不用品 買取 家庭教師 celeste blue

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感謝

2011年08月07日(日)

「感謝しろ」のような内容の日記をきのう、書きました。
1日経って思いました。

「『感謝』の押し売りはよくない」と。

私は夫がふだん仕事で大変だから、貴重な休みくらいはリフレッシュしてほしいと思ったから北海道ツーリングに送り出したのであって、感謝してほしかったわけではけっしてありません。
もちろん、これからもソロツーリングにはどんどん出てもらいたいし、夫のせっかくの休みは自由に使ってほしいと思っています。

心底、そんなふうに思っていたのですが……。
やはり、きのうの「おみやげ買えない発言」が私をおだやかではなくさせたみたいです。

1日経った今日。
いや、何度思い出しても腹は立ちますが、ま、もともとそういう人だったので、いまさらという話。
無事故で楽しく帰ってきてくれることだけを期待するとしましょう。

おやすみ。


無理な願い

2011年08月06日(土)

夫が北の大地に旅立ちました。
バイクでソロツーリングです。
日帰りツーリングなら、これまでも何度かありましたが、1週間以上の旅は結婚してからは初めて。
ひとり旅、ちょっとうらやましい。

とはいえ、出発するまで大変でした。
案の定、うだうだ、あたふた。
フェリーの予約もなかなかできず、出発の準備も旅人らしからぬ要領の悪さ。
挙句の果ては「行くのをやめようかな」などという始末。

やっと出発してくれる気になり「おみやげ、買ってきてね」というと、

「え! おみやげ、買う時間あるかなぁ。帰りのフェリーの中のやつでいい?」

「………」

以前、私の夫を知らない友人が夫について言いました。

「釣った魚にエサはやらないタイプやね」

そうか、私は釣られた魚か。
実質的なおみやげなんてホントはいらないけど「感謝の気持ち」くらいはほしいなぁ、と思った今日でした。

『旅に出させてくれて、ありがとう』

……。
………。
無理だろうな。

おやすみ。




赤ちゃん椅子

2011年08月02日(火)

幼いころから私は、ミッキーマウスとかスヌーピーとかの動物キャラクターものが嫌いでした。
動物がしゃべったり人と同じように動き回ったりするのがどうも非現実的で、夢をみようにも夢がないように感じていました。
何が好きだったかというと、サンリオの「キキとララ」。
星の妖精のようなふたりです。
人の形をしていると、とても身近に感じることができ、はたまた実際にいるんだとも思えて、それはそれは楽しい空想にひたることができました。

最近、赤ちゃんグッズばかりを見るようになっても、やはり動物キャラクターやアンパンマンなどの人ではないキャラクターものには興味がわきません。
先日購入した赤ちゃん椅子も「NEW YORK」と座面に大きく書かれたイラストがまったくないもの。
私としてはシンプルでいいと思ったのですが、ふと考えました。

キャラクターがいやなのは私の趣味でわが子の趣味ではないかもしれない……。

わが子が生まれる前から決めていたことがひとつあります。
親の趣味を押し付けないこと。

私は山登りが好きだけど、わが子には山には自分の力で出会ってほしいと思ったからです。

今回の椅子は、私の「嫌い」を押し付けたのかもしれません。

そして決意。
わが子には私の「好き」は教えても「嫌い」は押し付けない。
私が嫌いでもわが子にはとてもとても楽しいものになるかもしれない。

豊かな感性をもってほしい。

そんなふうに思いながら、買ったばかりの新しい椅子に喜んで座るわが子に「ありがと」とつぶやいていました。

おやすみ。


ドラマ

2011年07月25日(月)

NHKの朝の連続テレビ小説を観てみます。
昔から、私が唯一楽しみにしているシリーズです。
今、放映中の作品は「ちゅらさん」と同じ脚本家が手がけているため、放映前からちょっと楽しみでした。
案の定、おだやかにおだやかにドラマが展開されていきます。

