2004年09月23日(木) |
エンピツも進化したのね。 |
なんか、最近ネット生活が戻ってるけど
明日から下宿に帰るのでノンネットです。
アウトオブネット情報な世界です。
気づかないうちにこの日記を書かせてもらっているエンピツも だいぶ進化していてびっくりした。
そう、3年ほど前は
せっかく面白く書くんだし色んな人に読んでもらえたら いいなとか思って
必死になってアクセスアップを狙っていた事もあったなとか
浸ったり。
その当時は投票を稼ぐと投票数順に日記がでたりしたけど
最近はアクセス数でランキングされてた。
これ、いいね。
やっきになって投票してもらわなくてもいいのか!!!
しかしトップ200までしか表示されないらしい。
ふーん、200個の中に入るのか〜
でも載るとうれしいな〜☆
ちなみに第一位に輝いているのは
1, 42922view [060431] 週刊@田代まさし
・・・・す、すごい旬なネタだ。
っていうか一日にして40000ヒット越えて・・・・・
一瞬今までの合計数?とか思ったけど
んなわけないじゃない。
すごい日記を書く人もいるもんだなぁ
と関心してると
上位10個のうち
3個が田代まさしネタでちょっと笑った。
うん、ほんとあの人こりないなー。
じゃぁ、200位はどうなんだろう・・・・
177ヒット
わー私の日記の○○倍だ・・・・。
200位と言えど足下にもおよびません。
200個をばーっとみたら知ってる日記やら お世話になってる日記様(?)もチラホラあって
すごいなーって思った。
別に。有名になりたいわけでもなく
地道に増えればいいんだけど
やっぱ見てくれてるんだって思うとうれしいもんだよね。
(いや、私の場合ですけど)
さて、
今からタコができそうですよ
100回は『更新』押さないとね。
(おい!(笑))
いや、しませんよ冗談です。(笑)
というか、むしろソレを実行してる自分を想像しただけでも
なんかスゴイ悲しくなってきましたとも(笑)
ヲワリ
*******************************
おまけ。
なんか折角3年もの間日記を書いてるのだから
過去の日記を読み直してみようとおもう。
っておもったら2001年も02年も03年も
9/23日の日記は存在しないので(笑)
じゃぁ一番古い2001年の9月のある日記にしようと思う。
え?もう一回乗せるのかって?
長くなるから止めろと??
知りませんよ。ええ私の日記はいつもトイレットペーパーのごとく
長いですよ(全然うまい例えじゃねぇ)
だから、別に過去のは読んだからいいと言う人はほんと
上の*******線までで大丈夫です(何が)
じゃぁ・・・・・タイムスリーップ(ちなみに高校2年生でした。若っ)
注意(?) ちょっとはかり書き直してます。語尾とか言い回しだけですが。 あと、間隔も狭狭で、色も変えてないです。
2001年09月02日(日) ソグワナイコト
ところでどっこい 私のガッコウはちょっくら田舎に有ります。
どれくらい田舎かというと、
まず私の乗ってる電車は単線
駅に有るトイレはボットン
いや別にこの鉄道会社が貧乏なわけではなく 多分大きな駅をたてるほど人の乗り降りもないのだろう。
駅前にある本屋には壺庭がついている。風流?
その本屋の名前・・・・
ブックスふきのうとう
一方。
そんなさびれた駅前に一件だけ
似つかわしくないオシャレなジェラート屋さんがあります
ジェラート:イタリアのアイスクリームの事
その名も
だるま軒。
オシャレすぎ(T▽T
だがしかぁ〜〜し!
それだけじゃなくさらにオシャレなのは
ある日店がしまっていて
シャッターにはり紙がはってあったので
見たらこう書いていた。
大変勝手ながら1週間ほどお休みさせていただきます。
理由がこうだ。
イタリアへジェラートの修行へ行く店長の都合により。
コレは絶対
ハッタリだ!!!
大してかわったジェラートでもなかったぞ!?
わかった。わかったよ
家族旅行に行くんだね。
うん、そうだ!
PSでも最近そこの店長はイタリア人という噂が浮上中
****************************
わーなんか懐かしいほんとに! 駅前の映像が鮮明に思い出されるよ!
