2013年06月13日(木) |
自転車で放浪・・・の思い出 |
先日天気が良かったので午前中から自転車で近所の「草ぶえの丘」へ行き、バラ園でパチパチ写真を撮って来ました。ここは小学生の時林間学校で一泊した所です。え〜と…32年も前の事か(笑) あの時は本当に“遠足”で歩いて小学校から3時間くらい掛けて行ったんだっけ。印旛沼周辺の北側は今でも当時のまんま、麦畑と農道だけで時代から取り残されている感じ。でも田舎が有るから第一次産業がちゃんと残ってて自分も御飯が食べられるんですよね。
帰りにサイクリストの休憩所になっている「佐蘭花」と言う所に立ち寄りました。一袋100円のジャガイモとチョコモナカジャンボを買いました。アイスをかじりながら自転車置き場で人だかりが出来ている方に行ってみると「京都から51日目」と書いたパネルを着けたツーリングバイクが有りました。前輪後輪と荷台に沢山荷物を装着していました。持ち主はまだ20歳位の青年で、サイクリスト達からアレコレ質問攻めにあってました。
ここで自分の20歳の時の自転車旅行を思い出しました。真夏に一ヵ月半、関東をグルリと周りました。あの時はなんか色んな事に嫌気が差して、裸の大将みたいに放浪したい気分だったのです。旅行中は楽しい事辛い事色々あって書き切れないのですが、思い出の切れ端だけ書き出してみようと思います。
まず千葉県を一周してからフェリーで神奈川へ渡ったのですが、その途中内房の小さな岬に在るキャンプ場に行った時の事です。その夏は7月上旬から台風が来て、キャンプ場に4日間足止めを食いました。おいらの小さなテントは撥水性が悪く、強く吹き付ける雨が中に染み込んで床上浸水状態でした。10分毎にタオルで床に溜まった水を吸い取っては外で絞っていました。用意した非常食はアルファー化米だけで、炊く余裕も無いので生のままかじっていました。台風が通り過ぎ、漸く外に出られた時は物凄い開放感に包まれましたね。キャンプに台風は最悪です。で、キャンプ場内をぶらぶらしていると、1人でいる若者が珍しいのでしょうか、あちこちで声を掛けられます。「何処から来たの?」「何処まで行くの?」「凄いね〜!」とか。そこは屋内の宿泊施設もあり、林間学校に利用されているみたいでした。食堂の脇を通りかかると、職員のおばちゃんが「お腹すいてない? お昼ご馳走してあげるから入って来なさいよ〜!」と話し掛けてきました。おいら4日間まともに食べてなかったのでお腹ペコペコ。ご好意を有り難く受け、お昼をいただきました。すると他のおばちゃんがおにぎりを6個も作って持たせてくれました。これで本物の裸の大将になれました(笑) 食堂を出てまたぶらぶらしていると管理人さんが声を掛けてきました。「お兄ちゃん、今ボイラー焚いてあげるからシャワー浴びて行きなよ〜!」おいら、丁度シャワーを浴びたくて困っていた所でした。自転車の所に戻って着替えを用意すると、宿泊施設の大きな風呂に入りました。超気持ち良かったです。脱衣所に出て髪を乾かしていると、管理人さんが入ってきて「お兄ちゃん、これ貰っときな」3千円握らされました。「いえいえ貰えません」と断っても「お金は邪魔にはならないからな、貰っときな」と言って立ち去りました。おいら、そんなに可哀想に見えたのかなぁと複雑になりました。それから自分の汚れ物を洗濯して干していると、隣のテントサイトでキャンプをしているおじさん達から声を掛けられました。「アイスコーヒー冷えてるから飲んでいきなよ」又ご好意に甘えました。「皆さんはどういったお仲間ですか?」と訊くと「あねの、登山仲間なんだけどザイルが絡まっちゃったから解す為にキャンプに来たの」5〜6人のおじさん達は炎天下、芝生の上で長い長いザイルを解きほぐすのに熱中していました。(大人って意外と暇なんだなぁ…)と思いました。
