**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2012年07月03日(火) 遅出の朝

やっと大降りの雨がお目見えした。雨音のざわめきを耳にして、思わず外を見たくて、ベットから起き出したのは、目覚ましのベルが鳴る前。 いつもと違う白く煙るほどの雨を眺めて、出勤の時間でないことを幸いに思ったり、もしずっとやまなかったら怖いなとわずかに緊張したりする。 

この分だと何事もなさそうではある。・・かな。また大きな雨粒になった。
いやいや、一瞬で終った。

目が醒めたのは、それだけではない。またリアル夢。ちょっと切なくて、いじきたない夢。バイキング料理を母のために一生懸命取ろうとするけれど、あれもこれもと終われなくて、ずっと待たせている。席がずっと遠くで、心配しながらも帰れない。 戻ろうとしたら、なぜか外に出ていて、山道。
すぐそばは崖になっている道をどうやって歩こうかと戸惑っている私。
映画でもみるようにリアルなので、それが気味悪いのだ。

今は何があったとしても、ネットを通じて知った、伊勢ー白山 道 というサイトのおかげで人生に向かう力が得られる。生きていく中の神秘のひとつとさえ思える、大きな出来事ではないだろうかと思うくらいだ。

下書き代わりに長年使わせてもらっているこの日記に気持ちをその場で走り書きのようにしている。 ブログがいろいろあって、楽しい事も知ったのは、切っ掛けになったがそのサイトだった。 それでこの日記の他に何と5つも作って、それぞれを楽しんでいる。

最近続けて、缶ビールを飲んだせいか右手の人差し指に久々の腫れがきた。
アルコールはコンビニで手を出さないでがまんしている。でもスナック菓子は口にしてしまう。あのカリカリという歯ざわりを好んでスッキリする。

昨日は何時頃にじゅうたんの上に横たわったんだろう。そのまますぐ熟睡していた。体も脳も衰えているのか、衰えさせているのか。働きは悪いのは間違いないといえる。 常に頭が詰まった感じがする。

時間はあるものではなくて、作るものだとこの頃切に思える。自分から進んで動かない限り、時間は出来ないということ、現実の厳しい事実だな。

海外のペンパルには憧れていたものだ。すんなりとできるものでもないと勝手に決め込んで忘れてもいた。 けれど、思えば実際の生きた言葉で手紙なり、メールなりのお互いの体から出てくる言葉のやり取りこそ、本物の学習なのではないかと今 改めて感じている。 あれだけお金を使って、スクールへ通い、テキストを使い、英語に触れた気になってきたのに、そのままではプラスチックでできた料理見本でしかないのかもしれない。

何気にサイトに出ていたリンクであたらしい英語学習サイトへ行って見て、登録した。まもなく、メッセージがやってきた。たまたま、その人はアメリカ兵でカブールに駐在しているという人だった。 気軽にメールのやりとりをしてみる事にした。

おとといの日曜の夜のこと。ふとコンビニへ足が向いた。ちょっと小腹がすいたので、おやつを買いに行きたくなったのだ。 アパートの前には道路が整備された5年ほど前につくられた花壇がずっと手入れなしに放置されている。 やっと今年なって、その雑草しかない花壇に見栄えのいい植物が植えられるようになった。 その日コンビニから戻ると花壇には小雨の中、カッパを着た人が花を植えている。思わずありがとうございますと声をかけた。
出入り口の目の前なのでそこはいつも目に飛び込んでくる場所だ。

よく見ると女性だった。近所の方かも知れない。笑顔で向こうも話しかけてこられたので、聴いてみればなんと国土交通省の係長さん。今お金をかけずにここまでやれるいうことを証明してみせたいとのこと。 葉肉植物といってそれを植えると雑草がかなり押さえられるらしい。 一部の花壇でそれを実験的に行っていますという小さな看板とともに整備されていたが、この花壇がなされないことで苦情の電話がきたとおっしゃっていた。

しかし小雨の夜にご苦労様なことで、部屋に戻ってコーヒーを持って行った。名刺と携帯電話まで教えてくれて、ここは自由に手入れをしてもらっていいし、苗がいるときは、取りにくればさしあげますとのことだった。

