舌の色はピンク
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2024年12月14日(土) ワンオペ、似た状況のお母さん、一家邂逅、疲れすぎて寝落ち

早朝の間はわりと眠れた。
気が付くと6時、またひと眠りして7時という具合で、
赤子が寝ていてくれたからこちらも眠れたというわけだ。
おかげで体の不調子はそう感じない。
ほとんど眠気なく朝を迎えられてたすかった。
妻とこの二日間を振り返りつつ出支度。
荷物をまとめていき、最後にオムツを変えるなどして8時に病院を出た。
冬の朝のさわやかさを吸い込んで、しかし浸る間もなく自宅へ。
帰宅してすぐ娘が飛びついてきて、受け流しながら義母から引継ぎを受ける。
昨晩もイイコしていたようで助かった。

今朝は保育園準備もないし、義母が去った後はそう忙しくもない。
ただとりあえず洗濯はしなければならない。
そして娘の着替え。
着替えだけならまだしも、保湿、そしてオムツ替えは必須だから、
またあの手この手で交渉を試みた。
が、だめ。
結局9時半あたりになってなお応じてくれないから、なかば無理やり服を脱がせ、
泣かれながらに着替えさせた。
アンパンマンを見せたりみかんゼリーを食べさせたりしてご機嫌をちょっとでも直してもらい、
それからスーパーへ。
スーパーでは機嫌よくお買い物。やはり、スーパー大好きっこちゃんだ。
帰宅してから昼飯準備。
娘の好きな鮭にした。よく食べてくれた。
食後は機嫌持ち直してくれたし、大宮体育館へ誘うと、歩いて行くといって自ら先導してくれた。
屋上に行きたがったので付き合い、独り占めで楽しそうだったがあまり外で長居はしたくない。
陽射しも心地よく寒いというほどではなかったものの、いま風邪を引いたり引かれたりするわけにはいかない。
中に入ろうか、とやんわり誘うと応じてくれた。
本館の方で小規模なクリスマスイベントがあったからやってみた。
2歳児には難しいかとも思われる、サンタを探せのクイズ。
イベントスペースにちょっとずつ配置されたサンタの絵を9人分探すのだが、
ほとんどやらせでクリアしてもらった。
商品などはないが、星マークにメッセージを描いて靴下に投函できるということで、
線をへにゃへにゃ書きなぐったメッセージを入れさせてもらった。
あとツリーの前で写真を撮れた。

キッズスペースははじめは誰もいなかったが、10分ほどすると母娘が現れた。
娘よりちょっと上に見える女児はひたすら元気に走り続けていた。
ダッシュ、ダッシュ、ダッシュの連続。それで笑いまくっている。
こちらにも笑顔を向けてくれるので、元気だね、走るの早いね、と声掛けすると嬉しそうだった。
娘もこの子の動きをちょっと真似るような遊びをし出したので、
楽しそうですねとお母さんの方に話しかけてみると乗ってくれたからすこしお話した。
子どもは3歳半で、ひっきりなしに体を動かして元気を有り余らせているらしい。
帝王切開で産み、いま5カ月で次も帝王切開というから、こちらと事情は同じだ。
それもアトピー持ちで、娘さんにもステロイドを塗っているんだとか。同じだ。
ただ旦那さんの方が仕事忙しすぎでろくに育児できておらず、
僕が娘の面倒を見ていたり家事をしたりしていると知って、うらやましいとぼやいていた。
娘たちはずっと追いかけっこのようなことをしていて、
僕もたまにちょろっとだけ参加した。
だが昨日頭を打った影響でか頭痛がする。
あまり無理はしないようにしようと、最低限の構いかたで済ませた。
それでも十分楽しんでくれていた。
それで14時を前においとまするつもりが長くなった。
さらに15分ほど遊ばせてから、二人にバイバイさせて施設を後に。
いやあよかった、思いきり体動かさせて疲れさせたし娘もご機嫌だ、
あとはもう帰るだけ…という家の10m前で、娘は手に持っていたどんぐりを落としてしまった。
それもマンホールの穴の中に。
でぶちぎれ。
でもどうにもならない。
抱っこしてちょっと落ち着かせたが、門扉を自分で開けたかったようでまたぶちぎれ。
家にも入らないと大泣き。
近所迷惑になるし、体も冷えてしまう。
無理やり家の中に入れてまたぶちぎれ。
もうお昼寝どころではない…
またアンパンマン見せたりみかんゼリー食べさせたりしてご機嫌を直してもらう。
オムツも替えなければならない。
そんなこんなで大変でしかたなかったが15時半近くには疲れ果てて寝てくれた。
1時間くらいは寝てくれるだろうと、僕もちょっと休んだ。
で気付いてみると16時20分。がっつり寝てしまっていた。
娘はまだまどろんでいた。
だが妻への面会時間が迫っている。
娘を起こして、またぶちぎれられながらもせっせと支度して自転車に乗せた。
お母ちゃんに会う、ということ自体には乗り気らしい。

16時半過ぎに病院に着き、大人しめに中にも入ってくれた。
妻のいる個室に入室してみると、まだ大人しい。
というか機嫌が悪い…
僕もへとへとで余裕がなかった。
妻は妻で、眠れなさから余裕がなく、かなり入念に計画立てていたのに散々な面会となってしまった。
それでも娘に会えてうれしそうな妻と、弟の頭を撫でてやる娘という光景は目にできてよかった。
長くいると全員の負担になりそうだったから17時を前に退散。
自転車に乗せるなり、お母ちゃんに会えてよかった、弟にも会えた、
というような声をあげてきて驚いた。
とはいえ不安定だ。
ちっちゃいスーパー行こう、と誘ってマルエツプチに寄り、ちょっと機嫌直してもらって帰宅。
アンパンマン見たがる。
風呂に入る時間が迫っていたからまた交渉。
が、だめ。
ここでもまた、結局無理やり服を脱がせて入れた。
大泣き。
シャワーもろくにできず。
湯舟に入れてみるとちょっと持ち直して、あやしたら笑ってくれたから
もう一度シャワー浴びようかと持ち掛けるとここでは従ってくれて、改めて体を洗った。
入浴後の保湿着替えは、Youtubeのアンパンマン手遊び歌を見せながらなら応じてくれた。
疲れ…ながらも夕飯調理。
かねてから計画していたカツ丼にした。
娘にも食べさせるつもりで肉には入念に火を通した。
そのために肉の柔らかみは失われてしまった。残念。
食後はようやく楽しそうに振る舞ってくれて、一人遊びに興じてくれた。
その間に家事雑事。
妻とテレビ電話もした。
で絵本読み。
寝る前の時間はおだやかで本当に良かった。