高校の友達エブリワンは懐かしくて都こんぶがかじりたい気分ですね!?
何乗りですか。
いや、まぁ
実は・・・
今は、もう面影もないんです。
寂れてたのは昔の話
今は進行住宅街としてニュータウンとして
駅前の再開発が進んで
大きなビルは達
上みたいな小さい昭和ノスタルジック?な店舗は
絶滅する時代なんですかね?
思い出のジェラート屋も(一回しか食べた事ない)
思いでの本屋も(品揃え悪すぎて2回ぐらいしか立ち寄ったことない)
きっと新たなビルの店舗になってるのかもね。
あ、でも
電車・・・・・・
ワンマンカーになってた(汗)
ワンマンカーっていうのはバスみたいに 運転手さんだけで車掌さんの居ない電車。
車掌さんリストラですか。
駅は立派になっても不景気ですもんね。
何しろ今すごい話題の
きん○つ電車ですから。
ヲワリ。
GIRLIEの日記 http://www3.diary.ne.jp/user/326628/
を読んで
重大な事に気がついた。
人生最大の生と死の狭間というすごい経験をしたにもかかわらず
その事を鮮明につづった日記
書いてない。
これは、是非今後の教訓と感動(?)の思いでに
するためにも思い出す限り書こう。
************************** 由貴の便器が友達事件簿 **************************
そうさかのぼる事4ヶ月前。
5月25日のこと。
5月26日の日記 http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=23870&pg=20040526
にも興奮がつらつらと綴られているように
私はキックザカンクルーのライブで
はじけていた。
飛びまくり跳ねまくり
腕ふりまくり叫びまくり
ライブを体全身で楽しんでいた頃。
そうあれは神輿ロッカーズという大変ハードな曲の時である。
ジャンプジャンプの連続で
年老いたからだは
限界点に達しており。
おなかがちょっと痛くなった。
でもその程度で我慢できるほどだったし
なんか『食後に運動したら脇腹痛くなった』 みたいな感じだったので
気にも止めなかった。
まさか
それが恐ろしい事態に陥る
全長とも知らずに・・・・。
わードラマとかでよくある感じの引っぱり文句(何それ)だー
でも、この先くらいだけで面白くないよ?(ぇ
いやーライブはすごく楽しかった。
その足で次の日学校の授業もなかったので
実家に帰った。
私は下宿しているのですが
大阪からは下宿より実家の方が近いからだ (なぜなら大阪から某電車で25分だから)
久しぶりの実家を満期つして
次ぎの日の朝
2時間半かけて朝のラッシュに巻き込まれながら
大学に登校した。
1コマ目。
『職業社会と資格制度』という授業。
最初は普通に聞いてた。
しかし
その間に
私の体は大変な病魔におかされていた。
あ、そんな言うほど大変なのかな?
今普通に生きてるしね。
ま、おいといて。
授業の途中から
少しおなかが痛くなった。
キリキリする感じ。
注意:ここからはお腹関係なので うんち系の話連発して汚い感じなのですが
まぁ、こんな症状になった時に参考になればって 事で許してやってください。
私は女の子・・・・・
あ、いや乙女には多い便秘体質なので
お通じが途切れて絶頂に達した時
お腹が痛くてドバッと出る事がたまにある。
だから、いつものそれだと思ってた。
波があって痛かったり大丈夫だったりと
なんとか授業は終わった。
次の授業のある棟(校舎)へ移動する。
だけどなんとなく痛いのが増して来てるような気がした。
けど、そんな事も言ってられないので
次の授業に出た。
英語だった。
15分くらいたった時に
トイレに行きたくなった。
ああ、こりゃピーだな。(属に言う下痢ですはい。)
我慢するにしても90分の前半戦
すっきりして授業受けたいっていうのと
お腹の痛さが早くなおってほしかったので
気にせずトイレに行った。
とりあえず・・・出た。あれね。ピー様ね。
でも、お腹痛いのがなおらない。
