ラミパスの日記...ラミパス

 

 

忙しさのピーク、峠を越えた - 2003年04月11日(金)


ドイツから帰ってきてから2週間たった。
いろいろあった。

特に仕事が、社労士事務所、1年で一番忙しい時期に突入しており、あっというまにその忙しさに飲み込まれる。顧問先に出向いて、従業員の1年分の給与をピックアップ、その報告をするのがメイン。建設業だったらその他に有期事業といって元請工事の請負金額等を報告する。これらを元に労働保険料の計算をし、昨年度の確定と今年度の概算を出す。
とにかく数が多いので大変。賃金を聞いてくるか、給与台帳を借りて書き写す。この後の作業は、EXCELが利用できるはずなのだが、事務所の流れはまだそこまで行かない。全員 PC が使えるわけではないし、過去の積み重ねによる手順が出来上がっている。これに新しい方法を導入して、もっと効率よく進めるようにしていくのが、今後の自分の課題。今のところは流れを覚えるのにせいいっぱい。

帰国後の2,3日は、とにかく眠くて大変だった。時差は8時間、向こうではすぐ現地に順応できたが、日本に戻った後、元に戻るのにけっこう時間を要す。
8日からは(り)の中学2年生活も始まり、また早起き生活になって、いっそう眠気を誘う。

【社労士試験勉強】
ということで、ドイツ帰国以来全然進んでいない。赤信号点滅。

【合唱三昧】
4月5日、久しぶりの明響。メンデルスゾーン「賛歌」の続き。お昼をはさみ4時間の練習で、残すはあと1曲。「エリアス」の楽譜購入。音取りMIDI のチェックを始める予定。
やっぱクラシックの合唱はいいなあ。

翌日、竜混の練習。ドイツ遠征を終えて、最初の集まりなので、次、何を練習するのだろう。で、一時間ほど簡単な歌を練習して、あとはドイツ演奏会報告会となった。みな、写真を持ってきている。
こちらは、「ひびき」のお知らせ号をとりあえず作成して持っていく。4月以降の練習日時を皆に渡さないと。





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ドイツ演奏会の旅・最終日 - 2003年03月29日(土)


ついにこの旅も最終日。荷物のパッキングを良く考えて… 朝食後、エッフェル塔に登るグループと旧市内市庁舎塔に登るグループに別れ、タクシーで出発。
自分は旧市内散策派。
まずはスメタナ資料館へ。ここはカレル橋のふもとにあり、昨年の洪水で大打撃を負った。スメタナ銅像は、Uさん曰く「おー、こんなところに西郷さんがおるわ!」 確かに遠めにはそのように見えるが…




行ってみると1階部分はまだ修築中だったが、展示物は2階に。50Kcを払い中へ。原語で解説なのでさっぱりわからないが、BGMを自分で選択でき(展示室中央の指揮台から、タクトを部屋に分散されている譜面台に向けて振るとそれぞれの譜面台ごとに曲が変わるという趣向)、窓から見えるカレル橋とプラハ城の美しさにうっとり。
そして、歩いて旧市街広場へ。市庁舎横の教会では、まさに結婚式が終わって花嫁がでてきたところ、ものすごいリムジンが待っている。音楽隊も演奏し、とても美しい花嫁(と花婿)が人々に囲まれている。全体の雰囲気はまるでゴッドファーザーに出てくるような人々。後でわかったのだが、きょうは日が良いらしく、次から次へ結婚式が行われ、そのたびにライスシャワーが。三組目の花嫁は、なんと日本人だった。ジャパニーズ着物が美しい。



市庁舎タワーに登る。エレベータで行くが、町の中心部から見る風景はこれまた絶景。なんでこんなに美しいのだろう。

お昼は、そばのオープンテラスで。場所により人を見てぼったくるところもあるらしいので、昨日のガラス屋さんにお勤めの日本人スタッフにかけあってもらう。そして内海さん念願の屋台(?)で食事。サンドが美味しい。外で食べるとまた何倍も美味。