20時半に寝室へ向かい、寝かしつけ。
…で、僕は深く眠ってしまった。
気が付くと1時だった。本当に驚いた。
めちゃくちゃ疲れていたようだ。
妻からは繰り返し電話とLINEが入っていた。
電話してみると半泣きの声。
心配でたまらなかったらしい。そりゃあそうだ。悪いことをした。
恨み言を聞きつつ明日の予定などを話した。
また、義父へのメッセージを受け取ったからその話もした。

へんな眠り方をしてしまったから何時に寝たらいいのかもよくわからず、
だらだら原神したりして過ごした。
眠りのおかげか頭痛はほとんど収まっていた。
体のだるさはあったので掃除は不十分なまま、3時ごろに寝室行って就寝。


2024年12月13日(金) 個室でお世話、流血、赤子にミルクをやる多幸感

2時以降は、息子は20分おきくらいに泣いて起きてを繰り返していた。ちょくちょく添い乳を試し、その都度僕は介助。体勢が安定せず、なかなか疲れる。
うたた寝は15分程度を数回できた。朝までに、トータル3時間くらいは寝れたろうか。
妻は腹の痛み以外は経過良好のようで、水分補給もゼリー飲料もしっかりとれていた。
新生児が羊水を吐くという話を助産師さんから聞かされていて、産まれた時間の12時間後となる午前2時から3時はとくに警戒していたが、結局吐かず。
まあまあ飲んだしまあまあ寝たし、十分いい子だった。

8時まで面倒を見て、帰宅。
義母から娘の面倒を引き継ぎ。
本当にいい子していたらしい。義弟の出番はなかったそうだ。
洗い物やお片付けも義母が気を利かせてくれたようで、最低限しかない。助かる。
娘はひたすらアンパンマンを求めるマシーンになってしまったが…
とりあえず保育園登園を目指して着替え保湿。
だがちっとも応じてくれない。
あらゆる手立てを尽くしてもだめ。
義母は9時を前においとま。
僕は娘を抱きかかえ、オムツをアンパンマンの顔に見立てて、
新しいオムツよー元気100倍!
と言って飛び上がる遊びをしてみていた。
大ウケだったのだが、何回目かで思い切り頭頂部を天井…というか天井の低い部分にぶつけてしまい、
くらくらとした。
まもなく流血して焦った。
額から垂れた血が鼻の頭で二つに割れてしたたる。
とっさにタオルで抑え、血の滲みを確認。
頭部は流血しやすい。それでこの量なら大事には至るまいと判断。
とはいえ血はしたたり続けるし、患部は痛い。
娘は空気が読めるので、立ち尽くして大人しくしていた。
僕は簡単な計算ができること、流血がましになったことを確認して、
一方でこれは利用できるとも思い、うずくまって、
お父ちゃん無理そうだ、一人で着替えてもらえるかな、
と娘にお願いしてみた。
「オムツと着替え持って来てくれる?」
「うん!」
といい、嘘みたいに素直に従ってくれた。
難なく着替えはクリア。
頭は痛んだが、保育園に連れていくのは問題ないと判断して、のろのろ準備して玄関へ。
娘は自転車に乗るなり、スーパーは?と繰り返し、

保育園に向かっていることを察すると大いにぐずりだした。
だが着いてみると大きな抵抗はせず、階段も自力で昇り、
無事に預かってもらえた。
僕は園を出てからすぐに検索をかけた。
頭部の打撲は諸症状が出たらすぐ病院へとのことだ。
痛みはあるがふらついてもない、めまいや寒気もない。
6時間症状なければまず大丈夫だろう。
スーパーで買い物して、帰宅後は最低限の雑事して、洗濯物干して、それから昼飯。
パック寿司。美味い。
茶がないので白湯を飲んだ。
普段ならこっから残った家事やらをするところ、
今日は休んだ方が良さそうだと思い、
ホットカーペットの上で寝れる体制整えて寝た。
2時間くらいは眠れたろうか。
具合はなかなかいい。
予定通りシチューを作った。
煮込み時間の間に荷物整理や洗濯物取り込みなどを進めていった。
風呂の準備も済ませ、15時40分に家を出て保育園へ。
娘はおやつを食べ終わるところで、パパ、パパ、と駆け寄って来た。
教室を出た途端に、お父ちゃんお父ちゃんと甘えた声。
パパというのはあれ、他の子達のを真似てるのだなきっと。
嬉々として自転車に乗り込み、なおもスーパー行きをねだる。
じゃあ小さいスーパー行こう、と提案してプチマルエツへ。
これなら数分のロスで済む。
妻用の板チョコだけ買って退散。
娘もそれで満足してくれた。

帰宅してすぐ風呂行きとしたかったがまずスティックパンをねだられ、
次はアンパンマンを見たいという。
時間に余裕もたせてはいたから一旦見せて、
その後は僕自身がズボンを足首まで下げて
ペンギン歩きで浴室まで向かって見せると真似てくれた。
シャワーは大人しく浴びてくれたものの、湯船に入れる時間はなく、
しかし昨日と違って湯船を満たしてはいたから、
娘が入りたがってしまい説得もききいれてもらえず。
ちょっとだけね、と浸からせると30秒で納得してくれた。えらい。
保湿着替えをばたばたとしているうちに義母が来宅。
引き継ぎをして、娘に挨拶。
今日もまた大泣き。
それを振り切って玄関へ。
居間の気配からすると、1分少々で落ち着かせてくれたようだ。
義母に感謝しつつ出発。

