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2007年01月19日(金) 仕事(JOB & WORK)初め 風の宮さんと手首ウォーマー


<初詣は風の宮神社>
JOBの始まりは例年通り今月5日でしたが、そのすぐ後の3連休の中日にも人寄せがあり、お正月の忙しさがだらだらと10日間に及んだような年の初めでした。忙しいのも、人が出入りするのも好きですが、結局、初詣も8日の月曜になり、家から歩いて30分くらいの峠にある、「風の宮神社」というところに行ってきました。その昔、他村からの疫病や天災(風や嵐)を封じる目的で祭られ、ちょっと信じがたいような奇祭が営まれてきたという言い伝えが書かれた木の看板が(現在は行われていない)。この場所からは、世界一の技術を誇る第二東名富士川橋が見下ろせますが、この神社についてはまた後ほど記述したいと考えています。名前がいいでしょ。「風の宮さん」と呼ばれていますが、土地の人も知らない人が多い神社です。



<仕事WORKはじめ>
今年は郵便も遅延していて、年もあけて10日も経った頃、海外からクリスマスプレゼントが届きました。(ありがとうございます。)中にかわいらしい手首ウォーマーが入っていて、早速会社へつけていくと、制作の女の子が『編んでちょうだい!』。時々、とてもお世話になっている後輩なので、糸さえ手に入ればなんとかなるかと、インターネットで輸入糸(同じ色はなかったのですが、似たようなノルウェイの毛糸)をやっとさがしてゲット!25年ぶりくらいの編み物となりました。(出来上がりは写真の通り)
なんでもスイスで今年かなり流行しているということでしたが、心ひかれるものって、世界共通ですね。会社の先輩も編んでくれということでしたが、なかなかそこまで時間がないので、道具と毛糸を渡して、自分で編んでくれるようにお願いしました。実際、ひとつ作ったら達成感がいっぱいでした。来年は日本で流行るかな。

陶芸は、窯詰めも窯焚きも行けなかったのですが、ちゃっかり作品は入れてあったので、窯出しだけ14日に参加してきました。ん〜だいたい狙いどおり。またのちほど記録しよう。

風の宮さんの鳥居は木製でした。明後日また、行ってきます。


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2006年11月15日(水) 『すきなこと/できること/むいていること』 と仕事

 

 週明けの月曜は久々に富士の出先で1日過ごせる日だったので、この数週間にいろいろたまってしまった雑務のついでに事務所廻りの草刈りなどをしようと思い立ち、ジーンズで出勤しました。日が高くなって気温が上昇したころを見計らって、外仕事。アスファルトのわずかな隙間に根を生やした雑草は大したもので、伸びっぱなしになっていたススキは私(168センチ)の身の丈を超えるほど大きく、物置き裏の蔓は隣家のフェンスにびっちりこびりついている。こういう外仕事の良いところは、絵を描いたり陶芸をやるのとはまた違う気分転換になるところだなっていつも思うのだけれど、ぽかぽかお日様の光をあびながらする外仕事はまっこと気持ちが良く、これこそ自分の『好きなこと』のひとつだとまず最初に思い、つぎに、やっぱり外仕事は自分に向いてると考えました。
『好きなこと/できること/向いてること』と『仕事』について、このみっつのこと=仕事だと、本当に良いのだろうけれど、仕事には収入がついてまわるから、金銭的なバランズまで視野にいれると、人によっては必ずしもそうとは限らないなど、あれこれと考えを廻らせては、身体についた草の種を払い、またしゃがんで除草。『できること/向いていること』はまあ、本人の努力次第だけれど、『好きなこと』って努力しなくても変わっていくんだななんていうことも思いました。振り返るととても当たり前なことなのだけれど。しかし、変わるというよりは、『好きなこと』は長く生きている間に増えていくっていうのもありで、だからどんどん、時間も足りなくなっていくんですね。笑


2006年11月07日(火) 仕事はやりやすくなりそうな気配

  何か書こうとすると、『前になに書いたんだっけ?』と振り返らなくてはいかん今日このごろ、Webの進化に目を向ける日々は続いている。前回にひきつづきWebのことを少し書いておこうと思う。
 先月末に少し大きなプレゼンを終わらせて、それはほとんどネットを柱にプランニングした広告企画だったのだけれど、説明を終えて戻った次の日に、来年度を待たずにこのプランを採用したかのように思える引き合いが来た。実施までには相当急ぎで、かなり微妙なスケジュールなのだけれど、営業さんが決定を貰って、今日明日明後日くらいに仕上がるのだろうか、デザイン室はひどく大変みたい。(私は、この件で、先月後半、プレゼン準備で脳がかなりオーバーワークでしたと、ここに書いておこう。笑)
 田舎から都会を狙うことも可能になったメディアの進化というのは、思い掛けない恵みを田舎の広告会社にもたらしてくれそうなことに気づいた。それはOOHというとても原始的な広告手法とWebが、相当相性がいいということ。うまくすると都会にしか落ち得なかった予算を田舎へ引き落とす事ができそうだ。それにしても、少し前に言われた二極化は、結局メディアの世界でも進んでいて、巨大なマスメディアか生まれてこの方あまり進化のない原始メディアか、どちらかに経営の柱を置いていれば、しばらくは安泰と言えるのかも知れない。

 仕事以外でのWebは、やっぱり使いやすい道具で、おもいがけない情報が手に入るのは便利。このごろは、欲しい情報をブログ検索で拾ったりして、様々な人の文章に触れています。みんな上手だなー。