とても充実したプラハの休日。でも帰る時間が刻々と迫る。一旦ホテルに戻り、大きな荷物とともに空港へ向かう。さ〜ら〜ば〜プラハ! また来〜る日まで…


フランクフルトからの成田行きでは、男4人が席にかたまり、かなりきつい。見るとちょっと前のほうに一列、席が空いているところがあったので、離陸直前にそちらに移る。夜中、ふとめざめて後方席の窓から外を見るときれいな夜景。夜景といっても、一面のツンドラ地帯にわずかに光る人工の光、それに満天の星空。なんとなく空がところどころ明るい。しかもなんか、模様があるような… ひょっとしてこれ、オーロラ? じっと見ていると、だんだんカーテンのような光が… これはオーロラに間違いない! グループでただ一人起きていた昌二さんに声をかけて、空が朝焼けに染まるまで、飽くことなくかわりばんこにこの北極の空のショーを楽しむ。いやー、生まれて初めて見たオーロラ。きっとコックピットから見たらもっとダイナミックに見えるんだろうなあ。




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ドイツ演奏会の旅・第九日 - 2003年03月28日(金)


8時半にホテルを出発。きょうはプラハ郊外の古城、カルルシュタイン城見学。14世紀ごろに建てられた古城、先日のノイシュバンシュタイン城とはまた違った趣。数々の宝物を貯蔵するための城ということ。

パーキングから山道を歩いて30分くらいらしいが、きょうはみんなで馬車で登る。帰りは歩き。ここも時間ごとに見学の時間が決められていて、我々は10時20分スタート。いっしょに回ってくれる現地の人は、小柄でかわいい女子大生。日本語学科の4年生だそうだ! それにしても城内は寒い! 石壁の厚さが、2mくらいあるだろうか、そして小さい窓。冷え冷えとして、何を好き好んでこんな寒い城を作るかなあ。昔の建築法だと、このくらい壁を厚くしないと大きい城は支えきれないのだろうか。




昼食はまたバスで市内に戻る。典型的なチェコ料理のコース。焼き豚のようなスライスした肉に、キャベツの酢漬け、そして茹でたパン。美味しかった。

午後はフリータイムだが、Mさんの提案で、みんなで船に乗る。モルダウ川を登って下って1周の遊覧船。約1時間コース。暑くもなく寒くもなく、素晴らしい天気に恵まれて、船上から見るプラハの街並み、お城もまた格別。




そして旧市街に歩いて戻り、それぞれ行きたいところに行く。私とTさんは本屋さんで現地の地図を物色。Mさんはスーパーマーケットでお買い物。SさんUさんはマーケットをブラブラと。Uさんはまた果物市場でわけのわからない果物を買ったらしい。女性陣は固まってどこかへショッピング。男声陣より遅く6時に戻る予定。

で、女性陣、やっぱりスリに遭った(未遂ではあったが)という話。旧市街広場で、若いきれいな女性に声をかけられた。地図を片手に、「これはどこか?」みたいなことを聞かれた、と。で地図を覗き込んでいるときに、ふと隣の女性の手がカバンにのびて触ったのを感じ、フンッ!と振り返ったら、くだんの女性たちは「OK、OK」と言いながら足早に人ごみの中に消えて行った、とのこと。若くてきれいなのだけど、黒髪、どうもジプシーのようだった、と。
うーん、昨日の路面電車の中といい、やっぱり確実に存在するんだ。あと半日、緊張を解かないように気をつけよう。

きょうの夕食はバスで市街地に出る。我々だけの個室。静かに、ゆっくりと会話(この旅行のハイライトを思い出しながら…)を楽しむ。




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ドイツ演奏会の旅・第八日 - 2003年03月27日(木)


7時起床。昨夜は10時半には寝てしまった。よく眠れたが、乾燥してしようがない。ゆっくり朝食を取って、ところがここで今ツアー最大の事件が発生(いちおう、今ツアー仲間の中では今回の件公表すべきかどうか意見を交わしたが、ご本人のご了承もあり、事実を載せます)。

