Espressoを飲みながら

2001年08月18日(土) わからないとき古典に学ぶ(侵略と混乱と荘子と道とちちんぷいぷい)

 空遊の仕事は金曜日がお休み。

平日の疲れを癒すべく、というより正確には
木曜まで早寝していたうっぷんを晴らすべく木曜の夜には
深夜(というかほとんど早朝)までネットサーフしたり
モノポリーしてたりするので金曜は昼まで寝てたり、
自宅でのんびりしてたりする。

ふと気が付くと同居人がワイドショーを見ている。

ちちんぷいぷいという番組。  
ああまた馬鹿なものを見て、と思ってると話題は新しい歴史教科書に。
一体どうしてこんなに歴史認識のすれ違いが起こるのか、という話題。
最近出版された韓国と中国の歴史教科書の日本語訳を使って説明される。
つくる会の教科書とくらべると、南京大虐殺や韓国併合の取り扱いが
余りにも生々しく、なるほどこのような歴史を教えられれば、一連の
下手すると内政干渉にも受け取られかねない教科書問題や靖国参拝への
強い否定的反応の理由も理解できるものである。

 機会があれば韓国と中国の歴史教科書も読んでみたいなと思った。

 それにしても空遊にとって未だ謎なのは、
「どうして不必要にあれほど大規模な残虐行為が行われたのだろう?」
ということ。一応占領できているのだから、ゲリラ相手でもないのに
一般市民相手に大規模な虐殺は全く不必要なはず。侵略者たる日本軍人の
心理がよく分からない。日本軍はナチスのように特定の民族のホロコーストを理念と
して持っていたわけでもないのだから尚更だ。

 そんなことを考えて、御茶を飲んでしばらくたって何気なく荘子の言葉を
読んでいたら次の様な文章に出くわした。


 人を治める者は混乱の内に生きる
 人に治められる者は悲しみの内に生きる
 聖王堯(ぎょう)はこのゆえに
 人に影響を及ぼすことも
 また人に影響を及ぼされることも
 望まなかった
 混乱をすっきりさせ
 悲しみから解かれる術
 それは虚の国で
 <道(タオ)>とともに生きること


 虚空の舟(上巻) OSHO著 OEJ Books

 -人を治める者は混乱の内に生きる-

 この一文がすっと入ってきた。
最も本質的なところでの答えだという感じがした。
同書の21ページにはこのように書いてあった。

実際、治めたい支配したいという欲望はあなたの混乱から
出てくるもの。人々の指導者になりたいという欲望は
あなたの混乱から出てくる。他者を導き始めたら、
あなたは自分の混乱を忘れる。それは一種の逃避、トリックだ。

 
 これを読んで空遊は思った。
確かにそうだ、と。中国での日本軍のみならず、
インドネシアでのオランダや、インドでイギリスのしたことも
やはり同様であろう。またこんな大きな出来事ばかりでなく、
上司が部下に仕事を自分の思う通りに遂行させようとする時、
親が子供に言うことを無理矢理聞かせようとする時、
学校で教師が子供達を一定の型にはめようとする時、
常にそこには支配しようとする者の混乱があるのだと。

 そして同書の23ページにはこんな風にも書いてある。

人を支配したら、あなたは混乱の内に生きる
が、もし他者があなたを支配するのを許したら
あなたは悲しみの内に生きるようになる
なぜなら、奴隷は歓びにみちることなどできないからだ


 うーん、と唸ってしまう。
自分が親にいろいろ言い付けられる子供であった時、
教師が僕には到底正しいとは思えないことを押し付けてきた時、
職場で上司が下らないことでごちゃごちゃとけちを付けてくる時、
確かに僕は非常にうっとうしく感じる。
多くの人が同じように感じているとも思う。

 じゃあ、どうしたらいいんだろう?

 同書には支配するものにも支配されるものにもならず、
その真ん中、そこではエゴが存在することができないその真ん中に
とどまりなさいと書いてある。

 これをヒントとして、気付きと工夫を手段として、
自由であると感じられるように生きる、それこそが道なのだろう。


 
   


 




2001年08月17日(金) 蟻の巣コロリ

 今年の夏は蟻が異常発生。

なにしろちょっとビスケットのかけらとかを
落としたら数分後には蟻が行列になっている始末。

「マンションの2階なのにいったいどうして、、?」
和室に布団敷いて寝ているから下手すると蟻に噛まれかねない。
どちらかというとあんまりこういうことは気にしない方だけど
あんまりにもあんまりなので対策を考えた。

 三宮を歩いていると、薬局の店先に500円で蟻の巣コロリを発見。
まあ駄目で元々、少しでも数が減ればいいかと思い購入。
蟻で困ったことがほとんどないので、蟻対策で何かを買うのは
これが生まれて初めて。

