はぐれ雲日記
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権利や幸福きらいな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい おっぺけぺ おっぺけぺ おっぺけぺっぽうぺっぽっぽ
現代で言えばラップ風に言葉を繰り出して、権力者や金持ちを皮肉る「オッペケペ節」。 川上音二郎が、後に代名詞となる歌の原形を始めたのは一八八六年。(明治十九) 二十二歳のころです。自らの獄中の見聞を披露したらしいセンセーショナルな題名に、 アナーキーな行動にひかれる芸人気質がのぞきます。 つるべ落としの帰り道。車内で「川上音二郎」を読み終えました。 ・・・ムフフ。 ラップって好きなの〜♪ こんなん作りましたヨン。 (=^db^=)
ジハードで死んだなら処女100人と暮らせるのぉ? 夢はふくらむキーポッポ 女性ならドーテイの美男子100人はべらせる? どーでもいいけどウザクネー? おっぺけぺっぽうぺっぽっぽう。
人殺しする原理主義 人殺してまでも民主主義 ミサイル放つイスラエル あれはテロとは言わないの? おっぺけぺっぽうぺっぽっぽう
小泉さんはかみさんがいないから神さんに会いに行くだけさ。 靖国参拝 責めないで〜。 おっぺけぺっぽうぺっぽっぽ
5回裏負けそうになると「ルール変えよーや」 大人のだだっこ だーれだ。 おっぺけぺっぽうぺっぽっぽう
ランボー怒りの脱出かい?あそ。よかったねえ。こっちはねえ。 貧乏怒りの脱出だ。おっぺけぺっぽうぺっぽっぽ。
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これは某掲示板に初書き込みのおっぺけぺーです。あのころそのころ。 沖縄大好き人間のわたしはときどき新宿、吉祥寺界隈 でオフ会をします。 どなん。残波の白をちょこっと。ひさびさの泡盛。おいしかったですねえ。
町外れにあった近所のパチンコ屋がさびれ、とりこわされてそのあと広い広いのっぺりした土地が残った。 最近、大型ダンプの出入りが激しくなってきたと思ったら、そこはすぐに広大な工事現場に変貌した。 今度はどうやら大きな日曜大工センターができるらしい。 ビデオショップとか食いもんやが希望だったが・・・。つまんないでやんの。 工事現場はチャパツの建設作業員や赤毛のアンのダンプの運ちゃんでいっぱいだ。 土を掘るのも運ぶのも全部機械を使っておこなっている。 土方、モッコ担ぎ、よいとまけ、あなっぽり作業は今や昔。 基礎工事、つまり穴掘り作業やくい打ちに相当する作業は機械がやってくれる。 昼食も”ドカベン”から鼻歌まじりでコンビニ弁当を買ってくる時代に。
♪今も聞こえるよいとまけの歌。 今も聞こえるあの子守唄。 工事現場の昼休み。 煙草ふかして目を閉じりゃ 聞こえてくるよ あの歌が 働くかあちゃんのあの歌が・・・ おっとちゃんのためなら ”えんやこーら” おっかちゃんのためなら ”えんやこーら”
記憶にまちがい無ければ・・・シスターボーイとよばれたころの三輪明宏の歌である。 よいとまけの意味は今も知らない。 工事現場から、いきなり三輪明宏のディ―プな世界へと入りこんでしまった。 オニムカシ・・・。30年前から、わたしはあたかもギズモからグレムリンへと?変容したが、 三輪氏はやっぱり魔女ならぬ、鬼女なんだろうか。 あのおどろおどろしさは三島由紀夫の恋人?親友?だったときとまったくまったく変わらず。 だけんど、なんたらゆーおーらのいずみとかゆーテレビ番組でトトロみたいんなOYAJIと連なって前世は遊女だとか外国の受難者 だったとかどんびゃくしょーだったとか十二単のおひめさまだとかゆーのんはやめておくんなまし〜。許してくれいこらえてくれい。 ん?過去がどーたらとかってだからどーした? 見えないものが見えるとかそのシトの生まれる前はなんたらとかそんなこと わかったってどーにもなるわけでもなし。 えと。
・・・・関東大震災の予言まだ〜〜っ!(爆
いまだ生を知らず いづくんぞ死を知らん。
これは、孔子に、弟子の顔回が「死ぬとはどういうことでしょうか?。」と尋ねたところ 孔子はカラカラと笑って「わたしがそんなこと知るもんか。 今こうして生きてるということがどういうことかすらわかってないのに・・・」 と応えたという、あまりにも有名なことばです。
森 敦著「月山」 のとびらの部分にこれが記されていました。 芥川賞受賞のこの本は本まるごと一冊曲にしてしまったということで当時話題になったものです。 電通のサラリーマンをしながらシンガーソングライターでもあった新井満さんが”組曲・月山”を作りました。
長く、庄内平野を転々としながらも 私はその裏ともいうべき肘折の渓谷に分け入るまで わたしはなぜ 月山が月の山と呼ばれるかを知りませんでした。
という書き出しで始まるこの小説は、森さんの葬儀でも、お経のかわりにこの組曲を流したそうです。 以上はマエフリ。
今日は森さんのお母様のことを書きたかった。 森さんは旧制高校から東大へ進んだのですが、途中で感ずるところがあったのか中退。 ラーメン屋の出前持ちになりました。 その時のお母さんの態度がステキでした。 「敦、偉い。 東大も大学だが、ラーメン屋も人生の立派な大学だ。」 と励ましたそうです。 これはとても・・・わたしなんか言えません。本当に。 流浪の小説家、森敦はこのようなおおらかなお母様のもと育まれました。
月山は鳥海山とともに山形に位置し、その姿は牛が寝そべっているように見えることから正式には 臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれています。 前日の”暗闇から牛”を無理やり引き出したようですね・・・。
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