ずいずいずっころばし
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2005年05月04日(水) 花寄せ

暑くなった季節は茶席も炉から風炉に変わる。

なるべく暑い炭の熱気をさけて炉を閉じて風炉釜を据えて火をみえないようにする心遣い。

そんな暑い季節の花は昨日の「回り花」のかわりになるような「花寄せ」というものがあってとても楽しい。

これは葦(よし)の屏風などに掛け花入れをたくさん架け、客が思い思いに花をいける楽しいもの・

用意された花台から好きな花を選んで好きな懸け花いれにいけるもの。

侘びた茶席が花だらけになってこのときは茶席が華やかで楽しい雰囲気になる。

こんなこともお茶にはある。

しかつめらしくお茶を点てるだけがお茶ではない。

季節を楽しむこうしたお茶席の楽しみを味わうのもなかなか良い。

ここでちょっとひとくさり:

無学和尚は般若心経の名句「色即是空 空則是色」を引いて、「色則是空擬思量即背」(しきそくぜくうしりょうをこらせばすなわちそむく)とといている。

美しい花の色、形をとらえて、これを空といい、それでは空とは何であろうかと反問。それはこの美しい色、形そのものであると端的に答えている。

花をいけるには、そのすがすがしさを心にうつして、自分と花と一体になっていけるものであるとは不白と言う人が言っている。

上記の「思量を凝らせば即ち背く」とは、あれこれ思案してつくろったのでは、この真のすがすがしさを失ってしまうということをいましめたものなのだろう。

「回り花」でも「花寄せ」でもまた普段の茶席の花でも、このいましめにのっとって、いけるときは一手ですっきりいける。

あれこれ思いわずらって上手く活けようなどと考えずに、一気にしかも花台の上で大方まとめたらそれを一束にして一気に花入れに活けてしまうのだ。

なかなか哲学的であり、面白い発想だと私は思うのだが、実際やってみると邪気もなく活けた花は実にすがすがしい。

「思量を凝らせば即ち背く」

あれこれ思案してつくろったのでは、真のすがすがしさを失ってしまう。

人の心もそうかもしれない。

心に曇りがあって、あれこれとりつくろうと失うものが多いというものだ。

たかだか古くさい茶の湯、などと言うなかれ。

四季を通じて学ぶことはとても多いのである。

しかも楽しい。

ここが肝心。


2005年04月28日(木) 懐石料理教室顛末記


お茶の稽古の中でもお正月の初釜は特別。
若いお弟子さんもベテランも晴れ着を着て初釜のお茶事を楽しむ。
しかし、裏方にまわる者達は前日より泊まり込みで懐石料理の下ごしらえ、準備に追われる。先生はとっておきの楽茶碗をだし、床の間には「ぶりぶり香合」とよばれるものをだし、床の間の上から柳の枝を一結びにして床まで垂らすいわゆる「結び柳」を活ける。
つくばいには檜の手桶を用意し、水音高く上から水を満たして客につくばいの用意ができたことを知らせる。
あれもこれも準備万端整えることが多く、温厚な先生もさすがに殺気立つ。
台所で懐石料理の手助けをする者達は魚の焼き方や盛りつけ方、切り方に先生から雷を落とされる。そんな年中行事に叱れられないよう、いつでもスタンバイできるように、懐石料理教室に通うことにした。
フリルのついたブランド物のエプロンをして懐石料理教室を入ったとたん「がびーん!」。
生徒はお年を召した方ばかり。どうやらお茶の先生ばかりが習いにいらっしゃっているようだった。「ここは私のような包丁もろくに持ったことのない者のくるところではなさそうだ」と思った時はすでに遅し!
ぞろりとおばあちゃん先生に取り囲まれてしまった。おまけに男の人もいるではないか?
これはどんな人?と思ったらこれまた「がびーん!」
懐石料理屋の花板さんが新幹線に乗ってこの教室に通っているというではないか。
「きゃは!」プロの集団?
先生は京都の瓢亭で修行した人。何が何ccなどと言わない。