な〜んだ、それならそうと、早くに何らかの形で告知でもしてくれてたらよかったのにな。勝手に触るのはいけないだろうと思い込んでいたけれど一度だけ雑草を取ったことがあった。 こんな草でもあきれるくらいに根がしっかり張っていて、土仕事ってこんなに疲れるのかと思ったものだった。



2012年06月21日(木) 離れる事はないのね

胸騒ぎと題して書いていた日のことを読み返してみて、少しの驚き。
日曜に弟へ遠慮の末の約2ヶ月ぶりの電話をかける。これも何となくいつにない自分の行動パターンかな。部屋へ帰るなり、携帯へ手が伸びる。寄り道してラーメンでお腹を膨らませていたのでそんな余裕もできたし、いつもなら何か食べたりして時間がつい過ぎるところ。 

なんだか動かされるようにして初めて、夕方早い時間の電話をしていると思うのだ。 元気でいたものと思っていた。友人がアップしたFBの写真で笑顔をみせていたからだ。その日は3日の夜。

なんと聞けば無理して出かけていたこともあり、次の日からまた体調不良で苦しんだらしいのだ。早退と欠勤としてしまうくらいだから半端ではないのだ。仕事を外れることが追い討ちをかけて辛いだろうに。

それから14日の木曜になってやっと回復したと言った。 私は胸騒ぎの頃からしばらく突然やってくる胃痛に本気で診察受けようかと思わされていたりした。14日は母の顔を久しぶりに見て弟のことを話しした日。

繋がっているんだという目に見えない不思議を実感する経験をまた一つ味わったことになる。 電話をかけた日が母方の祖父の命日だったと後で気がついたことも付け加えておこう。



2012年06月15日(金) 幸いな日々

昨日は1ヶ月ぶりの夜勤だった。慣れて落ち着いてやれたので、自分なりにうれしいけれど、客観的な評価ではとても認めてもらえないだろう。小さなミスだらけだ。 

睡眠は仮眠で2時間半だというのに昨日は疲れたというほどのものはなく翌日からの2連休を有効に使いたくて、出かけることを考えていた。 

陽射しの照りつけが異様な暑さに思えるような午後だった。初夏の手前の晴れ間、でもなんとなくいつもと違う気がする。

広いお風呂につかってゆっくり、というのがパターンだったけど、そこまで疲れていなくて、体が求めていない。華やかな街で新しい季節の服を眺めることにも、気が向かない。 

やっぱり、山の緑に触れる場所へ行きたかった。 JRの列車に揺られて、小さな展示館のあるところを訪ねようと思った。兄たちの家族と食事をした店のそばでもある。 

夏を思わせる眩しい景色も目にすることが出来た。眠りは深くなって、降りる駅はとっくに乗り越してしまう。辛うじて降りた浮羽の駅のむかしながらの素朴な駅舎と山のなだらかな風景は、小さな旅気分を飾ってくれる。

照り返す日光の熱はたまらなかったけど、案内板を眺めると、歴史資料館があるではないか。ラッキーだった。期せずして一番みたいものがそばにあった。 読みかけの「水神」という小説の題材である五家庄の土地だと気がつく。

熟睡できたからなのか今朝も普通に早起きしているなんて。 まろやかな気持ちのいい朝を迎えている。 外へ出かけたい気分といまから相談始めるつもり。



2012年06月07日(木) 鶴が教えた

震度3とか4くらいの地震は日本の上も真ん中も下もそれぞれに頻発はしているようだ。毎日どこかのニュースが出ている。小出しにして大難が消散するのかもしれない。

昨日の朝の照りつける暑さは前の日の午後から続いていたものだ。異様に暑いと感じた。金星が太陽面を通過する日。眩しい朝だった。 その分今朝の雲に覆われた空の優しさとこの空気の柔らかさが無性にありがたいものだ。

休日の数は同じだと思うけど、なぜか妙に休みが多くていつも休んでる様に感じられるのはなんでだ。少し前までは義務感のようにして図書館ですごしていたりしてたからか。最近の心の中は何も思い煩うものを握り締めていない。 

先月湯布院に泊まったときに教えてもらったおもしろい鶴の折り方を ある日思い出して、練習してみた。無心になって、指先を動かしているのが以外にも単純に脳トレ効果が大きい事に驚く。 それをきっかけに針仕事へまたやる気を出す。 パッチワークはまた途中でほおっておきがちだったのが最近は毎日楽しみになる。何も考えずに目の前のことだけに集中するというもっとも簡単なことが、実はもっとも大切な健全なことなのか。こそから文字通り一歩足を踏み出して前へ進むことなのか。 真実はこうして目の前に横たわっていたのに、いつの間にか前や後ろや脇ばかりを見てしまう自分だったのではないだろうか・・。



