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2013年12月28日(土) ■ |
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ロスタイム |
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去年の夏に体調を崩してから、その時がいつ来てもおかしくないと覚悟していました。 食べるものも食べられない。 吐いてしまって体重はどんどん減っていく。 治療法はわからない。 明快な回答は無くて、日々模索して。 まず決めたことはふーのことを優先順位で一番にあげました。 治療について自分で決めたことは何が起こっても腹を括って受け入れると決心しました。 そして何があってもふーの世話とぶつかったら断りました。 周りは理解のある人ばかりで不義理をしているというのに寧ろ助けていただくことが多くて本当にありがとうございました。
12/22に忘年会で13歳10ヶ月、13歳6ヶ月で亡くしたうさ友たちと話したり 12/23に日記でふーの状態をまとめていくうちに老衰で亡くなったんだなと認識できました。
ふーと一緒にいた間にわたしの周りで大切な人との別れもやっぱり何人もあって 亡くなった後のわたしの抜け殻になったようなその姿を見ていたんだと思います。 ふーとも別れたくないと若いうちから言っていたのも聞いてたし。 だからこの介護に明け暮れた時間はふーからくれたロスタイムのようなもので、 わたしがふーの死を受け入れるためにくれた時間なんだと世話をしている間に考えるようになってきました。
誕生日過ぎて秋めいてきて いつまでも一緒に居たかったけど それはわたしのわがままなんじゃないかと思って 「ふーがしんどかったら良いよ」って言いました。
秋が深まって更に膝が悪くなり、 おしっこが自力でしにくくなり 抱っこしても前足を突っ張ることができなくなって。 ふーという砂時計の残りの砂の量を嫌でも意識するようになりました。
いってきますは普通に言って 帰宅したらたたいまと言う時は頭を撫でて待っていてくれてありがとうと言い、 自作のふーが好き〜♪なんて歌も歌いながらお世話して。 夜に抱っこした時は頭をたくさん撫でながら大好き一緒にいれて幸せと飽きもせずに毎日伝えて。 世話することは多かったけど、世話することでふーの信頼の度が増しているのを感じましたし 夢まで見ていた添い寝も望んでしてくれることが多くなりました。
今まで撮りためた写真を見ると視線がこちらを向いているか耳が向いているかのどちらかで。 きっと見ててくれたんだなぁ、気持ちは伝わっていたんだなぁと。 ずっと自信は無かったけど、最期の最期でふーの気持ちを受けとれた気がします。
当初予測していたより長いロスタイムでした。 でもふーもわたしも精一杯、一緒の時間を過ごすことができたと思います。
今日で35日。 仏教的に考えるとふーも無事にあの世に行けたと思っています。 万が一、輪廻の輪に囚われることがあったらうちの子になりにおいでまた精一杯愛してあげる。
ふーとのあしかけ14年間にお付き合いいただきありがとうございました。
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