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本日は、私の師匠である廣重毅師範の命日でした。私の指導者としての模範は廣重師範でしたし、本当の意味での挨拶や礼儀や先生として立ち振る舞い方や道場の運営方法や指導方法などは廣重師範から教えて頂いたと思っています。本当の意味での私の先生でした。でも私が本当に成長出来たのは廣重師範から離れてからだと思います。先生から離れて、自分が誰にも頼らずに1人で稽古をし、指導をし、道場を運営するようになってから、廣重師範の言葉を思い出し、自分で考えて答えを出し、廣重師範が言っていた事を本当の意味で理解出来るようになったと思います。人間は親や先生から離れて苦労をして本当の意味で大人になるんだと思います。廣重師範の言葉で1番印象に残っているのは「相手の苦しさは分からない、自分の苦しさはよく分かる。でも相手も同じように打ち合って動いているのだから、相手も自分と同じように苦しいはずだ、どちらが歯を食いしばって頑張れるかが勝負なんだ。」です。その言葉を思い出し、国際親善大会に臨む生徒に「相手も苦しいぞー!」と何度も言いました。その言葉を言ったあと廣重師範の写真を眺めていたら、生徒の1人がそれに気づいて私を見ていました。その時に私はふと今日は廣重師範の命日だったんだと気が付きました。もしかしたら廣重師範が私がちゃんと指導しているか見に来たのではないかなと思ったりしています。
長男は休みの日に5時に起きて部活の試合に出かけて行きます。夕食の時に私が試合はどうだった?と聴くと、長男は「試合には出れなかった...。」と答えました。もう抱きしめてあげたくなってしまいました。私は「そうか、お前はえらいぞ!」と言いました。勝負や競争の世界では、頑張ればいい事があるなんて甘い世界ではありません。でも頑張った事は絶対に無駄にはなりません。今やっている事に直結はしなかったとしても、絶対に自分の財産になっていると思います。レギュラーじゃなくても試合に出れなくても頑張っている長男を私は誇りに思っています。
長男は学校の身体測定で身長が171.8センチだったそうです。私は172センチあるのですが、このまえ長男と並んだ時に私のほうが少し背が低かったので、どうやら私は身長が縮んでしまったようです。たぶん171センチぐらいかと思います。私は中学年の時は171センチだったので、中学生の時の身長も抜かれてしまいました。私はそれから1センチしか伸びませんでしたが、長男はもう少し伸びそうな気がします。頑張ってたくさん食べて180センチを目指して欲しいと思います。
今年は好きなアニメのTV放映や映画上映が続きます。先ずは5月に呪術廻戦が映画上映され、7月にダンダダンのTV放映と鬼滅の刃の映画上映があり、9月にチェンソーマンの映画上映があります。とても楽しみです。先日ワンピースのエッグヘッド編のTV放映も始まったので毎日がとても楽しい事だらけです。
今日は階段と呼ばれるキックミットを蹴る稽古をやって見ました。階段と呼ばれる稽古は、1の号令で1本蹴ります。2の号令では2本蹴ります。3の号令では3本蹴ります。それを、4,5,6,7,8,9,10と左右行います。なかなかしんどいです。たぶん4〜5年ぶりにやったと思います。でも4年前に膝の手術をし3年前にアキレス腱の手術をし1年半前に股関節の手術をしたので、階段のミットがまた出来るようになるなんて思ってもいませんでした。それをまたやれる自分になったのだから、なかなか凄いなと思います。もちろんもう試合に出る事はありませんが、試合に出る生徒達の相手が出来るぐらいにはいつも身体を作っておきたいと思います。
うかうかしていたら4月も終わってしまいます。1日が過ぎするという事は自分が1日死に近づいていると言う事なので、うかうかしていては行けないと思っています。毎日を大切に生きたいと思います。今日も頑張ったと言える1日にしたいと思い、今日を頑張りました。今日は個人レッスンを5回指導しました。とても有意義でした。
私は、妻を「弥生ちゃん」とよびます。それは何故かと言うと、私にとって妻は今でも変わらずに初めて会った頃の弥生ちゃんだからです。そりゃあお互いに出会った時より31年歳を取っているわけですし、子供もいたり、日々の日常に追われ、自分の良いところばかりは見せて居られなくなってしまっていますが、やはり妻は僕にとっては今でも出会ったころと変わらず「 弥生ちゃん」です。なので私は妻を「ママ」と呼んだりはしません。逆に言えば、妻にはずっ弥生ちゃんのままでいて欲しいと思っています。