「魚は末広に串を打って」と言ってまたたくまに扇型に串を刺し、お刺身の柵とりもあざやか、はもの骨切りなんぞはさくさくと小気味よい音を立てて切っていく。
先生の模範が済むといよいよ各自テーブルにつき料理開始。
4人一組。私以外の3人はベテラン。
何も指示しないのに、あっというまに各自お刺身を切る者、魚をやくもの、天ぷらをあげるものと手際よく進んでいく。私はというと呆然とたっているだけ。
しかたがないので洗い方にまわる。
ボールに何やら小汚い色の水が入っていたので流しに捨ててボールを洗い水気を切っていると「あれ?ここにあったボール知らない?」と聞いてきた。
「あ、あれ?汚いから洗っておきました」と、にこにこと答える私。
「えー!」「あれはだし汁だったのよ!」
「ひょえーーーー。知りませんでした!ごめんなさい」
「仕方がない。またおだしを作り直すからハッチで昆布と鰹節を貰ってきて下さい」と言われてすごすごとハッチへ向かった私。
「あのー。昆布と鰹節下さい。」「え?各テーブルに配ったはずよ」
「あのー。おだしの汁を捨てちゃったんです」
絶句するハッチの中の人達。
やっとだし汁をつくって一品完了。
次ぎに三杯酢。私は名誉挽回とばかりにハッチへ一目散に行って叫んだ。
「あのー。三杯酢下さい」「?」
「あのー。三杯酢下さい」「えー?あのねー。あなたねー。三杯酢は自分で作るのよ」
「?」「三杯酢ってものがあるんじゃないんですか?」
「やだー!何言ってるの?」
すごすご。また恥をかいた私はもどろうとするとハッチから声が!
「あなた!ところで三杯酢の作り方知ってるの?」
「あ!知りません」もうハッチの中は爆笑の渦!
こうして数年懐石料理教室での爆笑に耐えた私。どうしたことか先生やハッチの助手さん達に可愛がってもらった。それより何より嬉しかったのは同じテーブルの仲間。「絶対に休んじゃダメよ。貴方がいないとテーブルがさみしくなるんだから」と励まされてほとんど休まなかった私だった。
あれから年が何回も回ってメニューが毎年同じようになってきた。テーブルの仲間はもうやめるわと言ってどんどんやめてしまったある日。テーブルに一人のおばあさんが新入会してきた。おばあさんはお茶の先生だとか。慣れないせいか洗い方ばかり。
「あれ?ここにあったボールは?」と私。
「あれ?汚いから捨てました」とおばあさん。
・・・・・・・・!

懐石料理教室顛末記はこれでおしまいである。


2005年04月07日(木) 「レクトウ−ルとリズール」

文を書くと言うのは思考、思想、心情などがあらわれてしまうものだ。現れなければ書く意味がないとも言える。こうして備忘録としての日記をしたためるているのはいいけれど、あくまでも自己満足。自己満足の垂れ流しともいえる。
自己満足だけならよいけれど、脳みそのたりなさや、ものの見方の浅薄さが公にさらされて、いまさらながら赤面ものだ。
自己を深く見つめればみつめるほどこんな類のものは書けないはず、。
それなのにこのブログは大流行。
そのお先棒をかついで今日も書く。
誰かに言われそうだ。こんなものを書く時間があるなら本を読め!って。
チボーデは小説の読者を二種類に分けている。一つはレクトウ−ル{普通読者」、他方はリズール「精読者」。前者は「小説と言えばなんでも手当たり次第に読んで「趣味」という言葉のなかに包括される、内的、外的のいかなる要素によっても導かれていない人。」後者は「その人のために小説世界が実在するその人」とあり、「文学というものが仮の娯楽でなく本質的な目的として実在する世界の住人」であると定義している。
三島由紀夫が言うにはそのりズールは「小説の生活者」と言われるべきものであって、本当に小説の世界を実在するものとして生きていくほど小説を深く味わう読者のことであると。
私なんぞは三島が蔑するところのレクトウ−ルであろう。
少しは腰をすえて読書三昧といきたいところである。
レクトウ−ルと言われようがなんだろうがかまうものか。
最近斜に構えた考え方の文物を読むと不快になる。
たまにはまっすぐみろよと言ってみたくなる。



