鮭肉色のカーニヴァル INDEX|will
物語の解体の物語 2005年07月17日(日)
祖父たちとホテルのフランス料理店で会食。三キロ先に厨房があるのではないかと思えてくるほど気の遠くなる料理の間隔に六人は苛立った。
デザートにカレー 2005年07月15日(金)
国立西洋美術館へドレスデン展を見にいった。序盤は理系芸術というのか天文学や測量につかう機材が真鍮の輝きを添えて並べてあった。中盤は絶対王政の時代のわかりやすい装飾品がならぶ。そしてオスマン・トルコとの闘いの記憶。日本でいえば黒船に襲撃を受けたようなものなのか、衝撃はすごかったに違いない。さいごは絵画で締めくくられている。自然を愛で、満月にこころ洗われる日本人の感覚に近いものを感じた。
小麦粉と水で溶く 2005年07月14日(木)
デートの日がくるのを待っているのが好きだ。誰か五年先とか二十年先にデートする約束してくれないかな、そしたら幸せを小麦粉と水で溶いて薄くのばして焼いたようなお菓子ができあがるだろう。ぼくは毎朝それを食べながらコーヒーを飲む。ニュースを見る。幸福な感じだ。
散らばる 2005年07月13日(水)
小学校から中学まで一緒だった友人と会食をしに渋谷へ。友人とは、もともと同じ人間ではないから仕方ないことなんだけど、ずいぶんと価値観が違ってしまっていた。小学校の机はみんな同じ大きさだったことが思いだされるけれど悲しくなることはない。悪くとらえるとぼくは友人のことを軽薄な人生だなと思い、彼はぼくを子供だなと思ったのだと思う。だって彼が詳しいのは、酒、女、日焼けサロンなんだもの。逆にぼくはそんなことに興味がなくて。でも人格の連続性への信頼からぼくらは仲良しなんだ。時間の経過とともに価値観は散らばっていく。それだけ。ソフトもハードもかわっても記号はかわらない。骨になった恋人を愛するのと同じこと。
犬 2005年07月12日(火)
朝五時からお散歩。お茶を飲みながら桜並木をのぼった。周りを見ておもう、けっこう犬をつれて歩いてるひとがいるもんだ。ぼくも誰かに散歩に連れてってほしい。従うのって清々しいから。とくにこんな朝は何も考えずに主人についていきたい。部屋にもどって昼寝してデュマの『椿姫』を読む。これもまあ高級娼婦につかえる犬=男の物語だ。夜はジョナサンで耽読。
失礼な大人 2005年07月11日(月)
初対面のメールでいきなり罵倒された。妙ないいがかりをつけてきた相手はさいごにこう言う。私には「学生だから」といういいわけは一切通用しませんのであしからず、と。なんだかそれを言えばいいみたいに思っている悪臭が漂っているぞ、こいつ、と思った。この際「初対面で相手のことを馬鹿にするのは失礼ではないでしょうか。大人だからといういいわけはいっさい通用しませんのであしからず」と送ってみようかと思ったけれど話がこじれるだけだからやめた。
天国製のマッチ 2005年07月10日(日)
風邪をひきずりながら横浜にルーブル展をみにいった。肝心の美術館は人だかりでまともに鑑賞できなかった。絵が傷みそうなほど多量の視線がそこにはあった。
恥部 2005年07月09日(土)
ひとは個人的な部分を隠すためにパンツをはきブラジャーをする。日常的で自然なことだ。だけど突然、裸になりたいという衝動に駆られることがある。たとえば留守中に。たとえば外泊先のホテルで。
霧と煙 2005年07月08日(金)
目覚まし時計のリリリリリが鳴る寸前に起きることがあるけれど、それはアラーム音をじっと待っている細胞があるからだそうだ。そのときが来るまで身を焦がして待つ、不安細胞とでもいうべき存在がぼくらの中にあるのだ。いまの自分もそれに似ている気がする。なにか人生のアラーム音をこころを細くしながら待望している感じ。こうしている今も霧のような不安に包まれている。
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