朝食を食べて、ゆっくりコーヒーを飲んでいるとき、IさんとTさん二人が深刻な顔をして現れ、開口一番「添乗員さん知りませんか?実はIさんのパスポートやら現金やらを入れていたウエストバッグが消えてしまって。。。」
Tさんは自分のお金やパスポートのはいったバッグを枕元のテーブルに置き、Iさんは同じくウエストバッグとポーチをベッド足元にあるテーブルの上に置いて、寝たのだそうだ。
そして今朝、起きてみたらIさんのバッグがそっくりなくなっていた! Tさんのは枕元にあったためか無事。二人ともにわかには信じられず、それぞれのスーツケース等、部屋中を必死になって探したのだがなかった、と。バッグの中には、パスポート、日本円現金、ユーロ現金、ユーロチェック、クレジットカードなどそっくり入れてあったということ。
さっそく添乗員さんに現状を伝え、ホテルのカウンターに言ってもらったら、なんと! 昨夜エレベータの中に落ちていたということでウエストバッグとポーチが出てきた。
私とIさんとで、人目につかないトイレの中で中身を確認したところ、やはり日本円の現金とユーロの現金が抜かれていた。が、一番大事なパスポートは無事、その他、クレジットカードやチェックもあり、不幸中の幸いとはまさにこのこと。

しかし、寝ているところを、何らかの方法で鍵をあけ、バッグを盗むとは、なんと言っていいのか・・・ 怖いことに、部屋の内側から物理的にロックする機構がけっこうプアで、ロックするのにかなり熟練度を要するというしろもの(他のホテルのように、音叉を横にしたようなものがなかった)。昨夜はそれをしなかったのがまず敗因だろうと思う。
まさか前日にガイドさんに散々脅かされたことがすぐに現実にやってこようとは。自分たちもホテルの部屋に関しては、朝外出するとき以外はそれほど注意していなかったので、誰にでも発生しうる事件だった。

そういうことで、きょうプラハの街中を歩いて散策するときは、さりげなくみんなをガードするように心がけ、とにかくスリ・置き引き等に目を付けられないように常に周囲に気を配って・・・ ヒゲづらでギョロギョロ見回していたのでコソドロも近づかなかったかな。
9時、街中へ出発。まずは町の中心部からモルダウ川を渡った対岸の丘に聳え立つプラハ城を見学。ここは現在大統領府もあり、有名なこところ。すぐそばに、映画「アマデウス」でモーツァルトのウィーンでの滞在先となったアパートとして使われた建物がある。つまり、それだけ文化的に当時の建物が多く、時代劇の映画のロケ地としてよく使用されるらしい。



プラハ城の中をゆっくり時間をかけて見て回る。先日のノイシュバンシュタイン城とはまた違って、ゴシック様式の大聖堂を中心にかなり広い建物。それにしても大変な観光客の多さで、しかも若者集団が多い。学生たちだろうが、昨日の話もあって、ついつい周囲の人に目を光らせてしまう。


(大聖堂のステンドグラス。この絵だけは知る人ぞ知る、アルフォンスミュシャのガラス絵)

そしてカレル橋を歩いて渡り、モルダウ川を眺めながら、スメタナのわが祖国を口ずさむ。それにしても、この建物、風景の美しさはどうだ! なんとも形容の仕方がわからない。旧市街を散策、とにかく町並みの素晴らしさ(古きよき街並み)に圧倒される。


(雄大なモルダウの流れの向こうにプラハ城)

昼食は旧市街のちょっとはずれにあるバール。午後はまた歩いてあちこち見て回り、両替所(これがまたいたるところにある!)でコルナに変え、スーパーマーケットでチェコ庶民の生活状況を見る。かなり豊富な食料、ごく普通のマーケット。

