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今日は15日なので鷲神社に参拝し道場の神棚の榊、酒、米、塩、水を替えて大山倍達座右の銘11箇条を唱和して道場の掃除をしてからウエイトトレーニングに行きました。朝のウエイトトレーニングは足をトレーニングしました。重量も回数も1つ上に行く事が出来ました。夜の自主トレでは中山が参加したので、私も参加して2人でベンチプレスをやりました。軽い気持ちで始めたので、20キロを10回、80キロを5回、ウォーミングアップで行い、100キロに挑戦しましたが、気持がこもっていなかったのか?フォームが悪かったのか?分かりませんがラックから上げる事も出来なく失敗してしまいました。ベンチプレスをやるのはたぶん半年ぶりぐらいなので、自信がないのと中山に付き合うぐらいの気持ちだったので失敗して当然かなと思います。でもとても悔しかったので、もう100キロにもう1度挑戦しました。今度はしっかりと呼吸法で心を整えてから身体の中に爆発を起こす気持で上げました。今度は100キロを4回上げる事が出来ました。上げる時に大山倍達総裁の「これが上がらなかったら明日からご飯が食べれないと言う気持で必死でやれば上げる事が出来る」と言う言葉を思い出して必死の気持でやりました。やはり心が大切んだなと思いました。ちょっとやってみよう、とか出来るかわからないけどやってみよう、なんていう軽い気持ちだから出来る事も失敗してしまったのだと思います。絶対に上げるんだ!と言う必死な気持が大切なのだと改めて感じさせられました。
昨日のスパーリングで遂に後ろ回し蹴りを当てました。股関節もかなり安定感が強くなって来たので、先月ぐらいから1人でコツコツと後ろ回し蹴りを稽古していました。若い頃にやっていた方法で蹴ったら、おそらく股関節を脱臼してしまうと思うので、何度もフォームを確認して股関節を脱臼しない身体の使い方で後ろ回し蹴りを蹴る稽古をくり返しくり返し行っていました。そして先々週ぐらいに、遂に新しい後ろ回し蹴りの蹴り方を開発しました。先ずはとにかくスパーリングで当たらなくても良いから後ろ回し蹴りをたくさん出して、蹴る感覚とタイミングと間合いを確かめて調整して行きました。だんだん蹴る感覚とタイミングと間合いか分かって来たので、そろそろ当たる予感がしていたら、遂に後ろ回し蹴りを当てる事が出来ました。後ろ回し蹴りを当てたのなんて何年ぶりだろう?股関節を手術する前は自分が後ろ回し蹴りを蹴っている姿なんて想像も出来ませんでした。自分が想像も出来なかった事を努力して出来るようにしたのだから奇跡を起こしたと言っても過言ではないと思っています。自分は本当に51歳なのだろうか?と思ってしまうぐらいに自分は進化して行っています。私は進化が止まらない51歳です。55歳の時に自分がどうなっているのか?とても楽しみです。
普段からストレッチと入浴とマッサージと栄養補給をしっかりと行うようにしているのですが、先週の火曜日に背中の筋肉を痛めたので、さらに怪我には気を付けてトレーニングや稽古をするようにしています。寒くなる季節の変わり目は体調も変化する時期なので、その体調の変化を敏感に察知出来るように気を付けています。今日はウエイトトレーニングを1時間30分、ストレッチと呼吸法と型を1時間20分行いました。夜の稽古ではスパーリングを2分で11セット行いました。まだ少し息は上がってしまいますがトータルで22分間スパーリングしたので、なかなか体力は着いてきたと思います。体重は97.1キロになりました。今年の年末までには93キロぐらいには絞れていたいと思います。
今日は代官山道場で技術委員会の仕事がありました。松井章奎館長が100年後の未来にしっかりとしたスタンダードな稽古体系や技術体系や型を残そうと立ち上げた委員会です。そこに自ら立候補する形で半ば強引に参加させて頂き、私の出した案もたくさん取り上げられるようになり、正式に技術委員にして頂く事が出来ました。その頃の私は型の試合でも優勝していましたし、極真の型だけではなく、伝統派や他流の型もたくさん知っていました。なので型の事やその流派の技の特徴や空手の歴史などにも詳しくなっていました。私が何故、型に力を入れて稽古に取り組む様になったかと言うと、それは生徒で組手が苦手な人が型に取り組む事で、空手に対して目標を持ったり意欲的に稽古に取り組んだりしてくれたら良いなと言う思いからでした。その為にも自分が先ずは型の試合に挑戦して、その経験を生徒達に伝えて行こうと始めた事でした。でも気付いてみたら型競技の全日本で2回優勝し今に至るわけです。誰かのために始めた事も一生懸命に取り組めば必ず自分に返ってくる事を感じました。自分が学んだ事を未来に繋げて行けるようこれからも一生懸命稽古して行きたいと思います。
今日から11月も中旬です。ダラダラと時間を過ごしたり、うかうかしていたり、自分のやらなくてはいけない事に追われていたら、自分の本当にやりたい事をやれずにあっという間に時が過ぎて、自分の夢も目標も本当にやりたい事も置き去りにされてしまいます。それこそ自分は何のために生きているのか?この1年は自分にとって何だったのか?自分はこの1年で何を残す事が出来たのか?それも分からないまま、この1年が過ぎ去ってしまいます。今年も残すところあと50日です。今年の終わりには、自分は正しく生きていたか?自分は一生懸命に生きていたか?その答え合わせをしていると思います。何かを残す事が出来なかったとしても「自分は正しく生きた!」「自分は一生懸命に生きた!」それだけは胸を張って言いたいと思います。だから残りの50日を自分にも家族にも仕事にも誠実に一生懸命に頑張って行こうと思います。
