本音しか言えない...リトア

 

 

天災 - 2011年03月15日(火)

大きな地震が起きた。

ここは、わずかな被災なので
皆ほっとしているのだろう。
穏やかな波動を感じる。

買出しに出かけて
人が大勢いても怖くなかった。


意識が変わっていけばいい。

多少の不便はしかたないね。



東北に早く支援が
届きますように...



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批評と批判をなくす - 2011年03月09日(水)

批評と批判をなくすのが目標。

最近、精神世界系のブログでも
よく目にする言葉。
やっぱりそうだよね。
新しい世界はそうあってほしい。

私の場合、まず自分に対して

おとなしくてもいい
うまくしゃべれなくてもいい
笑顔になれなくていい
不器用でいい
ぐうたらでいい
寝たいだけ寝てていい
仲間はずれになってもいい
いじめられてもいい
太っていてもいい
下半身デブでもいい
おばさんでもいい

なんて思ったら気持ちが楽になった。

そして、
意地悪でもいい
なんにも考えなくてもいい
攻撃的でもいい
いい人にならなくていい
暴力的でもいい
無知でもいい
偉そうでもいい
選民意識があっていい

なんて考えたら
人が怖くなくなるかもしれない
と思ったら

なんか幸せ。

生きていくのが楽になるなあ。




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親に褒めてもらうこと - 2011年03月05日(土)

ある番組で
9歳までに親に褒められないと
自分に自信がもてないというような
ことを言っていた。

褒められたことなかったなあ。

とても、よくできる子だったと
自分でも思う。
おとなしくて人見知りではあったが。

絵や書道では、ずっと一番の賞を
もらっていたし
勉強も出来た。
結構人気もあった。
姉もほとんど同じようなもの
だったのであたりまえだった
のかもしれないが
たぶん姉も褒められたことが
ないはずだ。

父は全く関心ないし
母は逆に娘に嫉妬していたように
今になって思う。

真面目で、几帳面な子だったのに
無駄だ。と思ってしまったのか。

それ以上できるようになる必要は
全くなかった。
期待もされないし、女の子だし。

いいお母さんになりたかった?
違うか。結婚に夢はなかった。

しいて言えば、普通の人になりたかった。
普通のことが普通に出来る人。
それが一番難しいと気づいたのは...

最近のこと。





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人を理解することは難しい - 2011年03月01日(火)

私は人の気持ちに敏感だ。
だけど、人を傷つけないようにとは
過剰に思ってはいない。

うっかり傷つけるようなことも
言ってしまうし、
意識的に言うことも多い。

うっかりは、とても緊張している時
冷静になれないときに起こる。
今でも過去に傷つけたことを
思い出して懺悔している。


意識的な時は、相手に分かって貰えるように
言っているつもりだ。

特に、傷つきやすいとも思っていない。
神経質というほどでもない。

ただ、気づいてしまうということか。

トラウマだけではないのだろう。



私の症状はとてもわかりにくいのだろう
と思う。
説明も難しいし、自分の話しを聞いてもらう
のが苦手なのでどうしても分かってもらえない
というもどかしさがある。

ということは私も人のことを理解している
つもりで勝手に解釈して思い込んでいることも
多いのだろう。

自分のことは自分がわかってあげれば
いいのかなあ...


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自分を責めるのは - 2011年02月23日(水)

私は、虐待されて育ったわけではないので
問題が起きても親の育て方が原因だと
認識するのがとても後ろめたい気がする。

未だに罪悪感がつきまとう。



私は可哀そうだ。

私は自分に常時責め続けられている。

なぜ人の中でそんなに緊張しているのか?
どうして明るく挨拶できないのか?
人に親切な言葉をかけられないのか?
明るい笑顔ができないのか?

理由があるのだ。
仕方がないのだ。
どんなに努力してもできないのだ。



人を責めなくなった。

そして、
自分を責めるのをやめた時
何かが変わるのだろう。





順調に進んでいるね。


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人形嫌い - 2011年02月22日(火)

幼い頃
家には人形がなかった。

姉がふたりいるのに。

5歳位の時、デパートで座り込んで
買ってもらった。初めての人形。

上の姉が人形に興味がなかったらしい。

とはいっても、お母さんひどいよ...

二番目の姉は小学校高学年になって
やっと買ってもらった小さな人形を
それはそれは大事にしてた。


上の姉は母性本能がうすいのか
子育てでとても苦労している。
子どもとの接し方がわからないと言う。

二番目の姉は幼いこどもを
怖がっているように見える。
こどものころの自分にふれたくないのだろう。





最近、母がかなり呆けてきたので
私は母を許すことができたようだ。

佐野洋子さんのシヅ子さんという話にも
そんなことが書いてあった。




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冷たいぬるま湯の中で - 2011年02月07日(月)

私は、子どもの頃、親に悩みを話したことが
一度もなかった。
それほど大きな悩みがなかったからと
いうのもあるが、受け止めてくれるような
人たちではなかったというのが理由だろう。

ただ、大きな問題がそれほどなかったので
それまで考えたことがなかった。

親の冷たさに気づいたのは、
こどもが生まれてからだった。
私のこどもへの思いと親のわたしへの思い。
違いすぎるのに気づいた。

私は虐待をされたわけではないので
気づかなかったけど。
関心をもたれたり
心配というのをされたことがないのだ。

ぬるま湯だったので気づかなかったけど
じょじょに冷え込んでいったように思う。

父は初めから問題外。
ただの酔っ払いおやじ。
飲んでないときはいいひとなんだけどね。
ってよく聞くけど...
そういうわけでもない。
飲んでない時会ったことがないに等しいし。
いい人ではなかった。

そして、たのみの母は。
自分の興味のあることにしか関心がない。
新聞も本も読まない。ニュースも聞かない。
人の心にも自分の心にも関心がない人。

とても不思議だったけどこの人、自閉症だったのかも。
高機能自閉症のひとつであるアスペルガーかも
しれないと思い当たった。

アル中と自閉症の両親。

あとはきょうだい愛のみだが...
冷たかったなあ姉たち。

そんな家族の中育った。

でも

私は愛情普通にありますよ。

そんな家族の元に生まれたのは
カルマでしょうか?
たぶんそうでしょう。ははは







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