2002年02月01日(金) |
だいじょうぶなのか温泉? |
実家に帰った。 近所のかんぽに温泉ができていた。 元々温泉で有名であったような町ではない。 けれども天然温泉だという。 親に詳しい話を聞くと、どうも地下を1500メートルほど 掘ったらしい。
1500メートル!
生駒山と六甲山を海抜で足してお釣りがくる深さだ。 人はそんなに地下を深く掘ることができたのか、 と工学系に基礎教養のない私は素直に驚いてしまう。
温泉は嫌いではない。 地元に530円で入浴できる温泉ができたのは 素直にいいことだと認められる。
けれども、けれども。
勝手にその辺を1500メートルも掘って大丈夫なのかなあ? これは素朴な疑問。温泉に反対したいわけではない。 できれば無害に温泉が利用可能であってほしいとねがう。
けれども、けれども。
本当に大丈夫なの? 土壌や地下水のバランスが大幅に崩れたりしないの?
できれば大丈夫であってほしいのだけれども、、、。
覚えることは学校でたくさん習った。 確かにそれは必要なことだったし、これからも必要だろう。
でも覚えることだけじゃ足りない。 それでは頭も気持ちもパンクしてしまう。
こんなにひどい世界で、鉛の鎧を着ているみたいに歩かずに すむためには、忘れる能力がいる。
足取り軽く歩くためには、忘れる能力が必要だ。
「忘れること」はずっとまるで呪いのようにあつかわれてきた。 子供だった君の「忘れること」は親から批難され、教師に軽蔑され、 君自身の「自分が自分を嫌いになる感情」を引き起こしてきた。
控えめに言っても忘れることは嬉しいことではなかった。
今日からは違う物の見方をしてほしい。 忘れることができるからこそ生きていられるのだと。 少なくともいくばくかのことを日々忘れているからこそ、 今日が完全に古い退屈したことの繰り返しのみにならずにすむのだと。 もし君さえ完全に忘れることができるなら、毎日ずーっと見飽きた人の顔 ですら、新しい出会いとして感じることができるだろう。
僕は今日、声高らかに「忘れること」を祝福しよう!
今日は「忘れること記念日」だ!だ!だ!
2002年01月26日(土) |
死の恐怖と罪悪感についての熱病患者による考察 |
普段熱を出さない人がたまに発熱すると 妙なことを考えたりします。少なくとも私はそうです。
過去生の記憶と思われるものをたぐっていくと、 自分が死ぬ時っていつも誰かにあやまっていた気がする。
自分が母親で、子供達に「お前達を残して死ぬことになってごめんね」 とか、逆に自分が子供で「先に死ぬ親不孝を許してね」とか。 いつも死ぬ時には、自分の周りにいる人達、家族、愛する人達に対して すごい罪悪感を感じていたような気がする。
記憶の中の死は自殺ではなかったから、本人が選んだ訳では全くないし、それらの死を避ける術も無かったのだけれども、それでもすごい悪いことを したように感じてしまったみたいだ。
そしてその過去生の死の記憶が今生の死に対する恐怖になった みたい。あんな罪悪感二度と感じたくない、みたいな。
それを理解するとなにかすごく楽になった。
昨晩から寒気がして腰とか足とか痛くなったりした。 体温を測ると38度オーバー。普段風邪をひいてもあまり熱を 出さない僕としては何年かに一度の高熱だ。
寒いのでこたつから出られない。
ストーブをフルパワーでかけてもまだ寒い。 こたつに入ったり布団に入ったりの繰り返し。 とにかく暖かいところに行きたい。
リンゴを食べたり、お茶を飲んだり、水分補給。 関節が痛いのはストレッチング不足かなとストレッチング。 冷やしすぎたのかな、風邪ひいたかな。それくらいに思っていた。
でも今回は余りにも寒気がする。ひょっとして、、、と思って ネットでインフルエンザを検索してみる。なんと全て条件に あてはまっているではないか。
朝、出勤後に医師の診察を受ける。やはりインフルエンザとのこと。 「出勤したらだめですよ、休んでないと。」ということらしい。
今日は午前であがることに。
ちょっと頭くらくら。
私たちは物や人に囲まれて生きている。 でもそれと同時にたくさんの思考や概念にも囲まれている。
人間がいる。そして人間とはこういうものだというたくさんの 思考がある。その思考はたくさんあって、いろんな矛盾があって、 敵対や混乱を含み、言うほど役に立つことはなかったりする。
思考や概念を勘定に入れずに何かをみることができたら、 多くのことがもっとシンプルになるだろう。
シンプルになったら、たくさんのエネルギーをハッピーなこと のために使うことができる。ややこしい思考の集団にエネルギーを 吸い取られる必要はない。
軽く、軽く、羽のように軽く。 抵抗を計測することができないほどに。
2002年01月22日(火) |
気持ち悪い夜のために |
人の多いところに出ると疲れるという人がいる。
