福島原発では黙々と事態と闘ってくれている人たちがいる 命を省みずに 自分たちの職務を遂行している その志に報いるような言葉を その勇気に感謝する言葉を 捜しても捜してもわたしは見つけることができない どの言葉も軽々しくて あなたがたの行動には値しない ただただ 祈る
今日、初めてあの地震以来外へ出た。 食事も簡素に。 冷蔵庫の中のもの 乾物 などと知恵を使って 結構食べられるのだ、買い物しなくても。 大根の煮物の残りの煮汁に玄米ごはんとねぎで雑炊にしたりとかさ。 仕事は現在自宅待機中。 電車が動かない。 シビアなニュースが流れる。 それでもみんなこの事態を乗りきろうとしている。 買い占めに走る人々がいる。 法律を作って取り締まろうと言う人もいる。 知人が言った。 ホームセンターで電池を買い占めている老人を見た彼は、いったいいくつまで生きるつもりだ…自分だけ生き延びればいいのか…と思ったと。 いやな傾向だ…買い占めはもちろんだけれど、戦時中の陸軍塀みたいにすぐ人をがめついやつだとか、非常時になんてやつだとか…そんな風に決めつけるのはよくない傾向だ。 人の行動にはその行動に至る文脈がある。 その老人は被災地に送ろうとしていたのかもしれない。 病人が家にいるのかもしれない。 せっかく生きながらえたのに憎み合ったら何もならない。 簡単に評価したり 決めつけてほしくない。 福島の方がこんなことをおっしゃっていた。 恐いのは放射能より「人の差別」だと。 あまたの命を犠牲にして 差別とか憎悪とか それは悲しいことだ。 だからと言って 買い占めはやめてほしい。 いわき市まで避難してきた老人七人が 停電し断水し、 食料もガソリンもなく 店舗はすべて閉まり 、孤立して 凍死している。報道してほしいとツイッターのつぶやきがあった。
2011年03月09日(水) |
やめられない止まらない |
またも冷たい風の一日。 電車で隣に乗り合わせたご婦人の二人連れ。 他愛のない会話だけれど穏やかに優しい言葉遣い。 座席の周囲に結界が張られたように清々しい空気が流れる。 六十代と七十代だろうか、わたしもその年齢にはこんな風に話せたらよいな。と思った。 サラリーマンの二人連れの会話も聞こえて来る。 内容はよくわからないのだけれど「ご多分に漏れず…」という言葉が何度も登場する。 1…2…3… 回数を数えていたけれどそれほど長くない会話に3回は多い。 彼らの職場では一帯何が誰がどんなことがご多分に漏れなくどういったことになっているんだろう? 選挙活動の募金を募る替わりにこれを買ってちょうだい…と労働組合の人がお菓子を持ってきた。 何だか押し売りのようだねとちょっと憤慨したけれどいくつかスナックを買った。 どこかの養護施設で作っているお菓子らしい。小さなサラダせんべいとミルクアーモンドという代物。 夕飯を終えてそれを頂きながら日記を書いているんだけれどミルクアーモンドはぴったりツボにはまりました。 やめられません。 また押し売りに来てほしい…我ながら現金な人間だとあきれるわけです。 *盛岡の君へ 揺れたね…こちらも長い時間揺れていました。おさまるかと思わせておきながら、またひときわ強く揺れたり… 冬眠中の蛇も蛙も驚いたべな…無事でなにより。
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