17時前に産婦人科に着き、2階に上がってみるとちょうど妻が点滴スタンドを杖代わりに廊下をヒイヒイ歩いていた。
ものすごくくたびれていたが、歩けているのは素晴らしい。
部屋に入って荷物整理していると助産師さんが現れ、妻に話かけつつ、ちょうど息子が起き出したから授乳をしてみることに。
奇しくもここで病院食が運ばれて来た。
全粥と白菜やカボチャの煮物。
地味だが美味しそうだ。
飢えまくってる妻は見るからに食べたがっていたが授乳を優先。
僕は助産師さんからミルク作りを教わった。
久しぶりとはいえさすがに覚えてはいた。
あげてみると懐かしい多幸感。
赤子と擬似的にひとつになれたような感覚。
げっぷだしでさらなり。
満足度高かった。
助産師がいうには、今夜は昨夜とはまるで違う、赤子は30分眠り続けたらラッキーと思え、
とにかく泣くし、泣いたら飲ませろ…と脅された。
しばらくはやるべきことに追われた。
義父へのLINEも送った。
近況を知った妻が「怒って」いるから子供の写真も送れないと。

やることは多く、なかなかまとまった時間は取れなかったが、
脅されたほどには大変ではなく、小刻みにすこし眠れもした。
妻もノーマーク爆牌党を読み進めていた。
僕は夕飯には、昨日の深夜にもこっそり食べた和風弁当を食べた。
9マスあって400円。しかも美味い。
駅弁なら1200円はとるところだ。
赤子は朝だか昼に沐浴されて胎脂が落ち、きれいになっていた。
もう娘ともそんなに似ていない。
眼光のするどさがすばらしい。
目がパッチリしていてなかなかいい顔つきだ。
0時を過ぎてからは眠気と歯の痛み、わずかだが残っている頭痛で、なかなか大変だった。
さいわい妻の調子が悪くなく、サポートは最低限で済んでいた。
夜の間はとくに何ができるわけでもなく、まどろんだり雑談したり赤子の顔見たりの繰り返し。

翌日へ。


2024年12月12日(木) 第二子の出産

5時起床。晴れ。
せっかくこの時間に起きたのだから、寝ている娘に着替え保湿してしまおうと試みた。
これが大失敗。
ズボンを脱がした時点で泣かれてしまった。
抱っこして落ち着かせたが、30分ほどかけてゆっくりと、足にだけは保湿クリームを塗っていった。
抱っこは1時間近くした。
全然泣き止まないので仕方なく居間へ。
抱っこしたまましばらく過ごし、6時半過ぎにそのまま朝飯準備へ。
飯はよく食べてくれた。
朝が早かっただけあって、着替え以外は進んでいった。
ゴミ出し行こうかと誘うと行くという。
その流れに乗じて着替えを果たし、ひと通りの朝支度を済ませてやれた。
妻は今朝はもう朝食がとれない。
しばらく面倒みれないからと、娘の髪を丹念に編んでやっていた。
8時15分に家を出て登園。
30分を前に帰宅できて、懸念であった朝をクリアできた感があり高揚した。

準備整えて40分過ぎに妻と家を出た。大荷物。とはいえ10分程度で産院には着く。
まだ実感はとぼしいながら、ようやくこの日、ここまで辿り着けたと思うと感慨深かった。

9時に受付後、2階の個室へ。
荷物を開けていって、妻は尿検査やら血圧検査を。
さらに点滴のために注射。これが太い針だったようで、痛みに喘いでいた。
助産師さんは動きも語りも迅速でしごてきっぽいお姉さん。
妻を任せられる安心感があった。
僕は自転車で一時帰宅へ。
OKに寄って飲食物を買い、家では義母のために娘用の飯を整えていった。
自分の昼飯は味噌ラーメン。具沢山で美味しい。
片付けを進めているうちに義母が来宅。
図書館で借りた紙芝居だけ置きに来たらしい。
5分もせず去っていき、僕の方もそれから掃除機がけやらを済ませて病院に戻った。

予定通り12時に戻って、妻は相変わらず待機中。
逆転検事をクリアするのだと意気込んでいたものの、結局寝てしまったらしい。
着圧タイツを必死こいて履かせ、雑談しつつ手術の開始を待ち、
13時を前に手術時間の遅延を告げられた。
お産が入ったらしい。仕方のないことだ。
妻はもう早く腹切るなら切ってくれという構え。

僕の方もなんだかドキドキしてしまって落ちつかなかった。

遅延は長引かず、13時半に手術室の方へ案内された。
さっそくカーテンで仕切られ、廊下で待つ僕には中の様子は伺えない。
二つのお守りを握りしめてただ待っていた。
血圧低下の影響のせいか妻は吐き気を訴え、かなり気持ち悪そうにしていた。

14時に手術開始。
緊張感に呑まれつつ、妻の要請に従ってところどころ写真に収めたり、動画を撮って見守った。
10分後、赤子が取り上げられた。
まずは無事に出てきたことに安堵と感激。
呻きまくっていた妻は、子どもの顔を見せてもらって泣いていた。
次いで、僕も涙ぐんでしまった。
まだ安心はできない。新生児には心配がつきないし、妻の手術も終わっていない。
数分して、とりあえず赤ちゃんは元気なこと、
心臓に雑音も聞こえないことが知らされた。
14時9分産まれ、3010g。
助産師さんに子どもを渡され抱き抱える。
今時点で目に見える障害もなさそうだ。
よかったと感じ入る。
30分ほどして、妻の方の手術も終わった。
ようやく安堵できた。
お疲れさまと声をかけた。
妻にも息子の顔をよく見せた。
娘と似ている、と笑った。
娘そっくりなのだ。
新生児にしては顔もできあがっているし、髪もよく生えている。
目は切れ長で、ちょっと大きめの鼻と小さなおちょぼ口。
胎脂で白んでいる容貌につきこれから印象は変わるものと思われるが、第一印象は娘がまた出てきただった。

添い寝と添い乳は、妻の方は痛みで大変そうだったが、息子は吸い付きがよく、上手だった。
子宮収縮とやらで腹はかなり痛むらしく、添い乳も長くは続けられず。
痛み止めの追加を要求していた。
僕は写真動画をひととおり撮って、妻の要望であった胎盤も写真に収めた。
助産師さんの計らいで、妻は胎盤を触らせてもらってもいた。
食べれると言っていて笑った。
僕は義母に連絡をとって、無事の出産と保育園お迎えについてのオーダーをした。
分娩台からはしばらく動けない。術後2時間はこのままということだった。
息子を抱きかかえながらしばらく過ごし、15時45分ごろに義母と娘が来院。
僕は待ち合いで出迎え。娘は見るからに固かった。
義母が言うには、保育園お迎えがちょうどお昼寝明けで、随分ぐずられたらしい。
院内では機嫌悪そうでもなかったが良くもなく、全体的に反応が薄い。
分娩台で妻の顔を見ても同じだった。
初めて見る弟に対しても何の反応も向けない。
ちょっとあやしてみたら笑顔を見せたからそれでよしとして、妻とタッチさせ、僕と娘は退散。
自転車に乗せる前に、弟会えた?と聞くと、会えた!という。
お姉ちゃんになったね、といえば、なった!という。
それだけで十分だ。

