2012年04月24日(火) |
だんしゃりストへ変身を |
今日もいいお天気 風が肌にとても心地よい。そんなことにかこつけて外へ出たいきもする。 断業、捨業、離業、か。自分と物との関係を問い直すという思考を始めることによって、自分と向き合わざるを得ない状況を作り、自分を啓発し改善が痛みを伴いながら、行われていくといった、これほど現実に則した、真実はほかにどこにもないのかもしれない。そしてまたこれがいとも簡単に無意識になおざりにもできるという恐さ。 精神世界で現実から少し離れたような次元でものを見ることが何か導きの醍醐味であるかのように本の世界へ没頭してばかりきた自分。そんなところへ清い水をざぶ〜っとかけてくれたのがこの思想を伴う行動、行動が主体の思想だなと思った。
この提唱者のやましたひでこさんの噛んで含んでくれるような、やさしい時には強い話言葉を夜中になってPCから聞いている私。 分かっているようで分かってこなかった自分を心の奥でもどかしくことが気持ちを少し噛んで痛む。
できない自分を責めないこと。いきなりのエベレスト山を誰も登れはしない。フルマラソンを走るのに、誰もいきなり望む事はできない。 そういう励ましの切り口からがまず この断捨離のすばらしさだな、なんて思った。 そしてこれは終わりはない、一生続くものだととう忘れがちな大事なことまで付け加えてくれる。
若かりし頃の証明写真が出てきて、3つを並べて見比べると、みごとに顔の老化具合が手に取るようにしてわかるものだった。たるんでくる顔の皮膚は正直だ。 引き出しのかたづけがおっくうなのは、昔の記憶が雑音のように心に蘇るのを恐れるところがあるからなのかなと、変な納得をしてみたり。眠りの中の夢で、いつもは見ないようなわけの分からない雑然としたものを追っていたりするのに気がつくときそう、思った。
気候が優しくなってきたから、外へ出かけたい気分も盛り上がりがちなところ。満喫してもよさそうなのに、引き止めているものは、何だろう。ひとりぽっちで、街中をうろうろするのも、楽しむストーリーが見つからないような、想像力のなさというか。過去をなぞって感慨に浸るようなことにも、もう飽き飽きしている。
新しい何かを始めたい。自分の心の汚れ、垢落しね。自分を建て直したい。 後ろの事はもうどうでもよくなった。 これまでは過去の自分を影のように引きずりながらもきちんと、向き合う事もできなくて、心の闇に押されていた。それを証明するかのような部屋の隅ずみに固まる重いほこりをかぶったモノたち。そして蓄積したほこり、ごみそのものたち・・。
ようやく そんな自分に別れを告げられるときはやってきたと思える。 そんなことを考えていたら、ここへ住むようになった日までちょうど一週間であることに気がついた。その日がくると丸22年か。無事にここまで生きてこられたことを感謝!
2012年04月21日(土) |
淀んではいけなかった |
机の引き出しを全部取り出して、中身をぶちまけて広げている。その真ん中に座ってものたちを一々手に取りどうするかを頭が考えるという作業、簡単な事、そこから派生してくる想像や想念が結構なエネルギーを消費するという事も分かっている。
だからいつも何気に躊躇しているんだということに気がつく。片づけをすることは深いこと。そういう意味で自分と向き合うエネルギーが生じる。断捨離が説くのはこの自分啓発メソッドであるということなのだと、そこでまた気がつく。
やり始めてそういう概念を心の片隅においておくとこれまでは片付けの苦痛面だけを記憶に残していたものが ちょっと楽しみや希望に変わろうとしているようでうれしくなった。
夜中になってもごみに仕分けする作業を厭わずにやって満足するという、人生で初めてに近いようなことやっている私。
そのせいもあってのことかな、眠っているときの夢は昔のことが出てきて、おたおたしているあの頃の仕事が思い出されていた。洋服を売りつける仕事だ。 心の中のごみも吐き出しているようだ。
そうしながら、知恵をつけていかないと。思考を鍛えていかないと。元をただせば、こんな片付けの作業ができないということが脳の働きの衰えと直に繋がっているようだ。
私の今現在の姿。 物事の理解力、判断力がどれだけ劣って、お粗末であるのかということを毎日、自分で嫌というほど、些細な出来事から見せ付けられているというのに、これ以上、もう誤魔化す事はできないと本気での自覚が迫られているといえる。 恐ろしい事だ。
早く、素直になっていくべきだった。 自分から目をそらす事ばかりに長けていた。そんな行動ばかりしてきた。 その付けを払う時か・・。