かく言う私もその1人。もちろん単に人数や人口密度によって 疲れの大小が決まる訳では無く、出掛けた先の人々の持つエナジーフィールド というか集合的雰囲気というかそんなものの影響が大きい。 やはり同じ人が多く集まっているのでも葬式と結婚式では受ける影響が 違うのと同じこと。
人によって相性の良い気悪い気があるみたいだ。
今の私にとって相性の悪い気といえば、困ったことに職場の気なのだ。 オフィスに入ってしばらくすると気分が悪くなってくる。 なんか重いものが身体のあちこちに憑いたような感じがしてくる。 特にディープな人間関係もなければ因縁のある土地でもない。 一体なんでこんな気がうようよしているのか? おそらく勤務されている方々の多くが知らず知らずの内にかなり 体調を崩されて疲労されているのだと思われる。 「邪気」と言えば日本語では「悪意のある気」という意味になるが 気功の本家本元の中国語では「疲労した気」という意味になるそうだ。 例えば一日働いて脱いだシャツについている気は「邪気」ということになる。
それで、この疲労した「邪気」もやはり伝染るんですね。 一日働いて帰る頃にはぐったり。
けれどもこのままだと晩飯もまずくなるし、一緒に時を過ごすパートナーにも わるいです。
そんなこんなで家に帰るとまず浄化。 最近いいものを見付けました。しかも100円ショップで。 美容用の顔に付ける竹塩があって、美容用とはいえ塩は塩、 しっかり身体を浄めてくれます。適量を手にとってゴシゴシして シャワーで流す。それだけでしっかり効きます。
全身すっきり、オーラが元気(笑)。
題名の割にすっきり終わる今日の日記でありました。
2002年01月19日(土) |
エスプレッソマシーン |
エスプレッソマシーンを買った。
大阪梅田の阪神百貨店内の無印良品で買った。 ポンプ式のちゃんとした高い圧力で抽出できるエスプレッソマシーンと しては1万円を(ぎりぎり)切る値段は安いものだと判断した。
思えば去年にこの日記コーナーを始めて以来、 「エスプレッソを飲みながら」とかおおげさに銘打った割には 空遊が実際に自宅でエスプレッソをいれていた器具は Bialettiの直火式だったりしていたのである。
直火式だとエスプレッソの表面の泡々がでない(笑)。 また抽出時の圧力がポンプ式に較べて圧倒的に劣ってしまう。 強い濃いエスプレッソが好きなら絶対ポンプ式に限るのだ。
ただし直火式にもそれなりにいいところもある。
・手入れが楽。というか普通に洗うだけ。ゴムパッキンは減ったら交換。 ・あんまりきつくないので、ソフトなのとかマイルドなのが好きな人に。 ・電気を使わず、コンパクトなのでキャンプやハイキング等に持って行って も火が使えれば大丈夫。アウトドアでいれたてのエスプレッソを楽しむ ことができる。 ・Bialettiはイタリアの大手メーカー。文字どおりイタリアの家庭の味 かもしれない。イタリアンレストランやイタリアンカフェよりイタリアの 家庭に憧れる人に。 ・一応それなりにおいしいものです(空遊談)。例えば業務用であっても 神戸・阪神地区を中心に何件も店を出している美味しいスパゲッティ−の チェーン等でもおそらくこの器具を使っていると思われるお店がたまに あります(苦味のきつさ加減でわかるのよ)。
さて新しく買ったマシーン。使い方など覚えることがたくさん。 カプチーノ用にミルクを蒸気で泡立たせることもできる優れもの。
でもね、慣れるまでは難しいもの。実はさっきようやく買って良かったと 思えるくらい美味しいエスプレッソがいれられたところ。
こげたような味や匂いになったり、濃すぎたり薄すぎたりしないように いくつかの注意が必要。
・豆の量なんかは説明書より多めにいれたくらいがちょうど空遊の好み。 逆に少なめが好みという人もいるかもしれない。自分の感覚を尊重。 ・あんまりいろいろ連続して使い過ぎると過熱してしまうようだ。 過熱しすぎると焦げたような味や匂いになってしまう。 ・スチームでミルクを泡立てたらきっちり洗わないと詰ってしまうらしい。 ・水は(説明書にも書いてあるけど)毎回新しいものを使おう。 横着して朝入れた水を昼使ったりするとプラスチックのチューブの匂い なんかがうつってしまってまずくなります。 ・豆は1カップいれるごとに交換。けちって2カップ目までいれても(笑) うすいのがでてくるだけ。 ・冷めやすいのでカップを前もって熱湯をいれるなどして温めておくこと。
使い始めて2日目の人間が書いたのでいたらないところがありますが、 それでも気付いたことを書いてみました。決して難しいものではないので エスプレッソマシーンの購入を考えている人は安心してね。
今までカフェでしか飲めなかった味が自宅で、しかもこたつで飲んでいる というのは不思議な感じ(笑)。チョコレート系の御菓子とよく合います。 いつになく機嫌の良い空遊でした。
要するに7年前に阪神大震災があったということ。