今日は主人公の女性が出産するシーンでした。
思わず、泣けました。
以前の私なら、こういう出産シーンで泣くなんて皆無に等しかったのに、一度、出産を経験するとこうも変わるものかと思うくらい号泣。
いや、役者陣が演技派なため、出産を経験していない人も号泣していたシーンなのかもしれません。

おだやかにおだやかに観ていたはずのドラマでしたが、今日は例外。
たまには、いいでしょう。

おやすみ。」


7月

2011年07月23日(土)

数日前、ごく数人の人たちにメールをしました。
毎年、この時期になると、みんなに予定を知らせます。
本当は、この日の連絡を私がしていいのか、でしゃばっているのではないか……と悩みますが、それでも今年もみんなに連絡しました。
あえて返事は求めません。
求めていないけれど返事をくれる人、まったくなしのつぶての人、いろいろです。
いろいろだから不安になるけれど、でも、やはり連絡しておかなければいけない衝動にかられます。

そんな連絡を流して数日後の今日。
「彼」をしのぶ会が開催されました。

もう9年。
彼を慕って集まる人たちの環境も大きく変わりました。
もし、もしも今、彼がひょっこりと戻ってきたらなんていうのでしょう。
そんなありえないもしもを考えながら、今日を過ごしました。

9年前に止まったと思っていた時間は、実は少しずつ動いていて、今は確実に時の経過を感じることができます。
悲しみはもちろん同じ形でそこにあるけれど、生きる息吹も力強くみなぎっています。

命はつながっていく。

心ざわざわする7月も、もう下旬に入りました。

おやすみ。


成長

2011年07月15日(金)

わが子が生まれて今日で9カ月。
子どもの成長は早いとは言いますが、長い9カ月だったなぁとも思います。
今はつたい歩きをするのが楽しいようで、机はもちろん、窓ガラスや私の足、扇風機などにつかまり立っては歩こうとしています。
成長を見るのは楽しくてうれしいのですが、成長に伴う危険がいっぱい。
その危険をすべて取り払うのも親の役目なのでしょう。
今、まさに目が離せない状態。
どうか無事に育ちますように。

なかなか日記が書けない日々が続きます。
それでも、ちょこちょこと記録していきたい。

そんなこんなで、今日のところは。
おやすみ。


出し巻き卵

2011年06月25日(土)

夕飯はよく行くうどん屋さんに行きました。
うどん屋なのですが、うどんが食べたいわけではありません。
そのうどん屋の出し巻きがサイコーにうまいのと、ちょっと上がったお座敷が広くてわが子をごろごろさせながら食事ができるからです。

とはいえ、伝い歩きをしだしたわが子。
そうそうたたみの上でごろごろしているわけがありません。
まだうどんが来る前からあっちこっちとハイハイしたり机の上のしょうゆの瓶に手を伸ばしたり。
うどんが来てからも、ハイスピードハイハイでどこか遠くに行こうとしたり、熱い熱いうどんの鉢をつかもうとしたり。

味わって食べるなんてとうていできません。

でも、今日はちょっと違いました。
テーブルをはさんで向かいに座っていた夫がすっくと立ち上がり、私とわが子のいる側にやってきて、そこでうどんを食べ始めました。
まだうどんを食べている途中なのにわが子を抱き上げたりあやしたり。
その間に私がうどんをずるずる。

ふだんはすべて私にまかせっきりなのに……。

父親って、こんなふうにしてある日急に自分の役割に目覚めるのでしょうか。
おかげで、うどんと出し巻き卵、少しだけ味わって食べることができました。

おやすみ。


味方

2011年06月14日(火)

20年以上前のクリスマスパーティー。
みんなでプレゼント交換をしました。
私がもらったのは、クリスマスメドレーが流れるカントリーベアーのオルゴール。
透明の容器の中にカントリーベアーと水が入っていて揺さぶると音楽とともに紙ふぶきが水に揺られてキラキラ、キラキラ。
それほど珍しいものでもないけれど、妙にうれしかったのを覚えています。

その10年後。
ホコリをかぶったそのオルゴールを私はゴミ箱に捨てました。
もらった当時はうれしくても、10年も経てばもう私にはそれほど価値のないものになっていました。

捨てた翌日、そのオルゴールはなぜか元の位置に戻されていました。

 え?

