...blueberry

 

 

- 2007年04月03日(火)

4月1日の仕事は、今の部署に異動になってから一番忙しい
日だったと思う。
昼休み30分くらいで、トイレに行く時間以外ほとんど
休みなしで働いていた。

きつかった。
次の日は頭痛で寝込んでしまったくらい。


今日から新しい人が異動してきた。
少しだけ不安に思っていたことが的中。
積極的に仕事をするような人ではなさそう。
隣りの席の人は手放しで、以前の人でなくなったことを
喜んでいたけれど、実際はどうなのだろう。

仕事のシフトをこっそりと確認してしまった。


私の会社は年功序列。
わかってはいるけれど、同じ仕事をしていて、逆に若い
人の方が仕事をしているのに、給料にこれだけの差が
つくのは、嫌になることもある。

私がその人たちと同じ年になったときに同じ給料、同じ
年金をもらえるとはまったく思わないのに。



母が
「うぐいすが鳴いてる」
と、言った。
甥っ子が
「ちゅぢゅめ、ちゅぢゅめ」
と、言った。


昨日の夜、弟が甥っ子をお風呂にいれ、甥っ子に薬を
塗っている背中を見て、湿疹ができているのに気がついた。
「かゆくない?」
「そういえば、かゆい気がする」
「薬塗ってやるよ」

「背中に薬を塗ってもらうのなんて、何年ぶりかな」
と、弟は言った。

普通は、奥さんがすることだろう。
子どもの面倒をみるのも、子どもに薬を塗るのも、
もしも私に自分の子がいるなら、自分でしたいと思う。
夫の背中の湿疹も、私が薬を塗ってあげたいと思うだろう。


なぜ、義理の妹は、そういうことを思わなくなってしまった
のだろう。


...

- 2007年03月31日(土)

18年度も終わり。
今の職場も丸2年が経ったことになる。

もう話したくない、と思った人は異動になった。
2年の間になぜそこまで嫌いになったのか。
最初は変な人だな、という程度だったのに。


ご主人様との関係は、まったりというか、のんびりというか。
落ち着いた関係、と言えば聞こえはいいけれど、実際は
どうなのだろう。

週に3,4回メールが来る。
2週に一度くらい電話ができる。
そして2月に一度くらい、私がご主人様に逢いに行く。

この間逢ってから、1ヶ月。
まだ1ヶ月なのに、ご主人様から
「次の逢瀬の予定をたてなさい」
と、メールをもらった。
普段なら、私から
「逢いたいです」
と、メールを送るのに。


なんだかよくわからないけれど、昨日も今日も仕事が忙しくて
疲れたから、と帰ってきてから何もしなかったので、明日から、
勉強を頑張りましょう。

この、明日から、というのも本当はよくないのだけれど。



...

- 2007年03月26日(月)

前回の日記から約1ヶ月。
つまりご主人様と逢ってから約1ヶ月が経った。


前回ご主人様と逢う前に叱られて、今度こそマイナス思考に
陥らないようにしよう、と決心をした。
今はかなり落ち着いている気がする。

自分で勝手に落ち込むのは後から考えれば生理前が多くて、
ここのところ少しマイナス思考だな、と2、3日前に思ったら
そういえばあと1週間くらいで生理が来る。
これを乗り切ればまた楽観的に物事が考えられるだろうか。


職場での異動の内示がでた。
半分予想どおり、半分予想はずれ。
予想どおりの部分は、まぁ当然。
予想はずれの部分は、来年の私自身の異動にも影響がでる話。
まぁ、今の部署は疲れるけれど、自分には合ってると思うから
人間関係さえ悪くならなければOKな部類だろう。


今日は実家に行ってきた。
甥っ子と姪っ子二人と遊び、食事をして、お風呂に入った。
疲れるけれど、二人はとても可愛い。
それなのに、なぜ義理の妹は、面倒をみることができないのか。

ふと、考える。
もしも私が独身でなかったなら、実家はかなり大変だろう。
母と祖母はいるけれど、二人とも当然若くない。
祖母に何かをお願いするのは無理な話であって、母が倒れたならば、
子ども達はどうなってしまうのだろう。

母は私に結婚して幸せになって欲しいとは思ってはいるだろうけれど
今、私がそうなったならば、母はかなりきついだろう。
別に母のために結婚しないわけではないけれど、結婚しなくても
いいかな、とやっぱり思ってしまう。

でもいつかは、自分の子どもが欲しい、という考えは消えることは
ない。


...

