターをCMのアニメにすると変わるんだよ。それは、タッチとかああいうテレビドラマものでもそうだってば。」という話はディレクターから事前には聞いていたけれども、その変貌は想像以上だった。
自分で一からやってみたので余計に感じてしまったのかもしれない。

 自分の普段の仕事のほとんどは印刷物なので、色とか、線とか、表情とか、そういうものでイメージを作っていくのだけれど、こと映像になると、音楽はもとより、効果音が産み出すもののポイントはとても高いということを今さらながら確認する。当初使いたかったキャラも印刷としてのイメージしか捉えていなかったけど、そのキャラが出てくる本を開いて、ここにはどんな音があるんだろうなど想像してみる。そしてこのキャラは何色の声で話すんだろう。いや、話をするのか?話をするのは苦手かも?じゃあ、テレパシーなのか?テレパシーの音ってどんなのか?キャラの友達は?そして、これが現実の世界だったら、どんな臭いがするんだろうかなど、イマジネーションを広げてみようとするのだけれど、果てしなく可能性が多すぎてきりがない。で、沢山の可能性の中から『もっとも広告として使えるもの』の条件で選んでしまうから、出来上がると性格が変わるのか。


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2002年06月17日(月) 庭の草取り

 梅雨の少し前くらいから、庭の草取りの季節になる。今暮らしている富士川町の家の庭はやや広い。田舎だからね。三軒となりのF家なんかは、奥さんの趣味できれいにガーデニングされていてとても美しいけれど、うちは植物が野方図に群生していて、なんの計画性もないところに安心感を感じる。とくにお金を出して花の苗などは買ってこない。みんな誰かが持ってきたり、種をもらったりしたものがそのままいついている。
 そんな訳で、計画性がないので、草取りは少し気を使う。明らかに草とわかっているものは取ってしまうが、つねになにが出てくるかわからない花壇なので、(花壇というなりもしていないのだけれど)取る時に、「これは草だろうか」と考えなくてはいけないという事情が有るからだ。この時期は、コスモスの苗が伸びはじめて、そのうち間引きをするにしても少しやっかいになる。気の早いコスモスはもう、花をつけている。
 明らかに草とわかっているものでも、花をつけるものはわざと残したりする。草の花は可憐なものが多いのだ。花が終わればすぐに取ってしまえばいいのだけれども、そこはそれ、週に一度しか庭に出ない週末園芸家なので、気付くと種が落ちてしまっていて、来年はより一層の努力を強いられるという結果になる。でもやはり、残したい。
 残したいといえば、中庭は外からは見えないので、もっと凄いことになっている。手を抜いているわけではないのだけれど、「草があるほうが、地面が涼しいんじゃない?」など勝手に考えたりしているので、「歩ければいいや」程度にしか、草を取らない。車の通るところはバラスを敷いたりしているから余計に緑が欲しいのでそうしているのだけれど、たまに寄ってくれる親戚のおじさんが、「大変だったら、除草剤をまいてやろうか、チコちゃん」など言ってくれる。除草剤は嫌いである。土を殺してしまうので。もっとも、陶芸なんかやっていて、土を殺すって言えば、自分が一番そうなんだけど。焼き殺してしまうのだから、作品は大切に作り込まなくちゃね、下手は下手なりに。
 草取りをしているときは、じわじわと暑くて汗も出て、取っても取っても出てくる草は「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし」など自演自ウケ。半分ぼけっとした頭で作業するので、時々とんでもなく素晴らしいアイディアが生まれたりして、小躍りすることもある。


TSUKIKO |MAILHomePage

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