あらら、もう9月だよ(笑)。 ここ最近は手続きが多くてね。ほら、5月1日に新会社法が施行されたじゃない。アレに伴ういろいろなことがあってさ、そりゃ大変よ(笑)。 仕事の中で一番きついのがこの手続きってやつでね。 俺の場合、けっこう面倒臭がりやだからほんと憂鬱になるよ。 わからないことだらけだからね。 でも、よくよく考えてみると、この手続きを代行する仕事が成立しちゃうぐらいだから、手続きそのものが如何に大変かよくわかるよね。 手続き…。 あの複雑なシステムを一体誰が考えたんだろう。
club MAIROで行われた「J」のライブに参戦。一途なまでの硬派なロック。気持ちいいよね。終演後、2日前にオファーされた単独インタビューを敢行。LUNA SEA時代からそうだったんだけど、いつ会っても自然体でフラットな男。なんか、本質的な部分でわかり合えてる気がするんだよ。 そんなんだから、ワンカメ撮影なのに15分もテープを回してしまった(笑)。もちろん打ち合わせなしの一発撮り。 「J」の笑顔が満載の貴重なインタビュー。さあて、どんな風にオンエアしようかな。 そのインタビュー風景を密着クルーに撮影されてた俺…(笑)。
覚悟をしていた感情と、実際にその瞬間が訪れたときの感情とは、とてつもなく大きな隔たりがあることを思い知らされた。
自分ですら予測できない感情の揺れ。まさにそんなものだ。
先に逝ってしまった事実よりも、むしろそれまでのプロセスに対する猛烈な自責の念にかられるのだ。
「何もしてあげられなかった」 「もっと何かをしてあげたかったのに…」 「あのときこうしておけば…」
まさにそんな思いのオンパレード。
「孝行したいときに親はなし」とはよく言ったものだ。 自分だけはそうなるまいと思っていたのにね(笑)。
おそらく、どんなに尽くしたとしても残ってしまうであろう後悔の念。 まあ、それがジンセイというものなのかな。
平静を保ってはいるが、ふとしたときにこみあげてくる感情を制御できないでいる。
特にやばいのは、一人でご飯を食べているとき。
母の最期は点滴で寝たきりの生活だったから、余計にそんな風に思ってしまうんだろう。
最期ぐらいさ、美味しいものを食べさせてあげたかったよ…。
8月6日、午後…。
その電話が鳴った瞬間、すべてを悟った。 めったにかけて来ない父からのコール…。
「さっき逝っちゃった」
ある程度覚悟ができていたせいか、その事実を冷静に受けとめている自分がいた。
「とにかく目の前の仕事を片付けなきゃ…」
すぐにでも帰省したい気持ちを押さえ、ほぼ徹夜状態で必要最低限の仕事を終えたのは午前6時過ぎ。
喪服と着替えをカバンに入れ、午前中の高速バスに乗り一路名古屋へ向かう。
実家に着いたのは、午後3時過ぎ。親戚一同がすでに集まっていた。
「母ちゃんね、あんたを待ってたんだよ」
導かれるように通された部屋の中央で白い布に覆われた母が静かに眠っていた。その安らかな寝顔を見た瞬間、こみあげる感情が押さえきれなくなっていた。涙がとめどなくこぼれ落ちる。
在りし日の母の姿が脳裏に浮かんでは消えていく。
「遅くなってごめん」
それが精一杯だった。
葬儀屋さんの説明を受け、母のからだを親族の手で棺に入れる。そのまま僕は、母と一緒に通夜の会場へ向かった。
夜7時、通夜が始まる。悲しみに暮れてるひまもなく、喪主としてやらなきゃならないことが目の前に横たわっていた。
父の意向で、そんなに知らせていたわけでもないのに、たくさんの人たちが弔問に訪れてくれた。
その日は母と一緒に通夜会場で一夜を過ごすことになった。
大阪からわざわざ駆けつけてくれたGさん、ありがとう。
8月8日、午前10過ぎ。全国から30余りの献花が届けられる。ありがたい気持ちでいっぱいだ。
11時から葬儀が始まった。
親族を代表をしてのあいさつは、声を振り絞りながらなんとか終えた。最後はこんな言葉で締めくくった。
「母さん、ありがとう。今は安らかに…」
いよいよ出棺の準備に入る。これが本当に最後のお別れだ。親族の手で棺の中を花で埋め尽くす。
胸が締め付けられて、切なくて、悲しくて、やりきれなくて…
涙で視界が見えなくなる。
棺の蓋が閉められる直前、僕は小さなつぼみの花を棺に入れた。その行為がとても大切なような気がしたからだ。
喪主の僕を先頭に、火葬場へ進む。
「6番」
棺をその場所へ入れる瞬間の気持ちは、もうなんて表現すればいいんだろう。
