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桜が咲く季節になると前橋妙子初段の事を思い出します。前橋妙子初段は2019年4月27日に亡くなったので、4月27日になるともう9年が経つ事になります。あれから9年も経つなんて本当に時が過ぎるのは早いです。前橋妙子初段が亡くなる少し前に「自分の余命を知ったとしたら、先生ならどんな最後にしたいですか?」と聞かれました。私は「自分らしい最後にしたい」と答えました。そして「でも今はその自分らしくとは何なのか?まだ分かりません。」と言いました。あれから9年が経ち、その時に自分が言った自分らしく最後を迎えると言う自分らしさと言う物が少し見えて来ました。それを書いておきたいと思います。自分らしさとは自分が今までどう生きて来たか?自分が今までどう人に影響を与えて来たか?もしかしたらそれは自分という人間をどう演じて来たか?と言う事なのかもしれません。本当の自分の本質と言う物は別な物なのかもしれません。だとしても自分がこの世を去る最後の時だからこそ、頑張って自分らしさを演じきる事が自分らしく最後を迎えると言う事なのではないか?と思います。自分のあとに残る人の事を考えて頑張って最後まで自分を演じきる事が自分らしくと言う事になるのではないか?と思います。私は先生として、夫として、父親として、男として、人にカッコイイ事も立派な事も言って来ました。最後までその言葉を覆す事のないように生ききりたいと思っています。それが最後まで自分らしく生きる、自分らしい最後を迎えると言う事になるのではないか?と思っています。私には、もう少しこの世で修行が残っています。自分がこの世から去る瞬間まで修行は終わりません。その瞬間まで修行を続けて生きたいと思います。そして、この世から私が去る時には自分らしく人生を全う出来るようになっていたいと思います。さあ明日からまた修行が始まります。
1983年4月8日金曜日に私は10歳でした。その日に私にとって、とてもとても大切な事が起こります。10歳の私には、自分にとってそんなに大切な事が起きているなんて知る由もありませんでした。1983年4月8日金曜日は21年後の2004年に出会う妻が生まれた日です。もし妻がこの世に生まれていなければ私はとても寂しい人生を生きていたでしょう。妻がこの世に生まれず出会わなければ長男と次男もこの世に生まれては来ませんし、私のたくさんのパッピーは無かったと言う事になります。1983年4月8日金曜日は私にとってとてもとても大切な奇跡が起きた日です。私がこの世から消える瞬間まで絶対に忘れないとてもとても大切な奇跡が起きた日です。4月8日は、お釈迦様が生まれた日と言われていますが、私にとってはそれよりももっともっともっと大切な奇跡が起きた日だと思っています。
私は今52歳です。あと何年動けるだろう?動けるというのは今の空手での力や技などのパフォーマンスを保てるだろうと言う事です。5年?10年?15年?20年?ん〜〜答えは出ませんが、どんなに頑張っても15年が限界かな?!と思います。残された人生だって分かりません。今頑張っておかないと本当に後悔する気がしています。今出来る事を今思いつく事を全部やっておこうと思います。頑張ります!皆さん応援よろしくお願い致します!
