ずいずいずっころばし
DiaryINDEXwill


2004年05月05日(水) 風景画

子供の頃から庭を眺めるのが好きだった。

どこにいるのか捜すのに苦労はいらなかった。

窓辺にもたれて庭をながめているのだから。

広大な庭でなくてもいい。一坪の庭でも良い。

植え込みと木と花があり、鳥が鳴く。それは自然の一こまを切り取ってきたささやかな慎ましい空間なのだ。風を感じて雨に打たれる。

母が花達にかける声で朝は目覚める。

「あら、こんなに小さなつぼみをつけてるわ!」と誰に語りかけるともない母の植物との会話。小さくて地味な「シュウカイドウ」の花にそっと語りかけるのを聞いたことがあった。

「あなたって、可愛いのね」と。

そしてつるせいの草には、からみつく杭を立ててやって育てる。雑草なのに青々と美しいそのつる草にも声をかける。「綺麗な涼しげな葉っぱね」と。

幼い私は窓辺のカーテンのひなたくさいにおいをかぎながら、なぜかそんな母の様子が好きでならなかった。

そんな幼い時の記憶があるからだろうか、私は声のない声でいつも窓辺にもたれて花たちや、草に、雲に、風に語りかける。

いつのまにか、心模様を自然に投影していく癖が根付いた。

同じ庭の風景でも部屋によって違って見える。

それは額縁の差のようなものかもしれない。

青柳氏は無為にぼんやり過ごすことほど贅沢なことはないとおっしゃるが、私には良くその気持ちが分かる。

都会っこだった私は、絵画教室で行った遠足で、黄金色に輝く稲穂が金色の波のように風になびいている様子に感動して動けなくなったことがあった。帰宅の集合時間になっても何も描かれてないキャンバスにあきれた先生はご自分でさらさらと黄金の稲穂の波を描いて下さった。また、絵画教室の屋根裏部屋が大好きな私はそこから見える風景を堪能するとうとうとと眠ってしまって、夕方母が迎えに来てもまだそこで眠っていたことがあった。

先生はリスのようなまん丸な黒い瞳を輝かせて「ゆりちゃんはこのままで大人になってほしいなあ」とにこにこ笑って可愛がって下さった。

先生のおっしゃるとおりの大人になったかどうかわからないけれど、あいかわらずぼんやりと外を眺める癖はなおらない。

今日も窓辺にもたれてブルーセージにあつまる種々の蝶々をあかずに眺めている。

キャンバスには私の心象風景まで見えない絵筆で描いてあるのを誰も知らない。


2004年05月03日(月) 本の話

子供の頃、父親があらゆる新聞、雑誌、書籍に目を通す仕事をしていた関係で家の納戸には処分すべくこれらの書籍がうずたかく積まれていた。

何ヶ月かごとに古本屋がトラックでこれらを集積していく。

一応儀礼的に書籍は古本屋のおやじが値踏みして吟味する。

子供向けの雑誌もそのなかに含まれていた。

誰よりもはやくこうした子供雑誌を読める幸せに浴した私であるけれども、同時にその至福のタネであった雑誌をこのおやじが無慈悲にも持っていってしまう憂き目にもあうのであった。

子供雑誌についている付録をこっそり隠しておくと、このおやじはするどく見抜いて、「お嬢ちゃん、確かこの本には付録がついていますよね」と言って、じろりと睨む。

母が「はやく付録を出しなさい」と迫る。

無慈悲にトラックに積まれた私の愛読書を「シェーン!カムバック!」とばかりに毎度毎度、涙声が追うのであった。(シェーンは古いっつうの!)

またあるときは、おかっぱ頭の私と父が並んでヌード雑誌を見ることもあった。

父親がこの種の本が好きであったわけではない。ありとあらゆる本に目を通さなければならなかったからだ。(っと信ずる私)

また少しもいやらしさのない裸ではあった。

幼い私は「お父さん、こっちの裸より、こっちのほうが綺麗よ」と言うと、父が「そうだなあ」などと言い合って似たような後ろ姿の親子がそこにはあった。

全く奇妙な光景だ。

そうかと思うと書きかけのシナリオをそのままに席を離れた父を目の端に置いて、そっとそれを盗み見したことがあった。それからほどなくしたある日、学校から映画を見に行ったことがあった。

気が付くとそれはあの盗み見した父のシナリオの映画だった。友人に「この話お父さんが作ったのよ」と言うと友達に信じて貰えなかったばかりか仲間はずれにされてしまった。

父はシナリオライターでもなんでもないのに不思議なことであった。



おてんばで体育会系の次姉は本嫌い。

おとなしく読書好きの妹がなぜか小憎らしく思うらしい姉は誕生日プレゼントに貰った本をどこかに隠してしまった。

悔し泣きをして降参するのをひそかに楽しみにしていた姉。

こんな意地悪にまけてはならじとじっとこらえてそしらぬふりをした私。

それから何年も経った大晦日の昼下がり、額のほこりを払おうとして絵をはずすとばたりと本が落ちた。

あの時の誕生日プレゼント「小公子」だった。

大学生になった姉にボーイフレンドが出来た。

文学好きのハンサムボーイ。

デートの話題は本のことばかりだったとか。

読書が何より嫌いな姉は困って私になきついた。数冊の本の名前を列挙してそのほんの内容と感想を聞かせてくれと言う。実は次回のデートのときにその本の話をしようねと言って別れたとか。