全ての事に感謝。 それは決して忘れたくない。
春にも慣れて来た。季節が進むのを見ている。時間は過ぎるのに心だけはどこかへ置き去りだ。
体が動きを鈍くし始めた中に甘んじていれば待っているのは退化。熟していく老化ならまだいい。そうではなく、働きを封じ込めて衰えていく神経なのだ。
まして、リューマチの鈍い痛みと腫れを持つ私にとって、リハビリのような手先の作業は人一倍必要だ。 なにか、どこかがおかしい。意地悪な人もそんなことを言ってきた。
確かにどこかが狂っているんだろうと思う。 過去に遡って自分のことを見つめてみたいと色んな節目で思うのだけど、すぐに嫌になる。 何度もどこででも同じことを繰り返しているのは 自分のことを良く分かろうとしていないからなんだということまでは分かる。
思うだけで実行しなければ何もならないということがここでも証明されるだけのことか。 父のことを見限るしかないと少し思い始めたりして、むなしい。親が子を愛するのは当たり前ではないらしい。
知りたくなかった現実を知るという恨みを心のどこかに隠して、すねてしまう癖。こころが人とは、繋がれない次元がある。そのことを低い次元のこととして、見下げて 突っ張って、気取ることで自分を慰める癖。
それでも何か社会の中で自分の基盤を持てたのなら、いいのだけれど、幻想だけで実際はあまりにも幼稚で無能ぶりに人はあきれて離れていく。
そして嫌われて、疎まれて、仕事から追い出される。そんなことを何度繰り返してきたことか。 どこか何かがおかしい私の生き方。
お昼過ぎには外へ出かけた。家事はしたくないし、運動と気晴らしとしておきたい日曜だから人の気配も違う。
風がまだ妙に冷たく感じられて活動的なときではないことを教えているけれど気分が良ければそれでいい。文化センターの梅も遅くてほとんどが咲いていなかった。
梅ガイドをやってくれて、話を聞いて時間つぶしをした。文化ホールで演奏会があって入ってみようかと思っていたのだけど合唱が主だった事に気がついたらパスした。
それから、自転車をこいで3号線へ出る。もう一ヶ所の文化施設の読書スペースへ座るためだ。そこで小腹もすいて、トーストセットを食べた。朝もしっかりトースト食べたけどね・・。 入
り口の梅の木はしっかりと梅の赤い花を見せてくれていた。思わずじっと見とれる。 日曜だったから閉館は思っていたのより早く来てしまう。
今度はアーケードの方へ移動だ。店が並んだあの場所も少しずつの様変わりを見せて新しい建物があったりして昔の記憶を消していく。
探していたうどん屋さんを見つけたのを思い出して今度はそこで腹ごしらえ。老舗の雰囲気を漂わせた広くて上品ないい店だった。
夜勤明け、昼間はまた外食 ストレスのがれだな。そのあと久しぶりに良く立ち寄っていたビルの5階にある図書館分館へ。
そこで睡魔に引きすられる合間にかろうじての読書。そして夕方まで過ごしていい休養にする。何度も読んでいる大和成立頃の日本の真相のストーリー、どうしてもすんなりと頭の中に収まってくれる事は無い。
名まえが分かりにくい、覚えにくいイメージが作りにくい。いつの年代のことかごっちゃにすぐなってしまって、ぴんとこない、あ〜・・。頭が良ければやれるのかしら。
日本の古代史はどうしてこんな風にわかりにくくなっているのか、確かな証拠が繫がっていないのか、邪馬台国論争などで煙にまくばかりの現実感の薄さに気軽に入り込めない感じがする。
そんなファジィーさというのがまさに日本なのかな。
空は明るいけど、ほんのわずかな雪が目の前にちらついている。休日の窓の外の灰色の雲から抜け出た光の空を眺めている。
弟は2日間だるさでダウンしてしまい仕事へいけなかったらしいので、昨日の夜は母に電話したら、ついでに向こうへも電話する勇気が出た。
複雑な姉弟ではある。一緒に育つことは現実が許さなかった。父が母に一方的に別れを押し付けて出て行く。残された二人の子供の上に幼い乳飲み子までを母が一人で抱えるのは無理な話でもあった。
一歳半のかわいかった弟は向こうの新しい母が自分の胸に抱きとった。初めてその人に会う機会を設けたとき、その人は連れ戻しに来た母があきらめて帰ったような言い方をした。
確かに育て上げてくれて私自身の中には感謝がないとはいえない。 怒りだの嫉妬だの抱く次元ではない。きれいで上品なおばあさん。母にはないものに父が心底惹かれたことを二人に会った時感じた。
過去は忘れて皆で仲良くできるならというほどの出来事ならばいいのに、それは複雑だ。
