こんな一日でした。
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2005年07月16日(土) 再出発

15日に個展が終了いたしました。ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

風邪を引いたので、今日は村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を再読しながら、寝床で半日過ごした。緊張の続く物語。下がった熱がふたたび上がるようで、これは身体に悪いかも、と思った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。注文していた画材が届いたのだ。さあ、始まりだね、と真っ白な筆先が言っている。

村上龍もそうだし、武の映画やクローネンバーグ、塚本晋也など、私はけっこう暴力の物語を好む。怒りは、感情の中で、痛みは感覚の中で、最も純度が高いと私は信じているところがある。優しさや、心地よさよりも、混じりっけ無く思うのである。

「あなたは、自分の欲求や感情に罪悪感を感じて抑圧するけど、なぜか怒りに対しては抑圧しないね」と、臨床心理士の方に言われたことがある。そこを突破口にして、自分を自由にしてみるといい、そんな話だったと思う。
夢じゃないよね?と頬をつねる、というコテコテの定番も、全てが曖昧なものに思えた時、痛みが現実を引き戻すことを根底に成り立っていると思う。
立ち会い前の高見盛がほっぺをバシバシとやる、あれも同じだろう。

今回の発表を終えて、私は私自身に、怒りを覚えた。しなければならないと知っていて、しないでしまっている多くのことに、反省ではなく、怒りを感じた。制作を阻害する周囲のさまざまな状況にも怒りが沸いた。仕方ない、などと言っていられる余裕もないと思えた。そのことは、きっと、良いことだと思う。いたらなさを反省して、しょげてしまうことを繰り返したけど、今回は違う。しょげる気持ちを押しのけて、怒りが沸々とこみ上げる。
…といったって、この私である。切実に力一杯頬を叩いても、高見盛よろしく、みんなの笑いを呼ぶに違いない。それで良い。絵の中に、混じりっけ無いものが立ち現れるなら。


2005年07月14日(木) 発熱

風邪をひいた。会期を後一日残すところで、疲労の方が追いついてしまった。
昨日は、疲れのためにアレルギー性の喘息が出たのかな、と思っていたのだが、今日になって鼻も詰まり、順調に熱も上がっている。

私は発熱が結構好きだ。忙しくなければの話だけど。手足が熱くて、意識がぐるぐるしたり、全身がだるくて熱に膨張したような感覚に包まれるのも面白い。いつもより、アイスクリームも美味しいし。

とはいえ、明日は搬出。這ってでも会場に行かねば。ギャラリーの方に風邪を置きみやげになどしないように、ちゃんとマスクをしていこう。熱が楽しいなんて物好きはそうそういないんだから。


2005年07月13日(水) 折り返し

ワッツ・アート・ギャラリー(仙台)での個展も、残すところあと3日となった。毎日、会場で自分の絵を対峙していると、様々なことを考える。否定的な考えや、楽天的な展望まで。
会期の折り返し地点を過ぎて、今、自分の心に浮かぶのは、次に描く絵の構想である。今回の作品への反省や問題点でもなく、評価に対する不安でもなく、将来に対する期待や心配でもない。具体的に、寸法を考えたり、構図を考えたり、手順をイメージしたりしている。

それは、きっと、とても良いことだ、と思う。自分はどんどん、変わり続けて、これから、もっともっと描くんだ。あんな風に、こんな風に、と考えが浮かんでくる。

疲れ果てて、空っぽになる展覧会というものを繰り返してきたけど、前回くらいから、何となく、会期の終わり頃に「次の絵」が浮かぶようになってきた気がする。
今回の作品の中で、次にこれを発展させたい、と思っている一枚があって、「これいいですね」と、言ってくれた人は全員その絵を選んでくれた。美術館の学芸員さんも、作家の人も、近所の人も、幼なじみも、通りすがりの人も。そのことが、なにより嬉しい。

自信を持って、次に進めます。みなさん、ありがとう。


Oikawa Satoco |MAIL

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