セキセイインコ ゴン助の精巣腫瘍闘病記録
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ゴンの時間は止まった。 だが私は立ち止まる事すらできない。1秒ごとに 碓実にゴンと一緒の日々から遠ざかって行く。
こんなことははじめてではなかったから どうすればいいかは知っている。 洗濯機をまわし、掃除機をかけ鳥カゴを洗った。 ゴンの気に入りの玩具は外して傍に置いた。鈴も添えて。
朝食を食べ、部屋を片付けた。ゴンのヒーター、 残った大量の餌と薬。 熱い湯でぴかぴかに窓辺を磨いてベランダの プランターの土を掘り起こし柔らかくした 残った餌はスズメにやる。 ゴンはいつもスズメのおしゃべりを聞いて真似ていた。 そこにゴンを埋める。
近所の花屋を数軒まわって黄色い花を買って来た。 数種類みな黄色。ローズマリーも添えた。 ゴンの上には黄色い花がたくさん揺れている。
一気にすませた。 その間にも時間は流れていく。
小さな体で大きな腫瘍を抱えた体。 よくがんばったと思う。楽ではなかったはずだ。 お疲れさま。
空いた鳥かごと玩具が辛い。 ゴンは最後まで生きる事を諦めずにいった。 体力を使い切った体に訪れた二度の痛みが 悔しい。ゴンはまだ生きるつもりだった。 それを体の何かの異変が断ち切った。
だが、嘔吐の中に茶色の血らしきものを見ると 複雑だった。どんなに苦しかっただろう。 呼吸が止んだ瞬間いろんな感情が脳裏をよぎった。
生き物の死の概念は知らない。 本能で生きているんだろうと解釈している。 生きるときは生き、死ぬ時は死ぬ。
それを飼った生き物の場合、飼い主が引き止める。 獣医さんはけんめいに力を注ぐ。 時間を必死に引き止めようと抗う。
それが正しい事かはわからない。 でも多分、お互い命と向き合った時間だった事だけは 間違いない。数々の事を学んだ貴重な時間。 亡くした悲しみを越えるだけ、喜びもあった。 いつか来る出来事だっただけだ。 まえもって覚悟の準備期間もたっぷりあった。 ペットロス、それだけで終わらないと思いたい。
一緒に過ごした時間そのものは、変わりはしない。 きっとまた雛を探すだろう。 春になったらゴンが生まれ変わってウロウロして いるかもしれない。探してみよう。
若々しい小鳥の姿を見る事でゴンとの日々を 思い出そう。楽しかった事は山のようにあったのだから。 生き物を飼う、と言う事は多分そういう事だと思う。
しばらくは寂しさがついてまわるが仕方がない。
日記をつけながら覚悟の準備をしていたが 笑える事も多かった。 そして見知らぬ方々からゴンにはげましの 言葉まで戴いた。 きっとゴンは幸せな一生だったと思う。
この日記を読んで下さった方々に深く御礼申し上げます。 そしてこれが同じ病気を持った飼い主の方に わずかでも参考や慰めになればこれ以上嬉しい事は ありません。
後日改めてゴンの処置などわかりやすくまとめたり 思い出など思い出した折に書ければ幸いです。 多分それが一番の供養であり、ペットロス(この言葉は 好きではないのですが)のいい薬なのでしょう。
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