「Love Letter」を見て思った事を書きたいと思います。先ずは鈴木蘭々がメチャクチャ可愛いと言う事です。鈴木蘭々はポンキッキーズとかやってる時から可愛い人だなと思っていましたが、2025年在で西洋風な可愛い人が増えて、目だけが肥えて52歳になった現在の私が見てもとても可愛い人だと思います。柏原崇もとてもカッコイイです。今でも通用するカッコ良さだと思います。そして豊川悦司がメチャクチャ良いです。あのひょうひょうとしているのだけれど本質的な優しさや強さを持っている人を演じれる感じがとても良かったです。「 今度は愛妻家」を演じた豊川悦司ま大好きです。自分とは真逆に違え人だからカッコイイと思うのかもしれません。「Love Letter」本当に見て欲しいです。青い珊瑚礁を歌う豊川悦司、7元気出すかー!私は、元気でーす!」と言う中山美穂、そしてラストシーンの酒井美紀が演じる藤井樹が藤井樹のラブレター的な図書カードを受け取るシーンは号泣必至です。人を好きになるって本当に素晴らしいだと思います。たとえ別れる事になったとしても、一生懸命に恋愛していれば、それは後の人生でずっと自分を支えてくれる自分にパワーをくれる思い出に鳴っていると思います。そしてどんなに悲しい別れがあったとしてもまた新しい素晴らしい恋愛をして欲しいと思います。
岩井俊二監督の「Love Letter」を久しぶりに見ました。この作品は1度目に見た時にはそんなに感動しませんでした。なので今回見ても大部分を忘れていました。そのおかげでとても感動する事が出来ました。前に見た時はそんなに感動しなかったのに、今回は感動したと言う事は自分が変化したのだと思います。この作品を見たのは1995年なので私は22歳でした。若かったのかもしれません。今は52歳になり、自分なりにいろいろな事を経験し考え方も感じ方も思い方も変わったのだろうと思います。30年間で、この映画の内容と自分の経験と重ね合わせられる物が増えて、その自分の体験と重ね合わせて感動したのではないかなと思います。私が思った事は最愛の人を亡くしたとしても、その人との思い出は1つも無くなる事は無いと言う事、そしてその人との楽しかった出来事や時間は永遠に無くならないという事です。そしてそんなに素晴らしい恋愛を出来た事は人生で本当に本当に素晴らしい時間を自分が生きていたと言う事だと思います。自分がこの世からいなくなろうと、1000年経って自分達の存在を誰も知らなくなってしまったとしても自分がこの世にいた事もその人がこの世にいた事も2人が素晴らしい恋愛をした事も永遠に無くならないと思います。そんなふうに思える恋愛を私も出来たから今こうしてそう思えるのだと思います。
桜が咲く季節になると前橋妙子初段の事を思い出します。前橋妙子初段は2019年4月27日に亡くなったので、4月27日になるともう9年が経つ事になります。あれから9年も経つなんて本当に時が過ぎるのは早いです。前橋妙子初段が亡くなる少し前に「自分の余命を知ったとしたら、先生ならどんな最後にしたいですか?」と聞かれました。私は「自分らしい最後にしたい」と答えました。そして「でも今はその自分らしくとは何なのか?まだ分かりません。」と言いました。あれから9年が経ち、その時に自分が言った自分らしく最後を迎えると言う自分らしさと言う物が少し見えて来ました。それを書いておきたいと思います。自分らしさとは自分が今までどう生きて来たか?自分が今までどう人に影響を与えて来たか?もしかしたらそれは自分という人間をどう演じて来たか?と言う事なのかもしれません。本当の自分の本質と言う物は別な物なのかもしれません。だとしても自分がこの世を去る最後の時だからこそ、頑張って自分らしさを演じきる事が自分らしく最後を迎えると言う事なのではないか?と思います。自分のあとに残る人の事を考えて頑張って最後まで自分を演じきる事が自分らしくと言う事になるのではないか?と思います。私は先生として、夫として、父親として、男として、人にカッコイイ事も立派な事も言って来ました。最後までその言葉を覆す事のないように生ききりたいと思っています。それが最後まで自分らしく生きる、自分らしい最後を迎えると言う事になるのではないか?と思っています。私には、もう少しこの世で修行が残っています。自分がこの世から去る瞬間まで修行は終わりません。その瞬間まで修行を続けて生きたいと思います。そして、この世から私が去る時には自分らしく人生を全う出来るようになっていたいと思います。さあ明日からまた修行が始まります。
kanno
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