次男は私が見せた映画をとても気に入ってくれたようです。「菊次郎の夏」「ライフ・イズ・ビューティフル」「サイン」「シックス・センス」「ぼくらの七日間戦争」などをもう1度見たいと言って来るようになりました。やっぱり次男と私は趣味が合うようです。次男とは好きな映画やマンガもけっこう同じですし、ゴジラやウルトラマンが好きなところも似ていると思います。
妻の誕生日は4月8日なのですが3日前倒しで横浜のフライデーズで妻の誕生日会を行いました。妻には「お金も大変だし、家でやろうよ。」と言われましたが、ここは頑張ってカッコつけないとと思い、フライデーズでやる事にしました。妻の誕生日会は何かよほどの事がない限りはフライデーズでやるようにしています。それはフライデーズで誕生日会をするとサプライズケーキが来て店員さんをお祝いの歌を歌ってくれるからです。妻と始めて出会った時にフライデーズで食事をしたのですが、その時に妻がサプライズケーキで祝ってもらっている人を見て「本当に嬉しいだろうね!」と言っていました。それを覚えていたので妻と付き合ってからは妻の誕生日会はフライデーズで行っています。もう十数回やっているのでサプライズでもないんですが、これは初心を忘れないためと妻を大切に思っていると言う愛情表現として儀式のようにやって行きたいと思っています。もちろん家計が大変な時も家族がいろんな事で大変な時もあります。でもそんな時も美味しい物を食べて菅野家の最大の功労者である妻を皆で祝ってあげたいと思います。
昨日は長男に背を抜かれた事を書きましたが、次男には長男より早く身長を抜かれると思います。次男は現在小学5年生ですが身長154センチで体重70キロで足のサイズは25センチです。もちろんまだ声変わりもしていないおこちゃまなので、中1ぐらいの声変わりをする成長期で抜かれてしまうと思います。私がいままで見てきた子達の情報から考えても次男は180センチ以上は行くと思います。そうなると菅野家の男で私は1番小さくなってしまいます。次男は骨格もしっかりしているのでウエイトトレーニングをやって筋肉や骨に負荷をかけて行けば185センチ以上で体重はナチュラルで100キロぐらいは行きそうです。次男なら私の身長も体重もウエイトトレーニングの記録も抜いてしまいそうです。そんな事になったら極真空手の選手には持って来いなのですが、次男は気は優しくて力持ちのタイプなので少し勝負事には向いていないかな?とも思います。でもこの先の未来は誰にも分かりません。なんでも良いから大きな夢と目標と情熱を持って思いっきり青春して人生を謳歌して欲しいと思います。いつか妻と長男と次男と皆でビールを飲んで馬鹿な話しをしてたくさん笑いたいなと思います。
昨日の日記に長男と並んだ時に長男に身長を抜かれていた事を書きました。その事をもう少し書いておこうと思います。始めて長男を見たのは2010年12月24日金曜日の朝でした。妻の母から生まれたばかりの長男の写メを送って頂き、福島へ向かう新幹線の車中で長男を始めて見ました。新幹線の中からの朝日が綺麗に見えたのを覚えています。私の両親が車で福島駅まで迎えに来てくれ、妻と長男がいる病院まで送ってくれました。私の朝食まで買って用意してくれていた母と何故か車中で口喧嘩してしまいました。子供が生まれて親になったと言うのに随分と自分は子供だったのだなと反省しています。妻の病室に行くと妻も長男もいなくて、看護師さんに長男を連れて来てもらい、廊下で長男を始めて抱っこしました。その時、私は少し前に売ってしまったバンソンの白い革ジャンを着ていました。長男を始めて抱っこした感想は、抱っこしている長男を落としたら死んでしまうからしっかり抱っこしなきゃと言う責任感と自分の血を分けた子供なんだと言う愛情でした。その時から父親としての責任感が生まれたと思います。妻は私と違って長男が生まれた時はもうしっかりと母親になれていました。長男は顔をくしゃくしゃにしてピエーピエーと泣いていました。あの時は私の手に抱かれて小さかった長男が私より大きくなるなんて思いもしませんでした。本当に可愛かったなーと思います。私はけっこう頑張って長男と遊んだと思います。妻と結婚してからはほぼほぼ外に出る事はなかったので、休みの日や週末の夜は皆で食事をしましたし、休みの日は必ず子供と遊んでいました。それでも今考えるともっともっと抱っこしたかったなと思います。その時々の長男の姿を本当に愛おしく思います。今日、長男に「通信簿どうだった?!」言ったら「何それ?!」と言われました。どうやら今は通知表と言うそうです。長男の通知表の成績は私に勝るとも劣らない成績でした。将来どうなるやら本当に心配です。でも長男はギターの腕前はなかなかです。