意識的に生きる - 2011年05月15日(日) あらためて考えてみると 私は子どもの頃から いつも冷静に周りを見ていた。 冷めているようにみえるかも しれないけど 心の中はいつも熱かった。 だから虐待の連鎖がなかった のだろう。 激しい虐待ではなくても 無意識に生きていると 人は連鎖を無意識にしてしまうようだ。 ただいつも意識的だと 神経が疲れるのよね。 ああ疲れた。 いつもおびえているので 疲れるのよね。 人は無意識な言動を しているのだから 気にすることはないのだけれど。 人や宇宙を信頼したいなあ。 ... 伝言ゲーム - 2011年04月28日(木) 権威のある人、有名な人が言ったことを 鵜呑みにする。 そして他の人へと伝播していく。 あの人が言ってたからって 伝言ゲームのように。 そして、また意味を取り違えたりして 全く違うことがまかり通る。 よく子どもの頃、先生が言ったことや 教科書にのってることを鵜呑みにする子が とても不思議だった。 私にとっては先生や大人も適当なこと 言ってるなと思っていた。 それだからと言って 大人は信用できないなんて思っていなかった。 時と場合と人による。 政府だって無用な嘘もつくし 必要な隠蔽もするだろうし 本当のことも言う。 今の状況は誰もわかっていないのが 正直なところだろう。 それを検証していくのは自分だ。 ... 本当の平和とは - 2011年04月27日(水) 競争心の全くない息子たち。 意味がわからないと言う。 彼らには意味のわからないことが多い。 自説をはっきり持ち 納得しないと動かないし。 そして、過激なほど 平和と自由を求める。 で、我が家は平和で 自由だ。 じっくり話を聞くと 皆があなたたちみたいだったら どんなにいい世の中かと思う。 言葉に的確に表現してくれる息子たちなのに 私は言葉を意味で受け取っているので 何と言ったか覚えていないのが残念な母ちゃん。 これからはメモしておこう。 ... 本音を言う意味 - 2011年04月26日(火) 私は本音人間ではありますが、 いつもすべて本音しか言わないわけでは ありません。 言わなくていい本音ってあるでしょ。 それをはき違えている人っている。 とまた批判が出てしまった。 不必要な本音。 思いやりの嘘。 どちらもあり。 自分が得をするための計算はいらない。 思いやりだったら最低限の嘘。 ていうか何にも言わないでいい。 生き易い世の中は 言いたいことも思いやりで出来てる のが理想。 ... 新しい繋がり方 - 2011年04月18日(月) あるブロガーさんが人とのつながり方を的確に 表現してくれていた。 この方はとても分析力や感性がすばらしい。 普通、人は頭で繋がって関係を結ぶけれど 胸やお腹でダイレクトにつながるととても 心地よくて楽な関係になる。 それが最近できるようになったと 書いてあった。 私にとって安心できる友達関係って 好き嫌いだけではなかったんだよね。 あえて言えば私がその人のお腹にコードを 差し込んでもOKな人だった。 いわゆる裏表があったり、優等生的な人は 本音を知られたくないので、お腹や胸にコードを 差し込まれたくないのだ。 頭で繋がるって敏感な私にとって とてもしんどいことだったんだ。 時間をかけて検証してこの人は信頼できる とか判断してから深い付き合いをする。 この探りあいがとても居心地悪くてだめだった。 私の場合、たまに、そういうことをしない あけっぴろげな本音人間がいると すぐに親しくなれる。 本音を言うのでお互いきついんだけどね。 そういう人は少数派なので難しかったわけだ。 ママ友のつきあいは頭でのやりとりの 最たるもの。苦手だったわけだ。 的確な分析ありがとう。 ... 腹を据える - 2011年03月22日(火) いざとなると腹が据わる私。 逆にそれまではぐちゃぐちゃ なんですけど... でも、不安を無理に 考えない、感じないと思うと 抑圧になってあとから出てくるので 不安があれば感じきるし 情報も集めまくって... そして開き直る。 過去にも、こどもの病気 での死亡宣告を受けた。 今の医療ではどうにもならない とわかった時。 心配するのを一切やめた。 医者は私がおかしい人に思ったようだ。 その後すぐに完治した。 夫が意識不明になった時。 こどもたちと冗談を言っていた。 それまでは不安で心配で... でも、覚悟が決まった。 生きられるまで生きるしかない。 ... 天罰と言うこと - 2011年03月19日(土) どんなことにも理由がある と思っているけれど。 人間というものは 必ずいつかは死ぬ存在だけれど。 愛する人を失うのは とてもつらいことだ。 自分が経験しなければ わからないとしたら とても哀しい。 他の人のどんな苦しみも いっしょに悼んであげられる 人間 でありたい。 今までどんな時でも そうであったわけではない 自分がいる。 ...
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