- 2007年02月28日(水)

ご主人様に逢いに行ってきた。
叱られるだろう、と思っていたけれど、そんなことはなかった。

金曜日の夜に、送ったメールには返事が来た。
月曜日も、昼過ぎに新幹線に乗っている間に、メールが届いた。



月曜日、逢えたのは24時近く。

部屋で軽く食事をし、遊んでいただいた。
足を舐めさせていただいたり。
ご主人様は、歯ブラシに歯磨き粉をつけ、陰部を擦って楽しそうに
していた。
「綺麗にしてやる。ティッシュかウェットティッシュをもって
来い」
と言われたので、アルコール消毒のできるウェットティッシュを
差し出したり。
そして、新しい鞭を差し出し、
「使っていただけませんか?」
と、お願いをしたり。
最後には、奉仕をし、挿れていただいた。


火曜日は、21時過ぎに食事を取り、部屋に戻ってからまた遊んで
いただいた。
半分以上残っていた蝋燭を体中に垂らしていただいた。
「もっと垂らして欲しいか?」
と、聞かれ
「もっと欲しいです」
と、答えた。
とても熱かった。痛かった。
それでも、ご主人様が興奮しているだろう、と思うと嬉しく
感じた。
「はがすときが興ざめだな」
と、垂らし終わった後にご主人様が笑っておっしゃったとき、
続けて虐めていただけたらいいのに、と心の中で思った自分が
いた。
最後に、ご主人様に尿をかけていただき、すごく久しぶりに
飲ませていただいた。


今日の朝、
「抱きついていいですか?写真をいただけませんか?」
と、お願いをした。
「照れるからだめだ」
と、ご主人様はおっしゃる。



久しぶりに、逢っているとき、逢った後に落ち着いている
自分がいる。
ずっと落ち着いていられればいいけれど、きっと無理だろう。
また、痛みを欲したり、快楽へと逃げようとしてしまうのだろう。

きちんと自分に言い聞かせなくては。。。




...

- 2007年02月23日(金)

ご主人様から火曜日に短いメールが届いてから、連絡がない。
今日の夜もない気がする。

月曜日から逢いに行けるのだろうか。。。


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- 2007年02月13日(火)

久しぶりに日記を書こうとしたら、IDやパスワードの
保存が消えてしまっていた。


毎日毎日、同じような日が続いている気がするのに、
それでもたまに日記に書こうかな、と思うことがある。
それなのに書かないのは、ただ単に不精なだけなのだろうか。。

いつの間にか日記というよりも、ご主人様との逢瀬の記録に
なっている気もする。


実家でいろいろなことがあった。

母が具合が悪くなり救急車で運ばれた。
でも、その後は元気で今度の月曜日に一応精密検査を受ける。

義理の妹は、ほとんど一人で過ごしていて、子ども達とも
逢いたくないと言い、もう3週間くらい姪や甥はママに会って
いない。

母のことと姪っ子達のことを考えると、つい休みの日には
実家に通ってしまう。
実家からアパートに帰るときに、毎回、「また来てね」の
言葉を私にかける、母と姪っ子達が少しだけ可哀想な気が
してしまう。

下の弟は、転職をすると言い出した。
私と同じ職場でなくなるのは、私としては嬉しいけれど、今の
職場より辛い職場なんてあるはずがない。
どうして自分をそんなに過大評価できるのか。

そして、私は母につきあっている人がいる、と伝えた。
その人には子どもがいて、自分で面倒をみている、とも。
だからきっと、つきあってはいるけれど、結婚はしないだろう、
とも、私は言った。


私は、きちんと前に進んでいるのだろうか。。。。


...

