* たいよう暦*
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こおろぎの声を、きのう初めてきいた。 今日みた夕焼けは、そらがぐんと高くて、秋の空だった。 朝晩、涼しい。
日中は暑いけれど、間違いなく次の季節はやってこようとしている。
一年で一番私の好きな季節。 はやく、やってこぉ〜い!
しまっておく。 今日の出来事は、内緒。
普通、お盆前とお盆明けは、ばたばたとするものなのだけれど、今年はどうもそんな感じではない。
「なんでだろ?」と話していると 「オリンピックやからちゃう?」
ギリシャアテネとは、かなりの時差がある。 その時差のおかげで、大方の人が夜遅くまでテレビにかじりつく。 睡眠時間がいつもより少ない。 そのおかげで、どうも日中は緩慢な活動になりがちである。
・・・あながち、嘘とは言えない。 みんな、妙に寝不足だったり、ぼうっとしていたりするもの。
ま、四年に一度のことですし。 それに、日本選手も快進撃を続けていることですし。
いそいそと、なんだかみんなが家路につくこの時期。 サッカーのワールドカップの時みたいだなあ。
スポーツで生まれる団欒。 たまには、こんな一家団欒もいいね。
「じゃあ、あなたにとって一番大事なものって、なによ?」
・・・・・ ・・・・・・・・。
即答できなかった。
・・・・・ナンダロ?
2004年08月16日(月) |
マイナス思考プラス思考 |
今まで失ってきたもの、と、 これから失ってしまうかもしれないもの、と、 これから失ってしまうであろうもの、について、 考えています。
これまでえてきたもの、と これからえるかもしれないもの、と これからえるであろうもの、について、 考えればいいのにね。
一晩限りの独身貴族に戻った友人と、ぶらぶら買い物したり、夜更かししてオリンピックを見たり、のんびり朝寝を楽しんだり、外国のお菓子を買い漁ったりした。 いつもの、友人と私の関係。くつろいだ時間。 あ〜楽しい二日間だった。 そう語りあいながら、車を走らせ、友人宅に着くと。 先に帰りついていた子供たちが、母を迎えに走り出てきた。
車の窓は閉まっていたから、声はぜんぜん聞こえなかった。 だから、こそ、余計に見えた。 二人とも、とっても喜んでいる。 たった一晩離れていただけなのに、再会をそんな風に喜びあえるってなんか、いいなあ。 ほんわりした気持ちで、運転席からその光景を眺めていた。
二日間、いつもの私の前での顔をしていた友人は、子供に抱きつかれた瞬間、あっという間に母の顔に戻っていた。
うん、その顔もいいなあ。
そう思いながら、母に戻った友人にごはんを作ってもらって、みんなでわいわい食べて家路についた。
自分の家族を持っていて、自分の役割をしっかり持っている友人の姿が、なんだかまぶしい夜でした。
オリンピックで一番好きなのは、入場行進。
というと、はああああ?と言われたことがある。 うん、技を競い合う本番も確かにおもしろい。 日本人選手が活躍していると、どきどきする。 (日本人というアイデンティティを常日頃考えることはないのだけれど、4年に一度、必ず「頑張れ日本!」と言っている自分に気づく度に、ああ、私って日本人なんだなあ〜としみじみ思う) でも、それでも。 子供の頃から、ずうっと今まで。 一番好きなのは、入場行進。
アメリカ。 ドイツ。 フランス。 イギリス。 ・・・etc。
知っている国は知っている国で、行進の仕方を見ているだけでもおもしろい。 それぞれの「民族性」というものが出るような気がする。
カーボヴェルデ共和国 チャド共和国 バルバドス ナウル共和国 ・・・etc
聞いたことも見たことのない、国の人々・・・! たった一人の入場行進や、見たこともないような民族衣装を着ての行進。 国旗も、運動会で万国旗がはためいていたような所には、なかったような模様や色づかい。 きっと、この入場行進で見なければ、一生知らなかったような小さな小さな国や、独立したばかりの国・・・。
世界って広いのだなあ、まだまだ私の知らない世界が広がっているのだなあ、としみじみ思う、入場行進。 これが、どうも好きでならないのだ。
今日も、NHKの放送で見ていた。 延々3時間近く、いろんな国のいろんな人がいろんな歩き方で行進するのを見ていた。
こうやって、入場行進をして、この競技場に集まっている人は、間違いなくその国の代表で、そして、間違いなく世界のトップレベルの人たちなのだなあ。 そう思うと、そこに立てているだけですばらしいことじゃないか、メダルなんか必要ないんじゃないか、なんて思ってしまう。
それでもやっぱり、競技が始まると応援しちゃうんだろうな。 頑張れ、日本! 頑張れ、世界の色々な国の人々!
アテネオリンピックが始まった。
太陽が出ているうちに、会社を抜け出した。 「フレックス」という制度を使った正々堂々たるものなのだけれど、どうも微妙に、後ろめたい気分になる。 ・・・?なぜ? 「平日」の「昼間」の街に出ると、学生時代に学校をさぼって抜け出した気持ち・・・がどうもよみがえるみたい。 ・・・? 学生時代は、はるか遠く、記憶の彼方のハズなのに・・・・!
いつまで、この気持ちを持っているのだろう。 いつまで、この気持ちを忘れられないんだろう。
いつ呪縛から解き放たれるのか。 いつまでも呪縛の中にいられるのか。 なんだか、ビミョウな気持ち。 うまく説明はできないんだけれど。
小さな小さな友人に、贈り物を送りました。 無事ついたよ、ありがとう、と電話がかかってきました。
小さな小さな友人。 道に迷わず、まっすぐ帰っておいでよね。
中学高校と通っていた学校は、一部の校舎の床は木でした。 ほこりは散るし、水拭きはめんどくさいし、雑巾がけすると妙にくさくなるしで、あまり好きではなかったけれど、これが真夏になると、あっという間に「極楽の場」と昇格する。
クラブ活動のために、夏休みによく通っていた学校。もちろん、冷房などない。 あるのは、あけはなした窓からかろうじて入ってくるゆるやかな風。 太陽が照りつける南向きの教室は、信じられないほど暑くなり、少し動くだけで汗がしたたりおちる。 ところが、中庭に面した廊下にでると、空気はぐんと涼やぐ。 日の射さない廊下の木の床は、ひんやりとしていて、何十年とたった木の独特のつや感があり、すべすべと気持ちよさげに見える。 引き寄せられるまま、(廊下であるという概念を捨て)体操着姿でごろんとねっころがり、窓から入る中庭の涼しい風を受けながら目をつぶると、すうっと睡眠の入り口まで、簡単にたどりついた。 遠くから吹奏楽部の自主練の出す「ぷぅおぉ〜」「ぱぁ〜ぁ〜」という管楽器の音を聞きながら、風わたる廊下で一瞬の眠りに入るあの極楽の間・・・!
夏といえば、あの廊下を思い出す。 木の廊下が頬にあたる、すべすべ感。風の抜けるその場所での、うっとりするような清涼感。 もう、取り戻せない、あの夏の一瞬。
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