16時過ぎに娘と一時帰宅。
バナナバナナと言っていたが実際に食べたがったのはアンパンマンパン。
さらにアンパンマン見せろと要求。
パンだけ食べさせて、凍らせたアンパンマンミニフィギュアを餌に風呂へ。
入れさせるまでは苦労したが、シャワーは順当に浴びてくれたし、出るのも素直だった。
オムツいっちょでアンパンマンを視聴したがったのを承知して、見せながら保湿着替え。
僕も服を着て、予定通り16時45分に義母が来宅。
最低限の引き継ぎだけして、僕は娘に行ってきますの挨拶。
今夜はお父ちゃんもお母ちゃんもいないのだと言い聞かせる。
娘はちゃんと言うことを理解しているようで、大泣き。
絶対やだ、という態度が顕著だったが、祖母が宥めを引き受けてくれて、僕はまもく家を出た。

17時前に病院に戻ってみると、妻は個室に移動したところだった。
今は痛み止めが効いてきてましなのだと言っていた。

息子も移動ベッドに乗せられてやって来た。
こっからは妻と雑談しつつ各方面に報告。
僕は会社に電話もいれた。
友人諸兄からの温かい反応はありがたい。
とはいえ、第一子に比べればやはり、メッセージなどは多くなかった。
妻とはのんびりとした時間を過ごせた。
こんな風にやることに追われず、ゆったりと時間過ごせるのは久しぶりだねえと感じ入った。
が、痛み止めが切れてくるたびに妻は痛い痛いと繰り返す。
そういうものだと割り切って、僕は必要以上に心配しないことにした。
18時くらいに僕は買って来たビビン丼を、
何も食べられない妻には悪いので視界に入らないようにして食べた。美味かった。
妻はチョコ食べたい、チョコくわせろとうめいていた。

たまにオムツ替えしつつ、添い乳試しつつ、今日の日記を書いたり、
息子をただ眺めたり、妻の介助したり連絡取ったり、
たまにまどろんでみたりで時間はあっちゅーまに過ぎていく。
持参して来た白井智之のミステリー・オーバードーズはほとんど読み進められない。
そうとはいえ時間はある。
0時過ぎ、痛み止めの効いている状態で添い乳をすこしでもできた妻は少し安心して、しばらく眠っていた。
1時過ぎにはまた添い乳。
あまり吸わないのは、吸い方吸わせ方の問題よりかは、吸うより眠気の方がまさってしまっているように見えた。

翌日へ。


2024年12月11日(水) 出産前日、育休前最終出勤日、娘に言い聞かせ

6時起床。晴れ。
そっと居間を抜け出して朝支度。
今朝も45分頃に娘が泣き出して迎えに行き、
抱っこしてキッチン連れてって、コールスロー食べさせてうどん食べさせて、
トーストとヨーグルトも食べさせて娘はご機嫌だった。
そのまま遊びだしたが着替えは承知してくれない。
散歩に誘い出しても今日はだめだった。
とりあえず弁当の親子丼を仕上げ、炊飯器の始末もして、
アンパンマン見せて上着だけは脱がせられた。
その後妻を起こし、アンパンマンを中断させて、
おむつ替えたら続き見よう、と交渉して承知してもらった。
そして全部の支度が済んで、さあ保育園というところで行き渋り。
行かないとごねる。
これは無理やり自転車に乗せたら危ないパターンだ、と即座に判断して、
抱っこしながら歩いて向かうことにした。
抱っこひもではないから疲れる。
それも、小走りをはさみながらの早歩きでないといけない。
だが苦労のかいあって、機嫌はちょっとずつ戻してもらえた。
8時21分に登園。25分に出て、急いで一時帰宅。
31分にまた家を出て出勤。
今日だけは遅刻したくなかったから、一通りこなせてほっとした。


育休前最終出勤日。
仕事は片付けまくった。
休憩中にはシャトレーゼで買ったせんべいを配って回った。
何人かには娘の写真も見せてみた。
大きい、という声が多かった。
2歳半という年齢に対してというより、前回育休を取って産まれた子がもうこんななのか、
というような反応らしかった。


OKの入口間際にアンパンマンのガチャガチャを見つけて、
娘はこっから1,2週間はハイストレスだろうから、
…とくに明日明後日の夜は父母共にいないわけだから、
すこしても精神的な楽しみがあったほうがいいだろうと、300円投入。
アンパンマンのプロジェクター?を手に入れた。

19時帰宅。
しばらくぶりに義母が娘の世話をしてくれていたようで、
短時間ながら挨拶は交わせた。
僕はすぐに娘を風呂へ。
湯舟は4分程度であがってくれた。
保湿着替えをして、あとは妻に任せて僕は夕飯調理。
なんだかんだで娘は邪魔しに来るし、刻まれた小ねぎをぶちまけたりもしてくれたが…
納豆ご飯に味噌汁はすぐに食べきってくれた。
妻のリクエストであったナスかば焼き丼をねだりもしたから食欲は十分だった。
調子がよさそうでほっとする。
食後も機嫌よく遊んでいた。
妻は娘に何度も、しばらくお母ちゃんいないからね、と言い聞かせていた。
僕も、明日はお父ちゃんいないからねと言ったが、いるもん、と言い返してきた。
理解してるようでしてないようで、しているのかもしれない。
そのぶん寝ようとしなかったが、最終的には絵本を一冊選んで持参して、三人で寝室へ。
娘は今夜も寝つきが悪く、僕が居間を出れたのは21時半近く。
それからは妻と明日の準備に取り掛かった。
だいたいは事前にできていたからそんなに手間はかからない。
喉が痛むというからハニージンジャーをやった。
22時半には冷凍ラザニアをやった。
23時15分にはウィンナー。
今夜0時を過ぎた後は固形物は食べられない。
明日の手術に向けてのねぎらいも含めてあれこれやった。