第二波があるのかもしれないと思ったけど
とりあえず教室に戻った。
やっぱり来た。
というよりお腹の痛さはもはや激痛になっていて
我慢できずにまたトイレにたった。
それを2、3回繰り返していると
ほんと何か訳わかんないケド
嘔吐してしまった。
この瞬間
あれなんか、ヤバくないコレ?と初めて思い出した。
単なる便秘で吐くのはおかしいだろう。
いや、便秘でもひどくなると回転性目眩っていう症状になったり 体に異変が起きる事はある。友達がそんな大変な事になってた事もあった。
けど私のお腹は
2、3回のトイレでほぼ空なはず。
するとまたトイレに行きたくなった。
お腹・・・空じゃないの。
出た
けど、ピーはピーでも
あれ?水分ですこれ。
??????ドキドキ
出すものないから水分しかでないという感じだった。
ねー私ってば大丈夫????とかって
すごいすごい怖くなった。
いや実際、この時ホントこんなコミカルな思考 じゃなかったですよ(笑
だって生まれてこの方そんな症状になった事がなかったから。
水みたいなっていうかほぼ水分のみで
しかも
胃液が出るくらいに嘔吐して
その時は冷静に考えれなかったけど
体内から悪いものを出そうと
私の体は必死だったんだと思う。
いや、がんばらなくていいよソコ。
あ、でもその生理現象ないと死ぬか。うん。
けど、それにも波があって
一応少しは冷静に収まった。
でもコレ授業出てる場合じゃないな。
なんかつらすぎて、でも涙すらでないくらいだった。
とりあえず家帰らなきゃ
この隙に荷物取りに行こう。
とか思い立って(ああもう要・迅速な対応って話で)
教室に入って荷物をとる。
その日大きな荷物もあったので
それは友達に頼んで持っていてもらう事にして教室をでた。
(あぁ、ここまで書いてるとなんか 鮮明にその時のつらさを思い出してきて ホントにお腹痛くなってきた^^;(笑))
とりあえず、学内にある保健管理センターに行こう。
いつまた吐き気と便意がするのかわからないので いそいだ。
ちなみに私小学校のときから
睡眠不足を補う為意外には保健室のお世話になったことがなかった。
それぐらい大きなけがもないし
健康だったんだよね。
あ、貧血はひどくて失神した事とかあるけど。
それは、おいといて。
だから恐る恐るでも助けてという感じで行った。
先生は会議中ででももうすぐ帰ってくるらしい。
この非常事態に会議・・・・
もうタイミングわりぃ
すると窓口で症状を書いてくれといわれた。
書く。でもやっぱ詳しく書くのは恥ずかし・・・・・・・い
とか言ってられっかーーー!!こちとら緊急事態に陥ってるんやぁ!!鮮明に書いてやるわゴルァ
とか、一人ツッコミしてる元気もなかったです。
ホントもう書いてる間も吐き気がして吐きにいったり
もちろんトイレに駆け込んだりもしたし。
もう
それだけで10キロはやせた気分。(願望)
すると、会議中だった先生が帰って来て
診察が始まった。
最初に食中毒じゃないか?と疑われた。
昨日は何食べたかを必死に思出した。
夜、何を食べたかはその時はちゃんと思い出していったけど
今は思い出せない。でも
朝は何を食べたか思出せる。
カレーパンだ。
お母さんが前日に買って来たカレーパンを朝食べた。
私はきっと、そのカレーパンが油が回って痛んで
それに当たったんだ!!!と思った。
あの油のせいだ!
もしくは中が生焼けで(カレーだっつの)それに当たったのかも!
あるいは・・・・
いやそんなのどうでもイイケド
これ原因に決定!うんそうしよう!!
先生に言った。
先生・・・・謎は解けました。
あれです。きっと朝に食したヤツのせいです!!
カレーパンです!
と確信めいた感じで言うと。
すごい イマイチな反応だった。
先生は言った。
前日ぐらいなら大丈夫でしょう。
なんで、そんな確定したかったのかって言うと
お母さんに責任をなすりつけたい訳でもなく。
私はこの原因不明の体の異変の大本が
知りたくてたまらなかった。
なんで、こうなってんのか。
だってだってもしこれが生命に関わる病気だったら どうするんだ!!!!!
