- 2011年11月26日(土) 横浜でご主人様と逢った。 ホテルの41階で食事をした。 夜景がとても綺麗で、遠くにランドマークタワーが見えた。 「奥様、追加はいかがですか?」 と、聞かれ 「私は、もういいです。」 と、答えた。 奥様、という言葉は、ちょっとだけくすぐったく思ったが、私よりも ご主人様が、ほんの少し反応したように感じた。 部屋に戻って、怠惰な身体を見ていただいた。 ご主人様は、ウエストがなくなることよりも、胸がなくなることの方が 問題らしい。 ご主人様の身体に奉仕をさせていただいた。 「お前は、身体に一生残る傷が欲しいのか? それとも、おもちゃのようにいたぶってほしいのか?」 私は、答えることができなかった。 そして、奉仕をしながら、涙が頬を伝わり、ご主人様の身体の上に 落ちていった。 「どちらがよいのか、はっきり答えなさい。」 それでも私は、答えることができず、涙だけがずっとずっとこぼれ 続けた。 「お前は、淫乱でどうしようもない。 そんなお前は、他のやつでは満足できないだろう?」 「そう思います。」 「なら、お前はどうしたいのだ?」 「わかりません。」 涙だけが、溢れ続けた。 「私は、ご主人様がとても好きなのです。」 「わかっている。」 私は、ご主人様に犯していただきながら、ずっとずっと泣いていた。 「一生、お前は私に尽くしなさい。」 犯されながら、キスをされながら、耳元でささやかれた。 それでも、私は泣くことを止めることはできなかった。。。 ... - 2011年11月25日(金) 11月11日に病院に行った。 そのときは、21日から職場に復帰するつもりだった。 先生は、 「復帰にも診断書が必要だと思うから、職場で確認してね。」 と言ったので、人事担当にどのような内容で書いてもらえばよいのか、 聞きに行った。 人事のえらい人との話の内容は、 丸1日仕事ができるようになってからが、完全復帰。 12月1日からなら、異動が可能。 診断書は、具体的にどのように働かせてよいか、記載。 とのこと。 11月18日に、診断書をもらいにまた病院へ行った。 結局、完全復帰は12月22日を予定。 異動の内示が出た。 12月1日付け。 とても、残業の多い部署へ。 人が足りないと言われている部署へ。 なぜ、フルタイムで働ける人を他の部署に動かして、私をその部署に 異動させるの? 私は、仕事によって身体と精神を病んで休職となったのに、また同じ ことを繰り返さないとは限らないのに、なぜ? でも、悲しみよりも、半分呆れ、半分怒りが溢れた。 私は、休職に入った時が、本当に病んでいて、今は治ってきていることを 感じている。 ... - 2011年10月29日(土) ゴヤ展に行ってきた。 27日、木曜日。 卓上カレンダーを買ってきた。 仕事場へ持っていくつもり。 色のついている絵は少なかったけれど、色のついていない絵も私は好き。 今日、病院に行ってきた。 1カ月、正しくは5週間の傷病休暇が終われば、仕事に復帰するのだと 思っていた。 けれど、先生は、もう少し延ばしたらどうかというようなことを言った。 私は、休暇を延ばすことよりも、半日ずつでも出勤したいと伝えた。 私自身は、自分がどの程度病人なのかよくわからない。 どこがそんなに悪く見えるのだろうと思ってしまう。 今日は看護師さんや先生と話していても、かなり普通に話せたと思う。 泣くこともなかったし。 でもやっぱり、少し集中力とかがないのは、なんとなく感じる。 水曜日にご主人様と逢った。 このところ、とても感じやすい。 なぜかわからないけれど。 一緒に食べたお寿司がとてもおいしかった。 ご主人様は、朝、ホテルの部屋を出るときににっこり笑って、 「行ってくる」 と、言い、私は 「行ってらっしゃい」 と、言った。 ... - 2011年10月22日(土) 先週の金曜日から、傷病休暇に入った。 水曜日に上司に相談したら、すぐにでも休みなさい、と。 