WORKS クリエイティブは何処から
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藤田嗣治を最初に知ったのは、名前ではなく、戦争画を描いたために日本を追われた才能ある画家がいて、これまでにパリで認められた日本人画家はその人一人だという逸話でした。
友人は彼をレオナルド藤田と呼んでいて、またデッサン会で一緒だった仲間は藤田嗣治と呼んでいて、両方から時々話を聞いていましたが、これら二人の藤田と私が聞いた逸話の人は、しばらくのあいだ、一致することはありませんでした。
2年くらい前、かなり混んでいた仕事の間隙をぬって、地元長泉町にある「ビュッフェ美術館」に気晴らしに寄ったことがあるのですが、その時に開催していた藤田嗣治の猫絵展で、初めてこれら三人の人が実は一人の画家だったことを知りました。多くの人が、乳白色の肌のラフなどの代表作から彼の世界に入るらしいのですが、私はどうしても、彼の描いた戦争画への興味を捨てることができませんでした。(続きは明日)
今日は、いくたびかの変更の後、やっととれた代休で(なんていうとひどく忙しそうですが、毎日少しずつ約束があっただけなんです)東京へ出かけ、 念願の藤田嗣治展を観てきました。 今年、生誕120年で、大きな展覧会が東京国立近代美術館に来ていたのです。 (続きは明日書きます。)
穏やかな、風のないお彼岸のお中日
マッチ一本で、線香の束に火がついた。
燃えさしを土に還して、亡き人へ話かけながら
石に水をやり、祈る午後。
今日は午後から広告業協会の研修会。行くはずだったHさんが出張のため(ゴルフとも言う?)代わりに氏の営業車を借りて出かけました。 Hさんは来年60歳。この県東部地区の業界では知らない人がない有名人で、自身もまたかなり顔が広くて、人の名前をよく覚えているので、いつも感心していましたが、 今日借りた営業車の助手席に捨て置かれた箸袋の裏に「あかはし」とボールペンで走り書きしてありました。
「きっと人の名前だな。」
なるほど、こうやって、逢ったお店と人の名前をセットで覚えていたのか・・・・。
ひとつきほど前から、気持ちに余裕のある時に、以前書いたものを見直ししています。日付けをくってみると、毎週毎週なにかを書いてこのサイトに貯蓄していたのも、もう5年も前になるから驚きです。
そうは言っても、日常生活におけるこのごろの、自分の中にある時計は、現実よりも二週間ほど早く進んでいるようで、一ヵ月が長く感じます。このかんじは昨年あたりから気が付いていたんですが、「ああ、まだあと一週間あったんだ」っていうのはほっとします。今年になって、しばらくやめていた腕時計を始めたのもよい効果を産んでいるかもしれません。
それにしても、当時は推敲もしないでばんばん作品を載せていましたが、こうして推敲してみると、かなり文章も下手でわかりにくく、印象もよくないなと反省しかりです。こう言うといつも笑われてしまうのですが、自分にとっては遺言のようなコンセプトで書き始めたので、かなり自分本位な姿勢でしたから、誰かに読んで頂くこともあるのだという気持ちに欠けていたみたいです。全てを一度、サーバーから消去してあたらしく書き直したものと差し換えたい気分ですが、時刻の記録が変わってしまうのが残念だし、これはこれで記録なので、恥ずかしいけれど、このままにしておくことにきめました。しかし、そのうち時間のあるときに、メニューの入り方を構築しなおすくらいはしたいです。
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