それから色々あって千葉県に帰った頃には、おいら体重が8キロも落ちていました。今考えると、お金が無かった訳でもないのだから土地土地の美味しい物を食べれば良かったです。なんか無駄にストイックになっていたんですよね。(放浪とはひもじいものだ)みたいな思い込みがあって。
佐蘭花で見掛けた青年は今頃何処に居るのでしょう。梅雨時のサイクリングは大変だろうに。ちゃんと食べてるかな? 泊まれる所在るのかな? と昔の自分に照らし合わせて考えてしまう。あの時話し掛けて缶コーヒーの一本でも奢ってあげれば良かった。
実はおにぎりを貰ったのはこの後にも有って、そのエピソードは昔ミラーサイトの「エンピツ」で書きました。日本人って優しいですね。今は19歳の息子がサイクリングに目覚めていて、先日は神奈川の橋本から千葉の佐倉まで150キロを12時間掛けて旅して来ました。Twitterでは「チャリ楽しい!」とか呟いてます。その内もっと遠くに行くのでしょう。おにぎり貰えると良いねヾ(*'∀`*)ノ
おいら非リア充なもので、現在の楽しい出来事を綴っているような日記が書けません。 必然的に昔話、しかもあまり楽しくない様な出来事ばかりで申し訳無いですm(_ _)m
20代の頃は、おいらまだ自分の店を持っていなくてネット社会でもなかったのでネットショップも作らず、知人の店やクチコミで仕入れた情報で委託販売をしてくれる店をまわっては作品を置いてもらっていました。
切欠は確か親戚のお姉さんのやっている美容室でした。オブジェと人形を数点だけ置かしてもらいました。するとそれを見た叔母が自分が雇われ店長をしているブティックに置きたいと言ってくれて、人形を展示してくれました。けっこう好評で直ぐに売れました。数ヵ月後、補充した作品を見たオーナー(茨城の女性)が気に入ってイギリスに留学している娘の為に纏め買いしてくれました。その時「新しくオープンする店の壁画を描いて欲しいのだけれど作家さんと連絡とれるかしら?」と叔母に持ち掛け、直ぐに電話をしてくれたのですが、おいら当時電話恐怖症でベルが鳴り続けてもオドオドしているうちに機を逃してしまいオーナーさんとは会えず終いでした。今考えるとモッタイナイ〜〜!!!
叔母は途中から委託料を取るようになりました。それは社会常識なので構わないのですが、作品の値段を勝手に安くして売ったり、店員が掃除中にオブジェを破損したのをこちらに謝らないで「壊れたから直しに来て」と大柄な態度をとるようになりました。又店員さんのオーダーがあったのでアクセサリーを作って渡しに行ったら「タダにしなさい!ねっ?」と怖い顔で言うので代金を請求出来なかった事もあります。(叔母さん怖いんだもん)
叔母はオーナーさんの経営方針に従えず、直ぐ近くに独立しました。その時「新しい店にはヒロのコーナー作ってあげるから」と約束してくれたのですが、いざ新店舗が出来て尋ねて見たらそんなコーナーなど作ってありませんでした。これには落胆させられました。相当期待してたんです。・゚・(ノД`)・゚・ウエーン
又ある時、吉祥寺のテクノショップで委託販売をしているとの情報を友人から得て、飛び込みで写真集を持ってお願いに行きました。狭い店でしたが今は世界に羽ばたいている村上隆さんがちょうど委託展示をしている期間でした。オーナーは「じゃあ○月×日に作品持ってきて」と承諾してくれました。で、当日は生憎の関東一円台風! 大きな鞄にビニール袋を被せ、えんやこらどっこいせと千葉の田舎から都内まで出て行きました。店に入るとオーナーは「今、別の人が展示しているからまた別の日に来て」とあしらう。?????(; ̄Д ̄)あなたが指定した日に台風の中持ってきたんじゃないの〜!と言いたくても言えませんでした。小心者のおいら…。 後日出直して作品を委託しました。4点の内1点だけ売れましたが、上代から40%も持っていかれました。東京ルールは厳しい!
