* たいよう暦*
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どこまでも、くつろいで。 どこまでも、心をひらいて。 ただ、そこにいるだけでいい場所がある。 というのは、とてもうれしいことだなあ。
自分がそこにいることが、とても居心地がいい。 そんな面々と、真夜中を過ぎてもわいわい騒いでいた。
たのしい二日目の夜もふけた。 顔を見ているだけで、安心する夜もある。
ハタチになるまでは、家にいることが好きで好きで好きで好きでしょうがなかった。 暇さえあれば家にいて、気に入りの本をかかえて家中でごろごろしていた。 ハタチを過ぎたら、環境がかわったこともあり、それまでの反動か家にいないでいることが嬉しくて嬉しくてたまらなくなった。 休みといえば、あっちへこっちへ、飛んでいってそれまでの知らない世界をのぞきまわって、自分の領土をちょっとづつ広げていった気がする。
そんな私は、少し前まで三連休といえば、「どこかにいかなきゃ損だ」なんてつまらない考え方を持っていた。 どこかへ出かける、じゃなくて、どう過ごすか、ということの方が大事なのにね。 なんだか、予定のない休日や、遠出しない三連休は損した気分になったものだ。
今日から始まる三連休は、どこにもいかない。 私はずっと、大阪にいる。 そして、訪ねてきてくれる何人かの友人を迎える。 久しぶりにあう友人や、会いたかった友人や、ほんとうにしばらくぶりに会える友人。 どこにもいかない、三連休。 でも、うれしい三連休の始まりだ。
今日は、おいしいごはんをわいわい食べて、楽しく過ごした。 いい三連休のはじまりはじまり。 どこにも行かない、なんていいながら、近場でお泊り。 夜中までみなでわいわいするのが、とても楽しい。 こんな三連休の過ごし方を楽しめるようになったことも、うれしい。
「音楽を聞きにいくというよりは、言葉を聞きにいくかんじ」 という友人の言葉に惹かれて、でかけていったライブハウス。
ライブハウスというところは、音をじゃばじゃばかけてもらったうえに、さらにシャワーのようにあびる感じなんだなあ。と楽しかった。 音にのって聞こえてきた言葉も、心地よかった。言葉を、文字で読むのではなく、音にあわせて聞くのは、芝居の台詞を聞くのとまた違って、響きがおもしろい。
音に囲まれるなら、なんだかお酒に酔っ払うのも楽しい気がして、いつもならウーロン茶を飲むところを、カクテルを頼んでみた。 案の定、半分も飲まないうちに、音楽を聴きながらうつらうつらしてしまったけれど、音楽の船にのっているようで、その揺れがまた楽しかった。
体の奥底から、音がずんずん共鳴するかんじ。響くかんじ。 ライブハウスって、楽しいんだなあ。
ちょっとよっぱらいながら、音と言葉を楽しんだ夜でした。 芸術の、秋!
