ぽんちゃんと会った。 ほんとうに久しぶりに。
実に聡明で聖母のようなやさしいことばとあたたかい笑顔をもつ。 私より10歳ほど年上の彼女とはネットでの出会いだった。
彼女の紡ぎだすことばにひかれて、あっという間にファンは増え著名な作家も夢中になるほどだった。
素っ頓狂にとっちらかっていた私をかわいがってくれて、いつでも自分を責めてぐずぐずしているわたしに
「そのときはそうなることが必要だったのでしょう」
と言ってくれた。まるごと全部をうけとめてもらえたような安心した赤んぼうのような気持ちになった。
どうしたらそんなに人にやさしくなれるのか、どうしたら彼女のようになれるんだろう、私と何が違うんだろう。聞けば聞くほどなんでも答えてくれた。彼女の紡ぎだす物語をもっと聞きたくてもっともっと書いてほしくて自分のウェブサイトをつくり彼女の物語を掲載した。
素晴らしい物語だった。 私の幼少期と重なるところも多かった。 主人公達は映画のようには生き生きと動き、語りともに苦しんだ。
お話の中で自分も一緒に再生していける気がしていた。
熱い情熱で始めても、毎日続けていくことは根気よく地道な作業であり、クレームもくる。意地の悪いことばもなげられる。 自分の大好きな人たちと自分を集めて等身大の素人物だった分、批判がくるなんて思ってもみなかった。
そこですっかりしょげてしまい、ぽんちゃんの物語も読めなくなった。 私は実家をでて会社をやめ夜遊びにのめり込み生活時間も乱れていた。 サイトをやめたくてでもぽんちゃんの物語はまだ終わらなくて、もう受け止められなかった。 主人公達は青年期を迎え必死に苦しんでいた。 私だったらあきらめてしまうきっと耐えられない状況を懸命に生きていた。
その頃から私も口からことばがだせなくなっていた。
「わたしはこう思う」 「わたしはこうしたい」 「これをたべたい」 「これはいらない」 「したくない」 「いきたくない」 「やめたい」
人に自分の意志を伝えることがすっかり怖くなっていた。 友達にも家族にも恋人にも。苛立つ周囲の人に囲まれながらも ただいつも連れてかれるままに回転寿司のまぐろを味もわからないまま食べていた。
「自分の否定的な思いを伝えたら、そのことで相手はとても傷ついて強く攻撃的になり私はもっと傷つけられる。だったらまだ今のままなにもいわないほうがいい。」
ぽんちゃんに会って、「ウエブサイトをやめる」と言わなければと思った。 小さな子どもふたりを近所の奥様に預けて私とあう時間を作ってくれた。
でもどうしてもやっぱり言えなかった。
それからづっと言えてない。
「ごめんね。私から言い出したけど、今は少し疲れていてサイトはお休みしたいんだ。ぽんちゃんのお話はまだ終わってないけれどどうしたらいいかな。ぽんちゃんが良ければ私は続きを読ませてもらえたらうれしいです。」
あの時、あのキッチンで言えなかった言葉を繰り返す。 きっと彼女は、あたたかい笑顔で
「どうしようかね〜、はじめたことを途中で終わらすのは好きじゃないからなんとか仕上げるわ。一緒に書き始めた頃は楽しかったねえ」
ふにゃりとした笑顔で答えてくれたことだろう。
自分に傷つく事ばかりに敏感でいやんになる。 今回も言えなかった。でもきっと次に会うときは言える気がしている。
あー。。 今回会って、ぽんちゃんの着物がいかにすてきだったかを書こうと思っていたのにさ。。
2012 2013は、手帳とカレンダーから距離をおいていた。
朝起きてお天気をみてその日にやりたいことをする。 晴れた日はお布団を干し、時間があれば山に登る。 雨の日は、部屋に籠り映画を見たり本を読む。
好きな人とだけ付き合い、ご近所の仲間でたわいないおしゃべり。 真面目に「気ままな晴耕雨読」。
