ささやかな日々

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2024年11月27日(水) 
夜が深い。そういう季節になってきた。

湯船に浸かりたくて、そうしたら疲れが少しは取れるんだろうなと思うのに、湯船の湯が怖い。その怖さがどうしても拭えない。それが被害体験から来ることも分かっている。それはもう過去ということも頭では理解している。なのに、風呂場の扉の前と部屋とを何度も行き来しては、諦めてしまう。
今夜ももうシャワーだけで済ませてしまおう逃げてしまおうと思ったのだが、それ以上に疲れていた。何故こんなに身体が疲れているのか自分でも分からないのだが、でも、疲れていた。恐る恐る風呂場を覗き、風呂の蓋を開け、じっとそこに貯まっている水の面を見つめる。こんなことしてるならもう入れよ自分!と、思い切って追い炊きのボタンを押す。
追い炊きが済むまで、また途中で逃げ出さないように洗い物に専念する。頭の中がぐるぐるする。でも今夜は入るんだ、湯船に浸かるんだ自分。何度も言い聞かす。なんでこんなことやってるんだろうと思い始めるのを、頭をぶんぶん振って、振り落とす。

湯船は。あたたかかった。息子が入った後の湯。それだけだ、他の誰も入っていない。分かってる。なのに、水面を凝視しようとする自分がいる。だめだやめておけ。そんなふうに自分のトラウマを抉るんじゃない。雑念ばかりに支配される自分の頭を、いっそ取って捨てたい気持ちにさえなる。
それでも。
何となく。強張り続けていた身体が、ほんの少しだけれど緩んだ気がする。それに気づいて、ちょっと泣けた。何やってんだろ、いつまでやってんだろ、自分。

何度も何度も何度も。凌辱されたその後、証拠を消すかのように入浴を強いられた。湯船にはいつも、加害者の垢が浮いてた。びっしり水面を覆ってるかのように私は感じられた。その水面を覆う垢の群れが、私をさらに凌辱してくるかのようで、何度も過呼吸になった。
そうして、私にとって入浴という行為は、もはや闘いになった。

でも。
あれから一体どのくらい経つ? もうじき30年じゃぁないか。分かってる。30年といったらひとひとり成人しても余る年数なんだ。そういう時間なんだ。分かってる。
でも私には。つい昨日のことのようにそれらが蘇ってくるんだ。大津波のように襲い掛かってくるんだ、記憶たちが。
いい加減、手放したいのに。

疲れたなぁと思う。トラウマだらけの人生に、正直、疲れたなぁと思う。何もかもなかったことにして、やり直したい気持ちに時々、猛烈に、なる。
でも、それができないのが、私が背負い込んだPTSDって奴で。これと上手に付き合っていくほかに術はないんだ、ということも分かってる。
洗った髪にドライヤーをかけながら、鏡の中の自分をじっと見つめる。今の私の顔はどんな表情をしてるんだろう。疲れた顔か?
そういう時は。歯ブラシを咥えて、ぎゅっと噛み締めて、にーっと笑う練習をすることにしている。昔々、笑えない自分に気づいた或る日、怖くなって何度も鏡の中笑う練習をこんなふうにしていた自分だった。ひとは、笑うことを忘れると、その筋肉は簡単に落ちるんだということをその時に思い知った。だから、ぼんやりのっぺらぼうになっている時ほど、無理矢理にでもにーっと笑う練習をする。
大丈夫。まだ、笑える。筋肉は生きてる。まだ全然、大丈夫。

そうだ、うん。笑えるなら、たぶん私は明日も大丈夫。何とかやっていける。今日を昨日にして、明日を今日にしたならば、きっと無事越えていける。
笑いは人間の最大の武器だと、そういえばマーク・トウェイン著「不思議な少年」の中で語られていたっけ。本当にそう思う。笑い顔さえ失わなければ、何とかやっていけるというもの。
すっかり乾いた髪を櫛で梳く。さて。最後にもう一度。
に、っと、鏡の中、笑い顔を作ってみる。うん、大丈夫。笑えるんだから、私は何とかなる。

夜が深い季節になった。
冬が、来た。


浅岡忍 HOMEMAIL

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