父がしたことのいくつかのことで単純に対処できなくさせるから。単にうまくいかず別れたのならまた違うのに。
ずっと心の中に住んでいた私たち家族である弟。会えなくても幸せな家庭を持って暮らしてくれていればとずっと思っていた。 ある程度年齢をきたらいつかまた会うこと、親たちの時代が過ぎたら必ず近づけることだけは信じていた。
年齢の節目を迎えたのと、体の不調にも揺さぶりをかけられたのと、偶然のような、必然のような流れの出来事とが一つに重なってからはもうずっと 家族の再開のことで頭は一色の一年半が過ぎたところだ。
朝に目を覚ますと 白く積もった雪のきれいさが目に入ってきた。 うわっ〜、そういう景色を見ると寒さよりもうれしくなるのが先。
外は頬を刺すような冷たさ、でもすぐにそれも消えるのはわかっている。
橋の上は湿っていてブーツで歩くとつるっと行きそうでまともに歩けなかった。赤ちゃん歩きでいつもの3倍の時間を要したと思う。
旅の写真を眺めてのんびりとYouTubeのサイトで音楽を聴きながらいい気分で過ごした休日。次の日はシフトをちょっと見間違え。大したことではないけれど気の緩みの証拠。
それはスタッフへの気遣いをサボらせたりもする。わがままが出ている。 仕事も人手があるからと気が入っていない。それでも紛れて仕事したように見えるところがいいのか、悪いのか。
良心がチェックしないといけない。体力的には全く楽だといえる毎日の仕事の流れ。給食で頑張っている人たちには今になると頭が下がる思いだ。
始めは重労働から開放された実感で心が浮き立ったりしたかもしれない。 まるで上の段へでもいったかのように。
比較できるものではないけれど、仕事の質の違い。思考回路というか神経というか それが歪められた問題行動を起こす人間との接触ということ。
きのうになって初めてその異常な危険さに肝を冷やした。 普段は皆愛すべき人たちばかりですむのだけど、急変する危険な男性が一人いたのだ。
おとなしい小柄な叔父さんなんだけどね。一緒に同伴買い物に何度も付き合っているというのに 奇異な暴言を浴びせられて面食らってしまった。
こういうことは ここでは日常茶飯事なんだな・・。この病棟はもっとも少ないことらしいけど。 どううまく対処できるのかが一人前の助手の腕の見せ所?
妄想を直すことなどできないのか。話せばわかることなのか。素人の自分がその闇へ入ることをしてはいけないのか・・。
祖父の命日のプレゼントはこの体験だな。
とりあえずはなるべく遠いところまで乗ってみること。ちょうど国東半島の端まで2時間あまりで終点のバスターミナルへいく時刻のバスに乗れた。
窓へ降り注ぐ太陽は暑いくらいで青空と青い海(別府湾か)を横に眺めながら一番前の一人掛けの席に揺られていた。
ターミナルを降りて少しだけ歩くと海岸べりの砂浜へ出られて、しばらく波音と共に押しては引く白い波を見ていた。
振り返ったらひとちぼっちの足跡が、私についてきていた。 なんだか淋しいね。
2012年02月05日(日) |
旅日記 北部九州バス三昧 1 |
今年初の旅は 急遽取れていた3日間の休日に合わせての思いつき旅。 出かけるのを間際まで決めかねて思案していた。前日の眠りの中では 家事に専念すべきだともう一人の自分が諭していたし。 お昼すぎになってバスのフリーパスで遠出することにやっと心は決まった。
夏にいった別府の安宿が以外と良くてそこへ行って100円温泉を味わうことにしよう。もう一度行きたかったので今がチャンス。別府駅のあたりにはそんな温泉施設があることをそのゲストハウスに行ってから知った。誰か友達なんかと行きたいと思うところだ。そんな友達もいないのに。 母とか兄弟たちとなんて勝手に夢を描いたりもする。
手軽に駅でチケットを買ってあとはどのバスにでも好きなだけ乗れる。まずは高速の乗り継ぎ停車パス停まで行って大分高速道路へはいる。湯布院あたりの雄大な景色に感動。真近に迫った由布岳が荘厳な感じで圧倒する。
別府について駅のほうまで歩くと竹瓦温泉入り口の表示が目に入ってちょうど良かった。探さずにすむ。宿へ行く途中の道でもあるし先に入って体を休めよう。100円のお湯。
結構な熱い温度でこれが刺激的だ。ふつうのところだと味わえない熱さがこの安さで逆にもらえるとはね。建物は古い歴史を感じさせる情緒がたっぷりでこざっぱりしてきれいだ。入り口をあがるとかなり広い土間にテーブルといすが置いてある。
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