2012年06月03日(日) 胸騒ぎ

何かいつになく、少し頭が詰まった感じと吐き気。そして異常な眠気。体がおかしい。それでふっと窓の外に目が行くと、その先に丸い満月が私を見ていた。その光をを眺めるとまたなにやら頭がぼや〜っとしてくる。あー、そんな事を思っているうちに雲はその眩しい光を遮っていく。今完全に隠してしまった。そして、この感じだとしばらくは、出てこられないみたい。なんだか少し気味悪いくらいのタイミングで満月が目に飛び込んできたなと思う。憂鬱な気分はどこからきてるんだ。 また大きな地震じゃないよね!



2012年05月29日(火) 10年を振り返ろうか

もうあと2日を残してこの5月も終わり。この月は季節の変化を実感することもあいまって、割と変化の大きな出来事などを経験する時。新年度や新学期のスタートからのひと月でもあり、流れが自然と身の回りに生じている時でもある。 この10年を思い出してみると、仕事を変わっての2年目の春を迎えて社会人の趣味サークルへ参加して、これまでやってみたかった社会参加を体験することで張り切っていた頃。2003年。 久留米人生活にもなじんできた。仕事ではすったもんだしていた。嫌われてはずされ、辞めてもらうレールの上に置かれた。 まじめに頑張ったので、許されはしたが。
結局それがずっと付きまといながらの職場で終ったわけだった。環をかけて私のほうが心底から相手のことがとても嫌いだった人がいた。その人と空気さえも交える事が嫌だったことも、私の我を張ったいけなさとして、評価されていたのも分かる。

この頃シャーリーマクレーンの著書に惹かれていた。その訳者の講演会というのが北九州であるので、出かけていって、近場の旅行気分を初めて満喫する経験をした。まだその頃は福岡より先の町へ何気に列車で出向くのはとても新鮮なお出かけに思えた。日頃がいかに行動がせまかったかを感じていた。 この経験からが小さなひとり旅の楽しみの始まりになったと思える。
そのあと年末には長崎のマジック喫茶へいける私になっていた。バックパッカーの安宿とかユースホステルとかもまだ知らないで、泊まった素泊まり旅館の部屋で一人寝る夜はテレビにかじりついて灯りは消せず、ビビッていたのを思い出す。 まだしっかり若者気分でいられた頃だなあ。

次の年の夏に 8年ぶりの京都への旅も思い立つ。 40代のうちに気ままな一人旅も最後だと言い聞かせたかもしれない。2004年。



2012年05月17日(木) 寝起きは危機感

眠たくて横になって、気持ちのよさにまどろんでいた。もう本格的にベットへ入って、寝る事にした。今日はネットもそこそこに、パッチワークは少しだけ、これといって、何も考えずに、時間を見送るけれど、なんだかもったいない事をしたような後悔を感じるのは自分でおかしいな・・。電話が鳴ったので、宅配からだと思って、眠気を必死で払って起き上がる。勧誘の若い女の人の声でがっかり。 眠りの夢を破ってもらえてラッキーといえそうだけどね。東京を一人見物しているというリアルな夢の中で、時間がないことへの不安とか焦りであまり良い夢ではなかった。 それで今この疲れた感じ、困ったもんだ・・。

外をみたら、かろうじての青い空色が出ている。ちょっと風は吹いているようだ。 パソコンから離れて部屋で過ごすと、いつもと違う感じで、また考えが過去へ迷い込んだり、これまで抱えてきた孤独感を思い出したりして、時間が重たい。 まさか弟はこんな気持ちを休日で感じたりしてないだろうかと想像したりする。

仕事を成功させて、人の信頼をうけ、仕事上の付き合いも多いという人なので、こんな私とは正反対。 男には仕事の世界がしっかいあるわけで、その中で人と繋がっていてくれているはずだ。 部屋に帰ればたった一人であること、それを案じる気持ちはある。弟とはいえ、実家という言葉が出れば、そこに私の存在はない。壁があるのを改めて感じたくは無かったけど、現実はそうである。