強い緊張感のあるわけでもなく、ほとんどいつも通り0時半寝室。
民話読み聞かせて1時近く就寝。


2024年12月10日(火) 散歩してから登園、妻の怒り、出産日タイムスケジュール

6時起床。晴れ。
アラームの鳴る20分までごろごろとして、さあ起き出すかと娘の動向を見守ってたら、
娘が
 おとうちゃーん
と甘ったるい声をあげて寄ってきた。
今朝の甘えはすさまじく、数分間絶え間なくおとうちゃんおとうちゃんと連呼しながら
顔を顔に寄せ付けてのっかってべたべたべたべた。
こちらは無視していたがやがてしきれなくなって、身を起こした。
すると今度はぐずりだす。抱っこ抱っこという。
居間へ向かって朝食。
だがろくに食べようとしなかった。
味噌汁におにぎりだったのだが…
着替えも失敗。
スマホを餌に横にさせたまではよく、オムツも変えられたのだが、保湿を嫌がる。
これは困った、と思案して、今日は弁当のない日だから仕掛けてみるかと、散歩しに行こうと娘を誘った。
行くというから玄関に連れ出して、そこでお着替え。成功だ。
散歩自体は数分で済ませたかったが娘が進路を決定する。
結局あたりをぐるりと一周して10分ほどかかった。
それでもまだ間に合う時間だから成功と言える。
妻を起こして朝食。
洗濯物など一通りやっつけて、8時15分に家を出て登園。
つつがなく済ませて8時半一時帰宅、出勤。


ランチは休み前最後の中華屋へ。
ユーリンチ―食べて満足。
今日も昨日に続いて職場の人と会話した。
とくに面白くはないがちょっとはしないとな。
会社上の関係性がどうってわけではなく、
自分自身のコミュニケーション運動不足解消のため。


19時帰宅。
娘はやはりおとうちゃーんと駆けよってきてくれる。可愛い。
即座に風呂へ入れて保湿着替え。
夕飯は鯖の照り焼き。やけに美味しかった。
娘は今日も75ピースのパズルを一人で仕上げていた。すごい。
寝かしつけにあたっては、娘用の枕を持ってきてやるとこれをえらく気に入って、
満面の笑みで抱きしめて寝室へ向かってくれた。
寝るには時間がかかった。
僕は21時過ぎに居間に戻った。

妻は昨日の、自らの父への怒りをなおも燃え上がらせていた。
ちょっと聞いて欲しいとのことで、カルピスソーダを酒代わりにして、
向かい合って話を聞いた。
大分穏便でない語りも出てきたが、なにはさておき自分の母親を大事にする、
それを基点に考えていくこと自体はいいことだと賛同し、
一方で恨みつらみという情念は大事でもあるけれども、
自らを呪うことにもなるから薄まらせることを期待する、
そんなような話を僕からはした。


付き合ってたら時間がたちまくり、
明後日の準備をしたかったのだがほとんどできず。
義母してもらいたいお世話タイムスケジュールをプリントして、
不足分を書き足していった。
ほか家事雑事に追われて自分の時間はほぼなし。
0時過ぎ寝支度、0時半寝室。
民話読み聞かせて0時半就寝。


2024年12月09日(月) 出産前異状なし、同僚と会話、義父義弟との話

6時起床。晴れ。
今朝もそっと居間抜け出して朝支度。
50分に娘が泣き出したから抱っこして連れ出し、
しらすマヨトースト一口食べさせてから食卓へ。
食事は機嫌よく食べてくれたが半量残された。
遊び方も機嫌よく、鼻水などの気配がないのも喜ばしい。
着替えは拒まれたものの、スマホでみてねを見せると横になってくれて、そのまま保湿まで決行できた。
おかげで不安だったこの月曜朝の支度が順調に済んでいった。
唯一の懸念は妻の体調で、やはり喉が痛むらしい。
熱はないようだが心配だ。
こちらはかんぺきな状態で8時15分に家を出れた。
登園を無事に済ませて8時半に一時帰宅して出勤。


弁当は牛肉に白菜と春菊ですき焼き風。
思い通りの味に仕上がっていて満足。美味かった。
食べた後は寝た。15分くらい寝れた。


妻の妊婦検診も今日が最後となる。異常なし。安堵。
胸のしこりが気になったらしく、さっさか中野の乳腺外科に繰り出して、即日検査してもらったそうだ。
こちらお異常なし。
すっきりした気持ちで出産に臨めるのは大変好もしい。


久しぶりに職場の人たちとちょっくら会話した。
子どもトークをして、別に盛り上がるでもなく、面白いわけでもなく。
ただ、自分の話と相手の話のバランスについて考えた。
最初に自分の方の話をばーっとしてしまってから後は向こうの話をひたすら聞く、
というのはわりとバランス良いかもしれない。


残業終えて電話したが出ず。娘が寝ていないとLINEで連絡が来た。
結局21時半くらいまで寝なかったようだ。
22時帰宅。
なにはさておき飯をくおうと、サッポロ一番塩ラーメンをニラとネギと卵と煮込んで食べた。美味い。
妻からは今日の首尾を聞き取った。
病院の話についてはあらかじめ聞いていたとおり。
さらに弟くんと電話して話したそうだ。
保育園でりんご病感染者が出たから、二晩我が家に来てもらうにあたってはリスクがある。
その対策などについて話したという。
そして義父の話。
義弟が姫路に行ったその話を聞いて妻は激怒していた。
おおまかにまとめれば、義父の資産についての話をしようとしたのに話しにならなかった、となる。
そして、かつての不倫相手とは切れておらず。再婚する見通しもあるそうだ。
再婚するならしろ、だがどちらにしても資産はそちらにもいくんだろう、
ちゃんと話し合わなきゃならないのに話がなされないのでは困る、
本当に縁切ってしまいたい、…と不快感をあらわにしていた。
今夜はもう眠れない、というほどの怒りだったようだ。

