世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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夜、何か甘いものが食べたくなったけれど、なにもなかったのでリンゴを 焼いて食べることにした。
スライスしたリンゴをバターで焼いて、グラニュー糖をかける。 グラニュー糖は熱ですぐに溶けてしまう。 リンゴが柔らかくなるまで、目を離さずに弱火で焼く。
トーストしたマフィンの上にのせたら、大きさも形もちょうど良かった! さらに上から蜂蜜をかけて、出来上がり。
焼きリンゴ自体もおいしかったけれど、フライパンに出来たキャラメルが また美味! りんご果汁で煮詰めたキャラメル。 木杓子でこそげ取って、舐めました。
途中でしんどくなっていた「abさんご」を少し前に読み終わった。 最後の最後でやられちゃって、なんか感動して終わった、という予想外の 展開。
エピローグとも言うべきわずか十二行に、もっとも弱いところを直撃されて しまったという… 自分でも情けないのだけれど、致し方なし、という結果に。
この小説、私にとってしんどかったのはその文体ではなくテーマ。あるいは 主人公の生き方。あるいは主人公が延々と胸の中に抱え続けてきたもの。 その、救いのなさ。
文藝春秋に載った賞の選評でもっともにべもなかったのが山田詠美ので、 もしかしたら主人公の主張もなにもない、ただされるがままの生き方が理解 できなかったのではないか。 つまり「どこに読むべきものがあるのか?!」と思ったのかもしれない。
難解といわれる文体は、むしろ好きだった。もっと悪い意味で難解な文体は たくさんあるし、abさんごの場合は純粋に文学的で、きれいなものだと 個人的には感じたな。
ところで、タイトルの「abさんご」だけれど、abが選択肢(aかbか) を表しているのは、作品を読めばおのずとわかる。 ならば「さんご」は珊瑚で、無数の選択肢を持った人生の全体像を珊瑚樹に たとえたのではないだろうか。
とうことは、さんごは枝珊瑚でなければならず、テーブル珊瑚では成立しな いということになりますが。どうかな?
↑手持ちのサンゴにはあまりいいのがなかった…
2013年02月11日(月) |
デ・シーカの「昨日・今日・明日」 |
引き続きケーブルテレビから録画した映画鑑賞。 今回はイタリア。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「昨日・今日・明日」。 これはもう、飲めや歌え、唄えや踊れの大傑作!
三話からなるオムニバスで、主演はいずれもマルチェロ・マストロヤンニと ソフィア・ローレンのふたり。 第一話の女主人公の生命力、魅力については長らく噂に聞かされておりまし たが、いやはや、噂以上の素晴らしさ。
第三話のローレンも、一話に比肩する美しさ、バイタリティ、愛すべきキャ ラクターで、「このひと本当に大女優だったんだわ!」と唸らされました。 コメディエンヌとしての才能も素晴らしいものがあったのですね。
そして彼女を引き立てる、ご存じ二枚目にして三枚目のセニョールといえば この人。マストロヤンニ!! いまだに「黒い瞳」「みんな元気」等、後期に主演した傑作映画を思いだす と、まっこと惜しい俳優さんを亡くしたと思う私なのですが、この映画を観 てまたまたその思いを強くしました。
とにかく「トホホなハンサム」を演じたらこの人の右に出る人はいません。 最近だとジョージ・クルーニーが似た雰囲気を持っているけれど…いずれに しても、時代は、もうマストロヤンニ的な生き方を許さないでしょうね。 若いころのマストロヤンニ、もうひとり凄く似ている人がいる、誰だろうと 思ったら、セイン・カミュさんでした(ほんとにクリソツよ!)。
ルイ・マルにしろデ・シーカにしろ、傑作過ぎて観終わった映画を消去する 決心がつかない。困っております。
2013年02月10日(日) |
ルイ・マルの「好奇心」 |
昨年末からケーブルテレビの映画チャンネルでルイ・マル特集をやっていた。 「さよなら子供たち」「鬼火」と観て、実に単純に良い映画だなー、と、 そう思ったのだった。SFXや3Dの影すらみえなかった時代の映画。
「鬼火」では「フランス人にはついていけないわ」と思わなくもなかった けれど、チョイ役のジャンヌ・モローを観て、やっぱり他の女優さんとは 違う!と再認識したりもしました。
今回は、録画したきりになっていた「好奇心」をやっと観たのだけど とにかく、初っ端からチャーリー・パーカーの音楽が格好良くって参って しまった。ルイ・マルといえば「死刑台のエレベーター」のマイルスが有名 だけど、「好奇心」侮るべからず!ですよ。
主人公の男の子はジャズが好きで、冒頭、チャーリー・パーカーのレコード を万引きする。この子は二人のお兄ちゃんに子供扱いされて頭が上がらない のだけれど、音楽の趣味はなかなか良い、ナイーヴな男の子なのだ。
それにしても男の子ばかりの三人兄弟、生意気で乱暴で、男子ってどうして あんなにお馬鹿なの!とあきれかえるのだけれど、この家のお母さんが イタリア系のちょっと色っぽくって、私からみても可愛らしい女の人ときて いる。この可愛らしさって、彼女の正直さからきているものですごく好感が 持てるのですが…(続きは映画をご覧になってね)
この映画の白眉は、あのラストシーンではないかしら。 一種のハッピーエンドではあるのだけど、わざとらしくなくて、私は大好き だった。なるほど、こういうものかもね!とニンマリしてしまった。 忘れっぽくなった私が、繰り返し「エガッタなー」と思い出す、佳作でござ いました。
(HDDにはあと「五月のミル」が入っている。気の向いたときにゆっくり 楽しむとしよう)
以前クーポンサイトで見かけて買っておいた、日帰り温泉の割引券。 世田谷に湧く黒湯の天然温泉だそうだが、そろそろ出かけないと使用期限が 近い。地図で場所を確認して自転車で出かけてみたら、なんと15分ほどで 着いてしまった。
うわーお。天然温泉まで15ふーん!
