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2006年07月05日(水) 奇跡を見ました。

以前、ここで、静岡新聞社のIさんの病気の話を書いたんですが、そのIさんが、生存率15%の淵から奇跡の生還を果たして、今日、我が社に挨拶に来られました。末期の食道癌と聞いていたので、私たち周囲の者としても、一縷の望みを、お守りや、左馬の茶碗や、かえるの置き物(無事帰る)に託して見送ったわけですが、今日のIさんは放射線による治療の後遺症も、抗がん剤による副作用もまったくなく、入院直前以上に健康な様子でした。Iさんの癌は、すっかり消えてしまったのだそうです。
 静岡県東部地区には、国立長泉癌センターという日本屈指の病院があるのですが、そこでIさんは治療を受けて、手術のしにくい場所に巣食った病気を根絶したわけです。これまで癌が良くなったという方には何人かお会いしましたが、これほどまで完治した人を目の当たりにしたのは初めてでした。本当に感動で涙が出ましたが、同時に、今日ほど、うちの母も、治してあげたかったなと思った日はありませんでした。医学の進歩を痛切に実感した日でもありました。


2006年06月28日(水) 6月16日の朝刊

 今日は、国土交通省のイベントの立ち会いを終えて、めずらしく5時過ぎには帰宅。ステッパーで運動しながら、先日見残していたDVDの続きを見ました。自宅の近くで、しかも広告の仕事なんかじゃなければ、いつもこういう健康的な暮らしができるのだがと、またもや思ったりして。
 あれこれやっているうちに、自分の部屋に9時過ぎに入り、大分前からいっぱいになっていた机をやっと整理して、こうしてパソに向かっています。いつもこういうふうにきれいだと、日記の更新頻度も高くなるのですが、なにかをはじめようと思うとまず掃除からというのは、どうも効率が悪いです。
 表題が6月の話題なので、今月中に書かなくちゃとずっと思っていましたが、この日の朝刊に三越と高島屋のお中元の新聞広告が掲載されました。気付いた方も多かったかと思いますが、どちらも朝顔のイラストだったのです。三越が朝日新聞で、高島屋が読売新聞でした。二誌に分かれて朝顔の競作でした。
 最初、高島屋に気付いて、素敵な広告と思ったので切り抜いたのですが、その後すぐ三越を見て、これはどうしたことだろう・・・・。と、舞台裏など推察しつつ、三越は東京っぽくて、高島屋は京都っぽいなーと感じつつ、高島屋を調べてみたら、本社が大阪でした。
 


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2006年06月14日(水) 一生懸命だから

今週月曜から、講習のために、夕方6時過ぎから9時過ぎまで、東京の恵比寿ー六本木界隈をうろうろすることになりました。といっても、自分で探したのではなく、会社から言われて通うことになったのです。予定では、8月いっぱいくらいまで毎週通います。制作のためというよりは、広告企画関係で、これを学習することで、企画面での仕事の可能性がまた広がるだろうという予感がします。

初日の月曜は、ワールドカップサッカー日本戦の初日とあって、講習は予定より15分ほど早く終わり(サッカーがあるので、質問時間はとらないでくれと講師が自分で言う)、帰りの恵比寿駅では、団体で応援するのだろう、ジャパンブルーのユニフォームを着たサポーターの大きな団体とすれ違い、電車ラッピングで、勝利へのスローガンをでかでかとうたっている富士フィルムの広告を見たりして、地方との少し文化の違いを感じながら帰宅。後半戦の残りを観戦し、応援もしたけれど、残念な結果。それでも国民の感心は高く、瞬間視聴率61%を超えたという記事を昨日のネットニュースで読みました。

それでも、「あきらめないで応援しませんか」的な気分で迎えた水曜の朝です。この間のワールドベースボールもそうでしたが、一生懸命というのはすがすがしく、観ている人を幸せにするように思います。だから、自分も、観て感動しているだけじゃなく、やることはなんでも、できるだけ一生懸命にやろうなんて、決意も新たに、講習などもこなして、また少し広がりを持った自分に進化しようと思います。


2006年06月10日(土) 没原稿で季節のお便り

雨を着る


雨というフィルターを通して過ごす、TPO+お天気な日々。
どこにでも、出会いの時間はながれているし。


2006年06月09日(金) 人生は双六だ3

 戦争画は、国から与えられた題材をこなしたという意味で、描いたのは藤田の本意ではなかったというように思っていましたが、ローマのウフィッツィ美術館で観た圧倒されるばかりの迫力と、観ていてそこに描かれた人の想いが絵から抜け出てきそうな魂の重なりがありました。戦意高揚のために国が描かせたものですが、藤田は画家としてその使命を全うしながら、実はそれを描く意味は全く他所に求めたのかもしれないなど思うと、しばらくそこに佇まずにはいられませんでした。それは、彼が生涯努力していたと思われる、描画の技を極めていくことや、目には見えないもの、たとえば、そこにあるものの魂まで描いて行こうとすることだったのかも知れません。鎮魂や祈りを感じたのは、私の錯覚だったのでしょうか。

 誰か一人の人生を、その作品を通じて時系列で観察すると、ドラマティックの度合いに差こそあれ、縦に螺旋を描いた双六のようなイメージを持ちました。行きつ戻りつ、螺旋階段を登って行くような、そんなイメージでしょうか。戻っても、そこは確かに前にいた場所とは異なっている。うまく表現できませんが、でも、その螺旋階段をずっと登って行くのです。それは、努力によって登る階段もあるし、時間が経つから結果として登ってしまう階段もあると思います。自分の登っている階段はどんな螺旋を描いているのかなと、こうして、展覧会が終わってしばらく経って、考えてみました。

 時には、息切れするくらい、勢い良く駆け上がってみても、良いのでは。


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