それはそうと、今日で検診も終わりというお祝いをしたいとのことで、
妻はホソコシでケーキを買ってきていた。
ショートケーキとアプリコットのタルト。
クリームが絶品の店だからショートケーキを食べたかったが、僕の分はタルトだそうだ。
アプリコットは好物でもないが、ホソコシのタルトは未体験。
果たして絶品だった。
クリームにせよタルトにせよチョコレートにせよキャラメルにせよ、
このへんの基礎の地力がすさまじく高い。
だから、ベースをストレートに味わえるケーキがたいへんおいしい。
と二人して感動した。


入浴して出て23時過ぎ。
家事雑事やっつけて、ゲームちょっとだけやって0時近く。
寝支度して0時半寝室、民話読み聞かせて1時前就寝。


2024年12月08日(日) 娘の警戒、勝手なまぁだだよ、白髪染め、財布忘れ、もろもろ費用精算

6時起床。晴れ。
今朝もひとり居間へ抜け出して朝支度。
全部準備整えてから、あわよくば寝ている娘の着替え保湿できないかと寝室に行き、
様子を伺ってみるとまもなく起きたからそのまま居間へ。
飯を食わせ、今朝も着替え交渉を試みたがうまくいかず。
それでも、大を出していたから粘り強く言い聞かせてたら応じてくれた。
8時に妻を起こして朝食。
僕と娘は8時半に家を出てスーパーへ。
テンション高くなった娘が一度奇声をあげたら横にいたじじいが
うるせえなー
と呟いたので、まあこちらに言ったのかは定かではないけれども、この野郎とは思った。
スーパー出てからはそのまま図書館に繰り出した。
娘はアンパンマーンと言いながら一直線に2階のアンパンマンコーナーへと向かい、
ほとんど悩まず一冊を抜き出して、貸し出しへ。
9時半には家へ帰れたから大量の洗濯物干して、部屋を整え、客を迎え入れても恥ずかしくないよう掃除をした。
妻の友人は10時過ぎに来宅。
ますます美人度をあげている。
娘は完全にびびっていて、僕の足にしがみついて、声をあげようとしない。
ほとんど泣きかけで、全然成長の具合をみてはもらえなかった。
彼女らは数分してから近所のバーミヤンへと出ていった。
僕は娘を面倒見つつ昼飯準備。唐揚げ。
11時20分に食べ始めて、娘は唐揚げをしつこくお代わり要求した。
さあ食べ終わると言う頃合いに、妻が客をまた引き連れて来た。
旦那さんが車でお迎えに来るらしい。
それまでちょっと部屋で待つということになり、また娘とからんでみてもらった。
今度はちょっと警戒も解けて、タッチもしたし笑顔も見せれたから良かった。

客を見送った後、妻にまた唐揚げを出して食わせてやり、
洗いものなど済ませてから機嫌のいい娘を構いつつ公園へと誘った。
公園は寒かったが陽射しは暖かかった。いやでも寒い。
とはいえ娘は楽しく過ごしていた。
知らない子とも一緒に乗りもの遊具に乗った。
電話ボックスを見つけてテンションあげて駆け寄ってってから
ベンチに座っているおじさんにびびって恐る恐る引き返してきたのには笑った。
見知らぬ子の もーいーかい の声に、勝手に まぁだだよ と返してるのも。
園内は冬だからか心なしか人数は少ないようにも思えたが、それでもにぎやかだった。
10m近い高さの木の枝に挟まったサッカーボールを取ろうと、
どっかのお父さんがテニスボールを投げて当てようとしていた。
そんなもん当たっても取れないだろう、という以上に、勢いよくあらぬ方向へ跳ね返るので危ない。
案の定娘の頭ぎりぎりのところへ飛んできたからひやっとした。
ボールを取ってやり返すと謝られた。
あれを落とすのは大変そうですね、というと、
いやあもうやめておきますすいません、といって気まずそうに去っていった。
娘は砂場遊びを中心に、あれこれと延々遊び続けていたが、
トータル1時間半ほど遊んでようやく引き上げてくれた。

14時過ぎに帰宅して、要求通りにパンを食べさせてやり、さあ寝るかなと思われたが寝ない。
僕は横たわって娘の一人遊びを見守っていた。
15時近くなってようやく僕の横に寝そべって、しかるのち熟睡。
妻はカフェに行き、僕はしばしの休息。
16時あたりで娘は一瞬だけ声を上げたが、体に触れてやると落ち着いて、その後16時半過ぎまで寝てくれた。
おかげで家事は捗った。
起きた娘はぐずっていたが、ミカンのセリーを内緒ねといって少量あげるとハイテンションになって、
それからは妻に任せておけた。
僕は白髪染めをした。
二回目だけあってスムーズにできた。
17時過ぎに娘を入浴させて、風呂から出て鏡を見てみると、あきらかに部分部分染まっていない。
塗り方が下手だったのだろうか。
2週間後くらいにもっかいやるか…面倒だけど…


妻を風呂に入れさせている間に僕は娘を構いながら夕飯準備。
鮭と炒り卵とサラダと残りの肉じゃが。娘には冷奴も。
ねだられたから柿まであげた。
19時過ぎに食べ終わり、ゆうゆうと片付けなどして、3人でダーウィンを視聴。
娘はとても元気に父母と遊びたがり、その役は僕が請け負った。
機嫌よくてよても可愛い。
20時になるとわりとすんなり歯磨きして、絵本数冊読んで、すんなり寝室へ向かってくれた。
やはり一冊は読んでほしいようで、暗闇の中小さい声で読んでやったら大人しく寝付く格好へ。
だが気分は高揚しているようで全然寝てなかった。
妻としばらく雑談を交わし、十数分してから逃してやって、僕は21時過ぎにようやく居間へ。

最低限の家事やっつけてからドラッグストアに。
二子のための用品をあれこれ買…おうとして、レジの前で、財布のないことに気づいた。
寒空のした一往復はかなり面倒だが仕方ない。
家へ戻って財布を探した。
所定の場所になくて焦ったが、なんとか見つけて事なきを得て、
もう一度ドラッグストアへ。無事に買えた。

帰宅してからは雑事やっつけつつ日記書きつつ来週の準備。
昼に妻の友人から頂戴したでっけえ大福を食べた。
洋ナシがまるまる一個入っている。
洋ナシってナシなんだな。十数年ぶりに食べた。
さっぱりとした甘さで思っていたより美味しかった。

