というわけで先日お知らせしました通り、アニメの設定資料集こと『エリア88コンプリートブック』(メディアファクトリー刊)を購入してまいりました。\2000の散財です。これでまた日本に帰るのが遅くなっちまう。(購入したのは1週間ほど前) 内容は ・ひみつきちエリア88ちず ・トンデモ機体解説 ・ニセモノ人物解析 ・デタラメTVストーリー解析 ・シンジョーズレポート ・アスランの内乱解説 ・本音チラリ声優座談会 ・戦犯今掛監督インタビュー ・新谷かおる原画(ポエムつき)ギャラリー ・その他、いろんな役に立つ解説たくさんetc です。 この表現で、コイツやべぇ…こいつ原作信者だ。 いや信者なんてもんじゃねぇ、コイツは 原作原理主義だ と感じた人は、直ちに離脱しましょう。 それではまずは監督インタビューからいってみましょう。 私は出来上がったフィルムがすべてと思っているので、通常は後だしのインタビューなどは気に留めなかったりするのですが、今回はあんまりあんまりな改変ぶりに、どんな意図があってのことか疑問に思うことしきりだったので、ちょっと見てみたいと思います。 さあ、久しぶりにいくぞ。みんな衝撃に備えろー。 ------------------------------------------------------------ 〔引用・エリア88コンプリートブック〜アニメ設定資料集〜/メディアファクトリー 監督インタビュー今掛勇氏 p108-109〕 ――まずは、『エリア88』をテレビアニメシリーズとして制作されるにあたって、どのようなテーマを持ってスタートされたんですか? 今掛 9.11の全米同時多発テロや、イラン戦争など、今の世の中では命が軽くなっているような気がするんですよ。そんな時代に「生きるとはどういうことか?」という視点で、物語を描こうと思ったんです。そういったテーマ性を強調するために、テレビシリーズでは、主人公のシンの性格を原作から大きく変えているんです。原作では、傭兵という立場に悩んでいる描写が多いんですが、音声のついうアニメーションでは、いろんな不幸を背負っているシンが、劇中での音としてのセリフでそれを話せば話すほど、そうした不幸や苦悩が軽くなっていくように感じたんです。特に戦争をしていれば、やはり人の生き死にが関わってくるわけですし、そこに強く関わっている主人公が、それに関して心のうちを語るのではなく、新庄や他のキャラクターがシンの気持ちを代弁するような構成にしました。 ------------------------------------------------------------ あーよかった。全然アニメでシンが傭兵であることに苦しむ様子がなかったんで、本当にこの人エリア読んだことあるの?読解力小学生より低いんじゃないの?もしかして人からあらすじ聞いただけで作ってんじゃネーの?と邪推していたのですが、どうやらちゃんと読んだことがあるらしいです。まずはそれに一安心したいと思います。シンの性格が違っていたのは、原作読んだ上で、意図的に改変したことのようです。 また難しいことをしたもんだな! あんな表情豊かでモノローグが多いのキャラを無口無愛想無表情な奴にするたぁ、そりゃチャレンジャーなこった!それ、性格変えるところじゃ済まんと思うぞ。 したくもない人殺しをし続けなければならないシンの苦悩する姿に身を焦がした人間が、この4半世紀の間にどれほどいたか、ご存知ありませんこと?ここに一人いましてよ?ホホホ。傭兵であることに葛藤してこそ風間真であって、これがないともう風間真とはいえないと思うのですが。っていうかそんなの風間真じゃネーヨ☆ ここは漫画の第1話から最終話までしつこいぐらいに強調されている箇所である。長い連載期間中には話の雰囲気変わったり、絵柄が変わったりしているが、ここの箇所は最初から最後まで少しも変わらず不変である。というか一番力込めて書いているところじゃないの?わざわざ肝の部分変更してどうする? 無頼あたりと比べると顕著ですが、エリハチは独白が多様されており、少女漫画チックなロマンティシズムがあふれ、特にシンとかサキなんて少女漫画に出てくる女の子からみた理想の王子様像みたいに描かれいているのに。(おかげで作者を女性だと思う人もあとを絶たない。) その主人公の良くも悪くも一番特徴的なところを変更するとは、いやはや、チャレンジャーなことです。 この変更は単に一キャラクタの性格の変更にすまされず、話の骨格まで変わってくる箇所だと思うのですが、それにしてはえらく気軽に変更したものです。プロジェクト4の皆さん、そのチャレンジャー精神を称えて まあそうはいってもシン自身は気持ちを語らず、新庄にそれを代弁させるというやり方自体は、そう悪くないと思います。風間真ファンとしては寂しい限りですが、その方法自体は悪くないかもしれません。それが意図した通りに新庄や他のキャラを通して表現できたかはさておいて。そういうやり方もあるとは思います。で、そのやり方ですが… ん?ってことはちょっと待てよ。