2005年04月06日(水) 「からすうり綺譚」

「からすうり」の花をみたことがあるだろうか?
信じがたいほど幻想的で夢の世界にいるような花を咲かせるのだ。
それも夜咲くので咲く瞬間を目撃することはよほど注意していないと遭遇しない。
能・歌舞伎の「土蜘蛛」をドラマテイックにしているのは、いうまでもなく、ぱっと舞台に広がる「糸」の演出。舞台一面に投げた「糸」が美しい放物線を描き、花が咲いたようになる。

カラスウリの花もそれに似ていて繊細な白い糸が網状に世にも幻想的に咲くのだから驚く。
こんな幻想的な「カラスウリ」の花を見ていると誰もがこの花の秘めたる物語に想いをめぐらせるのではなかろうか。
梨木香歩著『家守綺譚』には「カラス瓜」の章がでてくる。
家守綺譚新潮社梨木 香歩このアイテムの詳細を見る

この作品の中にはさまざまな植物がでてくるけれど、どれも華美でなくひそやかに咲くものが多い。
植物や昆虫に魅せられる人は多い。
ファーブルを筆頭に養老先生、開高健、薄田泣菫、・・俳優では小沢昭一など。その昆虫や植物にまつわる本も多い。
昆虫や植物をありのままに実写するのでなく、梨木さんのようにその植物から受ける気のようなものから幻想的な物語に発展させ、しかもおどろどろしたものでなく、どこか懐かしいような、邂逅の世界にまでさまよわせるのは見事だ。
「からすうり」の赤い実は、つたごと素朴な板の上に置くと、それだけで一幅の絵となる。
野にあっては、つたかずらがからまる「からすうり」は誰にも気づかれない。
それが夜のとばりがおりるころになると、魔法をかけたように真っ白な糸を幾重にも編みこんだレースのようにちりばめ、月から降りてきた姫君のベールのようになる。
こんな幻想的な花を見た日は、月のしずくに湯浴みしたごときものとなる。
自然が綾なす妙は人知を超える。
「からすうりの花」
漆黒の闇に咲く「月よりの使者」。


2005年04月05日(火) "The Remains of the Day"

英国生活がなつかしく思い出される昨今である。
キャンパス内を流れる小川のほとりで午後のお茶を独りのんびりと楽しんでいると、一人の紳士が傍らにきて隣りに座っても良いかと尋ねた。
「どうぞ」と言うとスコーンとココアビスケットを勧めながら座った。
それがR教授とのはじめての出会いだった。
音楽の話や文学の話をかわしながら楽しいお茶の時間が過ぎていった。それから日々、色々な場所でばったりと出会う機会が多くなって会話を深めるまでになった。そんなある日、日本人でもある作家カズオ・イシグロの話題がでて「日の名残」についての感想を聞かれた。私は英国人より英国的な香りがするというと、では次回カズオ・イシグロが最初に書いた小説を持ってくるからその感想も聞かせてくれと言った。
それが↓だ。


原題は[ A Pale View of Hills]だった。
この本を借りて家に帰って読むと中にこんなカードが入っていた。↓



私が大好きなゲインズボロウThomas Gainsboroughの"The Morning Walk"とArthur Hughesの"April Love"だった。
ナショナル・ギャラリーとテイト・ギャラリー所蔵の絵のカードだった。