おそらく、いえ、きっと母が拾ってくれたのでしょう。
なぜ拾ったかは、当時は聞かずしまい。
でも、そのオルゴールは心なしかうれしそうに元の棚におさまっていました。

それからさらに10年と少し経った今日。
部屋の掃除をしているとそのオルゴールがころりと転がり、わが子がそれで遊んでいました。

「このオルゴール、気に入ったんかな。これ、初めて見たとき、感動したもんなぁ。どうやってできているんかな」

母が言いました。

「もう音が鳴らなくなってきたけど、電池かなぁ」

「………」

母の言葉で、ついさっきまで不要物だったオルゴールが、何か息吹を取り戻したかのように、キラキラ、キラキラ光って見えました。

音楽をもう一度復活させようと思い、うしろのビスを開けて電池を交換しようと思ったけれど、どうもやりかたがわかりません。
それでも、中の水はにごることなく、揺さぶると紙ふぶきはキラキラと当時と変わらず舞っていました。

ふだん、なんでもないものと思っていても、何かのきっかけで特別なものに変わることがあります。
こうして「捨てられないもの」って増えていくのでしょう。
でも、「捨てられないもの」は「宝物」だから、いいのです。
そうしてできた宝物は、いつか心が折れそうなときに、強い味方になってくれるのです。

そう、いつか。

おやすみ。


願い

2011年06月08日(水)

20時にはわが子を寝かすようにしていますが、今日は私の実家に泊まりの日。
20時に寝かそうとがんばっていると、母がちょこちょこと部屋を覗きます。
ばぁばっこのわが子は、ばぁばがのぞくたびに寝返りをうち、ばぁばのほうに突進します。

ま、たまにはいっか。


「たまにはいっか」の日は、週に数回あるので「たま」ではありませんが、それでも母であれ夫であれ喜んでくれる人がいて、わが子にしてもふだんは私とふたりっきりの生活のなか、ほかにかまってくれる人がいることはいい刺激だと思い、ちょっと夜更かし。

私が仕事に復帰したらどうなるのでしょう。
そんな心配もありますが、まだまだ先のこと。
今は、わが子がたくさんの人に愛されることを願って。

おやすみ。


シール

2011年06月07日(火)

先日、さっきまでわーわー、ぎゃーぎゃーと騒いでいたわが子が急に静かになりました。
不思議に思ってわが子のほうを見ると、わが子もなんだかバツの悪そうに私のほうを見ていました。

イヤな予感がして近づいてみると、わが子の口の中からシールが数枚!
雑誌の付録についていたシールシートをペロペロとなめていた様子。
びっくりして口の中にあったシールを掻きだしましたが、どうしても1枚見つかりません。
どうしよう、どうしよう。
気管に貼り付いて窒息したらどうしよう。
咽頭に癒着してのちのち腫瘍になったらどうしよう。
イヤな予感はどんどんふくらみ、心なしかわが子もちょっと咳き込む様子。

あぁ、どうしよう……。

と悩みながらもぐーぐーと寝た翌日。
ほぼ3日ぶりの大便のなかに直径2ミリの行方不明のシールがペロリ。

あぁ!

おむつ交換の途中、わが子を抱きしめたくなる衝動をおさえきれず、おもわずシールのついたおむつをギュっと抱きしめてしまったことは、親心の一貫なのでしょう。

おやすみ。

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celeste [MAIL] [アルバム「紺と碧」]

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