セキセイインコ ゴン助の精巣腫瘍闘病記録

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2005年05月26日(木) ペットロスのこと

久しぶりにここで書く。

先代インコが死んでから時間が経った。
私は『ペットロス』なんて言葉のお世話には
ならない。岡本太郎さんの文を引用している
通り、私達の傍で戯れているすべてのペット達は
生き物。

例えイヌだろうがネコだろうがトリだろうが
毒グモ(待て)だろうが自然に生きて
暮らしていたものを連れて来たものだ。

人が生き物を愛する気持ちはとても
大事だから悪い事だとは思わない。
だけど、依存するのは互いに不幸だ。
家族や友人に背を向けてペットの死を引きずる姿は
彼等も途方に暮れる。なくした寂しさが痛いのは
正しい反応だから思い出す度に涙も出る。
悔しい思いもある。

だけど。


彼等は『ヒト』じゃない。

一緒に暮らしたペットは生き物であって私達『人間』と同じじゃない。
死ねばむしろ
「ありがとう、種を曲げて一緒に時間を過ごしてくれて。
楽しかった。 もうこれからは自由だよ」
とペットという枠から生き物に解放する
旅路の始まりなのだと思っている。

失ったものはペットではなく一緒の時間を生きた『生き物』の命。
生きていればたくさんのものを失いながら歩かなければならない。
生死でなくとも友達をなくしたり、仕事をなくしたり 大事にしていたものをなくしたり
1秒ごとに いろんなものが消えながら生きていく。

人生の何度かは肉親とも死に別れる。
そういうものだ。
私は犬や鳥に死なれる度にいつかくる肉親や愛する人々との別れを痛感する。

ペットと人が共通している事がひとつだけあるから。
それは一緒に過ごした記憶、だ。
これは人もなんの生き物でも重さに変わりはないだろう。
他人の尺度は通用しない。
その人それぞれに深く、あるいは浅くその人だけのもの。

深ければ痛いのは普通の感情だから悲しんでいいのだ。
だけど、それをひとつ、またひとつ乗り越えて行く事で
それこそ『同じヒト』とのメガトン級な出来事に
耐えられる覚悟が育って行くのだと思う。

『ペットロス』なんて死後まで縛るのか、と
私は使いたくない言葉だ。


生き物をいたわる事が出来れば人にも向けられる。
動物園や水族館へ行って可哀想、なんて冗談じゃない。
私は飼育係の人にそんな事は言えない。
ひどい管理で目に余るケースならまだしも
飼育している彼等こそ、一番動物園や水族館の 矛盾を知っているはずだ。
直接生き物と関わっているぶん、他の誰よりも感じていると思う。

無理やり異国に合わせて生かされている動物達の体調を見守り働く彼等は知っている。
自然がどんどん遠ざかる中、動物園くらいしか生きた 生き物が見られない事を。
辛うじてペット。
一度も生きた大型動物を見た事がない子供達は生き物をどう理解できるんだろう。
生きて死ぬ事を一番感じられるのは実物に接する事だ。

動物園の多くは希少種の園内繁殖(ズーストック)やより環境に近付ける努力を始めている。
だから私は動物園に通い、お金をあまりおいしくもない
食べ物に払う。(最近はがんばっておられるのか美味しくなりました)
経営も大変だと思う。

経営難になればアトラクション化したり、悲劇が起こる。
別に普通に親子やカップル、じいちゃんばあちゃんと孫、
キャーキャー騒がしい若い子達で見に行けばいい。
ひとりでもいい(自分はデッサンに通った)

そしていろんな事を感じて帰ればいい。
動物園ってそういうものだと思う。
プロが生き物を管理してるぶん、ペットより安心して見られると思う。


ペットも一緒に過ごしていろんな事を感じればいい。
そして別れもそこにはワンセットで必ずある事だけは覚悟して、可愛がっていればいいと思う。


ペットに作り替えられたイヌやある種の鳥、様々な生き物達。
毎年とんでもない数処分される放棄された生き物。
放棄するのは勝手だが、生き物にそういう接し方をしている人々は、生き物の中に『ヒト』も含まれていて
己がやった事はいつか自分に戻ってくると思っている。

イルカやクジラも同じ。
普通に必要なだけ食べている人はバランス感覚があるんで減った、と聞けばちょっとやめようかなと思うだろう。
海が汚れた、と聞けば台所の流しでちょっと気をつけてみるとかくらいはやるだろう。
利益追求したり殺して喜んでいるようなら、多分周りにいる人間もそんな人ばかりで
さぞかし殺伐とした人間関係だろう。
必ず自分に戻ってくる。


私はそうはならないよう、知る事を重視しながら生き物と関わっていく。
その有効な方法のひとつが生きた動物に接する事だと思って、私は生き物と暮らし、見に行く。


(ただし、動物園でやるな、と言われてる勝手な餌やりとか石投げ、よく見るので
いうまでもないけどやめて下さいね)

ペットと死に別れて悲しんでいるその心は誇りに思っていいと思う。出来る人ならば次の命に
そのやったミスや後悔を取り戻して、人と共に生きていかざるを得ない生き物をせめて
健康でハッピーでな一生にする事が互いの幸せに思う。




余談

昔、マンガ家のアシスタント先に行った時、アシやってた兄ちゃんがおもむろに財布から
死んでしまったハムスターの写真を取り出して見せてくれた事がある。
初対面でもう名前も顔も忘れてしまったけど、大事そうに、そしてどんなに可愛かったか
どんなに病気の時心配したかとつとつと語る姿はよく覚えている。
死んじゃって彼がどんな姿でちっこいネズミ見てたか想像つく。




ちびゴンは今元気いっぱい。


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