そしてこのカードの裏にはRの美しい筆跡で色々なことが書いてあった。
カズオ・イシグロは英国の文学賞である「ブッカー賞」をこの作品でとって華麗なデビューをした。
そしてこのカズオ・イシグロはこのカンタベリーの大學にかつては在籍していたのだった。
私とRはカズオ・イシグロも佇んでいたかもしれないキャンパスの川べりに座っていつまでもつきないカズオの作品について語り合った。
先日「柴田元幸と9人の作家たち」という本で翻訳者の柴田元幸がカズオ・イシグロにインタビューしているCDもこの本の中に入っていて、生のカズオ・イシグロの声を聞いた。作者自身にその作品の根幹を尋ねるこんな機会はめったにないので感動した。これは永久保存に値する宝物になった。
Rからもらったこの原書は英国生活の最もきらめきに満ちた日々の残照となった。
私にとってもこの「日の名残り」は文字通り"The Remains of the Day"となった。

カンタベリーの家はカズオ・イシグロが通っていた大學のすぐ側で、カンタベリー大聖堂にも近かった。
大學からカンタベリーの街へ行くときはバスもでていたけれど、学生は背丈ほどのびた草むらの獣道をかきわけて街へ降りていくのが常だった。
背丈ほどの草むらを降りていくと人家があり、そこにはフットパスとよばれる私道があり、その道が私は大好きだった。
フットパスを過ぎると繁華な通りへでる。そこはチョーサーの「カンタベリー物語」で有名なイギリス国教会カンタベリー大聖堂がそびえている。
いまだに英国各地から巡礼に来る人や観光客で賑やかだ。

大學は小高い丘の頂上にあって、そこから眼下に広がるカンタベリー大聖堂を見下ろすのはなんとも豊かな気持ちになったものだ。
キャンパスの中を小川が流れていてそこに鴨や水鳥が遊んでいて学生達は川縁に座って語り合ったり、本を読んだり、昼寝したりした。
午前と午後2回お茶の時間があり、スコーンやビスケット、お茶が供される。
紅茶カップを手にかわべりで先生と議論したりするのは格別な楽しみだった。

英国からたよりがくるといつも懐かしさにかられる。
牧師さんのパパはちっっとも牧師さんらしくないひとで、むしろ人間くさい人だった。
食事中に高校生の息子がパパをかついだりするとそれにうまうまと乗ってしまって、すぐだまされてしまう。
かつがれたのにも気がつかず怒ると息子が「父さんったらー!冗談だってばー!」と言うと、それにまた腹をたてたりするまぬけなところもあって愉快な家族だった。

娘二人は独立してよそで生活。英国は16歳になるとほとんど親元を離れる。
日曜日になると皆実家に山のような洗濯物を抱えてかえってくる。
長女は同棲をしているらしかった。パパに一度同棲することをどう思うか聞いたことがあった。
パパは牧師さんなので同棲は認めてはいなかったけれど、厳しくいましめることはせず、好きにさせていると言った。随分ファジーだとおもったものだ。

この長女と私はよく喧嘩した。電話のことで大喧嘩。でもさっぱりした気性で嫌いではなかった。
思い出がありすぎてなつかしすぎて便りをもらうと涙がでてくる。
もう私には両親もなく、帰る家もないけれどカンタベリーが私のふるさとになった。
イギリスは私にとってなつかしい故郷だ。


2005年04月04日(月) 「ピグマリオン」

英国での思い出の一つにシェイクスピアがある。
パーティーで知り合った元シェイクスピア俳優でもあり英文学の先生でもあったロジャー・ハーグリーブス。怖い者知らずで無鉄砲だった私は囓りかけのシェイクスピアについての私見を堂々と口走るありさま。
帰りがけに相手の素性を聞くと何と英文学の先生で元シェイクスピア役者と聞いて赤面するばかり。
親切にも翌日セリフを吹き込んだテープとシェイクスピアの戯曲を届けて下さった。
懐が深い老先生は面白がって可愛がって下さった。