社会人になって一時期、困ったことに特定のものしか食べられなくなったことがある。 あの時期は、自分にとっては短かったけれど、友人にとっては長かったようだ。 「あの時、ほんとうにサラダとプリンばっかり食べて夏を乗り切ってたよね」 と、夏にもしっかりごはんを食べるようになった私の姿を見て、何度もいう。
そうだ。 あの時は、本当に毎日毎日お昼ごはんにサラダとプリンだけを食べていた。 気が向くとスープや冷奴をつけていたけれど、あくまで主食はサラダとプリンだった。 あれはなんだったのだろう。 なにかが自分の中で、がらがらとくずれるかんじ。それに頼らなければ、なんともならない感じ。自分の中でなにかがあったのかもしれない。でも、いまだに自分のことであるのにわからない。
ところがあるとき、つきものが落ちたように、あっというまにごはんを食べるようになった。 お昼ごはんに、サラダとプリンを買いにいくことはなくなった。普通にお弁当も持っていくようになった。 あれは、秋の風が吹き始めたころ。 突然、おいしいものを食べたくなったのだ。 たきたてのごはんの、あったかい湯気。 ことこと煮込んだ煮物のうまみ。 そんなものが、恋しくなり、食べてみるとほんとうにあっという間に体にしみいった。 そして、自分に対してひどいことをしていた食生活は、なんとか終わりになった。 今は、いつでもどこでも、おいしいものを、おいしくいただけるようになった。 ちょっぴり夏ばてすると、やっぱりサラダやプリンにたよってしまうこともあるけれど、それに依存してしまうことはなくなった。 秋の風は、私においしい生活を取り戻させてくれたのだと思う・・・。
・・・というのを、今日さんまを食べながら思い出した。 さんま。秋の味。 あのまま、プリンとサラダの生活を続けなくてよかったと、この秋の味覚を味わうと本当にそう思う。 おいしい生活は、ゆたかな生活だ。
生まれて初めてみた競馬というものが、かの有名なオグリキャップの引退レースであった有馬記念。
その時まで「競馬」というものを一度も見たことがなかった私は、 「オグリキャップ」という馬がどんなに強かった馬なのか、 けがで故障を繰り返し、かつての強さがなりをひそめていたのだとか、 天才武豊の騎乗で、最後の有終の美をかざらせてやりたいんだけど多分ムリだろう、とかなんにも知らなかった。
たぶん、あの日はクリスマスイブだか、その前日だったかで、ケーキを焼いていたのだった。 卵白を一生懸命泡立てている時に、たまたまつけていたテレビでファンファーレが鳴り、地鳴りのような歓声を聞いた。 「どうしても、勝ってほしいですね」 というようなことをアナウンサーがいい、 「どうしても、勝たせてやりたいですね」 というようなことを、ゲストが答えていた。
どうやら、すごーく強かった馬が、すごーく弱くなって、このいちレースで引退らしい。 という内容を知ることができた。
頂点をきわめた馬が、どん底にまで落ちてそこで引退。ちょっとそれは悲しすぎる。 なんとかしてやりたい。 せめて、最後は勝たせてやりたいなあ。
一分前まで競馬を知らなかった私ですらそう思ってレースを見守ってしまったのだ。 あの有馬記念の会場にいた競馬ファンはどれだけそう強くそう願っていたことだろう。
勝てるはずのない試合が始まった。 スタートを、かたずを飲んで見守った。 なんだかよくわからないままに、ぐんぐんスピードをあげた一群の中から、するするっとオグリキャップは、抜きん出て、追随をかけるほかの馬達を振り切って、一番でゴールを駆け抜けた。 勝てるはずのない試合を覆した。 今まで一度も競馬を見たことなかった私にとって、それまでどん底に落ちていたことが信じられないようなレースだった。 その時、競馬場全部が、揺れていた。 「ゆたかコール」が「オグリコール」が、巨大なうねりとなって、競馬場を揺らしていた。興奮がうずまいていた。
勝ってよかったな。 有終の美を飾り、自らを伝説としたそのあし毛の馬は、どれよりも美しい馬だと思った。
そのレースから二日後、我が家に仔猫が迷い込んできた。 二日前のレースの感動が忘れられなかった私は、声高に「オグリって名前がいい」と主張したが、もちろん即却下された。 「じゃあ、キャップでもいいよ」 それも黙殺された。
「ちび太くん」(くん、までが名前)と名づけられたその猫を見るたびに、私は何度もオグリキャップの引退レースの感動を思い出したものだ。
ことほどさように。 私のネーミングセンスはこんなもんだ。 たかが知れている。 歴代のペットの名前も採用されたことは数少ない。 今日は自分の所属することになるチーム名を、みなで一生懸命考えた。 もちろん、私はたいしたことは思い浮かばなかったが、センスある友人達のセンスある発言によって、とってもいいチーム名がついた。
このチーム名を思い出すたび、私はきっとこの4人で小さなテーブルを囲んだこととか、後ろの席で騒いでいた人のこととか、ちょっと言葉のあやしいウエイトレスさんのこととか、おいしかった食べ物を思い出すに違いない。
チーム名は、できた。 活動内容も、できてきた。 さてさて、いいかんじ。 みのりあるチームになりますように・・・!
