日々の泡

2011年03月25日(金) ぐっすり眠れるまで…

頑張ってください!と
ラジオのパーソナリティが被災地の人に声をかけている。
ありがとうございます…
ちょっとかたい声で被災者はお応えになっている。
 被災された方たちは極限まで張りつめて頑張れるだけ頑張っている。
もう頑張れないよね…
それ以上…
でも、待っててください。
みんな、募金して
物を送って
少しでも早くみんなが暖かく眠れるように そう願っています。
力を出して頑張るのは
暖かく眠れるところと
食べ物と
安心が揃ってから。
それまで
どうかこらえてください。
そんな関東のわたしたちも、
今、違った複数の困難の中にあります。
不安でいっぱいなのだけれど
被災地の人のことを考えると…などと自分の不安にブレーキをかけたり
ここが頑張らねば経済が回らないと無理矢理奮起したり…
実はとても疲れているのだと思うのです。
あれこれ迷いながら
それでも日本の人は真面目に生活していくのでしょう。
粛々と
二週間が経ちました。
それにしても
今年の三月はいつまでも寒い…



2011年03月21日(月) 総裁

雨。
春分の日。
どこかの総裁が
電話一本じゃねえ…とか
ビジョンも提示しないで…だの言って
国がひとつになって復興しよう!という機運に
水を差した!
あんたねえ…
総理から電話貰わなく立って
野党与党の壁を越えてぜひ何でも手伝わせてほしいって
自分から言ってくべきじゃないの?
いったい何様?
あ…総裁様?
そんなに水刺したきゃ
原発の上空から手ずから水を差しなさい!
被災地は
総裁より
惣菜が必要だっ!



2011年03月20日(日) 故郷の浜

わたしの生まれた町は
青森の太平洋側にある
波の腹が夕陽を巻き込んで漁り火の灯る夜がやって来る
浜辺には明治の頃の津波の記念碑が立っている
けれど
その記念碑の海側にも家は建っている
危険なのは承知の上だが
先祖代々ここに住んでいる
今さら動けない
それが田舎の人の暮らしだ
この地震で
その浜辺は津波に呑み込まれた
会ったことのない遠い親戚が
津波で亡くなった
苗字を聞いて
ああ あの筋の人だな…と
見当がつけられる
それが田舎の暮らしだ
その人は漁業で暮らしを営んでいた
地震の後
船が気になったのか
何かの仕掛けが気になったのか
彼は港へ出て行って
そのまま生きては帰らなかった
命あってのことなのに…と
人は思うかもしれない
わたしもそう思う
けれど
船を守り
仕掛けを確かめ
家族を養う
それが彼の暮らしだと
それが田舎の暮らしだと
そんな暮らしのおかげで
うまい魚が食える
今、わたしは都会と言える町の中にいて
まったくこの暮らしが
幾万の田舎の人のおかげなのだと
ただ呆然と
なんの甲斐性もなく
阿呆のように
悲しんでいる


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茉莉夏 [MAIL]