また先日カズオ・イシグロの話で仲良くなったR教授ともシェイクスピアの話は良くしたものだ。
[The Remains Of the Day」参照

このR教授とかわしたシェイクスピア談義は特別な趣のものだった。
それは私が日本から持ち込んだ岩波文庫「イギリス名詩選」平井正穂編の中からシェイクスピアの詩を抜き出して先ず、R教授が朗読。次ぎに私が日本語訳を見ながらそれを英語に翻訳するという奇妙なことをやった。
予習もなにもないその場で日本語訳を英語に訳すのである。
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詩の形式でなく私が読みとった日本語訳の詩を英語に意訳するのである。
それをR教授が聞いて「ふむ、なるほど」などと言って、今度は英詩をR教授が英語で解釈するのである。
英国人の英文学の教授が英詩を解釈し朗読。日本人の私が日本語訳の詩を英語に意訳し解釈する。
そして討論。微妙な英語、古語の解説、などを聞くのだから面白い限りだ。
それもこれは授業ではなく二人の個人的な楽しみとして交わすのであるから輝かしいものであった。
わからない英単語はその場で辞書をひけとRは私に言う。意味を教えてよ!という私の願いは聞いては貰えない。それはレストランであっても、バッグの中から辞書を取り出させる。
言葉に関しては甘えは許して貰えなかった。
ちなみに私はR教授の生徒でもなんでもないのである。
たまたまキャンパスの川べりでお茶を飲んで知り合っただけなのである。
この二人の「日本語訳から意訳した英訳」「英語による英詩の解釈」は実に楽しいものだった。
Rにしてみれば私ほど楽しさは得られなかったのではと思うのであるが、さながらバーナード・ショーの「ピグマリオン」つまり映画“マイ・フェア・レディ”のヒギンズ教授のような胸中だったのかもしれない。
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R教授との個人的なこうしたつながりは英国生活を飾る最も楽しい光の部分であった。
そして私の英語はいつのまにかR教授の話す英語の癖に似てきてしまって大仰な形容詞に満ちたものになった。
Rにとって、無鉄砲で直線的な私はきっとヒギンズ教授がイライザのコックニーなまりに興味を抱いたのと同じように奇妙な東洋のナンセンスを見る思いだったにちがいない。
なつかしい英国での思い出の一ページである。


2005年04月03日(日) クリステイーナ・ロゼッテイ

ダンテ・ガブリエル・ロゼッテイは人ぞ知る近代英国の詩壇の雄にして画壇の寵児であった。その妹のクリステイーナ・ロゼッテイは兄が描く「処女マリヤ」モデルとしてその姿を彷彿とできる。

彼女の美しい詩はいかに賞せられるであろうか?
北原白秋に登場願おうか。
クリステイーナ・ロゼッテイが頭巾かぶせまし 秋のはじめの母の横顔
何をかいわんや!
白秋の前に言葉なく、白秋の後ろに言葉なし。
ダンテ・ガブリエル・ロゼッテイの絵を鑑賞し、その後クリステイーナ・ロゼッテイの清らなる詩を読んでみよう。
せせらぎに湧く清らかな水のごとし。


砂浜と悲しみと(童謡)