又ある時、彫金工房時代に知り合った他社の先輩が、府中の方に手作りショップを創めたのでちょっと遠いですがアクセサリーと妻の縫ったパッチワークを委託販売してもらう事になりました。そこではおいらの作品よりも妻のパッチワークが良く売れていました(内心ちょっと悔しい)。初めの頃は、ある程度の売り上げが溜まると口座に振り込んでくれていたのですが、だんだん連絡も無くなってきました。こちらとしては収入が無いと困るので、府中まで2時間以上掛けて訪ねるようになりました。すると行く度に「わざわざ来なくても振り込むのに〜」と苦い顔されます。いやいや、振り込んでくれないからわざわざ来ているんでしょ?と言い返せない小心者のおいら…。
又ある時、隣駅にオシャレな手作り雑貨屋がオープンしました。そこでも置いて貰える事になりました。またおいらのアクセサリーと妻のパッチワークです。アクセサリーは順調に売れていましたが、パッチワークが何故か全然目立たない棚の影しかも床に直置きされていました。どうやら(売れない)と判断されたようです。「もっと目立つ所に置いてくれませんか?売れ筋商品なんです」とは言い出せず我慢していましたが気の強い妻は「向うが売る気無いなら回収しちゃいなよ」と言うので、委託はやめる事にしました。
会社勤めの営業マンでも、こんな経験は腐るほど有るのでしょう。世間は甘くないです。しかし売り物が自分の手でコツコツ作った作品だと、受けるショックが大きいんですよね。なんか自分自身が否定されたような気になったり…。
まぁそんなこんなで自分の好きなディスプレイ、品揃えでやって行ける自分の店を持つのが夢になりました。30歳になりバイトで貯めた30万を開業資金にオープンしました。←しょぼい 本当に小さな小さなプレハブです。2坪しか無いの。これで誰にも文句を言わせないぞっと思ったら大間違い。知人が客としてやって来ると、「ここはこうした方が良い。あそこは…」とアドバイス攻め。小さいからってナメてんだろこいつ!と思いながらも言い返せないおいら。むしろ迎合してるし。あぁ愚痴っぽくなりました。
昔よく当たる手相占いのおじさんに見て貰ったら「あなたは50歳から良くなる。80歳がマックスでしょう」と言われました。遅咲きにも程があるぞ(笑)50歳までまだまだ有るから暫くは上昇気流に乗れないのかなぁ?
2013年06月09日(日) |
「育児休暇」で思い出すこと |
最近TVで盛んに「育児休暇」と言う言葉が聞かれますね。 また昔の話で恐縮なのですが、この言葉を聞くとある事件(?)を思い出さずにはいられません。あれはおいらがまだ27歳の頃。結婚して子供が生まれてもなかなか定職に就けず、色々な職を転々としていました。(彫金の工房に2年居たので手に職は持っていましたが…) たまたま旧友がリサイクルショップを立ち上げる事になったので、オープニングスタッフとして雇ってもらいました。仕事はいわゆる3Kで、汚い危険キツイ。フルタイム労働&残業でも薄給。でも妻子を養う為には文句を言ってられません。自分なりに頑張って働いていましたし、キツイ中にも遣り甲斐を見つけていました。 (キーホルダーやリングなどの作品を委託販売して貰えてました)
ある日、3歳になる息子が熱を出して翌日保育園を休まなければなりませんでした。妻はちょうど1週間前にパートを見つけたばかりで、採用の際「主婦は子供の事で急に休むのでとりたくないんですよねぇ〜」と断られかけましたが「実家が近いので子供の事では両親や妹に頼めますので大丈夫です」と言い何とか雇ってもらう事になったのです。ちなみにおもちゃ屋チェーンでした。
運の悪い事に義父義母は旅行に出掛けてしまっていて、フードコートで店長をしている義妹は夜9時過ぎないとシフトが決まらないと言います。それで仕事終わりに結局義妹は翌日休みを取れないと分かり、おいらがリサイクルショップのバイトを休んで息子の面倒を見ることにしました。