一年すぎて思うのは、 ・ぜんそくが出なくなった。 →掃除をマメにするようになったこととストレスの低下 ・キッチンで飲む酒量が増えた。 →翌日の仕事がないためストッパーがききにくい ・話しができる相手が欲しい。 →おしゃべりでなく ・ストレスに弱くなる。 →問題解決能力に自信がなく判断力が低下する ・雰囲気が和らいだねと言われる →仕事の責任がない ・作り上げる喜び、評価に乏しい ・経済的不自由。 →働いてないから、ま、当然。
あと、なんだろう。 ・スケジュールがあいているので好きな時、好きなところに飛び込んでいける。 ・自分と向合う時間が増える。 →善し悪し。。
そろそろ、todoリストが恋しくなってきた。 漠然と思いつきで過ごす毎日は、楽しいけれど刹那に走りがちだ。 目標をさだめひとつひとつ課題をこなして行くのもそれもまた楽しい。
10月始まりの手帳にいそいそと予定を書き込む。 2014もすぐそこ。
今回、帰省して
尊敬できる素敵な友人たち 小さな頃からの大切な友人 異国の地で知り合った友人たち 最近知り合ったけれど心通う友
そんな彼らにたくさん会って、皆からも今の自分を受け入れてもらえてなんだかとてもほっと楽になりました。
ずっと「帰りたい帰りたい、みんなに会いたい」と思っていた気がする。
この10年、張りつめていたり疲れきっていたりで、自分が何をしたいかなんて忘れてた。
したいように好きなことしている人が羨ましくて愚痴ばかりこぼしていた。
帰りたい帰りたいで実家に逃げていたらきっとこんなに嬉しい気持ちでみんなに会えなかった。
ここ北海道での暮らしを受け入れて楽しみ始めたら、会いたかったみんなにも会えた。
自分の大事な人や物や事が、またちゃんと見えてきて、ああ大事だな、こういうことが大事だと思える自分が好きだな、というこの感覚。
身近な人の大事なことも「あなたにとってほんとうに大事なことなんだね」ということがすとんとよくわかる。
あー、よかった。 苦しかったとこぬけだせて。
そうそう、この感じ。 大丈夫大丈夫。もうかなり大丈夫。 安心して生きて行こう。
体調不良と天候不良のこの3日は、ベット→ソファ→ベット→ソファの往復。
食べて飲んで寝て起きて食べて寝て。。ってそれだけだったら最高だろうな、っていつも思ってるけど実際やってみると頭は重いし部屋は片付かないしたいしてよくない。 ホテルじゃないし。。
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よく寝た。 TVも一年分位見た。
2013年11月08日(金) |
秘書のヒショヒショ話 |
大学院研究室で秘書をしていた。
今朝、私の後任だった彼女からメッセージがあり、彼女も退職したのだという。彼女のお嬢さんが我が家のムスメと同じ小学校に通うので「お話聞かせて下さい」という。もちろん、大歓迎で日程をサクサクと決めた。
若い教授で生徒数も多く論文もガンガン書く、大変エネルギッシュな研究室だった。秘書なる仕事は面白かったが、残業やお持ち帰りをしてもやればやるほど仕事は増えていき、契約更新時に双方話し合い 職した。
私の前任も後任もとても素敵な女性であった。 最長3年まで契約更新できるが、これで3人とも「一年足らずでの退職」ということになる。残業や持ち帰り仕事の多さは、私の手際の悪さだけではなかったかな?と、少々ほっとしたのが正直なところ。
家庭にもすこしあの時の秘書モードを取り入れれば、こんなにワイングラスを割らなくてすむかもしれない。
昨夜は、夫が出張と聞いて雅美ちゃん母子が夕飯を食べにきてくれた。すてきに美味しいイタリアワインをもって。
片付かないスーツケースやらでど散らかっていた部屋をマッハで掃除し、ロールキャベツも圧力鍋で仕上げた。
名古屋から札幌にお嫁にきた同じ年の彼女とは、なんとなく戦友のような思いがある。賢くいつも華やかで毎日をよりよい一日にしようと努力している。そしてどこか物憂げだ。