食中毒と原因が解ったなら何となく安心だ!
(いや、食中毒で運悪くなくなった方もいらっしゃると 思うけど。 でも早期発見なら(全然遅いし)治るだろう!)
しばらく先生がお腹のあちこちを押して
痛い?痛い?
と聞いてきたり
その朝からの症状を聞いたりして
告げた病名がこうだった。
しっかりした検査したわけじゃないから 確実じゃないけども、
多分 ウイルス性腸炎ね。
ウィッ・・ウイル・・・???腸炎????
(そんな複雑な病名でもなかろうて)
つまりこうだ。
私の腸がウイルスにおかされたため
そのウイルスを体内からだそうと
拒絶をしたのだ。
だから胃までは物が入る。
そこで朝ご飯を食べた時はまだ胃で大丈夫だったけど
消化されて腸に行く時に
拒絶されて吐いてしまったわけだ。
あ、なんだスッキリ☆
よかった薬(腸のウイルスを殺すのと整腸剤となんだかんだ)
をもらえたし(しかも学校だからタダ)
これ飲んで寝てたら治るじゃん。
それで気持ち回復したような気がしていた。
けど こう言われた。
無理そうだったら食べるのはやめて
水分だけよくとってね。
もし食べるのも水分をとるのも無理だったら
病院に連れてってあげるから
点滴してもらいなさい。
あーもう大げさだなぁハハハハ♪ 薬あるし、まぁ言われたこと守ってたら大丈夫だって☆
それだけ聞いてちょっと気持ちも楽になって
完全に安心しきってしまった私。
とりあえず家になにもないからと
学校の生協(売店)でウイダーインゼリーとポカリを買って
帰った。
けど、この時は気分でもちこたえてたらしい。
ここからが真の地獄でした。
とりあえず水分をとポカリを少しずつ飲んだ。
それから寝たんだけど
1時間ぐらいでまた腹痛で起きた。
トイレに行った。吐き気もすごくて
ポカリはもちろん水の泡。
けど
もうでるものがなくて
でも体は出したがって
という感じで
眠れる状況じゃなかった。
これはバイト無理だなと思って
急いでバイト先に電話を入れた。
あまりにも窶れた声をしてたらしく
突然のキャンセルにもかかわらず
逆にすごく心配された。
それから少し寝ては
また吐き気と腹痛で起き
なにも出ないのにトイレに行くということが
つづいた。
どうしよう買い物にも行けない。
とりあえず飲み物は必要だと思って
友達にヘルプを送ろうとしたら
その前にメールが来て
何か居るものあったら言え
と書いてあった。
ああもうメシアさまです。
っていうか普通に1人で不安だったからうれしくて
いぱーい頼んでしまった。
ありがとう感謝してます。
夜になると
だいぶ腹痛自体は収まった。
薬を飲むために少し食べようと思って
おかゆを食べた。
すると普通に平気に食べる事ができて
夜も眠ることができた。
それが何よりうれしかった。
あー明日は学校いける☆
朝。
私はデジャブに陥る。
昨日と全く同じことが起きてしまった。
体に拒絶された物はすべて外に出てしまった。
腹痛で寝た体制でも立っててもしんどくて
時にはトイレの便器(洋式ですよ?)を抱えて
気を失ってることもあったぐらいで
あ、これが便器とお友達になったって訳で。
ホントにやばいな。と思った。
もちろん学校なんてもってのほかで
また元の木阿弥になった訳です。
けど、同じ様に
3、4時間すると収まってきた。
普通に本を読んだりテレビを見たりできるようになった。
けど問題があった。
収まったから消化のいいものなら大丈夫だろうと思って
昨日食べたらまた、この苦しい状態に戻ってしまったわけだ。
つまり腸は治ってきたのではなく
単に炎症みたいなものが収まっただけだった。
だから
た、食べるのも飲むのもコワイな・・・・ ほんとなに?トラウマ?になったんだよね。
点滴するしかないかも
一人暮らし。
相談する人がいない。
全部自分の判断でなければならないんだと実感した。
看病してくれる人は居ないし。
もちろん
初日に、すごく不安だったので
苦しいながらお母さんに電話をした。
こうこうこういうことがあって腸炎だったらしい。と。
でも、もう大丈夫と言ってしまった手前
ヘルプ!となかなか言えなかった。
(ずっと倒れてたから散らかる一方で 洗いものもほったらっかしで 部屋が汚いってのもあるからさ....)