 帰宅してみて重大な発見。なんと蟻は空遊のお気に入りの
観葉植物に巣を作っていた。しかもよく観察してみると
引き戸の横の木製部分に小さな穴があって、そこも巣か通り道に
なっているようだ。こんなに近くにしっかりと巣があるなら
今年の夏の蟻の異常発生も納得できる。

 蟻の巣コロリを巣の近くに置く。シールをはがして置くだけタイプ。
蜜が好きな蟻と固形餌が好きな蟻がいるそうで、2種類の毒餌が
入っている。フェロモン誘導物質の働きで蟻が誘引され、蟻の習性上
仲間にもその場所を教える。有効成分はリチウムスルフォネートと
言うらしい。蟻のエネルギー生産を止め眠ったように死ぬと書いてある。
死に方が静かだから他の蟻を警戒させないそうだ。

 まあ半分くらいに減れば儲けもの、くらいの気持ちで置く。
数分経つと1匹、2匹と箱の中に入っていって、毒餌をかじっている
みたいだ。

 日が変わって朝になる。どんなもんだろうと思って様子を見てみたら
びっくり。昨日まであんなにたくさんいた蟻が全然見当たらない。
まさかここまで一日で全滅するとは思わなかった。所詮500円と
思っていたが実は猛毒だったのかも。南京大虐殺ならぬベランダ大虐殺。
七三一どころか500円。

 ちょっとやりすぎたかな?少し反省モード。




2001年08月16日(木) 遠くの星に

 ほんの少しだけど涼しくなった。
風の中にほのかに秋の香りを感じる。
今まで余りに暑かったからだろうか、
残暑と言う感じすらない。

 宇宙のはるか離れたところには
太陽系と似た宇宙があって、
生命体が住める状態である可能性が高い
ことがわかったって、そんなニュースを
ネットで読んだ。

 もしそうだとしたら、どんな様子なんだろうね?
やっぱり同じ様なマインドを持っているのかな?
なんとなく漫画の「100億の昼と1000億の夜」
とか思い出したり。

 もしそこにやっぱり人間の様な生命体がいて、
その中にもやっぱり僕みたいに蜃気楼を眺めている
のがいて、しかも何かこんな感じの日記みたいなのを
書いていたら、さぞ可笑しいだろうなと思う。

 それらの星々は地球から40光年離れたところに
あるそうだ。ちょっと出掛けて行って会ってくるという
訳には・・・。並み大抵の方法では会えないね、
望遠鏡で覗くぐらいが関の山なのかな。

 遠くの星々に思いをはせる夜でした。



2001年08月14日(火) 新聞色々

 新聞記事のチェックをするように職場で言われた。

それゆえ職場で読める全紙をチェックする羽目になった。

朝日新聞、産経新聞、日経新聞、毎日新聞、読売新聞、
神戸新聞、公明新聞、赤旗まで。

 なんでこんなに新聞を購読しとんのやろ?と思った。
まあそれでも仕事は仕事。頭がおかしくなりそな分量の
文章の中から切り抜くべきところを探し出す。

 僕が探さねばならない記事は、気象と深く関係があり、
政治、経済とはそれ程関わりがない。しかしながらこの
時期、興味があろうと無かろうと政治、経済の記事がと
びこんでくる。

 特に多かったのはやはり靖国神社公式参拝関係の記事。
あんなものどう憲法を読もうと公式参拝が違憲なのは
間違いないと思うのだが、やはり思想の自由というのは
明らかに違憲であるものを合憲であると考える思想を持つ
自由をも含むのであろうか(笑)?

 基本的に公明と赤旗が参拝に全面反対、産経は逆に強く
賛成。普通は赤旗と産経を両方購読する人は滅多にいない
と思うので、これらの新聞を次から次に読破することは
貴重な体験であった。一つのことに色んな考え方がある。
靖国関係の記事だけ読むと公明と赤旗は大の仲良しである
かのようだが、他の部分を読むと互いに悪口を言い合って
いるような感じなので世の中そうそううまくはいかないも
のである(笑)。

 さてこんな状況の中から何か得るものはないかなと思うと
こんな言い回しが目に付いた。
「虚心坦懐に熟慮中」。小泉純一郎の言葉。虚心坦懐なら
そんなことを決めるのに何週も何週も考え込まなくても決断
できると思うのだが(笑)。ただこの人物の面白いのはずっと
これを繰り返し続けること。案外吉本のお笑い系かも。

