私の雑記帳
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2013年03月03日(日) |
NHK「緋色の記憶」が気になって |
ふとしたことから、(←発端は久しぶりに聴いたNHK「サイゴンから来た妻と娘」の主題歌「美しい昔」について調べたことから) どういうわけか2003年のNHKのドラマ「緋色の記憶」にたどり着く。 このドラマ、確か最終回を見たと記憶している。 You tubeなどでほんの少し見られるのだが、 とても上質なよい作品だったと思う。 もう10年も前のドラマなんてちょっと信じられない。 國村隼が三谷幸喜の「HR」に出ていたのと同じ年の作品だった。 とにかく音楽も映像も美しい。鈴木京香が本当にきれいだった。 そしてキーパーソンとなる少年を市原隼人が演じていたと知りびっくり。 最近見ているCXの「カラマーゾフの兄弟」では 主役の次男をなかなか好演しているのだが、 あらためてこの「緋色の記憶」のあの少年(というか青年)が 市原隼人だったとは驚きであった。 10年も前なので当然、市原隼人もまだ15〜6歳、声も今とは全然違う。 子供ではないがまだ大人にはなりきっていない青年未満だろうか。 國村隼と鈴木京香の組み合わせも、大人の雰囲気がなかなか素敵だった。
脚本(2004年に自殺した野沢尚)も良いし演出も音楽も良い。 こういうのは流行ドラマにはなり得ないがさすがNHKという感じがする。 再放送も無いらしくビデオ化もされていない。 哀しい話なので何度も見たいとは思わないが、 夜の湖でのボートでの密会シーンなどの演出は映像が良いので見たい。
最近では朝ドラ「梅ちゃん先生」に銀粉蝶が出ていて驚いたけれども、 この「緋色の記憶」にも出ていた。 なんというかアングラのスパイスという気がする。 こういう大人の観賞に耐えうる作品は少なく、 万人受けしないものを作ることが出来るのもNHKだけだろうと思ってしまう。
私のまわりにドラマ「サイゴンから来た妻と娘」「緋色の記憶」 「HR」「カラマーゾフの兄弟」をまとめて話せる人がいない。 誰かと語り合ってみたいものだと思うが、 今の生活の中にドラマファンそのものがいないのでとても寂しく思う。
誰かと共有したいと思うのは、やはり私が寂しがりやだからなのだろうか・・。
※「サイゴンから来た妻と娘」は林隆三主演で、子供の頃に見た記憶がある。主題歌の旋律は数十年ぶりに聞いても思い出すことができる。 原作は産経新聞のジャーナリスト近藤紘一氏のノンフィクション。(近藤氏は昭和61年に45歳の若さで病死)
たまに書く日記はたいていが愚痴で 読み返すと更に気が滅入る。
明るい話題で書きたいとは思うが、 そういった状況にないので書きようが無い。
きっと、明るい話題を書けるようになると強く思う。 そう思うことで、未来は変わっていくような気がする。
最近私は、私を踏みにじった人物を大変恨み、憎み 地獄に突き落としてやりたいと思う。 でも多分、因果応報でそうなるのだと思う。 過去にもだいたいがそうだった。 私に酷いことをした人物は、その後幸せになったと聞いたことが無い。 むしろ驚くほど落ちぶれたり不幸になっていることのほうが多い。 酷いことをしたら結局はその人自身に還ってくるのだと思う。 私を傷つけ踏みにじったのなら、その報いが必ずやその身に 降りかかるはず。 私がいつまでも呪いのように憎んでいなくても、 黙っていても相手はぬくぬくと幸せにはなれないのだ。 だから、負の感情にいつまでも私自身が支配されることは 無駄なことだと思う。 それに支配されている限り、私自身もまたマイナスの渦から 抜けられない。
私が笑って暮らせるようになりたいと思っているのなら 時間がかかってもきっとそういう人生になるのだと思う。 良くも悪くも未来は今の自分のなれの果て。 負のオーラから抜け出して、穏やかな人生を送りたい。
今年は県立美術館で行われた、娘のピアノの発表会が終わった。 ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を弾いたが、 嫌々やっていたこともあり全く冴えない演奏だった。 飴と鞭、大量の飴を撒いてやらせたところで、 親を憎むだけのようで虚しい。
昨日だったか、渋谷駅2分という新築マンションの広告が 新聞の間に入っていた。 最初はどこの渋谷?と思ったが、こんな田舎にまで東京のマンションの 広告が入るなんて・・。 1LDKでも4千万以上。 でも、お金があったらぜひ買いたい。 父もいなくなった当地に未練はない。子供も巣立ってゆく。 私は一人になる。 渋谷は好きじゃないけど、銀座線も井の頭も始発駅と思うと、 悪くないかな、と思う。 3億あったら買うかな? それとも当地の超高層の新築高級マンションの方がいいかな。 実家のある町内会を憎んでいるので、この街から離れられればよいのだ。 実家は残すけれど、私は住みたくない。
もう、何もかも嫌で面倒。 そうして何も成し遂げず、不平不満とため息だけで 私の一生は終わってゆくのかと思う。 もう、今更何者にもなれない。
2013年01月16日(水) |
今年は這い上がりたい |
年末から年明けにかけて、思わぬ出来事が続いたけれど、 相変わらず私は迷子のような状態。
自分がどうしていいかわからない。
甘えていることは百も承知、言い訳ばかりして進歩が無い。 そうしてこの10年を無為に過ごし、何一つ成し得ないまま 年をとり、昨年は大事な父を失った。 子供はこの10年で成長し、私など間もなく用済みとなる。 妹は別の地獄のなかに生きていて、母は相変わらず 早く居なくなって欲しい厄介者でしかない。
「自分のご機嫌をとるのは自分しかいない」
それはわかるつもりだが、どうやってもうまくご機嫌が取れない。 他者を利用してはいけないが、承知のうえで多少利用させてもらっても それはほんの一時しか、成果は出ない。
ジタバタあがいて生きてきた。 わがままで自分勝手でいつも不機嫌だった私。 いつもどこか乾いていて寂しかった自分。
誰にもわかりはしないだろう。 喜びも悲しみもそれは自分だけのもの。
私は私の幸せを見つけたい。 物質的なものも精神的なものも含め、 自分が幸せと感じる瞬間を増やしたい。
夢も希望も無いのが現実でも、諦めたらそこで終わりなのだと 自分に言い聞かせ、いつか必ず幸せをいくつも感じ取れるように なりたい。
悲しくて寂しくてたまらない今。
暗い愚痴ばかり書きたくは無いのだけれど・・・。
ああ孤独である。 人間は所詮一人なんだとわかっているつもりでも どこかで他者(身内)にどこかで期待して、 結局は裏切られる。
他者に期待してはならないと、何度自分に言い聞かせてきたであろうか。 親子、兄弟だろうが、他者は他者である。
ああ、本当に悲しくさみしい。 私の気持ちなど誰もわかってはくれないし(当たり前) 私は、一人ぼっちなのである。
私は自分の孤独を、だれにもわかってもらうことが出来ない。 それがとても辛い。
だれにも期待してはならない。 私は孤独である。
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