おやすいご用!熱を入れて解説し、感想をつけて、おまけにそれらに付随するエッセイまで紹介した。

デートは予想外に好転。「君がこんなに文学にあかるいとは思っても見なかったよ」と感激した彼はわが家に次回やってくるというところまで進展。

その後の姉と彼氏はどうなったかは聞かぬが花。言わぬが花。

本についてのエピソードは尽きないわが家。

めでたくもあり、めでたくもなし。


2004年05月02日(日) 心の闇

人間の心の闇ほどわからぬものはない。

病的に底意地の悪い人がいる。

病的と言ったけれど、厳密に言うなら病気なのかもしれない。

昨日の日記にも書いたけれど、美の感じ方は人それぞれ。

絵画でも、音楽でも、文学でもしかり。

前々回の(?)芥川賞受賞作品では、あまりの暴力シーンに嘔吐しかけた。

本を読んでいて嘔吐しそうになったのは生まれて初めてのことだった。ついには完読できず、放擲した。

絶賛する人もいれば、完読すらできない私のようなものもいる。

以前書評に書いた野見山暁治氏の絵画展に行ったときも、私はその絵に心を揺さぶられたけれど、一緒に見に行ったものは抽象過ぎて分からないと言って出ていってしまった。

つまり世の中には二分の一ばかりでなく三分の一のようにどこまで行っても割り切れない数の存在はある。

精神分析医が数十枚の分析カルテ分を母は一瞬のうちに読みとってしまう。「ただいまー」と言って玄関を入ってきた瞬間、夫や子供の心を読んでしまう魔術。

それはコンピューターにも分析できない愛情というもののなせるわざなのだろう。

しかし、この「心」。

全ての人が読みとれたらどんなに恐ろしいことか。透視できないからなりたつ人と人。

それは「信頼」というものの存在が心を読もうとしなくても人と人を結びつけるもの。

しかし、人間ほど複雑怪奇なものはない。

知っていると思っても知らない「心の闇」がある。

あの東電OL事件のように、一流大学を出、一流企業に勤める堅実な家庭の子女が夜の巷に立って春をひさぐ怪。お金に困るわけでもなく、男性にもてないわけでもない。

まさに「心の闇」。

さて、話が拡大して収拾がつかなくなってきた。

先を急ごう。

話とは実はこんなことなのだ。

花を一輪活けた。

野にあるように、一輪挿しに侘びた花を活けるのが好きな私。

いけおえて花を愛でていたら、ついっとそばを通る者がいた。

通りしなに、「トイレの花!」と捨てぜりふ。

しばらくして、私の一輪を「ぐいっ」と抜きさると、いつのまにか持ってきた花器に「花はこのように活けるものよ」と豪華な花を活けはじめた。

いけおわって会心の笑みをもらしながら「ね。素敵でしょ!」と言った。

それが豪華で素敵であっても、花の腕前が私よりはるかに勝るものであっても、その「心」が私には恐ろしかった。

なぜここまで人の心を踏みにじらなければならないのか?

この人の「心の闇」に触れた思いがして寒気がした。

分析すれば思い当たることもあるだろうけれど、この「心」をどうすることもできない。

闇は闇を底なし沼にずぶずぶと深くするばかりだ。

この場合、一輪挿しの美と豪華な花の美の差などではない。前述したような美的感覚の差うんぬんなどでは決してない。

人間は生きて行く過程で様々なものをなくし、様々なものを得る。

喧嘩をし、悪行もするだろう、嘘もつき、罵詈雑言を吐くこともある。

人を傷つけ、自らも傷ついて生きていく。

人の行為をあしざまにののしろうとすると、母は必ずこういった。

「人の振りみて我が振りなおせ」と。

心に鬼を住まわせないことだ。

他人の行為に自分の中にもあるものを見ることがある。

しかし、私の花を捨てて豪華な花を活け直した人の心を理解することは難しい。

怒りを通り越して、苦々しくやりきれない寂しさに返す言葉もなかった。

凍り付くような心の荒涼がその笑顔に貼り付いていた。

人間が大好きな私でも、時々この「心の闇」の暗渠(あんきょ)に足を取られて立ちすくむ。

小説家はこんな不可解な部分に光をあてるのだろう。しかし、人の世は「小説よりも奇なり」の部分が多い。

カラヴァジョの絵のように光源がひときわ明るいところは影もまた深いのである。


.

My追加