 空遊は実家に帰ると就職のこととか聞かれるので、その時に
使ってみようと思った。

親「就職活動はしてるの?新しい仕事は見付かったの?」
空「虚心坦懐に、熟慮中です!」

 あ、なんかいけるかも知れない(笑)。真面目にきこえる。

 早速実家に帰ってみた。
が、、、これはうちの親相手に洒落にならなかった。
すっかり反小泉ムードにどっぷり浸かっていたからだ。

 母方の祖父は小学校の教師で目に入れても痛く無いくらい
可愛がっていた教え子達を戦争で失った。それも優秀な生徒から。
戦後、祖父の後悔と自責の念は深かったと母から聞いた。
生徒を守る立場の教師が生徒を戦場に送って死なせるとは・・・
ということらしい。

 war shrine、「戦争神社」と呼ばれ、東条英機をも祀っている
靖国神社など言後同断であった。

 ちょっと洒落にならない。
森の失敗は笑い飛ばせたが小泉の過ちは洒落にもならない。
折角身に付けた 虚心坦懐に、熟慮中 はまた別の機会に
使おう。

 ところで、流石にTV欄だけは何処の新聞も同じだった。
甲子園の結果もやはり同じだった。他は少しずつ違った。

 みんなが同意できることって、それくらいしかないのかなあ。
そうかもしれない(謎)。
 
 



2001年08月08日(水) Under the sun

 太陽の下、光の中。

 軽く目眩がする。

 ここはいつもと同じ所。
 どこにでもあるただの都会の喧噪。

 アスファルトは鏡よりも太陽の姿をよく映す。

 遠くから深炒りの珈琲の匂い。
 いっそのことグアテマラまで飛べたらいいのに。

 不意に眠気が襲い、記憶が首を擡げる。
 アリゾナ砂漠のガラガラ蛇のように。

 あの時の僕は違うところにいた。
 塩とワインとチーズとハムと煙草と珈琲と人の匂い。
 雑多な人間がただただ駅を通り抜け、
 ただただハムをパンにはさんで口に放り込み、
 それから扉を開いてどこかまた僕の知らない世界へと
 旅立っていく。

 おそらく僕もその風景の一部であり、その中の一人だったのだ。

 なぜか知らないが僕はこんなところに来てしまった。
 机に向かう怠惰でアンニュイな日々。
 
 ああ、あの時の残りの人々は今頃どこにいるのだろうか?

 水車小屋の向こう、風車のある丘の上、真っ白な壁の家、煉瓦造りの大学。
 ラベンダーの畑、空の上、地球の臍、約束の地。

 僕が求めるのはあの4文字の言葉。




 E X I T.



2001年08月07日(火) 変わるものと変わらないもの

 仕事帰りに神戸市中央区のジュンク堂三宮店で立ち読みを
していた。同店は立ち読みじゃしんどいだろうと客を気遣っ
て椅子を用意してくれたり、本を買う前に持ち込んで読める
カフェを店内に設けたり、僕のような立ち読みの多い客には
ありがたいお店。

 さて今回は車雑誌を読んでいた。今月の特集はホンダの
シビックTYPE RとインテグラTYPE Rだった。どういう車なの
かと一言で言うと、シビックとインテグラの無茶苦茶速いヴァ
ージョン。2リッターのエンジンは220馬力。シビック
TYPE Rの方は最高速度が234キロと書かれていた。

 空遊が子供の頃、ポルシェ928の最高速度が230キロ
だったことを考えるとシビックが234キロ出せる時代という
のはやはりすごい。外見で見ると車なんてそんなに変わってい
ないように思うこともあるけれども、テクノロジーはやっぱり
発達しているものなんだなと思う。

 悲しいのは自動車の性能が上がる一方道路の性能の方はさっ
ぱりということ。もちろん交通の便が良くなった地域は存在す
るが、都市部や高速道路の渋滞は相変わらず。ある人が高速の
渋滞につかまった。家に帰宅が遅れる旨をメールで連絡しよう
として「こうそくどうろ」と入力して変換を押したら「拘束道
路」と漢字変換された。彼はそっちの方が意味が正確だと思い
笑ってそのままの漢字でメールを送った。

 いつか何かの雑誌の評論で、日本の高級車の価値は渋滞で捕
まった時にどれだけ快適に過ごせるかだという主張があった。
暑い寒いと言わなくていい強力なエアコン、超低速での移動が
続いてもオーバーヒートしない耐久性の強いエンジン、退屈し
のぎのカーオーディオ、乗客が文句をいいださない広いスペー
スの後部座席等々。一言で言うと「走るリビングルーム」が至
上の目標。さらには「走らなくても快適なリビングルーム」。

 ちなみにドイツでは200キロを超える高速巡航が快適にで
きる車が高級車として重宝されるそうだ。アウトバーンが速度
無制限なので車の速度で移動時間が大きく変わってくる。金持
ちビジネスマンがベンツやポルシェを好むのもよくわかる。

