**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2010年10月10日(日) 9年の月日

9年前の今日から今の仕事の生活が始まった。
なぜか今年はこの日をとてもありがたい気持ち 
安らいだ気持ちで迎えている。

これまではあわただしく何かに夢中だったり 
必死だったりで余裕がなかった。 
あと一年するときりのいい10周年が訪れる。

たぶんこれから新たな変化の時を迎えるはずだ。
仕事の面でも 何もかも。 

職場のこと全般において相変わらず
ぱっとしない自分がここにいるな。 

精進を心がけるしかない・・けど。

今日のこの記念日の時に 少し静かに反省してみたら? 
この日記はちょうどその頃にはじめたものだ。 



2010年10月06日(水) 秋の日に

久しぶりに運転した 
小1時間位で 耳納連山と呼ばれる緑の山の裾野に着く。
 
自分のアパートのある街の喧騒から離れて
緑を目にするとほ〜っと息が深くなるものだ。



2010年06月24日(木) 願い

    


   心の中で言葉が流れる
   目を閉じた闇の中から声が聞こえる

   どこから生まれて
   どこへ流れる

   光のもとへ帰りたい



2008年12月29日(月) 永遠に踊るのか

もうすぐ 今年もさようなら
そして別れは始まりの合図となる

何も終わらず 何も始まらず

命は形を変えて 楽しげに踊っているだけ

失うことを恐れて 得ることに夢中になる

誰かがそう教えるからか

人がこの世界に生れ落ちたということは
ただそれだけでは 何も出来ないから

できるのは呼吸だけ

体を包む衣 母の乳 
人の暖かいまなざしがいる

それを守るためにまた 人は命を賭して
奪い合いをし その中から

生み出してきたものが文明 歴史というもの
これからも ずっと 
そうなんだろうか・・



2006年11月27日(月) 呼吸のように


あの頃 5年前の自爆テロ事件に
今年はまたスポットをあてた映画が
いくつか公開されていて 改めて
思い出す

今年の春に ニューヨークへ5日間滞在して
その場所へ行ってみたりした。
ビル街のなかに、広々と
ぽっかりと空いた地面があった。
金網で囲われたその場所を 遠目で
眺め見下ろしながら 何を思ったろう・・

その当時の混乱は もちろん もう
鳴りをひそめて、感じられることはない。
そこに立っていて 変わらぬ日常の流れ
があるだけ

また より高いビルが2年後にできるらしい。
完成デザイン画も掲げられていたけど、
私は違和感をおぼえた。

力を持つ国が すること していること
貧しい国が していること されていること


人間の日常の生活の中で 起きている諸々の
出来事の拡大が 国際問題として あぶりだされ
ているというか・・すべてのことは合わせ鏡

自分のこと 自分が過ごす日常は この地球の
出来事の雛型  

今日も 意地を張り合って 人を妬んだり
憎んだりする自分が生きている

その一方では 気に入るものを愛したり
慈しんだりする自分

それらが 呼吸をするのと同じごとく
吸っては吐き 一対となって存在しているのだ。



2001年09月12日(水) 衝撃のテロ

昨日はニューヨークの衝撃的なテロ事件も知らずに
早々と寝ていた私 

朝からテレビにくぎ付けで見入ってしまった
ビルが燃えているのが映画ではないことを
理解するのに時間を要した
そのあとは 凍りついた

暗いニュースが続いてショックだ 
大変な被害を受けてしまったものだ  

胸がつまってしまう



2001年09月07日(金) NO MIND・・かぁー・・

図書館まで住宅地の裏道を抜けて大きな公園を横切って近道して行く


いい散歩コースだ きょうもいいーお天気 暑くも寒くもないというか
ほんといいお天気 ・・行ってきましょう 
 

パソコン関連の本棚は一番奥でその背中合わせにして精神世界系のコーナー
というとり合わせ。


このあいだ知った Ohoという人の本を読み終えた

次に 今度は 何にであうか・・って 後ろを、振り返って見た。

・・今度は違う出版社からでている その著者の別の本が目に入った

タイトルは [NO MIND:The Flowers of Eternity]。 

インド人なのになんで 和尚なんて名を名乗っているのかも
それには説明があった
 
彼は、禅関係の英文書籍を読み その禅籍によく出てくる和尚という名を
気に入っていて自分を  和尚と呼ばせるようになったという
アワ・ビラブド・マスター と言う人らしいがジョークもきく人だ