親バカになるかもしれませんが、才能はあると思います。そして長男は度胸が良いです。空手の試合の前もギターのLIVEの前もいっさい緊張しません。LIVE直前もお友達とペラペラしゃべっていて、そのままステージに上がっていました。度胸の良さは妻に似たんだなと思います。一昨年私は股関節の手術をしました。その入院中に雑色のお祭りで演武があったのですが私に変わり妻がステージに上がり演武の挨拶や解説をしました。何十年と場数を踏んだ私が見てもなかなか良かったです。次の日に妻が面会に来た時に私が「緊張した?」と聴いたら「凄く気持が良かった!」と言っていました。人前に立ってそんなふうに思えるなんて本当にうらやましいです。長男もそんな感じらしいです。根性と度胸は鍛えるのが本当に難しいので素晴らしい才能を持って生まれたのかもしれません。これから長男にいろんな事を抜かれていくのだろうと思います。私も父親ですから、少しでも長く強い父親の背中を長男に見せてあげたいと思います。長男が20歳の時はガチの組手をしたいと思っています。長男がもし私に勝ったら、ビールで長男の成人を祝ってあげたいと思います。たぶんその時は私は感動して泣いちゃうだろうなと思います。それまでは頑張って鍛えていこうと思います。それまでは強い親父でいたいと思います。
妻が「琥白!パパより大きくなったんじゃない?あとで並んで見たら?!」と言われたので、長男と並んで見ました。なんと少しだけ長男の方が背が高くなっていました。私は172センチなので長男はそれ以上と言う事になります。長男の身長が170センチになった時から、これはいつかは抜かれるなと思っていましたが、遂に身長で抜かれてしまいました。この先あとは何を抜かれるのだろう?と考えると少しさみしくなりますが、絶対抜かれないだろう事を書いておくと最重量体重です。私の人生の最重量体重は107キロなのでこれは絶対に抜かれないと思います。あとはベンチプレスとスクワットの記録です。私のベンチプレスのMAXは180キロなのでこれは抜かれないと思います。スクワットのMAXは260キロなのでこれも大丈夫だと思います。でも今の自分と言う事で言ったら、もうどんどん抜かれるんだろうなと思います。抜かれた気持は寂しいのが20%で嬉しいのが80%です。「まあ何はともあれ、パパの背を抜くほど無事に成長して大きくなってくれて、本当にありがとう!琥白、本当におめでとう!これからもいろんな部分でパパを追い抜いて行ってくれ!頑張って青春を謳歌してくれよ!」今週末は妻の誕生日と共に長男が私の身長を抜いたお祝いをしてあげようと思います。
2025年のワンクールが終わり、今日から4月が始まりました。とても寒くてあいにくの雨でしたがそんな事には負けていられないので、いつも通りの時間に家を出て、途中まいばすけっとで榊を買って鷲神社に参拝し、道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を替えて、神前に今まで道場を運営出来た事の感謝と先日の審査会と試合の無事を感謝して、今後のさらなる道場の発展を祈願して道場の掃除を行いました。そしてジムに行きトレーニングを1時間行い、道場でストレッチをしながら生徒を待ち、春季短期集中セミナーの指導を終え、昼食を取り、書店に本を買いに行きました。買った本は細田昌志著の「格闘技が紅白に勝った日」でした。そのあともう一度ジムへ行きランニングをし、道場へ戻り指導をしました。一般部には瑛太郎と陽生が稽古に来たので、私も一緒に頑張って稽古をしました。道場を閉める前にまた軽く掃除をして道場をでました。4月のスタートも良い感じでスタート出来たと思います。
妻と次男と3人で「サイン」を見ました。この映画のメル・ギブソン演じるお父さんのグラハムは私の思う理想のお父さん像第2位です。ちなみに第1位はライフ・イズ・ビューティフルのロベルト・ベニーニ演じるグイドです。妻が映画を見る前に「ビールとサインなんて最高の組み合わせじゃん!パパが号泣すること間違いなしだね!魂の浄化には最高の組み合わせだね!」と笑っていました。もちろんその通りになりました。次男もとても感動したようです。起きた事をただの偶然と通り過ぎるか、これは運命だと何かのサインだと感じるかで人の人生は大きく変わると思います。妻が映画を見終わったあと面白い事を言っていました。「フルスイングして!じゃなくて野球じゃない時にフルスイングして!ってちゃんと言えばよかったのにね!何でちゃんと最後まで言わないんだろう?」もう笑うしかありません。気になる人は是非鑑賞して見てください。
kanno
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