セキセイインコ ゴン助の精巣腫瘍闘病記録

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2009年12月17日(木) 再録のあとがき

時間が大変かかってしまいましたが、探し出せたキャッシュの分はすべて再録できました。
欠番はもう見つける事は困難かと思いますが、それでもほとんど当時の記録が見つかりました。
あれからもう何年も過ぎ、新しくやってきたちびゴンも7歳間近です。

改めて読む事はあまりしていません。
私にとっては『生き物』の命をしばらく預かっていた感覚でしたので生ききったあとは
名前すらないのです。
そのかわり、今預かっている生き物(鳥)はすべてゴンやんです。
ちびはあまりにもチビなのでちびゴン。

やってきた時、あまりにも体が小さく(獣医さんが絶句したくらい)
病気だらけに加えてアホだったので、長生きしないと思っていました。
信じられないような事をやって何度も死にかけていましたから。
普通に売っている鳥用オモチャのはしごで頭が抜けなくなって泣き叫んでいたり
ブランコの鈴にキックしまくり、鈴の真ん中の別れている部分に足を突っ込み
抜けなくなって逆さまにダランとブラ下がっていたり…
絶対こいつは長生きしねえ、と覚悟していました。

先代のゴン助は堂々として腹がすわった鳥でした。
一度自分でケージを中から開け、私達が外出から戻ると
玄関までトコトコ歩いて出迎えに来た事もありました。

ちびゴンはと言いますと、小さなガシャポンのガメラを目の前に持って来られて
泣き叫びながらだんなの腹の中に逃げ込んでそのまま腰を抜かす、といった塩梅。
歩きもしません。
絶対高い場所か人間の体にくっついています。
床が嫌いみたいですね。

名前は同じですがキャラクターは正反対。
よく先代よりヘタレやのう、とぼやきつつ、これはこれで私達が飼わなければ
売れ残ったまま寂しく短命だったかもしれません。
というかえらい金のかかる幼少期でありました。
ボソボソで貧相なチビだったので獣医&高価な餌(パウダーのものや高価な栄養剤)で
なんとか普通に小鳥、まで成長しました。菜っ葉も自家製ですし。
これもまた功徳でしょう。

生き物はとても良いものです。
犬も鳥も猫もなんでも。
病死をしても充分世話できましたので後悔もありません。
時間が経った事で寂しさや悲しみは薄れ、楽しかったこと
嬉しかったことばかりが残るのみです。

更に実家で飼っていた犬が19年半という信じられないような長寿を全うしたこと。
私が子犬の頃離乳食から面倒を見て、6歳以降は私が実家を出たので
両親がよく面倒を見てくれていました。
父も母も大変彼女(雌犬でした)を可愛がってその結果の長寿でしょう。
雑種で庭に飼い、餌も犬用の残飯でした。
(鍋に彼女用のごはんを作り、少しばかりドッグフードを混ぜていました)
食が細く、夜にもらうおやつの方が好きでイチゴやヨーグルトなどもらっていたようで
帰省してパンやヨーグルトを冷蔵庫から出して食べていたら

「あ!それワンコちゃんのばい!」

いいですよ。犬、雑食だから人間が犬の食べ物喰ったって死にゃしない。
亡くなる時も数日前、私は間に合い、数日ずっと一緒に過ごしてやれました。
もうすっかりボケて立つ事もできず、おむつをして布団の中にいる状態でしたが。
そして息を引き取る時も両親が最後のひと息を見届け
飼い犬としては満足な生涯であったと信じています。

父と母は寂しいみたいですが、年寄りですので犬を飼う事はかないません。
犬が20年も生きるんですから。
私も都会暮らしで犬は残念ながら飼えません。
そのかわり、たどたどしく人の言葉を話すちびゴンがおります。

上京して出来た友達が犬をたくさん飼っていて、最近は犬カフェも始めたので
犬には不自由しません。
遊びに行けば頭のてっぺんからつま先まで犬が乗っかってきます。
友人もまた、少し前に可愛がっていた一頭を亡くし、同じ気持ちを互いによく理解しているように思っています。
この人も人間並みにお金と時間をつぎ込み、充分やりつくして見送っています。


すべての生き物と飼い主に幸せな時間がありますよう祈りながら締めさせて頂きます。
当時から、または最近こちらに来られた皆様すべて、読んで下さってありがとうございました。

もし、何かの参考なりお役に立てたならとても嬉しく思っております。


嶋野千恵(bluemarin)










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