あの風間も人を殺すことで自分の命が成り立っているってことに苦悩していたってことですか?言葉に出さないだけで、あの風間も苦しんでいたってこと?人の命を糧とする傭兵であることに葛藤していたってこと?ぇええ? ゴメン、そんな風には全然見えなかったよ! もう頭おかしくなって、そんなこと気にしていないのかと思っていたよ。 涼子のもとに帰りたがっている、神崎に真相を聞きたがっているってのはわかったよ。何しろ、神崎に涼子取られそうになると解ると、脱走をはかったぐらいだし。88残留が決まったときには、何も言わず、静かにその皮肉な運命を受け入れていたのに、女取られそうになると我慢できなくて、あわてて脱走をはかっていましたから。あれに私は、人殺しは我慢出来るが、女取られるのは我慢出来んって解釈しちゃったよ。ひいては、神崎の野望も、ただ幼馴染の恋人に横恋慕しただけのみみっちいものに思えてしまった。 それに88にUターンしたのも、新庄が涼子さんにシンの生存を伝えてくれるってことをキトリから聞いて脱走を思い留まっていたので、涼子が神崎に取られなきゃそれでいい、だたそれだけにしかみえなかった。 A-88に戻る理由っていうのは、悪魔が生きろといったとか、男通しの約束は命よりも重いとか、主従関係を超えた信頼とか、苦楽を共にした男達との関係とか、まさに“エリア88”の真髄といってもいい見せ場なのに、(何故サキが名無し空母にエリア88とつけたと思っているんだ)なんとその見せ場が、だたの処女信仰が厚いユニコーンが癇癪抑えたものにすり替わってしまったようにしか見えなかったもんな。 例えば最終話一つ前で、シンが150ドル達成して残弾撃ちつくしちゃうところがあるが、原作知っている人からすれば、あれは、これで人を撃たなくていいって気持ちの表れとしてわかるけど、知らない人からみたら、故郷に帰れる嬉しさのあまり、油断して残弾撃ちつくしちゃったとしか見えないんじゃないの?エリアに戻って水もらってうまいって喜んでいるし。 行動原理がことごとくそれに結びつかないんですが。 そして話はそれましたが(ああ、大いにな)そのやり方ですが、シンが台詞として直接話すのがなんだっていうなら、おいおいおいおいポエムがあるじゃないですか、ポエムが。何故これを使おうとしない?エリハチの魅力っていったら粋な台詞でしびれさせ、ポエムで心を取り込むってところじゃありませんこと? もうウォーレンを出さないあたりで、詩情センスの無さをさらけだしているようなものですが、ウォーレンこそがこの話の語り部であり、弾き語りもすればシンの傍らにいて副官も務める、それこそ狂言まわしだってこなせる人物で、こんなエリハチポエムの象徴的人物を出さなかったことは、大変残念に思うと同時に、作品としての大きな損出だったと言わざるを得ません。 ウォーレンがいないエリア88なんて、リックがいないカサブランカみたいなものだよ。
これは日付は数日ほど前に遡るわけだが、本屋に行ったら、『エリア88』アニメの設定資料集が売られていた。 キラとアスラン、アムロとシャアの本の間に挟まれて平積みで10冊ほど。 そこは大型書店ではなかった。 アニメ漫画に特化した書店でもなかった。 もちろんアニメ漫画専門店でもない。 にもかかわらず、わりと目立つ位置にそれは陳列されていた。 他のアニメーション関連の設定資料類はせいぜい各々2,3冊程度。平積みされずに棚に入れられている。 そんな中で平積みでおかれているエリハチ設定資料集。 いやに数が多すぎやしないか?こんなにメジャーな存在だったのか? 素で疑問に思った。 ここの書店はファンなのだろうか? それとも俺の町の本屋は新谷ファンが多いのか? いや俺の気の回しすぎだろう。 白昼出会ったミステリアスな出来事。 そして、ここはそんなミステリーを書くのが主文のページではないので、当然、その書籍の内容について次回に続くのであった。
『六神合体ゴットマーズ』といえば美形キャラの兄弟愛が話題になったアニメとして有名ですが、この原作が故・横山光輝『マーズ』であり、その原作を原型を留めないほど変形しているということは、これまた有名な事実であります。 かたや横山漫画のSF集大成といわれ、氏の最高傑作と推す人も多い傑作漫画。 かたややおいアニメの決定版といわれ、人気キャラが死亡の際には、日テレあげて葬式まで出す怪物アニメ。 アニメから入った人は漫画の衝撃的なラストに言葉を失い、漫画から入った人はアニメの美形キャラが咲き乱れる作風に戸惑う。 そしてOPの原作・横山光輝の文字を見落とした人は2つが同じ“マーズ”であることにまず気がつかないであろうという素晴らしい別物っぷり。 漫画とアニメの別物ぶりで有名どこといったら、『マーズ』を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。私はこれを筆頭に思い浮かべます。 こちらはそれぞれ別物ながら双方人気も評価も高いので、ストライクゾーンが広い人なら両方楽しめて1粒で2度おいしいハッピーな作品となっております。 