ふと子供の頃の事を思い出しました。それは夕方で私は小学生で自分の部屋で寝っ転がっていて、台所から母が夕食を作っている音が聞こえて来ます。茶の間からはテレビの音が聞こえて来ます。そして少し時間が経った頃に母が夕食が出来たと私と姉と妹の名前を呼びます。そんな子供の頃の情景を思い出し、あの日常が幸せと言うものだったんだなとしみじみと思います。その頃の事をとても愛おしく思います。私達の幸せを守ってくれた両親には心から感謝しています。幸せとは特別な事ではなく、日々の日常の中にあるんだと51歳になって心から感じる事が出来るようになりました。今は自分の家族を持ち、その日々の日常の中にある幸せを感じています。家族がそろって、皆で話をしながら、妻が作った夕食を食べている時間がとてもとても幸せで大切なものだと心から感じて過ごしています。ダイエットのために今はビールを止めていますが、休日の夕食に妻と飲むビールは最高です。いつか子供達とも一緒に夕食を食べながらビールを飲んで楽しい話をしたいというのが今の私の夢です。
次男は、朝一緒に自転車で道場に行く時はすごく機嫌が悪くあまり話をしません。でも稽古が終わって帰る時はすごく機嫌が良くなっていて、ずっと話しをしています。今日は野球の話や一緒に観に行ったヴェノムの話しをしました。長男が空手を始めてからこの11年は土曜日は子供達と道場に行くのがとても楽しかったです。それもたぶんあと2年ぐらいなんだろうと思います。長男は妻にはまだ甘えるようですが、もうほとんど親離れしています。子供達との時間を大切にしなければいけないなと思います。
私は映画が好きです。母の影響で3歳の頃から映画館に行って映画を観ていました。母には本当に良い作品をたくさん観せて頂きました。「奇跡の人」「がんばれベアーズ特訓中」「ベン・ハー」「ジョーイ」「チャンプ」「シェーン」「コンラック先生」「荒野の1ドル銀貨」「小さな恋のメロディ」などなどたくさんたくさん映画を観せてもらいました。私が感動屋なのは、小さい頃にたくさん映画を観せてもらったからだと思います。私はハッピーエンドで感動する映画も好きなのですが、心に突き刺さって映画を見終わったあとにずっとその映画の答えを考えさせられるような映画も好きです。その時に楽しかったり、スリルがあったりして映画の中に引き込まれる映画も好きなのですが、観ている時は「ん〜〜」って感じだった映画の方がその後、何度も何度もその作品を観たくなったりします。最近は「ヴェノム ラスト・ダンス」と「ジョーカー2 フォリ・ア・ドゥ」を映画館で観ました。どちらもとても良い作品でした。ヴェノムはとにかく楽しめました!笑えるシーンもたくさんありました。MARVELの中でもヴェノムがとても好きになりました。ジョーカー2はとても心に突き刺さる作品でした。ジョーカー演じるホアキン・フェニックスは本当に良いのですが、レディ・ガガが演じるハーレイ・クインもとても良かったです。作中でカーペンターズのクローストゥユーをレディ・ガガ演じるハーレイ・クインが歌うシーンがあるのですが、とても良かったです。ジョーカー2は賛否両論なようですが、私は好きです。好きと言う言い方が正しいのか?分かりませんが、この先たぶん何度も観る作品だと思います。とりあえずもう1度は映画館で観たいと思っています。ホアキン・フェニックスもレディ・ガガも2人とも狂っていました。まさにフォリ・ア・ドゥ(2人狂い)でした。
私は今日、生まれて初めての感覚を味わいました。空手を始めてから36年が経ったのですが、今まで出来なかった事が出来るようになったのです。それは生徒に前蹴りの見本を見せている時でした。私が前蹴りを蹴り道着のズボンがパシッと音がするように蹴るよう見本を見せて蹴っていると、突然ヒュッと風を切る音が聞こえたのです。何回もやって見ましたが、やはりその音は聞こえました。前蹴りを蹴ってあんな音が出たのは始めてのことなので自分でも驚きました。そして嬉しくて生徒達に何度もやって見せて、みんなにも音が聞こえるかを確認しました。みんなその音は聞こえていました。前蹴りなんか毎日稽古しているの技ですが、今日突然自分の技が進化しました。自分が進化した瞬間を体験しました。だからやっぱり空手は面白いです。これからも自分の進化を信じて稽古に励んで行きたいと思います。
私達は人類が始まってから今までの最先端を生きています。今までで1番幸せな世の中を行きていると言っても過言ではないと思います。それは先人達が築き上げて来た物の上に生きているからです。日本にという事で言っても電話が普及したのは1869年、車が普及したのは1898年、戦後に旅客機が出来たのは1962年、テレビが普及したのは1950年、携帯電話が普及したのは1987年、スマホが普及したのは2009年です。一般的に皆んなに普及したのはその10年後とかになるのではないかと思います。そう考えても今の生活が出来るようになったのなんて、この150年ぐらいのものです。私達は先人達の英知の上に生活させて頂いていると言う事になります。先人達が試行錯誤して苦労に苦労を重ね作った物を利用させて頂いているわけです。空手道もまさにそうです。人が人に伝え残して来た物を学ばせて頂いています。何故人が人に伝え残して来たのか?それは残す価値がある素晴らしい物だと先人達が考えたからだと思います。そして自分の人生では答えが出なかったからだと思います。私達もそれを学ばせて頂き、それを前に進めて行き、いつかは誰かに引継いでもらいます。誰かに引継いでもらう日まで前進あるのみです。先人達に敬意と感謝の気持ちを持って取り組んで行きたいと思います。
kanno
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