 まさしく「時は金なり」なのだ。

 車をどうのこうのするより日本は道路をなんとかすべきだと
思う今日この頃。



2001年08月06日(月) 中原中也を読む夏の夜

 じっとりと重たい湿気の多い夏の夜。

 フィーリングもやはりそんな感じだ。

 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で
中原中也の「山羊の歌」を読む。今のフィーリング
をぴったりと詠んでくれている詩を見付けた。




血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉(をは)つてしまつたもののやうに
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。

−中原中也「山羊の歌」より−


 空遊は中原中也が好きである。好きと言うより
大好きである。宮沢賢治より詩人としては何倍も
素晴らしいと感じる。賢治の詩情はどこまでも浮
世離れした、理想主義的なところがある。かたや
中也の詩は、自らの感情・感覚の繊細さの中に深
く深く入り込んでいく。感性として中也の方がリ
アルに感じられるのだ。中也の中の脆さ、壊れや
すさ、それをそのまま歌いきる潔さが心地よい。

 とはいえ中原中也本人は宮沢賢治に心酔してい
たというから矢張り宮沢賢治はさすがだと思う。

 はっきり言って宮沢賢治は素晴らしくはあるが
どこか手に届かないところにいる人のようで寂し
いのだ。彼を題材にした映画を見たり本を読んだ
りもしたが、なぜか空遊は賢治にある種の不自然
さを感じてしまう。

 たとえて言うなら(変な例えだが)それは調度
なんの得にもならないのにわざわざ地球を守るた
めに怪獣と命掛けで闘うウルトラマンのような不
自然さなのだ。

 ひたすら真面目でまっすぐというのは何だかこ
わい。

 それに較べると中也の中には自分の中にもある
ような弱さや憂鬱、壊れやすさが丁寧に描かれて
いて空遊には親しみやすい。

 以前単調でつまらない仕事に就いていた時、気
を紛らわすために休み時間ごとに中也の詩を読ん
でいた。そうすることで何かが癒されるのが感じ
られた。

 幸いなことに今では本を買わなくても青空文庫
で「在りし日の歌」と「山羊の歌」は読むことが
できる。死後50年が経過して著作権が切れてい
るからだ。ぜひぜひ御一読をと勧めたい。









2001年08月05日(日) 何もできない中にあって

 ぼくはここにいる。


この狂った世界の中、熱風と煙りにさらされて

ひとりで茫然としている。


 多くの人がぼくの生を少し通り抜け、
ぼくも多くの人の生を少し通り抜けた。

願わくは、ぼくが土足で人の生に踏み込まなかったことを。

 
 ぼくはただ自分自身で平和に生きていたいだけ。
それはいつでもそうだった。

 だから異なる考えや思想を持つ人を攻撃するつもりもないし、
生き方は人それぞれと思う。

 もし誰かがぼくを攻撃するとしてもそれは
仕方のないことなのだろう。さそりはさそりでしかない。

 小さなことで争うのは好きじゃない。

 もし僕にとって本質的なことを攻撃するなら、
それもやはり仕方がないことと思う。
その時はぼくも容赦しないだろうけど。

 
現実には今のぼくに守るものはないし守れるものも
何もない。誰と闘う必要もないが もしそうなった時には、
全くなんでもない空虚でからっぽなものに捧げるように、
少なくとも内的にはそうありえるように。




−この世界は空虚の中の塵芥の山、人の知識は言葉に過ぎない−

−オマール・カイヤーム 
 
 



2001年08月04日(土) ある日突然自分のHPアドレスが変わっていた、、、

 空遊のサイトは、freewebという無料HPサービスを利用している。

広告がよく入るものの、容量も小さくないし気に入っていた。
ある日検索エンジンから自分のサイトに入ってびっくり!
勝手にアドレスが変わっていたのだ。

どうしてこんなことが起こり得るのかなー?

誰かが勝手にミラーサイトを作った?なんのために?

うーん。わかんない。

あちこちクリックして管理ページにとんでやっとわかった。
freewebはインフォシークのサービスとなったようなのだ。
新しいアドレス、、、トップページは

http://isweb19.infoseek.co.jp/novel/spacez/

なお、もう少しの間は旧アドレスも使えるみたい。
リンクしてくれている人はアドレス変更しておいて下さいませ。

ところでftp接続はどうなったんだろう?

ああ これから調べなくっちゃ。

 



2001年08月02日(木) Oneness

 世界に7つの海があると人は言う

 わたしは1つだと海は言う


 
 


 < 過去  INDEX  未来 >


空遊 [MAIL]

My追加