砂浜と悲しみと どっちが重い
あすの日ときょうの日と どっちが短い
春の花と若さとは どっちが儚い
大海と真理とは どっちが深い


2005年04月02日(土) 「ラファエル前派」薀蓄(うんちく)話

先日来クリステイーナ・ロゼッテイについて、ガブリエル・ロゼッテイについて触れてきた。
今日はガブリエル・ロゼッテイとその周辺、ラファエル前派について書いてみたい。
Dante Gabriel Rossetti(1828〜1882)はロイヤル・アカデミー時代にラファエル前派を結成した。多くの女性との恋愛から霊感を得て「詩集」を出し、絵を描いた。
昨日書いたクリステイーナ・ロゼッテイは妹である。
昨日掲げた白秋の唄にある絵は「聖母マリアの少女時代」ではないだろうか。
また「受胎告知(われは主のはしためなり)」(テート・ギャラリー)のマリアのモデルも妹クリステイーナ・ロゼッテイである。
ガブリエル・ロゼッテイはウイリアム・モリス夫人ジェーンに恋をして、ガブリエル・ロゼッテイとは三角関係にあった。
こともあろうか、モリスは尊敬するガブリエルに自分の別荘に二人を同棲させた。
「不倫」は芸術???!
しかし、狂気か天才かは知らねども、ロセッテイはこういう。
「もっとも気高い絵は、描かれた詩である」と。そしてファム・ファタル(運命の女」)とも言うべき女性を次々と描いていった。
ロセッテイの描くところのファム・ファタル(運命の女」とは趣をことにしたのがミレイだ。
繊細で美しく色彩豊かで詩のごとき絵はミレイ描くところの有名な「オフィーリア」であろう。
シェイクスピアの「ハムレット」から題材をとった川面に浮かぶ「オフィーリア」。
一度みたら生涯わすれられない絵である。。
この絵のモデルは誰あろう後にロセッテイの最初の妻となったエリザベス(リジー)。
この「オフィーリア」を描いたのはミレイがはじめてであったけれど、その後ドラクロワや私が大好きなアーサー・ヒューズなどが次々と描くようになった。
さてここでいよいよ大好きなアーサー・ヒューズの登場である。
どんな絵を描くのか?それは、こんな絵である。↓

以前ここの日記で載せたカードである。
R教授にもらったカード。
その題も忘れられないものである。「4月の恋」(1855=56)油彩ロンドン・テート・ギャラリー
フェルメールの青も美しいけれど、このアーサー・ヒューズが描く女性の青紫の服の色は印象的である。
この絵は何回もロンドンまで行ってみてきたれど最初気づかなかったものがあった。
それはこの絵がなぜ「4月の恋」という題なのか。そのなぞはこの女性の右奥に潜むものである。
右奥に顔をふせた男のシルエットがあることに気づくだろうか?
彼は娘の手をとってキスしているのである。困惑した娘。
英国の「4月」の天気は変わりやすい。恋心もそのようなものか???
「4月の恋」
何回見ても美しい。
そしてこれをテート・ギャラリーまで行って買い求め、手渡したRの心中は何だったのだろうか?
このカードはカズオ・イシグロの本の中にすべりこむように忍ばせてあった。
さてさて、脱線したけれど、この絵はいったい誰の所有だろうか?
それは当時学生だったウイリアム・モリスが購入したものだった。
そしてまだおまけの話があるのだ。
当初この絵は批評家ジョン・ラスキンがほしがっていたものだった。
そしてこのラスキンの10歳年下の美しい妻は後に画家ミレイと恋に落ちてついに裁判沙汰でミレイの妻となったのであった。
さてもさても「ラファエル前派」を語ると長い話になる。
話ばかりでなく、私は今も「ラファエル前派」に夢中なのである。
壁紙はウイリアム・モリス。マグカップの絵柄もモリス。
長い話になったものであ〜〜〜〜る。
おわり。


2005年04月01日(金) 続きのロセッテイ

なんだか「ラファエル前派」は話が長くなる。
おととい書いたクリステイーナ・ロセッテイの詩「初めての」は岩波文庫《クリステーイナ・ロセッテイ詩抄》からとったものである。

訳は入江直祐氏によるもの。

翻訳は大切な役割を果たす。
特に詩においてはその語彙、韻律が生死をわけるようなきがする。

訳が原本をうわまわることもある。
上田敏の(海潮音・ヴェルレーヌ・ 落 葉)

秋の日の / ヴィオロンの / ためいきの
身にしみて / ひたぶるに / うら悲し。
鐘のおとに / 胸ふたぎ / 色かへて
涙ぐむ / 過ぎし日の / おもひでや。
げにわれは / うらぶれて こゝかしこ
さだめなく / とび散らふ / 落葉かな。


他に「山のあなた」

そしてロバート・ブラウニングの「ピパの唄」(春の朝)
時は春、
日は朝(あした)、 
朝は七時、 
片岡に露みちて、 
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛 枝に這ひ、 
神、そらに知ろしめす。 
すべて世は事も無し