先日、後頭神経痛で医者にかかったばかり。神経痛に温泉て、合いすぎてて おかしいてか、その前に、まんまおばあちゃんじゃーん!なんですけど。
施設もきれいだし、露天もあるし、サウナも清潔でアッツアツで、さらに もうひとつ塩サウナっていうのもあるし。 露天風呂に浸かっているとき、環八からクルマの音が(山鳴りの如く) 聞こえてくるのは、ま、御愛嬌というところですか。
次回半額チケットもらったから、寒い間はちょくちょく行こうっと。
温泉行く途中に大きな園芸店がある。 素通りできずにムスカリ購入。水仙買ったらムスカリもないと、ね。
ずっと本を読まない、買わない生活だったけれど、久しぶりに書店で本を 買った。 黒田夏子「abさんご」と、吉田健一「思い出すままに」。
「abさんご」は受賞報道のなかで紹介される内容がとても興味深くて。 だって、ガチなんだもん。こんなガッチガチの純文学めずらしいよ。
「abさんご」には初期短編、三篇が併録されていて、これらはいずれも タミエという名前の少女が主人公の連作。 ところが、このタミエが可愛くないのよ。少なくとも私は好きになれない。 書かれたキャラクター云々じゃなくて、自分の嫌いなところを見せられて いるような気がして。
で、そういう気持ちにさせられること自体が、作者の力の証明みたいなもの だとは思うのだけど、いかんせん読んでいて楽しくないの。 感心はしても、こころは躍らない。うーーーん。
そしてその「うーーーん」という感じが「abさんご」を読んでいても 付き纏うのですね、困ったことに。 文体の玲瓏さに対して書かれている内容がちと恨みがましいんじゃないのか、 みたいな。読んでいてつらくなるんだな。心がふくらまないのだ。 まだ半分くらい残っているから、最後まで読まないと断言はできないのだけ れど…
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吉田健一の方は講談社文芸文庫の復刊(生誕百年だそうだ)五冊のうちの 一冊。
字面を眺めただけで紛れもない吉田健一ぶりに安心感を抱くのだが、 さりとて、スラスラ読み進められるわけもなく。 ましてやしばらく読書から遠ざかっていて初心者返りしている身では一頁を 二度も三度も読みながら、いつの間にやら座席で居眠り、という体たらくで ある。
まあ、上等でしょう。居眠りも「吉田健一」なら。
2013年01月30日(水) |
BSばっかりみている |
BSの海外旅行番組ばかり観ている。 お気に入りは世界路地裏紀行と、世界温泉遺産。 観光名所なんか撮ってきてももう誰も喜ばないので、路地裏を攻めるわけだ。 で、それにまんまとはまってしまった。
それでは、パリやローマのことはもういいのかというと、 それはそれで、丁寧な取材でみせる番組がちゃんとあるのだ。 パリは一区ずつ、旅行案内にもまったく載らない「生活の場」としての 魅力を伝える面白い番組があるし、パリ+土地猫、ローマ+土地猫という 卑怯なまでの黄金のカップリングで迫る番組もある。
そんなこんなで、ますます、ひきこもる一方のわたくし…
これは、パリ17区(だったかな?)に住む画家の女性の絵。 孫娘もその母親(若くして亡くなった娘)も三代続けて画家だそうだ。
最近はカビの変化に夢中だそうで、庭の梨の変化を描いたもの。 彼女曰く「果物の第二の人生よ」。
↑中庭で刻々変化していく果物や野菜。 その中庭、植物の繁茂するとっても素敵な場所で、忘れられなくなってし まったのでありました。
雪が降ってから三日くらい経ってからの画像。 ベランダからみた前のアパートの外階段の屋根からずり落ちそうになって いる、溶け残った雪。ずるり〜ん。
降った日の夜、外から帰ってきて驚いたのは、住んでいるアパート前の道路、 誰もまったく雪掻きしていなくて、みごとにそのまま雪が積もっていたこと。 駅からずっと歩いて来る間、こんなに手付かずで雪がこんもり積もってるの うちの前の道だけだったよ(泣)。
しかも門扉の脇には、高さ50センチくらいの雪だるまが作ってあった。 いいけどさ、作っても。作ったあとで、ちょっと歩くところだけでも雪を どけておこうとか思わなかったかね、えっ、おい!
仕方がないのでプラスチックの塵取りで、外階段と、前の道へ出るまでの道 の雪かきしました。もー、腰痛いわ。
たしかにこの近所、比較的大きな二階家が空家になっていたり、高齢の女性が ひとりで住んでいたりということが、あることはあるけれども。 だったら若者と言わず、中年だって、少しは頑張ってそういう人たちの不便 も考えて、雪どけたらいいのに。ね!
…これまで微笑ましいとしか思ったことのない雪だるまをみて、にゃろめー なんでじゃーと怒ってしまった、というお話でした。 にんげんちっさくてごめんにゃ。
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