夕方は、またバスでホテルまで帰宅。ただしKさんはどうしても路面電車に乗って帰ると言う事で、現地のガイドさんと二人、路面電車で。後で聞いた話だが、やはりスリと思われる怪しげな若者3人にかこまれたらしい。乗り場を移動するとさりげなくいっしょについて回り、電車に乗った後もすぐ近くに寄ってきて目線が斜め下の自分の腰の辺りをチラチラと… ガイドさんも、この連中がスリだということを確信もてたという。うーん。乗らなくてよかったかな。

夜、夕食はまたまたバスで外出、モルダウ川を越えて夜景のすばらしくきれいなプラハ城が見えるバールで。生演奏のピアノもあり、踊る竜混!ここでも面目躍如。Iさんがこの日のために習ってきたと踊りだし、Kさんと手を取り合って(^_^)その、心から幸せそうな笑顔を見ているとこちらまで幸せになってしまう。朝の事件をもう笑って流せる、素晴らしい人だ。





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ドイツ演奏会の旅・第七日 - 2003年03月26日(水)


久しぶりにゆっくりな朝。結局ネットに接続することは出来なかった。後はプラハでつながることを祈るのみ。
10時に集合、午前中はホブフロイハウス向かいの三越で買い物と仕掛け時計の見学。昼食後、帰国組とプラハ組が別れる。我々プラハ組は早めに昼食を終わらせ、名残惜しいが空港へ向かう。

ミュンヘンからプラハへ移動。人数が10人(+添乗員の高橋さん)になってしまい、ちょっとさびしい。飛行機は、なんと60人乗りのプロペラ機。うーん、かなりローカル。チェコ航空なのだが、でもスチュワーデスさんは美人だ。ドイツの人とはまたちょっと顔の造作が違う気がする。
1時間あまりでプラハへ。ここで新しいガイドさん。丸山さんと言い、まだ学生さんのような若いお嬢さん。おベンツのマイクロバスで移動する。町の中心部を通り、ちょっとはずれのホテル・ドンジョバンニへ。



プラハ!路面電車が多く、石畳の道路、坂道、美しい町並み。悠々と流れるヴァルタヴァ川。明日、歩きで街中を散策する予定。
移動中のバスの中では、散々ガイドさんに脅された。曰く、「自分以外はスリと思え。」本当に多いらしい。ジプシーと呼ばれる人たちはまず間違いなくそうだという。ただ、見分け方が難しいし、ガードしていますよというアピール(かばんをたすきがけにして前に抱えるように歩くとか、腰の辺りを無防備に開けないとか)をすれば良いとのこと。うーん、そういう状態で明日は歩くのかあ。

ホテル到着後早速電話線を確認。ガイドにはモデムポートがあることになっているが、それらしいものはない。なので電話の線をはずして、モデムチェッカー経由でPCへ。最初のトライは失敗したが、市街局番を入れたら、無事、接続できた!
早速ガムスフルストからの内容を一気にアップ。

ホテルで夕食。誰もチェコの通貨(コルナ)には変えていないので、みんなユーロで清算する。戻ってくるのはコルナ。だいたい4円/コルナだそうで、枕銭は20コルナで良いそうだ。大きな店ではユーロで買い物が出来るらしい。




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ドイツ演奏会の旅・第六日 - 2003年03月25日(火)


夕べも遅かったのに、朝は7時半出発。ノイシュバンシュタイン城観光。先生とはここでお別れ、バスにみんな乗り込んで、先生がみんなを見送ってくれた。

お城までは約2時間半くらい。途中から、見慣れたドイツの平原風景からアルプスの山々の風景へ様変わり。遠くの急峻な雪山が良い雰囲気。
それにしてもきょうも天気が良い。先週ドイツ入りしてから毎日、快晴が続いている。全員が晴れ男、晴れ女なのだろう。
しかし、ノイシュバンシュタイン城の近辺はまだ残雪がある。つい最近雪解けしたという感じ。

