はぐれ雲日記
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2006年04月01日(土) チャングムの誓い


チェゴサングンさまが失意のうちに亡くなりました。
雲の上・・・山頂から骨を粉にして撒くのですが
風にのり、朝鮮の山々、谷川、樹木のこずえを舞いあがり
渺茫としたまどかな悲壮感に満ちた、自然でおもむきのある風の弔いでした。
これも残されたものの感傷で故人は空(くう)に帰してただけかもしれませんが。
生前。チェゴサングンさまは「わたしは宮廷の中でしか暮らしたことがない。だから
死んだら外の世界をいろいろと見て回りたい。」と言っていたそうです。

ひさびさのチャングムの誓い。
今日は可愛く天然だけでない、凛とした精神力のあるイ・ヨンエさんを見て
涙がちょ、超あふれそうになりました。

本当に頭のいい人、実行力のある人と言うのは、チャングムのように
だれにでも理解できるように物事を説明できる人のことだと思っている。
頭が良くても人を説得できなければ意味が無いのではないだろうか。


2006年03月26日(日) 桜が咲くと思い出す

3年前。娘が夢と希望に満ちた?中学時代のことです。

卒業アルバムの写真撮影に当たって
びっくりするできごとが・・・・
以下は学校へ送付した手紙です。

学年主任ならびに担任、そのほかの先生方へ。

お仕事ご苦労様です。
一晩考えさせていただきました。
今回の”黒ヘア・スプレー”吹きつけはあきらかに「行き過ぎ」です。

娘はもともと生まれつき赤毛で、産毛(うぶげ)も金髪が現在でも生えてきています。

現在の自然な頭髪は、もともと茶に近い赤褐色なのです。ただでさえも「アイノコ」
と呼ばれましたが「愛の子」という意味ではありませんよ。ご承知おきを。

今回の写真撮影で、先生がたのご指示のとおり慎重にカラーを選択した結果
1番「自毛」に近い色を選んで染め直した次第です。

でも、さらに懐中電灯で照らしてむらがあるのでやり直せとのことでした。
それよりも、「学校側や先生方の好みに千歩譲った」
子どもをどうしてここぞとばかりに「評価」してくださらないのか・・・・。
あるがままではいけないのでしょうか。
こういう”たわみ”の無い全体主義が、子どもを閉塞的状況に追い込んでいるのか
ということすら考えてしまいます。

髪の毛が真っ黒なことが「ふさわしい中学生」の容姿であるなら
外国人転入生や、生まれつき極端に髪色が赤い、もしくは茶色に
生まれついた「個性」は中学生にふさわしくない。ということでしょうか?
学校全体のイメージであるアルバムという”公的”なアイテムには
平均的な児童しか掲載できないという発想を根本的に
考え直していただくべきだと思います。

とにかく娘に関しては生まれつき赤いということは
幼い頃から現在までの10数枚の写真で証明いたしました。
本来の髪色で無い「黒」をスプレーすることは
人権侵害に相当するといっても過言ではありません。

どうして、こどもの主体的な「行動」「大人への歩み寄り」
を認めてもれえないのか?
おかしい。おかしい。 あなたがたはファッショですよ。
実際高熱を発してるのにかかわらず椅子に坐らせるだけの
狼少年を連想させる保健室
10人が仮病だとしても11番目も仮病だとするのは大変危険ですよ。
客観的に、冷静に見極めてください。
まあ、そのほかにもいろいろありますが
今回は。「黒色スプレー」吹きかけに対してのみ厳重に抗議いたします。

学校側の慎重な対応をこころよりお願いいたします。



・・・いま考えると職員室で暴れてやれば良かった!!。
なんだかんだで中学校へは何度も足を運びました。
最近、私立中学へ4人に1人入るらしいけどいろいろと・・・親御さんは良い判断だと思う。

後日談。

翌日、校長、教頭、学年主任が我が家に来て
校長が玄関で土下座しました。
が、直接スプレーをかけた当事者は来なくて。

「他の茶髪に染めた生徒に対しての対応と
いっしょになってしまった、」と言い訳け。
子どもは校長先生でなく担任にあやまってもらいたかった。
と校長に言いました。
教育研究会で来られないが本人は痛く反省しているとのことだった。

翌日「○○○ごめんな。おれも時間がなくてイライラしてて」
とあやまったそうだ。
「悪いとわかってくれればそれでいい」

子どもはこれで済んだそうで一件落着。


2006年03月24日(金) 性犯罪は極刑で当然。

でもわたしは・・・心の底では許してやりたい気持ちもほんのわずかに存在します。
それは、わたしが「彼」「彼ら」のように「絶対」ならないとは断言できないから。
人間なんて弱いもの。惨いもの。暴走するもの。
脳に物理的な損傷や欠損がある場合もあるだろう。犬や猿に近い性質の持ち主も。
それらをふまえた上でも、でもやはり今回の事件は極刑が妥当だと思っています。

性犯罪は被害者女性の生涯を閉ざす犯罪です。
成人女性の被害者。子どものころに性的な被害にあった人は「自分は汚れた女だ」と
心を閉ざし、以後も恐怖や嫌悪にさいなまれながら生きなくてはならないと
思いがちです。自分には価値がないのではないか。汚れた体で生きていてもよいのか、
などと自分自身を傷つけながら生きるようになってしまいがちです。

被害者の尊厳を保つために裁判は有効です。民事であれ刑事であれ、裁判には
「加害者の行動が悪い」と社会が指摘し処罰するという意味があります。
被害者は犯罪者の罪が社会的に糾弾されることで「共感」「同苦」を得たと理解。
被害者の負担が軽減されたり、秩序や社会への信頼を序々に取り戻すことができるのだと
思います。

でもこれですべてが償われるかというと疑問です。
男性不信。自暴自棄。恐怖。自虐から精神的な障害が残ってしまう場合もあります。
精神的な死を招く性的暴力。

地位のある加害者の場合は、
「被害を訴えても周囲の人間は信じない」
「みんな自分の言うことを信じる」などと追求を逃げて被害者を絶望させる一方
警察では被害者に微細に「その時の状況」を微細に説明を求め長時間にわたって
状況説明を求めます。現場検証も同行して求められます。(当然ですが)
こちらの取調べがかなり苦痛だったという女性もいます。

密室で起こったことを証明するのは実に大変なことです。
性犯罪の裁判は、弱者である被害者側が、自分に落ち度がなかったことを
立証しなければならないシステムです。加害者ではなく、被害者が
「本当に抵抗したか」などと責められたりする場合もあるのです。
さらに、なかなか起訴してもらえません。事案の受理から捜査までもかなり時間がかかります。まあ最近は中学生くらいになると捜査は比較的早いようです。

被害者が自分への信頼感を取り戻し、再び人間(男性)を社会を信頼できるようになるまでには大変な年月がかかり精神的な障害から一生回復出来ない人もいるそうです。
「殺人」は肉体的な死を、しかしながら「性暴力」は精神的な死を招きます。

とくに幼児、小学生、思春期の少女のそれがそれが理解されていないような気がします。
山口母子殺人事件ですが母親を殺害後陵辱し、生後11ヵ月の赤ちゃんを残虐な殺し方
でその未来を断ってしまったこと。
遺族が「極刑」を望むのは当然ですが加害者に罪を償う気持ちがあれば・・・
赤ちゃんのお父さんは許してくれる努力をするでしょうか。


鈍角 |MAIL

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