この上田敏を上回る訳詩は見当たらない。

またAntoine de Saint‐Exup´ery (原著), 内藤 濯 (翻訳)の“Le Petit Prince"は
題名からして原題は「小さな王子」をみごとに「星の王子様」とした内藤濯 の感性に負うところ超特大であろう。

さて、入江直祐氏のクリステイーナ・ロセッテイの詩「初めての」も旧かな。文語調ですばらしいではないか。

    初めての

初めての 君を見し 初めての その日をば、
そのときの なれそめの たまゆらを 偲ばなむ。
日の照れる 頃なりし、雲閉ざす 頃なりし、
夏なりし、冬なりし、さだかには 覚ほえず
名残さへ 止めずに おのずから かき消えぬ。
あゝ吾は 目を盲(し)ひて 行く末を知らざりき、
おろかにも 知らざりき、蕾せる わが心
いくたびの 皐月にも またつひに 咲かざりし。
さきの日の それの日を とりいでて 偲ばなむ、
消えゆきし 白雪の 解けさりて 跡もなく
さきの日の さいはひは 吾に来て 去り行きぬ。
さりげなき ことなれど いや深き 思ひかな、
誰(た)ぞ知るーーわが指に ふと触れし 君が手の
始めての 思ひ出を ここにして 偲ばなむ。

(「名もなき麗人」と題する14行詩篇中の第二篇)

私はこれを愛してやまない。
翻訳は原石をダイヤの輝きにもする可能性を秘めているのではなかろうか。


2005年02月20日(日) カラスウリの花と書評

本の最後のページを閉じるとき、深い吐息と共に目をあげる。
その目をあげたとき、それまでの世界が違って見える本がある。
そんな本はそう多くない。その感動をすぐ誰かに伝えたくなるとき、感動をしるしたくなるとき、書評というものができあがる。
しかし、読んだものすべてを書いてきたかというとそうでもない。むしろ書かないで胸の内で温め、反芻し、咀嚼する事の方が多いような気がする。
大好きな作家などは特にそうだ。
反芻や咀嚼の期間は数日の時も在れば、数年になるときもある。
焦点がぼんやりしていたものがある日突然その意味が分かったりするときもある。
誰かが書評を書くのはその作品にけりをつける事だと書いていた。でないと先にすすめないからと。
確かに一理ある。しかし、けりをつけなくたって、いつまでもひきずったって「悪かぁ〜ない」と私は思う。
「からすうり」の花をみたことがあるだろうか?
信じがたいほど幻想的で夢の世界にいるような花を咲かせるのだ。
それも夜咲くので咲く瞬間を目撃することはよほど注意していないと遭遇しない。
能・歌舞伎の「土蜘蛛」をポピュラーにしているのは、いうまでもなく、ぱっと舞台に広がる「糸」の演出。舞台一面に投げた「糸」が美しい放物線を描き、花が咲いたようになる。
カラスウリの花もそれに似ていて繊細な白い糸が網状に世にも幻想的に咲くのだから驚く。
こんな幻想的な「カラスウリ」の花を見ていると誰もがこの花の秘めたる物語に想いをめぐらせるのではなかろうか。
さて、話を本論に戻そう。なぜここで「カラスウリ」の花の話がでたかというと、『家守綺譚』に「カラス瓜」の章がでてくるのだ。
梨木香歩さんは私が好きな作家だ。
いつか「カラスウリ」の花についての物語を書いてみたいと思っていた私はこの章を読んでまさに「カラス瓜」の花を描いてこれにまさるものはないと思った。
この本についての想いは深い。
深いだけにそそくさとその書評を書くにはしのびないのである。
しかも、いまだに心の中で各章を味わっているので誰かが言ったように「書いてけりをつける」などという思いには到底なれないでいる。
いつまでも温めていたい本なのだ。
書評を書くのは難しく、書評を読むのは楽しい。



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