とても建造物を作れそうもない険しいガケの上に、きれいな城が。現実にこの国の王様が建造した(いまだに未完成)いわゆるお城。ディズニーランドのシンデレラ城とはわけが違う。でも、建設されたのは1860年代だから、日本で言えば明治時代。それもなんとなく不思議といえば不思議。



一時間ほど城内をツアー観光して、ふもとのレストランで昼食、2時には帰路の徒につくが、ホテル到着は結局5時ちょっと前。さすがに疲れてきた。体はそんなに動かしていないけど、バスでの移動はやはり体にこたえる。

きょうは早めに夕食をバイエルン州立オペラ劇場の近くで取り、「バレエ」鑑賞。



モンテカルロバレエ団の「シンデレラ」。集まってくる観客はみなおしゃれ!紳士淑女の集まり。極めつけは本日のVIP、モナコ公国のお姫様だろう。
劇場内部はなんと形容しようか、適当な形容詞が見つからないくらい美しいし、気品を感じる場所。ハソサエティな雰囲気を堪能。
バレエ、作品そのものは古典なのだが、振り付け・演出はモダン。なので、いわゆるクラシックバレエではない。そういう意味では新鮮だった。(の)が小さい頃バレエを習っていた関係で、クラシックバレエはいろいろ見てきたが、モダンは初めて。さすがに連日の強行スケジュールで疲れがたまっていたのか、眠気もピーク。





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ドイツ演奏会の旅・第五日 - 2003年03月24日(月)


きょうも良い天気。先週ドイツに入ってから、毎日快晴。

きょうはロマンチック街道を経てミュンヘンへ。長い長い行程。9時にバーデンバーデンを出発、ローテンブルクへ11時半過ぎ、到着。城壁に囲まれた中世の街。城壁の中へはクルマでは入れず、外に車を置いて徒歩ではいる。軽く散策した後昼食を取り、3時半まで自由行動。このレストランでちょっとしたハプニング(これはオフレコ)。

自由行動では、あちこち散策。さきほど散策したときに、フランスからの修学旅行の学生たちとちょっと歓談。好奇心旺盛な彼ら、ちょっと声をかけたらたちまち数人集まってあれこれ質問してくる。皆ベルサイユ近辺の町からやってきたとのこと、16才ということだが、中には声変わりしてなさそうな子もおり、実年齢は??? ただ、我々が集団でレストランへ移動しているときもその中に混じって騒いでいる。何人かの人は警戒して「荷物荷物!」と叫んでいた。それを見て彼らも引き返したが、まあ、スリの常習者たちではないと思うが用心にこしたことはない。個人的にはただはしゃいでいる子供たちだとは思うが…
いくつかオミヤゲを買い、中世犯罪博物館を見学。昔の拷問用具や法制文書が展示されている。主なものには日本語の説明もあり、わかりやすい。



そして3時半、再びミュンヘンを目指し出発。けっこう時間がかかる。アウトバーンではなくてロマンチック街道を通っているからしようがない。午後7時、市街に到着。街中は戦争反対のデモをやっている。おかげで渋滞。過ぎ行くデモ行進の人々みんなと車窓からピースサインを交わす。反応が良くて感動的。人類皆兄弟とまでは行かないかもしれないが、戦争への気持ちは共有できる。

ホテルに行く前に、ホブフロイハウス(ミュンヘンで一番有名なビアハウス)で打ち上げ。相良先生が明日、一日早く帰国されるため。ここのビールはすごいが、ショーでお客を盛り上げるのもすごい。ノリやすい竜混のメンバー、ドイツ人も驚くノリの良さ。

きょうのホテルはシェラトン。モデムポートがあるのでインターネット接続には全然不安を持っていなかったのに、これがつながらないの。電話をかかけると話中の音になってしまう。アナログポートが3つかるのでこれを変えてみたり極性反転してみたり、ダイヤル番号の間隔をいろいろ調整して見たり。でもダメ。きょうはあきらめてもう寝る。






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