当時の記憶を1995年1/17の日記にアップしてみた。 興味のある人はhttp://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/month?id=23919&pg=199501 を読んでくださいませ。
知人の中にはひょうごメモリアルウォークというものに 参加している者もいるが、私の方は個人的にどうも記念日的なものに たいしては馴染めない。どんなに現実として悲しいことや恐ろしかった ことであったにしろ、それを皆で思い出して慰霊したり明日に向かって 前向きに進んで行こうとか、そういうメンタリティーにはついていけない 性分である。
どうしてもどこか作り物っぽく感じてしまう。
本当に思い出して悲しい人は人目につかないところで1人しくしくと 泣いているような気がする。
誰かを失うこと、何かを失うことは結局のところ非常に個人的なこと。
今朝は雨。
久し振りに電車で通勤することになりそう。 天気予報によると今日の昼くらいから降り出して明後日ぐらいに 回復するそうな。まあ天気予報の言うことだけれども。
秋になって暑さが一段落ついてから、ずっと通勤は晴れてる日は できるだけ自転車にしていた。
自転車にこだわりがあると言うよりも、 自転車のほうが楽だからという単純な理由。
職場までは駅5つ。 ちゃんとした自転車なら無理なくいける距離。
電車にしても、取り立てて満員電車になるわけでもなく 嫌なタイプの人間がたくさん乗って来る訳でもないのだが、 車内の吊り広告が否応なしに目に入ってくるのが嫌いなのだ。
元々は、そんなに車内の吊り広告が嫌いでもなかったのだけれども 何時の間にか吊り広告には「不景気」とか「リストラ」とか 「テロ」とか「連続殺人事件」とか、こんなこと朝からわざわざ見たくも 無い、ということばかりになっていた。
第一そんなことはTVや新聞、ネットなどですでに見たことばかり。
いつも見ることは何時の間にか無意識へと刷り込まれて行く。 ただでさえ元気をなくしている通勤中の人々の無意識に朝っぱらから 「不景気」、「不安」、「恐怖」を刷り込み続けている。 現在、社会的なレベルで鬱や自殺が問題になっているが、 知らない間に無意識にイメージを刷り込むことのできるマスメディアや 広告にもその責任の一端があるのでは。
各電鉄会社には、もう少しポジティブな吊り広告を掲示していただけるよう お願いしたいものだ。
残り福の1/11に西宮神社に行ってきた。 言わずと知れた日本全国のえべっさんの総本山である。
えべっさんと言うと七福神の1人であり、いかにも幸福の象徴の ようであるが、実は意外と苦労した幼少時代をおくられている。 イザナミとイザナギの初めての子供、ヒルコとして生まれたえべっさんは 不具であったために川に流された。それから川をずっと流れて行って やがて下流の西宮で住民の方々に育ててもらことになった。 不具というのは今で言うところの身体障害者にあたるのだろうか。 自分の子供を身体障害者という理由で川に流すとはなんという神様 だろうかと思ってしまうところもあるが、やはり神話の時代と現代とでは 倫理・道徳観も違うということなのだろうか。
そして時が経ち、ヒルコは商売繁昌、福運、金運の神様、えべっさんに 成長したのであった。全国に神社が建っていて、多くの人々の信仰を集めて いるのは御存じの通り。
さてここまで書いておきながら、実は今日まで西宮恵比寿にも今宮恵比寿 にも御詣りに行ったことのなかった空遊であった。ふにに。
相変わらず昼頃に目を覚まして出掛ける用意をする。 家を出る。電車の切符をとりあえず阪急の夙川駅まで買う。西宮北口からは バスが出ているが、イベントのある時にバスを使うのはあまり良い方法では ないというのが空遊の今までの経験である。時間もあるし夙川から歩くこと にした。単に混んでるバスが嫌いとも言う。
夙川に着き、川沿いに南に降りる。阪神電車の香炉園駅を超えたあたりで 東に曲がる。後は少し歩けば西宮神社が見えてくる。西宮神社の隣には なぜか成田山不動尊がある。
神社の周りはたくさんの露店で繁盛していた。露店の商店街。いや、普通 の商店街でもこんなにたくさんお店が並んでいるところは珍しいだろうと 思えるくらいたくさんの露店があちこちに、入り組んだ形で並んでいる。 さすがは商売の神様。
おみくじ、お守り、ふるまい酒、どれも充実している。特にお酒はさすが 全国有数の名産地、西宮だけあって、とてもおいしかった。
まぐろに小銭をはりつける。これはお約束なのだ。
大きな神社の常として、神様がたくさんおられる。 あれこれあれこれ御詣りして、行きに来たのとは別の出口から外に出る。 するとそこもまた露店の行列。すごいなーと思う。
今まで知ってたつもりでいた街の知らなかった行事にでかけるのは楽しい。
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