実家の両親と心の温まる繋がりが今、弟は持つ事を自分で拒否している。
本来ならば、もっと、若いときにそんな試練とぶつかり、乗り越えてしかるべきなのに、まだ80過ぎても元気な父が少しも折れようとせずに、嘘で固める自分の世界をあくまでも押し付けては人の心を傷つけることをくりかえす。

いつまでも続く人生ではない。 どうにかしたい、でもどうにもしようがない。 そんなもどかしさを抱えて、弟を思いやること。なんでこんな事になるんだろうね。 堂々巡りで過ぎていく。

今月ははりきって、外へお出かけできた。有田の陶器文化館もよかったし、湯布院の泊まりの旅もよかったし、大満足。そのあとの休日は休養だとして
部屋でうつろぐばかり、2日間の連休はのんびりを許すだけに始終した。

なんか胸騒ぎ・・。金環食まであと、3日だ。 神戸の震災のときの胸騒ぎは明らかだったなあ。今もちょっと似ている。 実際の話が、今のタイミングで何が起きたって何の不思議もないことであると誰もが心の中では思っているのではないかな。それをどうとらえて、願うかは人によって違うけど。

イギリスへ滞在中の両陛下。高齢であるにもかかわらず、公務を全うしようとしておられる。 世代の交代も誰の目にも明らかに迫っていることと、歴史上定期的に訪れてきた富士山の噴火や、東海地方の大地震のことが寄り添うようにして、目の前にあるように思える。



2012年05月13日(日) 静かに休日

日曜の休日 もう部屋でじっとしてもいいかな このごろはしっかりと外出を続けた。なんたって、5月連休の真っ只中だったから。取り残されてはいられない。 

きょうは図書館から続く庭園のバラがきっときれいだろうな。
空はなんとあいにくの薄曇か。 なんの責任もなく こうしてのんびりしていられる事を当たり前に思っていられる事の幸せには気づかされる。

職場に新しいスタッフとしてきた人はきちんとした若いお母さん。子供の学費を貯めようと働くらしい。10年OLをして、10年主婦をして、3人の娘を見ながらの共稼ぎ生活をスタートさせたという。 下の子は1歳過ぎで朝からミルクを飲ませて 家族の食事を作って、支度して車に乗り仕事へ出てくる。 

私とは正反対の人がそばに来た。めぐり合わせの不思議さ、有り難さ、面白さ。現実は楽しいドラマだ。守ってくれている力には感謝を忘れてはいけないな。

左の手は少しずつ悪化しているようだ。もうわずかな湾曲が定まってしまった。うまくつきあっていくことを考えるしかないと思っている。左手に愛情を込めて接していきたい。



2012年04月30日(月) いつものパターン

晴れの天気でじっとしていられない、そんな朝ではない。でも世間が休日モードだと遅れとりたくないぞと、心は落ち着かない。

誰とでかけられるわけでもないけれどね。人ごみに紛れれみたくもある。来週は連休があるし、まだ無駄遣いは我慢のしどころ? 料理らしいものをこの頃したがらないのはなんでかな。

不安があると外のものへ気持ちが向く。そこからエネルギーを欲しがる自分がいる。 どこへ行こうかな〜〜〜! まだ決まらないの!

都会・田舎・気取るところ・のんびりするところ・お金かかるところ・安いところ・ どうする、どうする、どうしたい。



2012年04月25日(水) また人を嫌ってしまう

どうにか、夜勤につけるようになれたと喜ぶのもつかの間だった。
人の命を預かる大変さへの理解が薄いようなこと、安心して仕事を一緒にできないとか、そういう否定の言葉を師長は私へ告げるために離れた所へ私を呼んだ。 辞めてもらってもいいという通告とも受け取れることだな。馬鹿げている。金銭面でもマイナスになる、夜勤からの排除だ。
私にいけないところがあって、それに自分で気づけなければ、受け入れられない、大きな意味で厳しいくて、正しいことのように思えたりはする。 それが大人としての社会の冷徹さというわけね。 

普段から人にうまく関われないこと そこがいけないと言うに言われないところなのかもしれない。 人格の問題だから。しかも欠陥的なレベルだから。 怖くていえないから、遠まわしにぼかした排除のやり方。 根は深いのかもしれない。師長の言葉は軽いものではない事。 あー・・、またか、ここでも同じ。


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