妻とここしばらくの費用について精算。
家賃として28万円、買い物代と検診費用として6万円、こっからさらに買うもん買う代金として1万円、
ねぎらいとして1万円、計36万円を渡した。
40万円をおろしていたから4万円余った。
まるで小遣いのような感覚の4万円で、嬉しかった。


23時半寝支度、キッチン掃除は念入りにやって、0時半近く寝室。
今日からフランス民話を読み始めた。
知ってる話とかぶる。
1時近く就寝。


2024年12月07日(土) めいっぱい遊ばせられる休日、ポップサーカス、うたたね

5時半起床。晴れ。
睡眠不足であったからフフフ7時くらいまで寝てしまうかも、
と思っていたのに結局こんな時間に起きてしまった。
居間に抜け出したのは6時過ぎ。
ゆったりと朝支度を進めていき、7時に寝室に戻って、娘の目の覚めるのを待った。
だというのに待っても起きない。
15分まで付き合って、いいかげん食卓に用意してしばらく経つ朝飯の具合が気になり、
娘を抱っこして連れていった。
泣かれる。
だがサツマイモの味噌汁、たくあんご飯を食べさせていくと調子を戻していってくれた。
7時半には元気に遊び始めてくれてたすかった。
けれどもやはり着替えない。
庭へ洗濯物を干しに行こうとかスーパーがとかいろいろと交渉してみたものの聞かない。
妻を起こして朝食を食べさせ、8時半を過ぎても着替えを拒み続ける。
かなりしびれをきらし、9時を前に、とうとうスマホを渡してみてねを見させながら決行。
これならいいらしい。いいならいいけどよ…

予定を崩してスーパーは諦め、小児科へ。
左手の甲と膝裏だけメサ0.5。
薬はまた強まってしまったものの、一回分ていうだけでもまあよかった。
待合室では保育園のおともだちであるちーちゃんとそのお母さんに遭遇。
だが娘はほぼ完全に無視していてオイと思った。

家には戻らずそのままOKへ。
買うもん買ったら今度はそのまま西荻へ。
シャトレーゼで職場に配るためのせんべいを買い、ついでにフィナンシェも買って娘に1/3食わせた。
四週にわたるアーモンアレルギーのテスト、これで問題なければまず大丈夫だろう。
隣のオオゼキにも寄ってみた。
トマトが安ければ買いたかったがここも高い。今冬は厳しいな。
肉屋に行って肉を買い、八百屋でトマト買って帰宅。
10時50分になってしまった。
急いで昼飯調理にとりかかった。
茄子とキャベツのペペロンチーノ。
抜群に美味しくできた。
食後、娘は機嫌よく遊んでいたのでちょっと放置、妻が構ってくれてもいた。

家事雑事済ませてから娘連れて大宮前体育館へ。
キッズスペースに入ろうとせず、敷地内を歩いたり走ったりして遊び、
バス停に寄ってってバスに乗りたがりもしていた。
今日は乗らないよとひきはがすとぐずったが、抱っこしてやると持ち直し、
屋上行くかと訊けば行くという。
屋上は無人で、晴れわたる空を独占状態だった。
横たわってみたらめちゃくちゃ気持ちよかった。
風が冷たいものの、横になってしまうと風の当たる面積が極端に減り、
陽射しの温かさのほうが際立った。
すぐに娘に起こされるのだけれども。
十数分遊んだ後はキッズスペースへ。
こちらは父娘一組がいたものの、とくにやりとりもなく、娘も気にするでもなく、
追いかけっこやらなにやらをして遊んだ。

13時半近く帰宅。
オムツ替えさせてくれない娘。
ご機嫌取りにうどんを食べさせた。がっつり食べてた。
オムツ替えないまま昼寝させるのはためらわれたが諦めた。
抱っこしているうちにうとうとし始めたからそのまま寝させた。
14時から1時間くらい寝させた時点で目を覚ましてしまい泣き出す。
ひたすら抱っこしてあやして、14時半過ぎからまた寝てくれた。
抱っこしたまま15時半くらいまで寝させて、また泣いて起きたところを、
おやつ代わりにOKで買ったおにぎり食べさせて黙らせた。
ちょっと機嫌戻した隙をねらって風呂へ。
出てから柿をねだってきたから食わせてやり、その間に保湿。
着替えも済んで、こっから1時間くらいは一人で遊んでくれていた。
その間に肉じゃがを調理。
18時半すぎまで妻を休ませて、それから交代して、19時に夕飯。
肉じゃがは美味しく食べれた。
録画しておいたクレイジージャーニー、ポップサーカスの団長が海外でスカウトする回で、
ポップサーカスのファンである僕と妻は大いに感じ入った。
妻はサーカス行きてえと繰り返していた。

娘はとても楽しそうに遊び続けていて、たくさん追いかけっこもした。
今の家はふすまでの出入り口が非常に多いため、それを工夫した追いかけっこは楽しい。

20時半に寝室へ。
妻としばらく雑談してから僕はうたた寝。
なんと22時10分まで寝てしまった。疲れている…

居間に戻って妻と打ち合わせ。
義母はいま不調子らしい。
義弟が父方実家に、義祖父の一周忌で帰省している。
その影響で精神をやや崩しているそうだ。

来週に向けてサツマイモのスープだとかのストックを用意しておいた。
面倒事をいろいろとやっつけて、0時前寝支度、0時半寝室、民話読み聞かせて1時前就寝。


2024年12月06日(金) 昼休みに散髪、夜は監視、限られた余暇

5時半起床。晴れ。
まだ暗いうちから起き出して、娘への就寝中保湿着替えを結構するべく動き始めた。
とりあえず居間に抜け出て自分の着替えして、洗濯機回して炊飯器炊いてトイレ行って…
となんやかやしているうちに娘の泣き声が。
やむなく寝室へ。
すぐに落ち着いてくれはしたがもう抜け出せない。
完全に寝なおしてくれるのを期待して待ってみたが、結局6時20分には目をさましてしまった。
そのまま居間に行って、だめもとで着替えを交渉。だめ。
うどんを作ってやり朝食。
これは自分一人で食べきってくれて助かった。
以降は、あの手この手で着替えの交渉。
早着替えをこちらがしてみせるのはウケたが、真似を促してもやってくれなかった。
かなり惜しいところまではいったのだけれども。
一番望みがあったのが、洗濯物を一緒に庭へ干しに行く、だったから、
この線で粘り強く交渉し続けて、7時半にようやくのってくれた。
保湿はいやがられるものの最低限はできたし、着替えが済ませられたのは大きい。
一緒に庭に出て洗濯物干したら妻を起こして飯食わせて、
娘にはアンパンマンを見せておいた。
妻用の弁当の完成、ゴミ出し、歯磨きなどを済ませ、
無事8時15分にはすべての支度が整い穏便に家を出れた。気持ちいい。
登園はつつがなく、8時半に一時帰宅して出勤。