夜9:30頃でしょうか、オーナーである旧友に電話しました。
「急で申し訳ないのだけれど、明日休みを取らせてくれませんか?子供が熱を出してしまったもので」
「…ハァ!? 普通妻が家の事をして夫が外に出て働くもんだろうがー! それにドタキャンは迷惑だろうがー!」
「ですから、かくかくしかじかで妻が休みにくい状況で他に頼れる人も居ないんです。かくかくしかじかで、こんな時間までハッキリしなかったんです」
「あぁ〜!? 何処に臨月の妻を肉体労働させてるヤツがいるんだよっ!!!」
????(; ̄Д ̄)壊れた
こいつ言っている事が支離滅裂だよ。だって臨月の妻を自分の店で肉体労働させているのはオーナーの旧友本人だし、それでいて「妻が家の事をして…」とか何時代か分からないような事をほざく。論理破綻してます。
余談ですが、何時もおいらが1人で重たい家具類を運んでいるから奥さんは助かっているのに…。オーナーは軽作業しかしないパートを増やすばかりで、おいらの助けになる男のバイトは1人も雇ってくれません。再三このままでは仕事が一杯一杯だから男のバイトを入れてくれと懇願しても「もう1人パートを雇おうと思うんだ…」などと普段から呑気な事を言っていました。
話が逸れました。おいらも怒鳴られ頭に来たので言い返しました。
「今時男でも育児休暇をとる時代に何言ってるんですかぁ〜? それに奥さんをこき使っているのはあんたでしょうが」
と返したらまた%◎×$△пーーー!!!とわめき散らす旧友。
結局1時間も長電話されて、とつとつと意味不明の仕事論を語られ、最後に吐き捨てるように「休んでいいよっ!」と切られました。傍らで様子を伺っていた妻は「こっちの電話料金持ちなのに長電話して…。切っちゃえばいいのに」と呆れられました。おいら、人の話を途中で遮ったり電話ブッチするの出来ない性質なんです。
あ、この旧友ってのはちょっと前にクリスチャンファミリーの子供として出て来たものっそ性格悪いヤツです。再登場☆キラン
その後数ヶ月でそこは辞めました。だって繁忙期でも14万位にしかならなくて生活出来ないんだもの。幾ら頼んでも給料を上げてくれないしバイト入れてくれないしでもう限界でしたから。
辞めてから直ぐに実家の片隅にプレハブの店舗を建てて商売を始めました。あれから人の下で働く事はしていません。理不尽なニンゲンにこき使われるのなんかバカらしくってさ。┐('〜`;)┌
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「ちはやふる」がHDDに溜まりまくって7話分も有ります。 録画した番組って掃除と同じで一度やらなくなると(見なくなると)ホッタラカシになりますね(笑)。明日一気見するかな〜。「あまちゃん」は朝録画したのをキチンと毎夕方見てます。来週はアキがアイドルになる決心をするみたいで楽しみです。さてキョンキョンの反対をどう説き伏せるのでしょう? 残される北鉄と海女カフェの行く末は…見逃せません!ヾ(*'∀`*)ノ
昼過ぎ、芝生を電動バリカンで刈り込みをしていたら、妻が自転車でやって来ました。市役所の福祉課からの郵便物を届けてくれたのでした。パートの帰りみたいです。おいらが「サフィニア植えたんだ。綺麗でしょ」と言うと「私ヒラヒラした花チョウチョみたいで嫌い」だって。┐('〜`;)┌つくづくこの人は水を差す様な事を言う。
三日前に空気を入れたばかりのオフロード自転車の後輪が、ぺちゃんこになっていたのでパンクかなぁ?と思っていたので息子の要らなくなった自転車(電動アシスト)を譲ってもらえないかと思い「T(息子)の置いて行った自転車どうしてる?」と聞いたら「あの自転車ならとっくに盗まれたよ」とあっけらかんと返事。「前にも盗まれてなかったっけ?」「うん」ケロっとしてました。(°д°;;)
