はぐれ雲日記
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2006年05月24日(水) キューポラのある町

小学校のころ、川口にしばらく住んでいた。
キューポラの町。鉄錆びた町。ブリキの臭いがした。 すぐ裏は”坂下鉄工所”という町工場だった。
5、6人のあんちゃんが機械油で真っ黒になって朝から晩まで働いていた。
その中にターぼうという年のころ18、9のくらいのいつもとびきり上機嫌のあんちゃんがいて
仕事中、のべつまくなしに歌を歌いまくっていた。
別れの一本杉。 ごめんねチコちゃん。りんご村から。美しい十代。 達者でな。錆びたナイフ・・・。
ちょっと九ちゃんに似たにきび面で、よくもまあと思うほど次から次へと大声で歌いまくった。
夜になってハダカ電球が点っても、仕事に歌謡曲にしばしも休まず精出していた。
窓は全部開放されていたので学校帰りなど、遠くからでもその歌声は聴こえた。

「ひっさしぶりにい〜手をひいてぇ〜おやこでーあるけるうれしさにいぃぃーーー」
歌の途中で「ターぼう!」とだれが呼んでも知らんぷり。
「ここがここがあ〜二重橋ィー記念のしゃっしんを撮りましょうねえーーーーー!」
と最後まで”東京だよおっかさん”を歌いきらないと絶対返事はしない。
たとえ社長が来てなにか尋ねてもだ。
社長はしかたなく手をブラブラさせたりして、歌のキリの良いところが来るまで
キマリ悪そうな顔をしながらも、手持ち無沙汰でじっと待っている。

どんな寒い朝でも上機嫌で私たち子ども等には「おっはよー!」帰った時には「おかえりィッ!」
と声をかけてくれるので、ターぼうは近所でも人気者だった
土曜の午後など、鉄錆びた窓は子ども達が鈴なりに顔を連ねてターぼうの歌声に聞きほれた。
おかげで色んな歌を覚えることができた。
♪ABC〜XYZそれがおいらのくちぐせさあ〜 子ども達も加わりみんなで大合唱となるこの曲。
18番はフランク永井の”有楽町で会いましょう”  だが、ABCXYZなどと言う
そんな口癖ってあるんだろうか? いまになって思うと不思議ではある。

高度成長期、中卒が”金の卵”ともてはやされたころの話である。
石油ストーブの普及で、石炭を使うダルマストーブが急滅し、キューポラの火も消えた。
しばらくして坂下鉄工所も工場(こうば)を閉鎖。
ターぼうをはじめとするあんちゃん達は田舎へ帰ったり東京へ再就職したりして、みんないなくなってしまった。

いなくなってしばらく経ってからも、三丁目の垣根の角を曲がり、ぽっかり浮かぶ雲を見上げたりすると
ターぼうの歌声が風にのって聞こえてくるような気がした。

♪これこれ石の地蔵さ〜ん。西へ行くのはこっちかえ〜。だまっていてはわからなあい。
ターぼうの大好きな祐ちゃんもひばりちゃんも天国に召され 昭和も徐々に遠くなりつつある・・・。


2006年05月23日(火) 青葉繁れる

意思を継ぐ。 夢や野望を遂げられずに生涯を終える
人間の意思を誰かが引き継ぐという話は無条件に心を打たれる。
年とったせいかなあ・・・。
今日、ラジオで聞いたんだけど”戦国時代”にちなんだ曲をインターネットで
探してリクエストするという番組の中で(ちょっと変?)紹介されてた話。

関が原の合戦の時に、家康の子どもの秀忠は、戦いに遅れて来たという。
合戦に勝った後、家康は部下(家来?)の前で厳しく我が子を叱ったそうな。
しかし、のちに判明したことには、家康はわざと我が子を遅刻させたと言われている。
それは、戦に負けても秀忠が生き残り、意思を引き継がせる意図でそうしたそうな。

まったくたぬきおやじのやりそうなことではないか。
ずる賢くて、計算されつくした度胸があって、いつでも裏の裏まで読んでいる。
ほんとアッタマ来る〜。こういう奴って職場に一人はいるんだよなあ。反面、妙に感心したりして。
コネズミ総理は”徳川家康”読んだことあるのかな?
コータローはOYAJIの意思を継いで走るのかいな?プ。

ところで、戦国時代にちなんだ曲。難し過ぎ。平成ポンポコ合戦ではだめだろうし・・・。
旗本退屈男?古城@ミハシミチヤ?青葉繁れるはどんなもんだろー。

♪青葉繁れる櫻井の里の渡りの夕まぐれ。木の下蔭にとめて
世の行く末をつくづくと偲ぶよろいの袖の上に散るは涙か、はた露か。

まちがっているかもしれない。なにしろ幼いころ祖父に教わった歌だ。
楠正成が戦にでる時に我が子正行(まさつら)に後世を托した歌と聞く。
なんか・・・じ〜んときてしまう。 年とったせいか。

わたしがぜひ、子ども達に託したいもの・・・。

それは財産ではなく、借金の山である。

むひょ。


2006年05月22日(月) 逢いたくて逢いたくて

小学校高学年になっても、わたしはあいかわらずギャザースカートをたくし上げて
ゴム段をしたり石けりや缶ケリをして遊びに興じていた。
幼い弟たちと地面に水をぶちまけ、泥をこねて山を作ったりお団子をこさえたりしていた。
そんなある日、近所のシスターボーイのオサムちゃんがしゃなしゃなとピンクのラッパズボンで(!)
ドブ板を踏み鳴らしながら私たち3人の横を通り過ぎた。
通り過ぎざま、「アラアラおいしそーなおだんごあたちにもちょうだいな」とお愛想を振りまいた。
振りまいたのは良いがせっかくまんまるくできた団子を踏み潰して行った。

片っ方の耳にイヤホーン。イヤホーンの先には当時流行ったゲルマニウムラジオ。
それを手にもって電波の調整をするように上下させながら・・・
♪愛した人はあなただけ〜。わかっているのに・・・こっころの糸がむすべないふったりいは恋人ぉ〜
と高い調子で歌い出した。歌いながらご満悦の様子で、歩幅を調整しているのではないかと思うほど
ある地点に正確に到達した。・・・ そこには犬の糞。
わたしと双子の弟は坐ったまま泥だらけの顔であんぐりと口をあけてその様を見ていた。
正気にもどったオサムちゃんは「あっちゃあ〜!」と言いながらおんなもののサンダルをそこら中の雑草で
ぬぐい始めた。 わたしたちはまるで自分たちが悪いことをしたようにこそこそ泥遊びの片付けにかかった。

その後、園まりの”逢いたくて逢いたくて”を聞く毎に、色っぽい歌い方をする人だなあーと
感心しつつ、犬のふんのありかを教えなかった自分のあの意地の悪さは、泥団子をふんづけた仕返しか
女物のサンダルを履く男へのこらしめだったのかいまだによくわからない。

眠る時以外は恋する人のことを思っていた・・・。”逢いたくて逢いたくて・・・”
そんな恋心からとんと縁が無くなってはや四半世紀。(?)
でも、でも、今ではオサムちゃんを思い出すととても胸が痛むよ。
ペラペラピンクのラッパズボン。 まとまらないよな〜今日は。


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