金曜日までは出勤するつもりでいたけれど。 追い出されるような気分になり、強いストレス。。。 土曜日に病院に行った。 診断書を書いてもらった。 11月19日まで。 長い?短い? もともと17日と18日は、関西へ行く予定で有給休暇を取っていた。 傷病休暇を取っているのに、関西へ行くのは気が引けたけれど、 気持ちを休めるための傷病休暇だから、と行って来た。 どうせ仕事には行かないのだから、1泊延長し、19日に帰って来た。 そして、職場に診断書を持って行った。 人事に、体調のことを聞かれ、また泣いてしまった。 それでも、以前よりは良い気がする。 20日は、両親と少し出かけた。 帰ってきて、疲れて夕方から眠った。 21日は、酷い頭痛で1日眠っていた。 まだ1週間。 もう1週間? ... - 2011年10月10日(月) もしかすると、私の職業だから、先生は1ヶ月休んではどうか、 と簡単に言ったのかもしれない。 1ヶ月の休みを取るかもしれないと両親に言った。 食事の後の洗い物をしながら、後ろを向いたままで。 父は、 「お前が辛いと言うなら、よっぽどのことなんだろう」 と言った。 以前同じ職種であった弟も、 「休んでも誰かがやってくれるのだから休んだ方がいいよ」 と。 「辛いということを理解してもらわないと」 と。 以前、手術をしなければならなかったときも、病院の先生に 「仕事と自分とどちらが大切なんですか?」 と言われ、延ばし延ばしになっていた手術を急遽行うことに なったことがあった。 そのときとは、微妙に違う気がするけれど、私がいなくても 仕事なんてまわっていく。 仕事に行っていない土日とかは、けっこう穏やかに過ごす ことができる。 少し気力がないだけで、動くことはできる。 そう考えると、なぜ仕事を1ヶ月も私は休まなければならない のか?と思ってしまう。 でも、これから先の仕事のことを考えると、とても憂鬱になる。 とりあえずは明日は普通に出勤するからと、明日の仕事の 段取りを確認する。 あれとこれと、あそことあそこに行って、と考えるだけで どうしてこんなにやらなければならないことが多いのだろう、 と思ってしまう。 何よりも、職場の人に会いたくない、と思っている自分がいる。 ... - 2011年10月09日(日) 先生の診察の前に、看護師さんに今の状態のことを質問された。 それだけで私は、涙があふれてしまい、考え考えでしか話を することができなかった。 どういう症状があるのか。 何が辛いと思うのか。 以前といつからどう違っているのか。 それから、私の家族のこと、仕事のこと、性格のこと。 誰かに話を聞いてもらっているかということ。 先生と話をしても、やっぱり泣いてしまった。 そして、1ヶ月の休みの話。 私って、そんなに酷い状態なんだ、と改めて感じてしまった。 こんなに簡単に、1ヶ月もの長い休みの話をされるものなんだ、と 思った。 会計をする間に、待合室で最後の一人だったせいか、先生が出てきて 飴をくれた。 薬局は、あそこだからね、と先生自身が教えてくれた。 涙がずっと止まらなかった。 運転して帰るのだから、危ないとは思いつつも、涙を止めることが できなかった。 ... - 2011年10月08日(土) この間日記を書いてから、2週間弱。 9月の半ばから一段と仕事が辛かったのだと思う。 涙腺がとてもゆるくなっていた。 仕事中に、それも、職場の人でない人の前で泣いてしまった。 絶対にやってはいけないこと。 だから、病院に行こうと思った。 行こうと思ったときでないと、行けないと思ったから。 少し、気持ちが楽になればよいと思って。 少し、体調が回復すればよいと思って。 初めての心療内科。 婦人科とどちらにするか悩んで、病院で決めてもらった。 先生は、 「1ヶ月くらい、仕事を休んだ方がよいかもしれないね」 と、言った。 ...
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