原作と別物になっても、こんなんだったら、いいかな? どーぜだったら、エリハチもサキとリシャール王子の兄弟愛を特化してくれればよかったのにさ! うん、サキ様とリシャール王子の兄弟愛を強化してくれたら、そしたら、シンと傭兵達の出番が減っても許しますよ?(許すってアンタ何様・・・) エリア88というより、サキやシンといった特定人物を狭く深く愛するわたしとしては、それでもいいですよ? まあ、極論すれば、エリア88って話はグフ国王(サキ)とアブダエル様(リシャール)の国を挙げての兄弟喧嘩と、真と神崎の世界を巻き込んでの義兄弟喧嘩という2本の糸を縦糸に、アスラン、ブラシア、バンバラ、日本・・・国を持たぬ傭兵達etcを横糸と色とりどり織り込んだという“兄弟喧嘩”の話だもんな。 いってみれば、2つ(3つ)の兄弟喧嘩が支柱となっているわけで。一つはサキの一つはシンの。ことの起こりは兄弟喧嘩で最後のしめも兄弟喧嘩。 すなわち、兄弟の愛憎劇とそれに交差する蒼穹の騎士達の話であると。(極論) そして国を巻き込んで兄弟喧嘩している前者の人達より、世界中引っ掻き回して義兄弟喧嘩している後者の人達のほうが、よっぽど傍迷惑だと私は思うのです。 そう思わないかい?マックバーン君。
先日のAT-X版『バビル2世』の衝撃がやまないうちに、横山先生は逝ってしまわれました。 最後はバビル2世並の火炎放射を実演されてしまいましたな… 私ぐらいの年代だと、バビル2世というのはその名を知らぬものがいないほど有名な存在で、超能力=バビル2世というぐらいぐらい超能力の代名詞的存在として扱われており、そのメジャーっぷりはかのユリ・ゲラーをもしのぐほどでした。 高いところなど登ると、何もこないとわかっていても、空を仰いで「ロプロォォーース」と叫びたくなる衝動にかられた少年少女も多かったものです。 また都合が悪いことがあると、あーあ、こんなときロデムがいたらなぁとロデムの出現を願った小学生もあとを絶ちませんでした。 ロデムは大変に人気があるキャラで、同種の能力を持つサイボーグ007やバーバモジャと比べても、その人気のほどはゆうに頭一つ分リードしておりました。ドラ○もんなんかよりよっぽど重宝がられて人気あったもんね。 大きくなってからこの漫画読んでみると、ヨミが大変な部下思いの首領だったのに驚かされるわけですが、部下のほうも世界制服ためストイックにヨミに従事していて、感心することしきりです。部下に信頼される指導者と勤勉な企業戦士達、コイツ等現代社会に生きていたら、案外実業家として成功するんじゃないでしょうか。なんかそんな気がいたします。 反対に浩一くんは、正義のためには手段を選ばぬというよく考えてみると畜生なやつだったという事実に、やはり驚かされます。3つのしもべが従順なのをいいことに、コイツ傍若無人でやりたい放題です。 冒頭の明日は使者がくるんだとわけのわからないことをいって、育ててくれたお家の人を捨ててとっとと出て行ってしまうところなど、もうたまりません。 横山漫画の数多いタイトルの中でも、知名度ではトップクラス級の『バビル2世』ですが、この話の偉大だったところは、超能力と古代文明のドッキングとか、3つのしもめの存在とか、躍動するメカ等いろいろあるのでしょうが、やはり白眉だったのは、なんといっても浩一少年の学生服でありましょう。 とうに学校なぞいかなくなったのに、着る必要もなくなった学ランを愛用する浩一少年ことバビル2世。これがよかった。 連載を長引かせるために、ヨミが何度も蘇るというご都合主義ともとれる強引な展開も、この浩一くんの学生服の前には無力です。 ビバ学生服!ハイル学ラン!学生服はカンコー! さしもの正太郎クンの半ズボンも浩一くんの学生服には敵うまい! このバビル2世には続編があってタイトルは『その名は101』というのですが、私としてはこちらの話のほうが好きでした。 これはバビル2世こと山野浩一君(もちろんSF作家の山野浩一氏ではない)が主人公の話で一応続編という形はとっていますが、内容はまた別物というかパラレルといった感じのです。 浩一くんは引き続き主人公なのですが、こちらには3つのしもべは出てきません。 そのせいもあってか、どうもあまり評判はよくないみたいですが、私はこちらのほうが好きでした。一人で戦う101が孤独で。 自分の血を輸血したことにより作り出された超能力者を抹殺するために、一人戦う能力者・・・これがこの話の大筋なのですが、もうこの設定だけでメロメロです。 しかも彼にかかわりあいになった人は、それがために命に落としてしまうあたりなどがもうたまりません。 敵を倒した後に、あと何人…と残りの人数を数えて去っていくところなどはしびれたのですけどね・・・あーそんなこといっていたら、また読みたくなってきた。 おやすみ…横山光輝先生…
ロッキーは助かったようです。 ま、次はせいぜい地雷踏まないよう気をつけるこったな。 「戦争写真家の切なる願いは失業だ」 ロバート・キャパ
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