「田舎」と「都会」についてお話す。 世界中、文化は違えどそこが「田舎暮らし」か「都会暮らし」かの分類のほうが住む人も暮らしもわかりやすいと思う。
日常「田舎者」という言葉は、ネガティブにつかわれるが決して「田舎に住む人」「田舎で育った人」をさしてのことばではないだろう。幼少期を大自然と戯れて育ってきた人は例外なくエネルギッシュで繊細な感性を持ち知性と謙虚さを兼ね備えた魅力的な人が多い。
私が、あ、田舎の人かな、苦手だな、と時折思うのは、はじめすごく面倒見よく歓待してくれるのだけどその分の見返りにとても敏感で世界や身体が閉じていて、あと、すぐに派閥をつくる。何かのきっかけで急に「あんなに尽くしてやったのに」と攻撃的になりいつまでも噂話をしたがる。
貨幣よりも手間と気持ちのかかる濃密なコミュニケーション。
雅美ちゃんとそんな話をしながら、でも人のそういう苦手なところを引き出してるのは私なんだろうなと思って、話題をかえた。
人の好意に甘えすぎたり、断るのが下手だったり、都度都度のお返しをまあ、後でいいかな?と思ったり思わなかったり。
2人とも帰省直後だったので、実家のことなどもあれこれ話して気分よく酔っぱらって楽しかった。
連日の千歳空港。
ホーチミンに出発する夫を送りに行く。 隣にたつ彼の血が全身で沸き立っているのがわかる。 ランチに何を食べようか迷い、花畑牧場のチーズパスタに。
昨今、目が食べたいものと身体が欲するものが違う。 パスタおにぎりラーメンお寿司焼き肉。 今までも得意だったわけではないが、食べた後ぐったり と疲れどんよりと意識が遠くなる。
チーズパスタにしたのは、夫が「こんなのもあるよ?」 と薦めてくれたから。案の定、残さず食べてぐったり。 「そういうのやめたほうがいいよ?」と心配そうに夫。
薦められると断れないのも、出されたものを残したくない のも 結果、私が「ぐったり」では誰も幸せにならないのに なかなかやめられない習慣だ。
ムスメにふうれん(風連)のソフト大福を買って帰る。 半纏を着て真っ赤なほっぺで大福を頬張るムスメは間違いなく 北国の子どもだね。
10年ぶりに再開
前回は 夫が「バクダッド」で私は「アンマン」だった 今回は 夫が「ホーチミン」で私は「札幌」。
友人を訪ねて市ヶ谷へ。 九段下で降りて千鳥ヶ淵を歩く。 靖国神社の石畳が懐かしくてぞっとする。
お正月は毎年、父方の実家である月島の祖父母にご挨拶のち 帰りは靖国神社で参拝&銀ブラであった。
父の都会を慕う気持ちと母の里山を駆け巡って遊んだ思いとが 今も自分の中に同居しているのだと思う。
訪れた友の住まいは、性別年齢を感じさせない東西ミックス 無駄を削ぎ落としたスッキリとした一人住い。
ウエルカムシャンパン&パンプキンスープ サーモンサラダ 鮪の漬け丼 珈琲&チーズ シガー
手早く美しい台所仕事は見ていて惚れ惚れとする。 夫の仕事を通じて知り合った方だが、日々の献立、料理意欲を かき立ててくれる今や私の大事な食の先生でもある。
ワインバーをしていたときの話をほんとうに楽しかったと語る。
こんなにもうれしそうに楽しかったときの話をできるというのは実に幸せなことだろうと思う。 ウィットに富んだ会話と美味しい食事で心から笑い満たされた。
帰りは、会社員時代に勤めていた飛栄九段北ビルを記念撮影。 当時の鉄鋼会社は合併してもはやなかったけれど、おお。
麹町郵便局の懐かしさよ!
有楽町線の入口で下から吹き上げる地下鉄の風をワッと浴びたとき当時のことが全身でフラッシュバックした。
素敵なもてなしをどうもありがとう。 次は札幌か佐渡か東京で。。
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