2011年06月10日(金) |
梅雨の晴れ間 旅の途中 |
木々の間から聞き慣れない鳥の声が聞こえてきた。 梅雨の晴れ間 金曜の朝の出勤時。 なかなかよいシチュエーション--つまり、わたしの心持ちが比較的軽やかであるという意味において その鳥の声はそのシチュエーションによく似合っていた。 トゥルルルルル きれいな音を長く引きずってその鳴き声は深緑の梢の間に響いていた。 聞き慣れないその鳴き声について鳥に詳しい友人に後で尋ねてみると、きっと渡りの途中で羽を休めていたのではないかとのことだった。 トゥルルルル… どこへわたる途中だったのか。 どうかよい旅であるように。 来年の夏が彼らにあるように。
職場の電気・施設の管理をしているセクションに鈴木さんという方がいらっしゃる。 業務は委託されているので業者から派遣でいらしてる方だ。 わたしの所属しているセクションのさまざまなものの転倒防止の装置を付けていただくようにお願いした。 以前は転倒防止の金具がしっかりボルトで固定されていたのだが、レイアウトを変えたり改築工事があったりでいつの間にか転倒防止の装置はぜーんぶ取り払われてしまっていた。 肝心な震災の時には文字通りの無防備な状態で、ああ…こんなものだよねえ…とため息をついたものだ。 で、その鈴木さんとおっしゃる方がセクションにやって来た。 設備にいらっしゃる方たちはリタイアされていてパートで働かれている人がほとんど。 鈴木さんも60代だと思われる。 けれど、その充分おじさんであって当然の鈴木さんは全くおじさんではないし、おじいさんでもない。 すらりと背が高く細身でらして、だからと言って生年とか少年というのでもない… では、鈴木さんはいったいどういうのかと言えばーーー 乙女。 乙女のオーラなのだ。 ゆっくりと密やかにお話になる。とてもとても優しい。 だからといって「おねえ」言葉ではない。 普通に話されているのだがとても静か。 几帳面に叮嚀に仕事をされる。 なんだか清らかな乙女に触れたような気持になった。 きっと鈴木さんの辞書には「やっつけ仕事」などと言う言葉はないことだろう。 おかげさまで安心して職場で働けます。 ありがとうございます、鈴木さん。
2011年06月07日(火) |
梅雨の晴れ間 エッセイのこと |
何だかわからないけれど気が付くと空を仰いでいる。 何がわかるわけでもないのに空を仰いでいる。 まるで故郷を懐かしむように空を仰いでいる。 なんだかわからないけど申し訳ないな…などと誰かに謝っている。 鳥に木にすみませんね…と謝っている。 生きているのが申し訳ないような気になる。 自分で自分が面倒なのだ。 海外で暮らした人たちのエッセイを読むのが好きだった。 アメリカ・ヨーロッパ・アジア 異国の街で暮らす人たちはその心持ちがデリケートになって ささやかな出来事を水彩画のような瑞々しさで描き出す。 人との触れあい、仮住まいでの慎ましいながらも選び抜いた暮らしの小物、たち、ふとしたきっかけで同居人となったペットたち… そして、その街の息づかい… そんな楽しいことが綴られているエッセイは本当に大好きなのだが… 最近、ふと気付いた。 読み終えたのち、ふとなんだか淋しい気分になることを。 なぜだろう? と考えたら、どうやらその理由は著者たちの帰国後の生活がどうしても外国生活を送っていたころより色あせて見えることにあるらしい。 外国で暮らされていたほうが楽しかったのでは?などと、海外生活のないわたしは思ってしまうのだ。 先週の読書はエッセイと短編小説。
ニューヨークのとけない魔法(文春文庫 お41−1) 著者 岡田 光世著 いちばんここに似合う人(CREST BOOKS) 著者 ミランダ・ジュライ著 岸本 佐知子訳 ブックデータよりー 水が一滴もない土地で、老人たちに洗面器で水泳を教えようとする娘を描いた「水泳チーム」など、孤独な魂たちが束の間放つ生の火花を鮮やかに写し取った全16作を収録。カンヌ映画祭新人賞受賞の女性映画監督による初短篇集。
とてもユニークな設定であるのに読み終えるとシンプルに胸に迫るものがありどきりとする。 どんな映画を作られる監督なのだろう…興味津々…
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