いや、そんな所遠慮するとこじゃないんだろうけど
でも何となく親を心配させたくなくて
もう大丈夫だからと言ってしまったわけで。
で、つづき。
点滴しに行こうかな
そう思ったけど
外に出る自体しんどくてできなかった。
そこでなんとか水分んだけは取り続け
吐いても腸を悪化させまいと思い
薬を飲んで1日何も食べなかった。
怖かったのは次の日の朝なんだけど
またデジャブあ、いや症状が出ないか出ないかと
ビビりながら構えてたら 昨日みたいなことはおこらなかった。
よかった! 水分はとれるようになった。
けど、まだ食べるのは無理だった。
だからチューペットにすごくお世話になった。
熱もわずかにあったから
すこしずつカブって口のなかでとかしてという感じで
食べると冷たくて気持ちがよかった。
あぁ、チューペットの蓄えあってよかった。
ビバチューペット!君が役にたつなんて!
神棚を作ってチューペット神をまつった(嘘)
その日も何も食べずにでも腹痛はじょじょに収まってる感じだった。
次の日。日曜日である。
ついに食べないのは限界だろうと思って。
友達の差し入れ『牛乳プリン』に挑戦した。
こういう優しい感じのとこからはいらないと!
いま考え直すと牛乳系ってどうよ?と思うけど
まぁ、なんともなかったんだしよかと。
ほんとに自分で判断しなきゃなんないんだって思った。
でも幸い少しお腹が痛む程度で
相変わらずピーはあったけど嘔吐することはなくなった。
結局月曜日には学校に行ける程度になって
でも1、2週間はお腹いっぱい!まで食べることが怖くて
できなかった。
後日
そのひどい体験を
ホント色んな人に言った。
(だから日記に書いたつもりになってたかもしれない)
すると同じく
ウイルス性腸炎になった先輩がいて
ほんとに症状の細かいとこまでわかってくれて
ちょっとうれしかった(笑
ただ、
その先輩は
友達の家(下宿)で明け方の4時ごろ麻雀をしてるときに
あの、恐怖の腹痛が始まったそうで
びっくりした友達によって
救急車で運ばれたそうです。
しかも入院したらしい。
しかも、「あの病気、普通入院するらしいで?」って言われた。
思い直してみれば
あまりの苦しさに
便器かかえながらに気を失ってたのって
普通にヤバいね。
病気なのに2日も栄養を採れてなかったのもヤバいです。
うん、
まぁ
それだけ
ひどい病気にも自力で治るほど健康だったってことで・・・。
よかよか。
長くなったけど
何がいいたかったって
ほんとに辛かったという単なる身の上話です。
落ちもありませんが・・・・いや、あるといったらあるのか??(笑
でも、ほんとに1人暮らしって怖いなって思った訳です。
孤独死とかよく新聞とかで見るけど
あ、ありうるなって今なら思える。
ホントあのまま死んでたかもしれないし。
それから、1人暮らしには友達ってすごく大事だと思った。
ヤバいんだと話した人みんなが
「なんか、食料とか持っていこうか?」
と言ってくれたのが(そりゃ社交辞令にしろなんにしろ)
ほんとに心強いと思えた訳です。
あと、家族ってのも大事だなと思いました。
(ただ・・・・・後日談で
あの時は実はほんとは死にそうなくらい辛かったんやで!
ってお母さんに言うと
まーたまたぁーそんなたいした事なかったんやろ?
と言われ信じてもらえなかったのはどうかと思うのですが(笑))
ま、そういう訳で
大して面白くもないけど
長編こんな所までよんでくれた人ありがとう。
あと、うんちうんちで汚くてごめんなさい^^;
ってこれを言うから余計意識しちゃうんだろうね。
でもま、そゆことで。
事件の話終わりです。
|