私が登った西穂は、独標(どっぴょう)から先は、ひょいひょいと気軽に行けないぐらいの岩場もあったし、登り下りの繰り返しのいわゆる「しんどい道」が続く。 だから、独標から先は、ぐんと人が減る。 でも、独標までは比較的簡単な道が多いので、ツアー客をたくさん見かけた。 高所が好きで岩場が平気な私にはなんとかなった道だけれど、独標の手前でも一部よじ登るような感じのところがある。 登るのも大変だけど、下るのは垂直に切り立っているように見えて、怖い人には怖い道だろうなあと思った。 案の定、ツアー客のおばさんが斜面にへばりついて、恐怖で一歩も下れなくなっていた。 もちろん、前後は大渋滞。 ガイドさんは、「一歩だけ前に踏み出しましょう」「ここ、ここは安定しています」と声をかけて誘導している。 なんとか、下り終わったそのおばさんが言うことには・・・ 「こんなところなんて、聞いてなかった・・・!」 前後で、長い間彼女が下るまで、ひたすら待っていた人たちに謝るより先に言った言葉がそれ。 ・・・・・自分で申し込んで連れて来てもらったのでしょう〜?と文句の一つも言いたくなった。 足がすくむのは、当然だと思う。 それによって、人によって登り下りに時間がかかるのは、当然だし、仕方ないことだと思う。 でも、それならそれで、人が少なくなるまで自分はよけて待つ、とか、人に道をゆずるとか、迷惑をかけない方法はいくらでもあるのだ。 山には山のマナーというものがある。 道をゆずりあったり、助け合ったり、小さな情報を交換しあったり・・・一つの山を共有するための、最低限のマナー。 そのマナーすら守れない一部の非常識なツアー客が、わからないままに無謀に山登りをして、マナーを守っているツアー客や、一般登山客に迷惑をかけるのはどうかと思った。
山はひとつ。 みんなで一緒にその山を楽しめたらいいのに、と思う。
生まれて初めてみた降るほどの星空というものは、きっと西表で見た空。 天の川が、あまりに濃いので、最初は雲がかかっているのだと思っていた。 街灯もほとんどない西表の闇の中で、見上げた星空。 闇だけど闇じゃない。 星明り・・・ってこんなにも明るいのだ。と、初めて知った。
西穂山荘の前ではったテントの中の小さな空気とりの穴から外をのぞいて、思わず声をあげた。 生まれて初めて体験した西表の夜をはるかにしのぐ星空が、自分の上に広がっていたのだ。 満天の、星。 すごい、数。 見上げている間に、きらきらと流れ星が流れていく。
すごいすごいすごい。
興奮していると、山歩きになれている山の師匠は一言。 「地表から2キロ以上上なんやもん、星空に近い2キロ近いんやで。 だからこんなにきれいに見えるんや」
宇宙に、ぐんと近づいたような気がした。 自分はちっぽけだけど、こんなにも宇宙とつながっている。
そんなことを思いながら、首が痛くなるまで、ずうっとずうっと空を見上げていた。 吐く息の白い寒い山の上で。 宇宙と自分と対話していた。 すごくすごくすごく心にのこった。
あさ一番の信州の空気は、間違いなくおいしい。 その空気をすいながら、靴紐をしっかり結びなおし、駐車場をあとにする。 いよいよ、一泊二日のテント泊山行の、はじまりはじまり〜。
ロープウエイに乗って、一気に高度をかせぐのは、一週間前の木曽駒ヶ岳と一緒。 でも、まぶしいほどの太陽の光と、澄み切った青空でがらりと雰囲気が違う。 先週もはれていればよかったのになあ。
ロープウエイを降りてから西穂山荘まで一時間半。 重い荷物をかついで登り、まずはテントを張る。 山荘に比べればごくごく小さなテント。 でも、何度みてもこの小さなテントが張られるたびに、自分の居場所が確保できた、と安心感がわくし、そしてなによりぴん!とはったテントがとてもたのもしく見える。 そのテントに荷物をおいて、いよいよ山頂を目指し始める。
私は、3000m級の山は、みっつしか知らない。 そのどれもが、最終的にはひとつの山頂を目指すものだった。 山頂まで延々登るし、ゴールはひとつだけ。 それが、山というものだと思っていた。 ところが、今回登る「西穂」は山頂までいくつものピークが続く。 つまりは、登ったり降りたりを何度も繰り返すということ。
・・・・といっても、それは登り始めてから知ったことで。
「なんで下るん?今までせっかく登ってきたのに!」 「次のピークがあるからやろ」 「次の見えてる頂上が、あれが、山頂?」 「まだまだ、こっからは見えへん。あのピークのまだまだ先や」 「これ、山頂?」 「まだやで」 「・・・・・うーっ☆」
そんなことを繰り返し、まずは「独標(どっぴょう)」までたどりついた。 ここは、山の頂上がにぎわっている。ツアー客も多い。 ところが、そこから先にそびえる山々に、人の姿はほとんどない。 後で話しを聞くと、「独標(どっぴょう)」から「西穂山頂」まで、大小あわせて13のピークがあるそうだ。 (先に聞いていなくてよかった!聞いていたら途中で挫折したかも・・・!)
