はぐれ雲日記
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2006年06月04日(日) 夜勤明け。

今朝早く原発性肝臓癌のNさんという女性が息をひきとりました。
この二ヶ月は膨れ上がった腹部から腹水を週一回1500〜2000CC抜き取ること。
疼痛の緩和。を中心に治療を行ってきました。
発見されたときにはもう手遅れの状態で当院へ転院されてきました。
やはり皮膚の状態も良くなかったので二日おきに薄い重曹の微温等で体を清拭。
その後オリーブオイルで軽くマッサージ。
オムツのあたっている部分は汚れた都度ていねいに洗浄。二時間ごとの体位交換。
これは病棟の患者様全員に施行しておりますがターミナルケア病棟であるのにそのせいか
褥創のある患者様はひとりもおりません。

Nさんは60過ぎの方ですが元ジャーナリストの経験もあり女性でありながら大学を2つ出ておられて
とても元気が良く(お口が)最後まで意識清明、ほとんど苦しまずに亡くなられたのが救いでした。
気分が悪いときはわたしたちスタッフに「このちゃんころ!」「アオソコヒみたいな目をしやがって」
「○○看護師をソッコーで呼んでコイ!」
とか、なかなか日本語の語彙がたいへん豊富な患者様でした(苦笑)
亡くなる三日前には「挽きたてのコオヒイが飲みたい」「マンゴーを・・・」と希望され、なぜかご家族と疎遠な方なのでこちらで入手してお口に運びましたが二、三口で「おいしい。けどもういいや」と。
マーゲンチューブからは珈琲がそのまま流出しておりました。

ご家族より危篤時でも深夜や早朝には連絡しないでください。と言われていましたので
7時から連絡し続けたのですが連絡がとれず、ケースワーカーが引き継いで息子さんの携帯に
やっとつながりましたが「今日は行けません。でもいつ行けるかわかりません。」ということでした。

最近は老人社会で少子化がすすみそれぞれのお家で事情もあるでしょうが、こういうケースが
増えてきつつあります。
また、ご家族の経済状態によっては「入院代がかさんでしょうがないのにヨーグルトやプリンなど
嗜好品を食べるなんて贅沢じゃあないか。病衣も週二回も替える必要ない」とお叱りを受けたことも。

「ご事情はわかりました。でもあまり制限されたり必要なこともカットされますと人間としての最低の尊厳も保てない状態になりますので・・・。」
と説明してなんとかご家族にわかっていただいたことも。

夜勤明け。ちょいと足を引き摺り気味・・・。


2006年06月02日(金) ダ・ヴィンチ・コード。正直よくわかりまへん

キリスト伝説に関連した映画は必ずうさんくさいほど大反響がありますね。不思議。
メディアで、電車の吊り広告で、ネットであちこちそちこちで話題になり
盛り上がり、何だか観に行かなくては乗り遅れるような気になってしまいます。。
原作も読んでいないし映画も見に行く気は現在もこれからも無いデスが
ダイジェスト版みたいのをテレビ局で特集しているのを偶然観まして
家事に合間にチラチラッと。それから本は書店で片目で見させていただきました。
左目がものもらいになったみたいなんで。断片的にわかったことは

どうやらダ・ヴィンチ・コードとはレオナルドダ・ヴィンチの
絵画に隠された暗号であるということらしい。
本当のところイエスは妻子持ちだった。本来、キリスト教とゆーのは
女性を崇拝する宗教だったというノデス。それがローマ人によって
男尊女卑の思想に作り上げられた。そのあげくに
ジツハ王家の出身であったイエスの妻のマグダラのマリアは娼婦だったことにされてしまったそうです。

盗作されたと訴えている「聖なる血と聖杯」にはキリストとマグダラのマリアが結婚して子どもが生まれ、現代も血統が続いている事実をカトリック教会が隠そうとしていると書かれ。一方、ダ・ヴィンチ・コードも、バチカンがキリストに関する真実を偽り隠そとをしていると述べています。
ん?考えることなどだれでも似たり寄ったりだと思いますけどね!
13日の金曜日の意味も血なまぐさくてひたすらこわひ。

「イエスは自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは私たちが罪を離れ神との正しい関係に生きるようになるためです。」

ええっ。そ。そうだったンか。それにしても昨今は罪深い奴であふれている
ような気ィがいたしますが・・・。
どうでもええけどどうでも良くないこたぁ「マリア」が娼婦にされるちう
書き換えです。宗教屋。ストーリーメーカー。「宗教家」って、もともとうさんくさい職業じゃあないのかひら?

最後の晩餐では「この中に裏切り者がいる」「ええぇ〜っ」とどよめきの図。らしいけど。

「ではキリストを売った裏切り者は誰でしょう。」

先生が質問すると息子は

「ハイ。先生。僕ではありません」




2006年06月01日(木) マリリン・モンロー生誕80周年




長年のモンローのファンです。
いえ。ノーマ・ジーンの。と言ったほうがいいかしら。
やわらかくてあたたかくて、とてもやさしくてさびしんぼ。・・・でも野心家で・・・
そのくせ傷つきやすい女の子。
1926年6月1日、ロサンジェルスでマリリン・モンローが生まれて今年2006年は生誕80周年となります。


モンローの伝記は何冊か読みましたが、それらを読んだかぎりでは
自殺、睡眠薬過剰のために事故死説。ケネディ一家にからむ他殺説などありますが
いまはもう・・・。死んだ本当の原因はマリリンにしかわからないでしょう。わたしたちはそれぞれのマリリンへの思いで想像するしかないようです。
死後、見つかった手紙には「生涯で一番愛したあなたへ」とディマジオ宛てに(え?そうだったンか。)
書き記してあったそうです。

もちろんアーサーミラーも愛していたしロバートも・・・・。
いんや。実は本心は。いつわらざる心のうちは・・・・その。なんというか。まあ。・・・・こう言ってはなんだけど、ここだけの話・・・・・。
ああ、でももう、そんなことはどうでもよいのかもしれません。
はっきりしてるのは「マリリン・モンロー ノーリターン」という事実だけ。

上の画像は以前わたしがモンローのサイトを作っていたときのトップ画像です
伝記をじっくりまた読みましたが可哀相かわいそうででしばらく日記をUPできませんでした。
実の母が精神病院に入院。幼い頃の性的な虐待。「女優」として自立したかったのにこころならずセックスシンボルとなり
極度の緊張とトラウマと自責からで精神が不安定になり、追い込まれて恋愛や結婚にあがいたあげく、絶望と焦燥から最終的に命を落としたのでしょう。
主治医は救急車内で、なんと死体の心臓に(!)直接注射を打ちました。
(氏ね!悪魔)

1962年孤独と絶望の中で36歳で死んでいったマリリン。

そうそう。ケネデイ大統領の誕生日に「ハッピーバースデイ」を歌ったシーンは
後年言われたようにたしかにこの世ならぬ妖しさと美しさと正視できない色気に満ち満ちていました。
よろよろっとつまづきそうにマイクの場所までたどりついて、可愛らしく、はかなく、これ以上ないほどセクシーに全米に囁きかけた「バッピーバースデイ」の歌声はこの世ならぬものを感じさせるに充分な天女の声でした。

でも、あの独特の表情や歩き方は眠剤や安定剤に依存しきっていたせいではないかとも・・・・個人的には感じます。

本当は・・・・マリリンのあんな「THE END」は嫌いです。
天国からでもいいから電話ちょうだいな。
ひとこと言いたいことがあるんだもんよな〜。

チッキショーッ!





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