 Webの話からは少しそれますが、コピーワンスのガードの難さに気づいたのも先月でした。吉田拓郎のライブ関連を、近所の弟家にHDD録画させてもらったのだけれど、コピーワンスのため、一枚しかDVD が作れない。見逃したという仕事仲間は2名。自分を含めて3名分のDVDが必要なのだけれど、どうすることもI can not(古いネタだなー)になっている。その道に詳しい人に相談したのだけれど、録画する段階で何とかしなくちゃいけないらしいがどうしたらよいかはまだ検討中という返事で、とりあえず弟家のHDDに入れっぱなしになっています。同じDVDが何枚か必要なら、その枚数分だけの人に頼んで録画してもらうという以外に方法はなさそうです。デジタルの時代が充実するほどに、人海戦術しかない問題も出現するっていうのは、不便ですが、この不便さがなんとなく愛すべきことのような気分になるから不思議です。(笑)

写真は先月12日に仕事で行った身延山の御会式。


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2006年10月02日(月) やりにくくなるのか、その逆か。

 9月から、月4.3回はここに何か書こうと思っていたのに、もう10月になってしまった。ほとんど毎日、幾度となくネットには接続しているのだからどうにかすればいいのだけれど。

 毎日ネットに接続しているのは仕事上の見張りとでも言うか、メディアの変化の潮流がこれまでになく激しい勢いで押し寄せてきて、収拾がつかなくなりそうな気配を感じるから。情報伝達の方法だけでなく、質そのものが変わって来ている気がする。最近作成した求人についての企画書を書くために最も参考になったのは、一般の人が書いているブログだった。(ある、テーマに絞られたものばかりをチョイスして分析したのだけれど、チョイスも簡単にできる仕組みがネット上にすでに用意されている)図書館にも行かず、ブログで傾向を拾えるようになり、またそんな口コミネタがスポンサーを動かす時代になって、仕事は一見やりやすくなったみたいだけれど、既存の文化達はどうなるのだろう。

 自分が社会にデビューした時は、「新人類」なる言葉で、それまでの大人達との区別をされたけれども、同じ「戦後の教育」というくくりの中にいたとは思える。でも、少しずつそれが変わって来て、これからデビューする人たちは確実に、受けた教育の『環境』が違う。やりにくくなるのか、その逆か。

 最近、ホ−ムペ−ジの制作で生業をたてている若い女性と仕事をする機会があって、これからの仕事の質みたいなものについて話をしたのだけれど、結局最終的にはどうしたいか、言わば「終の仕事」は、土まみれるようなイメージの、額に汗して働くような人生に仕上げたいねということで意見の一致をみたのだけれど、それでも明日の天気はインターネットのピンポイント予報が便利なんだなと思ったりして、やりやすくなるのか、その逆か。


<追記>
 額に汗ではないけれど、前々からやりたかった着物リフォームをはじめました。陶芸も少し復活して、これでナスカ展を見に行けば、芸術の秋はクリアです。


2006年09月06日(水) 手仕事

  随分前、何に必要というわけではないけれど、いつかそう思う日が来るかもしれないと考え、『平成職人絵伝』という本を購入した。数ページパラッとめくり、面白そうな本であることを確認しただけで、そのまま本棚のこやしになっている。
 平成になったばかりのころは、『手仕事』『手作り』という言葉に随分心を動かされたものだったけれども、このごろでは100円ショップの棚にある商品のタグにまで『てづくり』という言葉は無造作に使われるようになって、それらの商品は実際、アジアの名前も知らない町や村で手仕事で作られたものに違い無いのだけれど、むやみにつけられたタグやシールのおかげで、その『手のぬくもり』や『手から産まれた技』に無感動になってしまっている。

 話は変わるが、18年乗って来た愛車クレスタがいよいよ不調を訴え、新しい車に買い替えることになった。それに伴って実印が必要になり、生まれて初めて、手彫りの印鑑を作る事にした。といっても、巷でよく広告されている何十万もする印鑑セットなどとても買えないので、町のはんこやさんにでも行ってみようと、日曜朝でもシャッター街と化した商店街を最徐行。「はんこや」というわかりやすい看板を掲げた店をみつけて入ってみた。はんこやと思っていた店は、奥が時計屋になっていて、人当たりの良さそうな60代くらいの主人が一人で店番をしていた。なにせ、印鑑を作るのは初めてなので、何から話して良いものやら、ちょっと思案した挙げ句
「あのー、印鑑欲しいんですけど、運が良くなる印鑑ってどういうのですか?」
と尋ねてしまった。
「それはやはり、お使いになる方次第で」
と主人は少し笑いながら、書体の見本をウィンドウからすっと出して見せてくれた。はかなげな美しいものから無骨にさえ見えるもの。ひどく入り組んでいて読めないものなどさまざまで、それらはすべてこの主人の彫ったものらしかった。私の名前は画数が少ないので、押し出しの強い太い書体がいいでしょうと主人が言うので、それに決めて、数日後、できあがった印鑑をいただきにあがった。
  
 これだこれだと言って、主人の娘(といっても、もう50は過ぎるだろう)が出してくれた印鑑を入れた10センチ四方くらいに折られた小さな紙袋には、ぽんとひとつだけ私の印鑑が押してあった。彫ってくれた主人は留守だった。対面した印鑑の顔は、既製のものとはちがってわずかに個性を主張していたが、どことなくかわいらしくとても気に入った。手に手を渡ってきた、まさしく「手仕事」の一品だった。100円ショップの手づくりのかごも、アジアのどこかの村で、それを編んでいる人から直接手渡されたら、きっとたいそう感動できるんだろうなと、そんなことを考えたりしたのだけれど、そのうち、手渡されないと感動できないのは自分のイマジネーションが不足しているからだということに気付いて、苦笑いした。


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