2001年09月05日(水) ウイルスのやつめ


風邪のウイルスも少しくたばってくれたのでしょうか 

朝おきたら、げぼけぼした咳と電流が走ったようで
視界も、黄色っぽく見えるような
重たい頭も収まりだしました 

・・と思うのですが・・

茶でも入れて飲むか 薬と茶でいいのかな
   
   げぼっ・・・・

やっぱ重症だあ〜



2001年09月04日(火) 透き通った秋の陽射し

こんなさわやかに眩しい光を見てると
体がすーっと軽くなるような気がする
 
閉じてるのを嫌がった私のまぶたが
光を求めて大きく見開かれる 

いい季節がまたやってくる

昨日の夜寝る前にテレビをつけたら
オードリーヘップバーンをとりあげた番組をやっていた。
最後に ”ティファニーで朝食を”の中で彼女が
ムーンリバーを歌うシーンがでてきた。
  
あのゆったりと漂うような感じの曲 
とても素敵だなー
そして彼女のキュートな声も大好き!

       
日本語に訳して書いてみる。
   

           ムーンリバー

       はるかに流れる月の川
       いつかはきっと軽やかに渡ろう

       夢を追いながら心傷つくあなた
       私はどこまでもついてゆきたい

       漂うわたし達は世界を見るため旅だったの

       知りたいことがたくさんあるのよ!

       そして最後は同じ虹の果て
       その向こうで落ち合おう
       わたしの懐かしいともだち

       わたしとあなた

       ムーンリバーと私

    

Moon River wider than a maile
I'm crossing you in style someday
old dream maker
you're heart breaker
whenever you going,I'm going your way

Two drifters off to see the world
there's such a lot of world to see
we'er after the same rainbow's end
waiting round the bend

Moon River and me

   





これは 今私の読んでいる本からのもの

「自分自身の成長のプロセスを振り返ることは誕生から今に至るまでの人生の
 進路とこども時代を理解するための、最も適切な方法である   ・・・・
  
 人々に伝える真実は複雑であったり、大きなテーマである必要はない。
 
 時には、最も大切な真実が最も小さく,単純なものであることもある。
 
 重要なのは,今、この瞬間に自分の真実が何かを理解し、適切な時と場所で
 勇気を持って表現する心構えができていると言う事だと思う。
 
 私達の道と交叉して出会う人々は、私達の真実を聞くためにそこにいる。
 
 自分の真実がいかに小さく思えても、
 その真実が世界的な影響を与えることさえある。」

             



2001年09月01日(土) 朝焼け


きのう夕方からワインの瓶を1本 空にしてしまい
不覚にも 見るつもりだった ”タイタニック”を
すっかり忘れて 寝こんでしまった

午前3時半に目が覚めて まるで時差ぼけのときの
ようになって真夜中というか早朝なのが感じられない

しばらく本を読んでいた 
これがタイトルは、と言うと
”タイタニック沈没から始まった永遠の旅”

これは、1922年に[ブルーアイランド」として出版したものを
改題しているそうだ 著作者はステッド父子(ハート出版)

・・死後の世界との関わりがテーマ 
でもなんか さわやかに感じさせる内容だった

ふと、窓に目をやると、うっすら闇の色が解けて
それからじわじわ〜〜と、闇を透かしていくように
意識できないゆっくりした速度で、空に光が加わっていった 
 
そして、しばらくすると 朝焼けの美しい空のショーだ


今、朝焼けをみた空の、同じ場所に目をやると 
なんと今日は満月なのか
太陽がまだ沈んでしまわない、黄昏の薄い紫の空に 
黄色く光る、まんまるのお月さまが
少しだけ雲で、おぼろに霞んで、浮かんでいる    


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