「逝かないで…」
鉄の扉が下ろされ、キーでロックされる。
喪主の僕は、そのキーと収骨時刻が記載された紙を受け取った。
おとき料理をいただき、その場所に戻ったのは午後2時前。
まず、喪主の僕だけが呼ばれ、収骨の場所へ案内された。かすかに人の姿を形どった骨だけが残された場所…。
合掌。
親族が呼ばれ、母の骨をひとつひとつ丁寧に骨壷へ収めていく。
静寂とは、まさにこんな瞬間なのだろうか。
8月6日、午後2時半過ぎ。 病気療養中の母が急逝いたしました。
急遽、喪主を務めることとなり、月曜から実家に戻っておりました。連絡が行き届かず、ご迷惑をおかけしてしまった方々、申し訳ありませんでした。
弔電、献花をくださったみなさん、本当にありがとうございました。
平穏な日々とは何なんだろう。こういうものは、個人的な感覚だとは思うのだが、それにしても最近の俺はバタバタしすぎだな(笑)。 揺れる感情の制御が利かない。特に寝起きの感情は最悪だ。眠れるだけまだマシってとこか。 しかし…だ。この漠然とした不安は何なんだ。昔は昔でいろいろあったんだろうけど、昨今の社会情勢をみているとさすがに考えてしまうね。 ああ、平穏にあこがれる毎日。
世の中は三連休だったのか(笑)。この事実に気づかされたのは、ここ数日のこと。あいかわらず季節感がない。まあ、そんなゆとりのない精神状態で仕事してるってことよ。 ちょっとした作業があって、県の施設へ3日間通い詰めた。使い慣れていない機材を駆使してある作業に没頭してたんだ。アタマの中のイメージは完璧に出来上がってたんだけど、実際の作業になると簡単にはいかないのが世の常…。 てなわけで、またひとつ貴重な経験をさせてもらいましたわ(笑)。 それにしても、よく降る雨だ。平野部はそうでもないんだけど、河川の増水状況をニュースで見たりすると、上流はとんでもない感じだね。これも地球温暖化の影響なのかな。
「最近、更新してないねえ?」って言われちゃったりする(笑)。やっぱこういうものは、日々の習慣にしないとあかんね。もう一度、以前のように毎日更新できるようがんばりますわ。 それにしても暑い。 先日、富山〜名古屋〜東京というルートを回ってきたのだが、東京が一番カラッとしてたね。富山、名古屋はじとじとしてる感じ。やっぱり湿気のせいなのかねえ。 そんな折、カーエアコンが壊れた模様(笑)。どうなるんだ、この夏は…。
「TOSHIKI KADOMATSU 25th Anniversary Performance」に参加するため、生まれてはじめて横浜アリーナへ行って来た。でも、残念ながら一曲目を聴き逃してしまった(笑)。 理由は…。 横浜アリーナの場所が判らず迷ってしまったから。 6時半から始まって、終演がなんと午前0時20分。一人のアーティストのライブでこんなに長い時間のパフォーマンスは記憶にない。さすが記念ライブというだけのことはある。 まさに角松敏生というアーティストの歴史の断面を垣間見るようなライブ。 継続であり、歴史であり、融合であり、羨望であり、感動であり、そして未来へと続くエネルギー。 う〜ん、やっぱり音楽って素晴らしい。 角松さんの歴史の1ページに立ち会えたことを本当に光栄に思います。 25周年、心からおめでとうございます。
音楽業界に入りたいという19歳の若者が訪ねて来た。それもマネージャー志望だという。喜ばしい限りだ。 いろいろな話をした。俺なりの考えを精一杯ぶつけてみた。 何か感じ取ってくれただろうか。 伝えたかった本質をわかってくれただろうか。 そうだと嬉しいけど…。 どうか、夢を語れる業界であり続けたいものだよ。 次世代のためにもね。
運転免許の更新があるのでメガネを買った。以前買った全国チェーンのお店がなぜかなくなっちゃったので、新たに3店舗ぐらいをリサーチ。まあ、判断基準はいろいろあるだろうが、今回は値段で決めた(笑)。 店員から、UVとか薄型とかオプションを勧められるも鋼の意思を貫きなんとか予算内で収めることに成功(笑)。 えっ、予算? ズバリ、¥10,000っす(笑)。 しかし、メガネ屋さんってどうも入りにくい。雰囲気なのかな。もうちょっと考えた方がいいと思うけど…。 そんなこと思うのは、俺だけなんだろうか。
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