独標の独特のシルエットに別れをつげ、ピラミッドピークと呼ばれるピラミッドそっくりなシルエットの山を越え・・・。 心構えさえできてしまえば、登って下って・・・を繰り返す方が、登りばっかり、下りばっかりよりはるかにおもしろいことに気づいた。 楽しい。山を次々に征服しているかんじ。 でも、おもしろいのと体力とは別問題の話だ。 山頂の手前で、だいぶ疲れてきた。
ちょうどそのとき、ヘンな鳴き声が聞こえたなあ〜と思っていると・・・雷鳥! 写真でしか見たことのない、茶色のまだらの、あの雷鳥が、目の前を親子連れでほてほて歩いている! 誰にもおびやかされたことのない彼らは、人間が近づいてもほとんど逃げない。 そのぼうっとしたところに心和まされる。というか、妙におかしい。 人間に気づいて、あれ?ってなかんじでぼうっとしている。 そんなにぼうっとしていて、大丈夫かい?なんてこちらが心配になってしまうほど。 カメラを構えて、何枚か写真をとっているうちに、休憩もかねてだいぶ元気になってきた。
そこからもうひとふんばりして、ようやく、西穂山頂にたどりついた。 青空を背に、はげはげの木に「西穂山頂」とかかれている。 山頂には、誰も人影がなかった。 青空が、近い。 わたる空気はどこまでも澄んでいて、冷たくて気持ちいい。 どこまでも静かで、風の音だけがひびいている。 山頂でただ風に吹かれ、ゆっくりと時間を過ごした。 いい時間だと、いつも思う。
また、こうやって、こんな時間がもてますように。 いつも、山頂で、そう思う。 そうして、私はまた山に向かうのかもしれない。
明日の山登りと、今日の夜の運転のために。 一日寝て過ごしました。
・・・・・・体は、十分元気になったけれど。でも、ちょっとなまけすぎて本来の調子を狂わせてしまったかも・・!
緊張しているせいか、何度も何度も目を覚ましながらの昼寝でした。 そんな具合なら起きてなにかしている方がよっぽどいいのに、それでもなにか「眠り」が「活力の源」のような気がしてならなくて、 無理やり寝ていました。
・・・・いいのかそれで?!
結果は明日の成果に反映されるはず。
月曜日お休みしようと思うと、鬼のような忙しさだった。
休みの前の忙しいさなかには、決まって「アリとキリギリス」を思い出す。 今、のちのち困らないために、アリのようにがんばっているんだ、と自分の中で言い聞かせている部分があるようだ。
ずいぶん小さい時に読んだ(聞いた?)話だと思うのだけれど、こんなときに思い出すほど体にしみついているとは、なんて教育的寓話なんだ・・・! あの話、知らない人はきっといないだろうな。 みんな、いつどこで読んだのだろう・・・?
今日はアリのように、こつこつがんばりました。 明日の晩から、信州の山!
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