- 2007年01月04日(木)

体調がいまいち。
くしゃみが昨日から止まらない。
胃のむかつきが続く。

2007年になりました。


元日は、実家で過ごした。

朝起きて、母から「あけましておめでとう」と、「いくつに
なったの?」という言葉。
結婚、とはそんなにも必要なことなのだろうか。

そして、いとこ達とゴルフの打ちっぱなしへ行ったり、たこしゃぶ
鍋を食べたり。
姪っ子とお風呂に入り、アパートに戻って来たのは23時近く。



2日から2泊で奈良に行ってきた。
久しぶりにゆーっくりとご主人様と逢うことができた。


2日は、夕食で一緒にインドカレーを食べ、ご主人様から私の
身体に日本酒をいただき、ご主人様自身を味わわせていただいた。


3日は、時間を気にせずに目が覚めるまで眠った。
4年くらいつきあっているけれど、こんなことは2,3回しかない
気がする。

ご主人様の車で、初詣へ。
3日でもかなりの混雑。
一昨年かその前の年か、私が、初詣に行きたいと言った言葉を
覚えていてくれたのだろうか。
ご主人様は人ごみも渋滞も嫌いなのに、私の希望をかなえてくれて、
とても嬉しかった。

夕食は、焼肉。
年始早々、カレーを食べたり焼肉を食べたり、普段の年なら
考えられないこと。
珍しく、酔った。
それは体調の悪さのせいだったのかもしれない。

ホテルに戻って、くつろいでいると
「蝋燭を出せ。持ってきた道具を並べろ」
と、ご主人様はおっしゃった。
私は、久しぶりの蝋燭に心が浮き立っていた。

なのに。。。。

本当に本当に久しぶりに縛っていただいて、身体を弄っていただいて
いるときに、気分が悪くなってしまった。
「申し訳ございません。気持ちが悪いのです。」
縄をほどいていただく間さえも、立っていられなかった。

申し訳なくて悲しくて悲しくて、私は一体なんなのだろう、と涙が
にじんだ。

それでも、眠る頃には回復し、奉仕をさせていただいた。
使ってもらえなかった身体のせいか、自分でも欲情していたのが
すごくわかった。
「ご主人様お願いです。挿れていただけませんか?」
「どうしようかな」
と、ご主人様はおっしゃったけれど、珍しく二晩続けて、犯して
いただいた。


眠る前に、ずっと心に思っていたことをご主人様に伝えた。
「いつかご主人様の子どもが産みたいです」
と。
返事はすぐにはなかった。そして、
「これ以上、親を悲しませるつもりなのか?俺は、社会的責任は
とれない。子どもを養育していくということが、どういうことか
わかっているのか?」
と、おっしゃった。
私は、最初の質問には答えられなかった。
残りの二つのことは考えているつもりだった。
それでも私は、ご主人様の子どもが産みたいと思っている。
ご主人様とつきあったままで、他の人との結婚なんて絶対に
考えられない。
ご主人様は、わかった、とも、だめだ、とも言わなかった。
少しだけ、ずるい、と思った。


今日は、8時にご主人様を起こし、一緒にホテルを出た。
近くの駅まで送っていただいた。
車に乗っているときに、もうひとつ言葉に出せないでいたことを
口にだした。
ご主人様は
「お前が期待しているほどではないけれど」
と、言ったけれど、私はまったく期待していなかったので、期待
以上のものをいただいた。


ご主人様は、私をどう思っているのだろう。
ご主人様は、私とのつきあいをどう思っているのだろう。
きっと聞いても、答えてくれはしないのはわかっている。

けれど、すごくすごく知りたい。。。








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