妻は昔自分の自転車が盗まれた時もケロっとしていました。前もって「盗まれないように二重ロックしときなよ」と言ってチェーンキーを渡しておいたのですが、ちゃんと施錠していなかったみたいです。盗まれてショックを受けたのはおいらだけだった様で、「高かったのに〜…。注意してないからだぞ!」と怒ったら「あの自転車は私のお小遣いで買ったんだから文句言わないで」と返されました。可愛くないぞ全く(-.-;)
妻はお嬢様育ちなので、ちょいちょい金銭感覚のズレを感じさせます。 新婚当時、妻が不注意でお財布を自転車のカゴに入れたまま一晩忘れていた事がありました。翌日、気が付いて見に行ったら見事に盗まれていました。その時も「不注意すぎるぞ!」と怒ったら「きっと新聞屋さんが盗んで行っちゃったのよ!」とトンチンカンな答え。全く反省の色が見えないんです。結局財布は警察から戻ってきましたが、中身は抜かれていました。
人間うっかりする事は誰にでも有るし、おいらも嘗て不注意で財布をスられた事があります。でもね…(いっけねー!うっかりしてた!ガーン、反省〜!)となるのが普通だと思います。妻はきっと無くしたり盗まれたら又新しいのを買えば良い、と言う環境で育ったのでしょう。ウチなんか貧乏だったから無くし物をするたびに母親から「馬鹿!間抜け!」とねちねち叱られましたもん。考え様によっては妻みたいな性格は大らかでポジティブとも言えるのですがね。貧乏人と金持ちの育ちの違いで片付けましょう…。
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自転車で20分くらいの「佐倉草ぶえの丘バラ園」に行きたいのですが、パンク修理に出さなきゃなりません。以前はイオン内に自転車屋があったのですが、無くなってしまったので最寄の自転車屋がちょっと遠くなってしまいました。出張パンク修理とかあったら便利なのになぁ。 バラは特に好きと言う訳ではありませんが、花の写真を撮るのが好きなので一度行ってみたかったのです。品種が豊富そうなので楽しみですo(^-^)o
:草ぶえの丘バラ園
あまちゃん、親友に意中の男を取られて怒ってましたね(笑) キョンキョンは「男を友達に取られたら恨むのが当たり前」みたいな事言ってましたが、女の世界ではそうなのですか? あまちゃんは「地獄に落ちろって思った」とまで言ってましたが、おっかねえなぁ。 男だったら自信喪失したり拗ねたり荒れたりするだけで、親友を恨んだりする方向にはエネルギー向かない気がします(あくまで一般論)
昔、森高千里がビールのCMソングで「気分爽快」って言うのを唄ってましたが、その内容が「自分の好きになった人を親友に取られたけどおめでとう〜! 今私気分爽快だよ!」ってな事だったので、当時彼女だった妻に「女ってこんなサバサバしてんの?」と訊いたら「ありえない。一生口きかないね!」だそうで(汗)森高千里はストレートな歌詞で有名になったけれど、この歌に限っては何かアイロニーが込められているのではないかと探って見ると、このサバサバ系女は事も有ろうに明日デートでさっさと帰りたい親友に絡んで遅くまで酒につき合わせているのです。口では「気分爽快だよ」と言いながら、本心ではやはり嫉妬に狂い足を引っ張っているのでした。アァ怖い怖い・・・。 「気分爽快」
あまちゃんはこれからどんな経路で東京に行ってアイドル目指すのか? むしろ本気でアイドル目指していた親友の橋本愛ちゃんはどうなるの???
はたまた3.11をどう描くのか?
これからの展開が楽しみなあまちゃんです。
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