★神主の遠吠え日記☆

2008年02月05日(火) 信用できるか!

恵方に向かって巻きずしをまるかぶり。って人も多かったことでしょう。
日本人は何かと誘導されやすいって感じです。これが我が国の風習となってしまうんですから。

しかし、さすが朝日新聞です。
中国様のご機嫌を損なわないように細心の注意をされている。

≪朝日新聞社説引用開始≫
ギョーザ事件―解決は日中の試金石だ
 中国製冷凍ギョーザによる中毒事件の波紋が広がっている。新たな事実が次々に浮かんでいるが、謎はむしろ深まるばかりだ。
 事件の始まりは、千葉県と兵庫県に住む3家族の10人が、中国の同じ工場でつくられたギョーザを食べて中毒症状を起こしたことだ。警察や輸入元などが調べを進めるなかで、新たに同じ工場製のギョーザ6袋の表面や内側から、中毒の原因になった農薬成分が検出された。
 中国の調査団が来日し、日中の共同調査が始まった。互いの調査の結果を交換し、真相究明を急ぐことで一致した。
 真相がわからないのでは、的確な対策をとれない。それだけでなく、日本では中国食品に対する不信感がさらに深まり、中国では一方的に非難されたという反発も出てくるだろう。日中関係への影響も心配だ。
 日中両国は双方で約束した通り一日も早く事件を解明してもらいたい。そのためには協力態勢をきちんと築き、自らに不利な情報も包み隠さず出し合うことが大切だ
 中国側は「今回の工場で問題の農薬成分は使っていない」との調査結果を示した。だが、この農薬を日本で入手するのは困難なことなどから、中国内で混入したという見方が日本では強い。
 製造、流通のどこで混入したのか。過ってなのか、あるいはだれかが故意に入れたのか。犯罪だとすれば、動機は何か。解明すべきことはたくさんある。
 中毒が起きたことが公表されると、日本では中国食品への不安の声が一気に高まった。中国製というだけで、今回のギョーザとは無関係の冷凍食品がスーパーから撤去されたり、外食産業でメニューからはずされたりする動きが出た。
 中国では、この事件はあまり報道されていない。だが、インターネットでは情報が伝わり、様々な意見が飛び交っている。なかには、「中国製品を売れなくするための日本人の陰謀だ」という極端な意見まで流れている。
 いまは原因が解明されていないため、不安や憶測、あるいは疑心暗鬼が広がっているということだろう。
 だが、日本人の食生活はいまや中国食品なしでは成り立たない。中国にとっても、輸出先として日本はなくてはならない存在だ。中国食品の安全は日中の共通の利益なのだ。中国人技術者を日本に招いて食品安全の研修をする構想があるのも、共通の利益があるからだろう。
 小泉元首相の靖国参拝などで冷え込んだ数年前と違って、いまは共同調査を進めやすい状況にある。首相の相互訪問もあり、両国は信頼関係を少しずつ取り戻しつつある。
 今回の事件は、長い間の停滞から再出発したばかりの日中両国にとって、大きな試金石といえる。冷静に協力し合って解決に導けば、中毒事件の打撃を減らし、成熟した関係への一歩ともなる
≪引用終了≫

「冷静に協力し合って」ですと?!
過去・現在をまともに見れないんでしょうねぇ。かの中国様がわが非を認めるわけないでしょう。すでに毒は日本国内で入れられたんじゃないか、とか、日本の検疫はずさんじゃないの、って言ってるようですが・・・
またまた中国からの調査員はやたら関係ない場所の写真をとったりして技術まで盗もうとの魂胆が見えているとのこと。
まるで第三国が中国の新聞の社説のようです。
中国様が割と大人しい態度をとっているのはオリンピックを控えて他国の不審を増長したくないからでしょう。



2008年01月18日(金) あ〜気に入らない

何でも「公」が決めるものは気にいらないそうな。

≪朝日新聞社説引用開始≫
指導要領改定―マニュアルを押しつけるな
 それぞれの教科を1年で何時間教えるのか。各学年で何について、どこまで学ばせるのか。こと細かく定めているのが文部科学省の学習指導要領である。
 その指導要領の改訂方針が、文科相の諮問機関である中央教育審議会でまとまった。新たな方針に沿った授業が、11年度から始まる見通しだ。
 6年前に始まった今の指導要領に比べて、目に見えて変わるのが授業時間数だ。理科や英語、算数・数学が2〜3割増え、全体の時間も増える。導入したばかりの総合学習が代わりに減る。
 「ゆとり教育」と呼ばれた今の指導要領の旗印は、子どもたちの生きる力を育むことだった。詰め込み教育批判にも応えるかたちで、授業時間と内容を減らし、自分で考える力をつけさせるために総合学習を取り入れた。
 しかし、ゆとり教育が始まってまもなく、国際学力テストで日本の順位が落ち込んだ。ゆとりによる学力不安が保護者らに広がっていた時期でもあった。
 かくして、ゆとりの旗はあっさり降ろされたのである。右へ曲がれと言われてしばらくしたら、やはりまっすぐ進めと言う。子どもや教師にとっては、一体どうなっているのかという思いだろう。
 では、授業時間数を元に戻したことで、問題が解決するのか。
 学力の底上げと考える力を伸ばすこと。これが今の大きな課題である。授業時間を増やすことで克服できることもあるだろうが、授業の質に目を向けない限り、根本的な解決にはならない。
 もう一つ気になるのは、ゆとり教育の功罪をきちんと総括しないまま、方向転換を図ろうとしていることだ。
 例えば、総合学習がうまくいかなかった原因について、中教審は「教科との連携が不十分だった」という。だが、これでは物足りない。具体的にどこに問題があったのか。そもそも考える力をつけるうえで役立つのか。そうした検証がほしい。「生きる力」という理念は正しいといくら強調しても始まらないのだ。
 さらにここで考えたいのは、指導要領そのもののあり方である。
 指導要領の内容は実に細かい。例えば、小学4年の算数だ。億と兆の単位を教えるときに、「3けたごとに区切りを用いる場合があることに触れるものとする」と定められている。
 全国どこでも同じレベルの学力をつけさせようというのは、わからないわけではない。しかし、あまりに細かすぎないか。これではまるでマニュアルだ。指導要領をマニュアルのように厳しく守らせることが、自ら学び、考える力を教師からも奪ってきたとはいえないか。
 文科省が決める指導要領は大枠にとどめ、実際に教える内容は自治体や学校の工夫に任せる時期に来ている。授業時間数も幅を持たせていい。
 そうしたことが、ころころ変わる指導要領から得られる最大の教訓だろう。

≪引用終了≫

まるで、「公」が率先して指導要領を変えているように聞こえるが・・・
大体がゆとり教育にしたって世論がそうさせたんじゃなかった?
結果、塾に行く時間が増え経済格差もあるだろうが学力の格差を生み、全国的にも学力は低下した。それじゃあ困るという世論でまた改正するんじゃないの?
ゆとり教育ったって基本的な学習については指導要領で決められてたはず。
指導要領を最低のラインとし、教師自らがそれ以上に学び考える力をつければいいんじゃないの?
決めた或いは決められたことすら実行できない先生方がどうやって子供たちに教育できようか。(誤解のないようにいいますが、立派な先生は数多くいらっしゃいます)
子供を教育するには、まずは教師の資質を上げること、意欲をもった教師を育てること、そしてわが子だけはという親を目覚めさせること。
「大枠にとどめ、実際に教える内容は自治体や学校の工夫に任せる」として今以上の学力低下や格差を生んだら何と説明するんでしょう、この新聞は。


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