昼飯は2日続けて外食。
いつもの方じゃない中華屋で半チャンラーメン。
なんかここ来るたびに美味しく感じるようになってきたな。
とっても満足感高く店を出て12時半。
切れっかな、行けっかなと格安床屋に行ってみたら客いなかったから散髪。
子ども増えたら風呂入って髪乾かす時間も惜しくなるから、今のうちに短く、
そしてすいておきたかったのだ。
カットは10分で終わり、ゆうゆうと会社に戻れた。


18時退勤。
妻に電話するといつも通り娘の声。
可愛いが何を言ってるのかわからない。
何を言ってるのかわからないが可愛い。

OKだけ寄って19時帰宅。
娘は駆け寄ってはきたが今日は何もねだらず。いいこだ。
そのまま風呂に入れた。
湯舟に浸かる時間もそう長くなく済み、出た後の保湿着替えもまあ上々。
夕飯だけせっつかれたものの、納豆ご飯と味噌汁を、食卓についてたいらげてくれた。
それからちょっと遊んで、風呂からあがった妻が髪を乾かしている間に歯磨きを済ませ、
今夜も絵本を一冊寝室に持っていくことを許すとすんなりベッドへ。
薄闇の中読んでやり、いい流れでおやすみができた。
だが眠るまでには1時間ほどかかった。
ずっと僕にべったりで、監視と拘束がひどく、部屋から出れず。

ようやく21時20分に居間に戻って夕飯調理。
かき揚げ丼。
美味しくできたし、ソーイングビーも見れてよかった。


眠いし疲れたしで、家事雑事を終えたらもう原神くらいしかできない。
だらだらと30分くらいプレイして、明日の支度など済ませて0時前寝支度。
0時過ぎ寝室に行ってからはくたばった。
民話読み聞かすこともできず0時半就寝。


2024年12月05日(木) 登園拒否の娘、12月の気持ちよさ、痛いの痛いの遊び

6時すぎ起床。晴れ。
6時半、慣れたもので、そっと寝室抜け出し居間へ。
支度を進めていって7時に娘を抱き上げ食卓へ。
おにぎりをかるく食べて、遊びだしたまでは機嫌も良かった。
だが着替えをどうしても拒む。
アンパンマン見ながらでもどうしても嫌という拒絶ぶり。
スイッチは保湿だったように思える。保湿しない、と言っていた。
そっから30分以上苦闘。
僕は遅刻を覚悟したが、妻がその後を請け負ってくれた。
後ろ髪引かれつつ出勤。

9時20分に九段下に降りてから一応電話してみたが、
娘はまだまだぐずっているようだった。
お父ちゃん抱っこ、と言って泣き続けるばかりだったようだ。
10時半近くなってようやく、登園できたとの連絡が入った。
本当にお疲れ様だ。
妻には深く感謝した。


ランチはいつもの中華屋に行った。
唐揚げ定食で満腹になり、それからダイソー行ってお年玉袋とワイヤレスイヤホン買った。
12月、外歩くだけで気持ちいい。
本格的な寒さじゃないのに冬らしさを感じられて、体も寒さに慣れてきてるっていう。


19時帰宅。
あれだけ朝は大変だったというのに妻が娘を風呂に入れてくれていたから感心した。
ほどなくして娘を引き継いで身体を拭き、保湿着替え…となる前に抱っこ抱っこ抱っこ。
応じてやりたい一方で、教育しないといけないし、また服を着ないと抱っこできない。
とりあえず柿を食わせてその間に保湿を…としてみたら、保湿しない、と泣きながら連呼。
今朝もそうだが、保湿が今はよっぽど嫌なようだ。
これでスイッチが入ってしまい、柿も投げ飛ばし、服も投げ飛ばし、
もう絶対着ないという構え。
しかたないから先に飯を食わせた。
タオルだけかぶせて膝上で抱っこしたまま。
完食して、しかしその後も機嫌は悪く、服は着ない。
妻と一緒に説得を続け、ようやく着てくれたからそれから自分らの夕飯準備。
ユッケジャンスープご飯。
カット野菜のもやしやらキャベツの量が多すぎてちょっとうまさは損なわれてしまった。

娘には絵本を数冊読んでやると次第に機嫌が戻り始めて、
今夜は痛いの痛いの飛んでいけで遊んだ。
かねてから、「痛いの」をぶつけると痛い真似をする、という遊びをしていたのだが、
今夜は娘から投げられた「痛いの」を弾き飛ばしたり避けたりガードする構えを見せたりした。
すると娘はそれをそうと認識しているらしく、いちいちずっこけたりする。
そして「痛いの」を跳ね返されて自らがダメージを負う、という演技もやってのけた。
すごいな。概念で遊べている。

ひとしきり遊んでから妻は先に寝室へ。
僕は娘と居間に寝転がった。
娘は手をチョキにした後、お父ちゃん、お母ちゃん、お姉ちゃん、おとうと…
などという言葉を連ねていた。
お姉ちゃんになるんだよ、弟ができるんだよ、と言い聞かせてはいるが、まさかわかってるのだろうか。
おそらく保育園で、お父さん指お母さん指といった教え方はしてるのだろうけれども。

20時半過ぎ、絵本を一冊持って寝室へ。
暗闇の中小声で読んでやるとそれで満足して寝入ってってくれた。

妻と雑談して、21時10分くらいに居間に戻り、入浴。
家事雑事やっつけてちょっとゲームしつつ部屋の片づけ。
今日はとびきり散らかっていた。
妻はミシンで娘の保育園用タオルエプロンをしつらえていた。
僕は糸を切ったり名前を書いたりしていった。

23時半寝支度、0時すぎ寝室、民話読み聞かせて0時半就寝。


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