2020年04月24日(金) |
初めてやるカードゲーム |
私は見知らぬおじさん二人と子供一人の四人でカード麻雀とセブンブリッジを混ぜた様なゲームを始めた。五マスの升目が書かれたカードが四枚地面に置かれていた。真ん中の升目が少し大きくて、役の中で一番強いカードを乗せる決まり。四枚のカード其々が「野球」「コスメ」...等の縛りがある。手持ちのカードから順繰りに升目にカードを出していき役を作った人から上がっていく所はセブンブリッジに似ていた。初心者の私は背後のおじさんにアドバイスして貰いながら手探りでプレイしていく。私は何故か強いカードを沢山出せた。気が付くと一番で上がれた。上機嫌になる私。もっと遊びたかったのだが、収容所の自由時間の終わりを告げるサイレンが鳴り響いた為、ゲームはお開きとなった。もっとやりたかった。残念!
私は仲間達と東南アジアの小高い禿山の稜線を歩いていた。私の周囲には現地の物売りの子供達がまとわりついていた。現地で採掘された宝石を加工した綺麗な緑色のネックレスを押し付けられた。私は全く買う気がなかった。
暗転
さっきの仲間達と電車に乗って海沿いの観光地へ訪れた。仲間の内3人が、買ったばかりの土産物を自慢してくる。それは時代劇に出てくる籠の様な物のミニチュアで少し安っぽかった。私は「そんな物を買うお金があったら同じお金で本物の籠に乗れたのに」と嫌味を言った。
暗転
私は美術系の専門学校の生徒だった。教室の右前の席で真面目に色彩構成の授業を受けていた。課題は線画に色鉛筆で彩色すると言うもの。講師は私の絵を覗き込むと、たいそう褒めてくれた。得意気になる私。
2020年04月18日(土) |
鑑賞魚とハンドバッグ |
私は30代だった。妻と二人で知らぬ町をデートしていた。 あちこち見て廻った後、私達は見知らぬ商店街に入った。商店街の出口が上り坂になっていた。坂の上から二人の子供達がソリに乗って滑り落ちて来た。私達はソリにぶつかりそうになったので、右に避けたが小物店の軒先に出ている鑑賞魚の生け簀に蹴躓いてしまった。生け簀は少しズレて水と魚が溢れてしまった。子供達は私達に気付いて左に避けた。店主のおばさんが「あらら!魚が三匹も死んでしまったわ。あんた達弁償しなさい。三千円だからね」と詰め寄った。私は「あの子供達が悪いんです。私達が居なかったら子供達が生け簀にぶつかっていた筈です。監視カメラに残っている筈だから確認して下さいよ!」と反論した。「この監視カメラはライブ監視用だから記録には残ってないよ」とおばさん。「仕方ありません。それでは商品を三千円分買います。それで良いでしょ?」と私。妻と私は小物店の商品をあれこれ物色した。革製のブックカバーを手に取る妻。「これなんか可愛くない?」「幾らだい?」「えっ!六千円もする」「革製品は材料費が高いからね」諦める妻。「このバッグ可愛い!」飴色の花柄のハンドバッグを手にする妻。「それにしなよ。○○ちゃんに似合う」と私。「あらっ!これも六千円するわ」と妻。「気に入ったなら俺が払うから気にするな」何故か気の大きくなった私は言った。さてお会計...。私の財布には小銭しか入っていなかった。焦る私。気まずそうな妻。私は財布から有るだけの小銭を出した。五百円玉六枚と百円玉九枚しか無い。赤っ恥をかいた私を憐れんだおばさんが「ええい!大マケだっ!それで良いよ」とハンドバッグをラッピングしてくれた。「また寄りますので」ペコペコ頭を下げながら店を出た私達。外の空気が冷え込んでいた。
私は町内会の慰安旅行で隣街の中華自治区へ行った。 そこで10人程の歳上の男性達と中華料理店に入った。 私達は煮た小籠包とイカダンゴを食べた。 食後、町内会長が徐にデスククリーナーの開発について語りだした。そう、私達一行はアイディアグッズ開発部門の慰安旅行中だったのだ。その時誰かが持ち出したコーヒーメーカーのポットがハンディークリーナーに変型した。一人の男がそれを持ち上げて「これが今回提案されているハンディークリーナーのモックアップです」と皆に説明し始めた。私は猛烈な睡魔と戦いながらプーアール茶を啜って会議の進行を見守った。その内一番若手の男が上の空で話に集中していない事を咎められた。
私は映画研究部の高校生だった。 2週間後に文化祭を控えているのに映画がまだ完成していなかった。現像と編集にかかる時間を考慮すると、撮影に使える時間は僅か4日間だけ。半ば絶望しながらもSF映画を完成させる為にミニチュアセットの制作に取り掛かる。幸い姉が持っている設計事務所にあるスチレンボードの端材を譲って貰えた。私は徹夜で宇宙船の格納庫を作った。物凄い焦燥感に襲われながら残り僅かな時間に全身全霊を捧げるが、手伝ってくれる仲間は一人も居なかった。
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